弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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         主    文
     原判決を破棄する。
     本件を広島高等裁判所に差し戻す。
         理    由
 広島高等検察庁検事長松本武裕の上告理由序説及び同第一点ないし第九点につい
て。
 所論は縷々論説するが、帰するところ事実誤認、単なる訴訟法違反の主張を出で
ないものであつて、いずれも、刑訴四〇五条の上告理由に当らない。しかし、当裁
判所は同四一一条の職権を発動して、本事案を調査し、原判決の当否を検討するこ
ととする。第一、原判決は冒頭において、本件有罪、無罪を解決するの鍵は、一に
かかつてAの供述の信憑力いかんにあると云つても敢えて過言でないと明言してい
る。そして、原判決はその供述の虚言に満ちていることを縷々説明しているのてあ
る。
当初の犯行否認から、単独犯行説、六人共犯説、五人共犯説、二人共犯説、更に再
転して五人共犯説、二人共犯説、五人共犯説、二人共犯説と変転し、最後に五人共
犯を固執するに至るまでの経過を具さに検討し、このように変転するAの心境動機、
更にその各場合における客観的状況までも詳しく詮索し、次いでA供述の信憑力の
具体的検討と題しB、C、D、Eの各供述との関連においてAの供述を分析解明し、
以てその虚言性(原判決によれば、それは彼の生れながらの性格的のものであると
いう)を暴露し、延いて以てA単独犯行説の結論に資しているのである。成る程、
Aの逮捕以来Aの供述は四転五転殆んど底止するところを知らないほどの有様であ
り、その中には虚言に満ちている部分のあることは、原判決の云うとおりである。
例えば、六人共犯説、二人共犯説の如きは正にその最たるものであり、また五人共
犯説を前提とする供述の中においても、部分的にデタラメのあることは原判決の正
当に判示するところである。しかし、ここで裁判官として大事なことは幾変遷した
Aの供述の中にも、何か真実に触れるものがないであろうかと疑つてみることであ
る。例えば、二人共犯説の如きは、主として弁護人に対する関係において、述べら
れているのであるが、Aはこの供述の中で途方もない人物を拉し来つて共犯者だと
述べているのである、この供述はB、C、E、Dらの弁護人に対する面目や義理か
らその体裁を繕ろわんとするの余りデタラメを云つているものであること、そして、
このような供述こそはとりも直さず、自分の他に犯行者のあることを暗示し、端的
に単独犯行説に疑惑を抱かしむる点であることは右供述に関する部分を熟読吟味す
れば、誰しも容易に気付き得るところである。ところが、この点について原判決は、
「(前略)、しかし当公廷における証人Aの証言及び同人の栗本検事に対する一回
ないし一四回調書によれば、F某、G某は虚無人で、H某なる者は死亡していたこ
と、従つて二人共犯の各自供の虚構であることを認めるに十分であつて、二人共犯
を前提とする供述が信用に値しないこと勿論であるが、被告人ら四名が本件に関係
ないと供述したところに右自供は意義を有するのである。Aの前掲証言中一人でや
つたと云うては通らんから、なる供述部分は当公廷で初めて証言したものではなく、
他にも全く同趣旨の供述記載があるのであつて、これらの証言及び供述記載によれ
ば、Aが曾つて平生警察署において単独犯行を自供した際取調警察官がこれを毫も
信用しなかつたため、この経験に懲り、単独犯行の自供では到底他人を納得さすこ
とができないものと考え、一面単独犯行を自供すれば、自己に対する責任又は非難
が加重されることを虞れ、F外二名の虚無人又は死者の名前を点々と掲げて二人共
犯の自供をなしたものと推察される、かような観点からすれば、二人共犯の自供は
益々重要な意味をもつものと云うべく」云々と、云うのである。原判決が嘘だデタ
ラメだと云つているAの供述を、この場合は信用して右のような推察をしているの
であり、しかも二人共犯説が、被告人ら四名において本件に関係ないと供述したと
ころに右自供は意義を有するものであると云うに至つては、虚言だ虚言だと云つて
いる二人共犯説にどうしてそのような重大な意味をもたせなければならないのか解
釈に苦しむものである。原判決は続いて、Aは二人共犯の自供をなすに至つた動機
について、被告人B及びIより依頼をうけ且つI、正木等より金品の贈与を受けた
ためであると証言するのであるが、たとえ、その動機がAの証言するとおりであつ
たとしても、被告人らが本件に関係ないとの供述部分に関する限り、関係証拠を十
分に検討した上でないと、軽々に虚偽であるとは断じ難いと云い、Aの供述の攻撃
に終始しているのである。原判決のA供述を責むることの急なるかくの如くである。
しかし、記録を反覆熟読すれば、A供述の中には真実に触れ、これを如実に物語つ
ている部分のあることを到底見遁し得ないのである。弁護人はAは能弁で巧みにデ
タラメを書くというが、Aの物した次の短文は一部に某死刑囚の手記の中の文章を
借用した部分もあるが彼の本心を端的に吐露し真実に触れているものがあると認め
られる。後に添付したAの上申書中に書かれてある、懺悔と悔悟に満ちている部分
などについても同じように解し得られるのである。
           上   申   書
 私は昭和二八年九月一八日広島高等裁判所において強盗殺人罪により無期懲役を
受て広島刑務所服役中の者でありますが、昭和二九年一一月一五日原田弁護士に伏
見裁判長と最高裁判所連記宛に書いた上申書を持つて帰られましたのでその上申書
について真実を申上げます
         理    由
 原田弁護士にわたした上申書は作り事であつて、私の共犯であるB又DEC達に
たのまれて私はあんな嘘の事を書いたものでありますなせその様なことを書いたか
と申しますと私が上告を取下けて当刑務所にくる時Bはお前はよくなつておれはど
んなになつてもよいと云うのか、それならおれにも考へがあると云つた事かありま
した、私としましてはBとは仲のよい友達でありその友達が今死刑になつているの
を見かねて、又Bの気持になりあの様な気持になつたのであります私の性格の弱さ
を知つている彼等は私にこの事を強く申すのでその云うままになりそれをよい事に
して否認をつゞけて居るのが残念に思ひます。私が今日迄多くさんの上申書を書い
て居りますのでどれが本当であるか、わからないと思われる事でありましようそん
なになつたのも私にとりましては色々と理由があるのです今更そんなことを申しま
しても無だだと思ひます。そんな嘘を書てお手すうかけるのは私が悪いのでありま
ずけれども、嘘を云う様にしたのは誰がしたのですか私が一審二審の公判中にはこ
んなことを考へた事もなかつたのですが、それかと云つてB達からたのまれては居
りましたが、その頃の私は真実を申し正しい刑を受て被害者K様や社会皆様にお詫
びを申上げる事ばかりでありました。私はどんな事を申ても又共犯達がどんな事を
云つても真実は一つでありますからいくら嘘を云つてもわかるのでありますから私
がこんな事を申さなくてもよいのでありますが私として嘘を云つていると心がくる
しいので又今頃裁判官という本を正木弁護士が出して世の人達をさわがして居られ
るので私としまして、このまゝおいたのでは気持がおさまらないので真実を申して
世の人に罪の一切を告白して皆様方にお詫び申上る次第であります
 だが、私として一言聞いていたゞきたい事は私が何故この様な酷悪非だうの男で
ありながら上告裁判を受けずに私から望んで犯せし罪の償の道を行く事を願うにな
つたのかと申しますとそれは私の悪心を根本からくつ返す様な方が私の前に現われ
たからでありますそれはイエスキリスト様であつたのです教えの話を聞く事が重な
る度にだんだんと神の御心がわかりやつと最近になりまして心の片隅に僅かに残さ
れていた自己の良心のへんりんを心の眼に見い出す事が出来得たような気が致して
来たので御座います私はそれから私の犯せし罪悪を心の底から悔改め自分の罪の深
さを知り罪の一切を告白致す気持が出来たのでありますBDECは私の共犯である
ことを「チカイ」ます。
  昭和三〇年六月五日
  広島刑務所在監
                      A
 本件の判決が下されたら知らせて下さい
 東京最高検察所安平政吉検事 殿
 右は本人の示指印なる事を証明す
                   法務事務官看守
                      L
 凡そ事実審裁判官は被告人の供述であれ証人の供述であれ、供述の部分部分の分
析解明にのみ力を致すべきでなく、(勿論そのことが大事でないとは云わない)部
分部分の分析解明から事件全体の把握を怠つてならないことは云うまでもなく、ま
た全体の把握から部分部分の分析に及ぶべきであることも勿論である。当審の見る
ところでは、原審はA供述が本事件の真相を解く鍵だと云いなから、余りにその供
述の分析解明にとらわれ過ぎ、大筋の追及に緩漫で全体を把握する努力に欠けてい
たのではないかと考えるのである。そこで当審はAの供述を検討することとする。
 さてAは犯行後心の動揺も収まり平静に帰したであろうと思われる昭和三〇年六
月二五日から同年八月一九日までの間前後一二回に亘り、栗本検事の取調をうけ五
人共犯説を確言し、更に同年六月二一日頃から昭和三二年二月二三日頃までの間約
一〇回にわたり、書面を以て検察官に対し或は最高裁判所に宛てて五人共犯を前提
とする上申書による自供をなし、更に原審における二二回にわたる証人としての供
述においても五人共犯の自供を一貫して主張しているのである。これらの供述の中
には部分的には嘘もあり、喰い違いもあることは原判示のとおりであるが、それら
の供述は素朴で卒直であり原判示に云うほどの不自然さも感じられず、むしろ大筋
を外れていないと思われる。おしなべて被告人の供述にしろ、証人の供述にしろ、
供述というものは枝葉末節に至るまで一致するものではない。記憶違いもあり、喰
い違いもあり、しやべり過ぎて嘘のある場合もあるであろう。だからと云つて、そ
のような供述が常に不正確で採用に値しないものということはできない。同じ供述
でも採用出来る部分もあれば、出来ない部分もあるのであつて、大事な点はその供
述が大筋を外れているかいないかである。原判決は被告人B外三名の供述との比照
においてA供述の虚言性を衝かんとしている。事実審裁判所としてそれは当然でも
あろうし、右比照においてA供述に部分的嘘や矛盾撞着のある点も或は原判示のと
おりであろう。しかし、右両者の供述において、いずれが事案の大筋に外れていな
いかというと、当裁判所はAの五人共犯の供述に大体において信を措き、それが大
筋に外れていないものと考えざるを得ないものである。それを雄弁に物語るものは、
本件犯行直後行われた検証において認められる凄惨な現場の状景と被告人らのアリ
バイ崩壊である。原判決がA供述の部分的分析解明にとらわれて大局を見失つてい
るという当審の考え方も、ここに強い根拠があるわけである。検証における現場の
状景やアリバイの崩壊については後に述べることとして、A供述の重要性に鑑みA
供述の中の二、三を左に摘録して当裁判所の上来叙説の説明に資し度いと思う。そ
の第一、第二は犯行直後における地元警察官のAに対する取調調書であり、第三は
差戻前控訴審公判調書であり、第四は前差戻上告審においてAの最高裁判所宛に提
出した直筆の書面である。
           第五回供述調書
 本籍 山口県熊毛郡a町大字a町字b
 住居 山口県熊毛郡c村字d
                   職業 経木製造
                      A
                         昭和三年三月二十九日生
                         満二十二年
 右の者に対する強盗殺人被疑事件につき昭和二十六年二月一日熊毛地区警察署に
おいて本職はあらかじめ供述を拒むことができる旨を告げて取調べたところ被疑者
は任意左の通り供述した
一、今迄私が申した事は嘘の話しが有りますからほんとうの事を申します
 此の度Kの事件を一緒にやつたのは私しとB、E、C、Dの五人で有ります
二、此の事件をやる前に
 私しと外の四人の者は金がないので事件をやらうと本年一月十五日午后七時過ぎ
頃にも私しがc村のe部落のeの娘の処に遊びに行く途中八海橋を渡つた処附近の
道路で歩く歩く話した事が有ります
 其の后本年一月十九日の日にも時間は覚へませんがa町のM旅館の前の二階に五
人の者が集まつてBが焼酎を一升買つて飲ました時にも皆んなの者が金がのうては
やれぬの―金が有る処へ盗みに行くと「ヨイ」の―と話し出しました
 其の時にBが私しに良い処が有れば決めて置けと言つて居りました
 其の后本月二十三日の日午后七時頃にBの処に行きました処が叮度、Bは居りま
してE、C、Dの五人になりましたので四方八方話しをしてから私しが此の間のは
俺の処のN屋なら良かろうではないか、あしこは二人ぢやから、金も、大小、位あ
ろうではないか
 これなら見付けられても後には山が有るし見付けられても逃げるいや――愈々い
けぬ時にはしばつて置くか――と話しました
 外の者は夫れならそうしょうと言ひ出しました
 其処で皆んなが話し合つて、明日の晩の九時頃か九時半頃に八海橋の処へ集らう
と話しが決りました
 其の時にBか何か言つて居りましたが覚て居りません
 私しはB方では其の話しが決つたので午后七時半頃には自宅に帰へりました
三、二十四日の日になつては前回に申した様にc村のg部落のOさんの処で焼酎を
飲んで居たが午后六時半頃か午后七時頃にOさん方を出て行き焼酎を四合瓶に入れ
た儘B方に行つて見ました
 行つた頃の時間は解りませんがOさん方からB方迄の距離は十町余り位で有りま
す私しがBの内に行つた時はh部落の宅でBも誰も居りませんので昨日の約束の時
間に早いと思つてB方を出て行き私し一人がd部落をブラブラと歩き廻つて居りま
した
 おゝ方良い時間頃と思つてa町の方向に行きますと八海橋を渡つた処でBとEと
Cが待つて居りました
 四人になりましたが、Dが来ないのでボツボツ行きよるか―と言う事になりまし
たが、其の内にDがiの方からやつて来ました
 其の頃は時間は覚えませんが午后九時は過ぎて居りました
 五人が揃つたので私しが俺が先に這つて戸を開けてやるからと言つて五人揃つて
iのKの方に歩いて行きました
四、五人の者がiの三又路になつた自動尊様の処に行つた時に旧道と新道が有りま
すから私しは、こつちから行かうと言つて私が旧道を行きますと後からBがついて
来て居りました外の三人の者は新道を歩いて行きました
 私しはKの近くに行つた頃に右手の山側に密柑の木がありますが其の通りの畠の
中を通つて山の岸伝ひにKの部屋の北側の山の処に行きました
 此の時は私しとBの二人で外の者は来て居りませんでした
 私しは一人でKの家の中の状況や家の中に簡単に這る処を探して最初に裏手の山
岸沿ひに裏に行き這入る処も見当らないので南側に廻つて壁の外の畠の中を通つて
Kの出入の道で風呂の横に下駄を脱いで置いて素足で表側の母屋と部屋の中間の硝
子障子の処に行きました
 此の時私しが手に提げて居たOから貰らつた四合入りの残りの焼酎をコンクリ張
の上に置いて出入口の障子を引張つて見ましたが開かないので止めて再び裏手に廻
る事にして居りましたが、私しは大便が出そうになつたので月夜で明るいから風呂
場の北側の便所の前の暗い処で大便をしたので有ります
 夫れから表側の前を通つて裏手に行きまして、板戸が締めて有る処に下側に板が
壁に着いて居る処が有りましたので其の板を手ではぐりますと見安く外れましたの
で良く見れば私しが中に這入れる位の穴で有りました
 直ぐ私しは懐中電池を灯して床の下に這入りました
五、私しは今から五、六年前にKの内には遊びに行つて居たから台所や表側の状況
が解つて居つたので床の下に這入つてからは台所の方向に向いて行き階段の下側に
当る所に三尺幅に二尺高さの板が有つたので其れを障つて見たら動いたので之れは
外れると思つて、はめこんで有つた板を外して台所に出て行きました
 台所の庭に立つて見ると、家の中は電燈の光は見当りませんでした
 私しは台所から炊事場に行き附近を見ると角の柵の上に瓶類が見えました其処か
ら台が炊事場の中程に有りましたが夫れを一周して見ると台に引出が付いて居たの
で良い物が中にないかと思つて抜いて見ましたが、中には庖丁か十本位有つたと思
つて居ります
 別に炊事場には良い物も見当らないので外の四人の者に戸を開けてやると言つて
居たので母屋と部屋の間の硝子障子の捻込錠を開けて一尺位戸を開いて先に置いて
居た焼酎が四合瓶に残つて居たものを手に取てから障子は開けた儘放つて置きまし

 私しは残りの焼酎を容れものが大きいので炊事場の角の柵に沢山瓶が置いて有つ
た中からサイダー瓶を取つて瓶をやり替へようと思つて其の時に手に持つて居た棒
電池を口にくわえて焼酎の入替をしました
 私しが最初に持つて居た四合入れ位の瓶はサイダー瓶の有つた箇所に替へて置き
ました
 私しは其のサイダー瓶の焼酎をラツパで飲んでから炊事場の北側に出入口が有る
事も知つて居たので、焼酎入りのサイダ―瓶を持つて北の出入口に行きました
 出入口は硝子戸に柱との間に「つかせ」がして有りましたので夫れを除けて障子
をゆつくり開けて其の外側に板戸が締めて有りました
 其の板戸は戸の上側に敷居に「落し掛け」がついて居たので夫れを外して板戸を
開けてやりました
 其の時外は見て居りませんが誰れか居ると思つて私しが持つて居たサイダー瓶の
焼酎を小さい声でこれを此処に置いておくと言つて出入口の向つて右側の柱の側に
置きました
 私しは炊事場から電池は消して台所の板の間に行き次の間の畳座敷迄ゆつくり上
つて行きました
 家の者が寝て居れば箪笥の中には金が有るに違ひないと思つて奥の座敷の方に近
寄ると家の者が目を覚して居るらしく布団が動く様な気が致しましたので、炊事場
迄下つて来て前に庖丁が台の引出の中に有つたのを見て居るので庖丁を持つて寝間
に行つて大きな声を出したらこれが有るどと言つて怖らかしてやらうと思つて
 引出の中の出刀庖丁を左手に持つて炊事場から台所に行つた頃に、Bが何処から
家の中に入つたか知りませんが薪割を持つて来てBがこれを持つて行けと小さい声
で私しに呉れました
 私しは薪割で若しも、たけつたら怖らかしてやる気で持つて奥の間の家の人が寝
て居る襖の処に行き左側の襖を「そろつと」開けて居りますと中から誰れが言つた
か知りませんが誰れかと言つた様に声がしました
 私しは襖を開けたので中を見たら寝間には小さい電球が灯れて居りましたので顔
を見られたと思つてこれはつまらない、殺してやらうと思つて寝間に起き上り掛け
て居た人で其の時は、ぢいさんかばあさんか解らなかつたが持つてゐた薪割で殴り
付けました、回数は覚へて居りませんが殴つたら其の人は後に倒れました其の瞬間
に南側に、ばあさんが布団から起き上つて「やあ―」とたけつて布団の中に頭をつ
くこんだので薪割を其場に放つてばあさんの処に行き、たけらすまいと思つてばあ
さんの口を両手で押へ付け直ぐ片手で喉笛の処を押へて居りますとBとDがそちら
が先か覚ませんが私しの処に来てBとDの二人が首を手で締めて呉れますので私し
は箪笥の中に金が有ると思つて右側の上の七寸位の引出しを開けて見ると革製の「
チヤク付」が見当りましたのて中を開けて見ると一円や五円の補助貨が有つて其の
中に箪笥の鍵が入つて居りましたので金だけはスボンのポケツトに入れて置いて其
の鍵で右下の扉を開けて中側の五寸の幅の引出しの下側の分を開けると千円札の新
品が有りましたので枚数も数へずズボンのポケツトに入れて置き其の後で最初に開
けた引出が開いて居たので、締め様とした時に良く見ると引出の中に百円札の新品
が約二十枚と十円札の新品が約五十枚位有りましたので前と同様にポケツト内に取
つて入れました
 後を振向いた時には婆さんは首を締めては居りませんでした
 其の処にはDは居りませんでしたがBは婆さんがぐにやつとなつた処から箪笥の
方に来て箪笥をいらつて居りましたが金は有つたなかつた知りません
 私しは婆さんが死んで居ないと思つて首を両手で締めて居りました
 するとBは婆さんの処を通つて次の間に出る時に婆さんは、あんまり死なくから
首を絞めてやらうと小さい声で言ひますので私しは婆さんの両手を持つて居るとB
が次の間からこつちえ出せと言ひますので私しは次の間に婆さんを手を捕えて出し
て居るとBがあつたあつた自転車にあつたと言つて細さいロープを持って居りまし

Bは私しが次の間に婆さんを運んだ頃に婆さんの手を持つて引張つて鴨居の有る下
に置きました
 其処にEとCとDが居りました
 私しは最初に顔を見られて居るから婆さんが生きかえるといけんと思つてあれに
くゝつて置うや――と言つて手で鴨居を示しまして私しが婆さんの腰のあたりを持
つて居るとBが婆さんの前から首に持って居たロープを廻して後側で一回程締めた
のを見受けました
 すると側に居たCは私しと二人で腰の辺を持つて上に差上げてやりBとEとDの
三人はロープで鴨居に取り付けてくゝつて居りますので私しは台所の所に行く同じ
座敷で階段の附近に服か着物の様な物が有りました其の側に黒い紐が見当りました
から紐を首を吊す足にしようと思つてロープの側の鴨居に一と廻ししてくゝりまし
たが其の紐は結局役に立たず切れて仕舞ひました
 婆さんを首を吊す事が済んだので私しは箪笥の鍵を締めて居なかつたので箪笥の
処に行つて元の様に錠を掛けて次の間に出ようとするとDが最初殺した側の火鉢の
灰で座敷に撒いて居りましたが其の撒いた上を私しが歩くと足跡かつくから灰を撒
いて置けとDが言ひますので私しも灰を火鉢から素手で取って二回位座敷の私しの
足跡に撒いて置きました
 此の時火鉢の中には手が入つて居りましたが其の手は私しが殺したKさんの手で
邪魔になつたので憶へて居ります
 此の現場で足袋を履いて居ないのは私しだけで外の者は皆足袋を履いて居りまし
た手袋は私しと、CとEの三人が掛けて居なかつたと思ひます
 BやEやCは婆さんの首を吊り上げてからは座敷から土間に降りて行き私しが次
の間に行つた時はDも座敷から炊事場の方に行つて居りました
 私しは婆さんを殺した首吊りの座敷に来た時に座敷の電気を灯して婆さんが気に
なるから見ましたら婆さんは「ぐんにやり」として鴨居に下つて居るので「死んだ
の」と思つて、電気は灯した儘炊事場に降りて行き走り場に行つて手を洗つて帰へ
ろうと思つて見ると走り場に金盥の中に水が残つて居たので其の水で手を洗い走り
場の側の四角の蓋の有る水タンクの中に金盥で水を汲もうとすると水タンクの中に
は柄が有つたので水を盥に取て手を洗つて水を一杯柄で飲んで居りますと誰れが言
つたか覚えませんがBとDの二人が炊事の台の向い側に居て金は出てから分けよ―
と言つて居りました
 私しは御前等は出へ俺が締めて置くからと言つてやりますとBとDは裏口からか
表の出入口から出たか外に出て行きました
 私しは濡れた手をズボンや首に巻いて居た「タオル」で拭いて母屋と部屋の中間
の硝子障子を締めて元の様に捻込錠を掛けて置きました
 次に炊事場の北の出入口を板戸から締めて落し掛けも最初の通りにして其の後硝
子障子を締めて側に置いて有つた竹の親指より少し大きいもので元の様に突張りを
して置きました
 私しは最初に家に這入つた床の下から出ようと思つて台所に行きました
 座敷の状況を一寸見ましたが庖丁は婆さんを吊した下側に置いて有りましたが誰
れが使つたか知りません
 薪割はKさんが死んで行つた頭の上に当る婆さんの吊し上げた間の襖の側に置い
て有りました
 私しは階段の下の幅三尺高さ二尺の板の処から足の方から這入つて行き板は元の
通りに締めて置いて床下から外に出て行き外の板は元の儘にこしらえて置いて山の
岸沿いに北側の通路から表側の下駄の位置迄行きました
 其の時附近には誰れも見当りませんでした
 私しはKの出入の道を下駄を提げてKの新宅の側を通つて海岸に出て行き下駄を
履いて八海橋の方に上つて行きますとOさんと言ふ家の附近で外の者は見当りまし
たので其れに追付いて一緒になつて行きましたがBが小さい声で私しに後をヱー具
合に締めて置いたかと尋ねましたので私しはヱー具合に仕舞つて置いたと話しをし
て八海橋に向けて出て行きました
 八海橋を渡つた頃に私しとBの二人が金を分けんにやいけまいと話して八海橋を
渡つた処から右側の川土手の古い橋の跡から八海橋の真中位の処に行つて此処なら
良かろうと言つて五人の者か立つてBが金を持つて居る者は出せと言ひますので、
私しはポケツトの中から千円札を二枚と百円札を五、六枚の計二千五、六百円をB
には渡さず、私しが直接Dに其の金は渡してやりましたので其の金はDかCやEに
渡して居るので誰れが幾等になつたか知りませんBは本人が持つて居た金の内をD
やCやEに分配して居りますが幾等づつ渡したものか私しでは分りません
 金の分配が済んでからBが此の事は口はさけても言うまいでよと言ひ出しました
 私し達四人の者も口を揃へて言うまいでよ気を付けようでよと注意し合つてから
Dが帰へらうと言うので二人が八海橋を渡つて帰へりかけましたが、私しはDに俺
はjの方に出て見ようと言つてDと別れました
 BやCやEは八海橋の処迄来て居りましたが別れ別れで解らなくなりました
 其の頃が午后十一時頃で有つた様に思ひます
 私しはDと別れて八海橋の堤の土手の処で三十分位、伏せ込んで人を殺した事が
気になるので考へて居りましたがaの町に向つて行きP自動車屋に行き自動車を雇
つて代金四百五十円を支払ひj町のkの処に止めて貰いました
 此の時P自動車屋の伯母さんに渡した金は百円札の新品が四枚に十円札の新品が
五枚で有りました
 私がjに着いてからはlの遊廊に行きQの知り合ひのRと言ふ女の処に行きまし
た其の頃が午前一時頃で有つたと思います
 身代は千円で有りましたので二十一日の身代の借金が千円有つたので合計二千円
になりましたが手持の金がありますので二十六日の朝迄の身代を二千三百円にして
貰ひ仲居にチツプ代百円と総合計四千四百円を、千円札四枚と、百円札三枚と十円
札十枚を仲居に渡しました二十四日の夜中から二十六日の朝迄の間に於て百円札や
十円札の新品と補助貨の全部を仲居やRを使いに町に出して酒や竹輪、寿司、莨、
生菓子代やRに小使を百円程やつて合計して約千五、六百円費つて残りの金が千円
札が一枚になりましたが其の金は現に提出中の金で有ります
六、問、其の元は事件の現場で血を自分の持物以外の物で拭いた事が有るか
  答、夫れは婆さんを吊した側で私しの両手に血が着いて居りましたので附近の
台の処で紙を取つて拭いて、台所の庭の方に放りなげて置きました
七、問、其の許が手に血が着いたのは何時か
  答、私しが婆さんを寝間から次の間に引出す時に火鉢の附近で右手を畳に突い
た時に血が着いて左手で拭つたので両手に血が着いたと思います
八、問、其の許は今日迄病気をした事が有るか
  答、夫れは私しが光市の海軍工廠に居る頃で十七才の時肺浸潤をして二ケ月間
位光の海軍病院で冶療した事が有ります外別に病気は致しません
九、問、其の許は外にも斯様な事をしては居ないか
  答、今度初めて一緒で人を殺したので有りますが盗人なら致して居りますので
今から其の事に就いて申し立てます
十、1、夫れは昨年四月の初頃で有りました
 日は憶へて居りませんが私しとBの二人で光市のmと言ふ所に兄のSが商売をし
て居る頃に知り合ひに遊びに行き其の帰へりnからc村へ帰る途中c村の字oの歯
医者のTと言ふ宅に来た頃に私しがTの内には此の間米を取られたと言ふ事だから
米が確か有るだろうから今夜盗みに行つて見ると言ひました処がBは金もなく私し
も金がないのでBはそれなら行つて来いと言つて居りました
 私しは相談をして二人でBの宅迄遊びに行き午后十時過ぎ迄遊んで居りましたが
叮度其の頃にBが母親に遠慮して小さい声で私しに今から例の米を取りに行つて来
いと言いBは二人いけばUが一緒に家を出るとおふくろがどんなにか思ふから一人
で行つて来いと言ふので私一人でc村のo部落のT医者の家に行きました
 家の人は寝て居て午后十一時頃で有りましたTの納屋の裏に廻つて納屋に這入る
処を探して見ると牛小屋の土壁が破れかけて居たのが見当りました
 私しが這入られる位に素手にて破つて納屋の中に入つて一間位の押込に錠がなか
つたので夫れを開けて見ると中には米俵が十俵位有つたので盗んでやらうと附近を
探すと「叺と竹さし」が、見当つたので玄米を叺の中に入れ二叺にして一俵分(四
斗)を盗んで置き納屋の前側の板戸の「落し掛け」の錠を内から外して、玄米二叺
を二回に亘つて前の山の中に隠して置き其の儘逃げて再びB方に行つて盗んで置い
た事をBに話しやり其の晩はB方に泊つて居ります
 此の米は売つて現金にする事になつて居たので翌朝十時頃に知り合ひa町pのq
のVさんと言ふ年令五十年位の宅に行つて、玄米を若い者が売つて呉れと頼まれて
居るが買つて呉れぬかと話して見ますとVさんは値段を問ひますので値段は一升当
り八十円の割にて四斗を売る事に決めました
 其の晩方六時頃に私しはBを連れて前日盗んで隠して置いた玄米二叺の処に連れ
て行き玄米二叺を二人で一叺宛持つてc村字rの御宮の下の田の側に運んで置き其
処にBを張番さして私しは午後七時頃に其処から五丁位隔るa町のqのVさんの処
に行き今から米を持つて来るからと言つて自転車を借つて待つて居るBの処に行き
叺入り玄米四斗を自転車に積んでBと二人でVの内に持つて行きました
 私しはVの内には一人が叺入りの玄米を持つて行きますとVの主人とおばさんも
子供二人も居りましたが代金参千三百円を貰ひました
 此の玄米はVの主人とおばさんが量つて見られての計算で有りましたので金参千
三百円になつたので有ります
 此の代金を受取つてからBに金干円をやり残りはBと二人で其の晩j町に行き遊
興費に費つて仕舞ひました
 2.昨年三月下旬頃にも小使銭に困つて私しの小さい時に隣り合はせで知り合ひ
のa町字sのW商Xの内に午後十一時過ぎに、金でも有れば盗でやらうと思つて、
私しが一人でXの裏に行き横の引戸に掛金がなかつたので其処から家の中に這入り
土間に行き左側に下駄箱が有つたので夫れを開けて見ると中に
   男物チヨコレート靴        一 足
   女物黒中ヒール靴         一 足
   女物チヨコレート靴        一 足
   女物チヨコレートサンザル靴    一 足
   皮草履              一 足
   フエレト草履           二 足
 が見当つたので其の附近に竹に掛けて有つた風呂敷に包んで全部盗んで置き、其
の土間の奥に行き台所の物置場に壷が有りましたので蓋を開けて見ると白米が一斗
位有りましたので風呂敷と同様に竹に掛けて有つた米袋の白いものを取つて壷の白
米を舛で音がしない様三升か四升位を盗んで這いつた処から逃げてB方に逃げて行
きました
 3.其の後も小使銭に困つてからBが何処かで盗んでこいと言うので昨年五月中
頃で有りました午後十一時頃で有つたと思ひます
 c村字rの農業をして居るYと云う家に入つて金でも有ればと思つて裏手の硝子
障子の処から家の様子を見ると電気が灯れて壁に洋服が掛けで有つたのが見当りま
したので裏の山の方から紙障子を引いて見ると内側に竹の詰がして有つたので障子
の紙を破つて詰を外して其処から其の服の掛けて有る間に入るとおぢいさんが一人
で良く寝て居たので壁に掛けて有つた
   黒背広服 上、下  一着   縞柄のズボン  一枚
 を盗んで脇に抱いてd部落の稲荷様の附近の草の中に隠して置き翌日Bと二人で
j町t町の質屋の氏名不詳の宅に持つて行き入質し金六百円を借受けて居りますが
其の質札はBが持つて居たので其の後はどの様になつたか知りません
 4.其の後遊興費に困つたので本年一月十五日の日にc村字e部落のeと言う家
の娘の処に私しとBとCとE、Dの五人の者が遊びに行き午後十時頃に私し一人が
e方を出て行き附近をブラブラして居るとc村の農業協同組合の処迄行つた時組合
の前の出入口の処に二十八吋の自転車に手提鞄の布製のものがハンドルに掛けて有
るのが見当りましたので盗んで逃げてやらうと思つて附近を見たが誰も人影もない
ので其の儘盗んで外の者が遊んで居るeの方にBを連れに行きました
 其の途中自転車につて居た手提鞄を開けて見たら其の中に万年筆が一本有つて外
は書物だつたので万年筆は私しが取つてe方附近の田の中に放つてe方に居るBを
呼出して万年筆一本はBに此盗んだ話しをして無償でやり盗んだ自転車に二人乗り
して午後十一時頃はa町u町のC方に立寄つてBの自転車にBが乗つて二人でj町
l遊廊に行きZと言ふ内の女と遊んでBが身代七百円の代りに置いて今日に至つて
居ります
十一、問、盗んだ先と親族の関係は如何
   答、親族の関係は全く有りません
十二、問、本件に関して利益の申立はなきや
   答、別に有ません
          供  述  人     A
 右の通り録取して読聞かせた処誤りのない事を申し立署名拇印した
  前 同 日
                   熊毛地区警察署司法警察員巡査部長
                      Aa
           第六回供述調書
 本籍 山口県熊毛郡a町大字a町b
 住居 山口県熊毛郡c村字d
                   職業経木製造
                      A
                         昭和三年三月二十九日生
                         満二十二年
 右の者に対する強盗殺人被害事件につき昭和二十六年二月二日熊毛地区警察署に
おいて本職はあらかじめ供述を拒むことができる旨を告げて取調べたところ被疑者
は任意左の通り供述した。
一、私しは今日取調べの方から私しの兄がKの内に行つて位牌に対して私しが殺し
た事をあやまつて居た事を聞いて悪い事をした事が気になり兄達にすまないと思い
ますが一緒になつてやつたBやEやDやCがほんとうの話しをするとどんなひどい
目に合はかも知れず恐ろしいのでほんとの事は言はなかつたので有りますが、言は
ずに居ると皆んなが私しに罪を振りかけて知らぬ振りを致しますので兄や親が心配
して可愛想ですから、ほんとうの事を話します
二、此の度Kの事件を一緒にやつたのは前回申した通りで五人で有りますが、此の
事件を起す前に今年の一月十五日の日の午後七時過ぎ頃で有りました私し達五人の
者はB方からc村字vのAbと言う娘の処に遊びに行く途中でaからcへ行く八海
橋を渡つた頃にBが歩く歩く「エートコ」があつたら金を取りに行こうと言ひまし

 するとCが八海橋の側に有るAcの家を指してこれに行かうか―と言つて居りま
した
 DはAcはつまらんと言ひ私しは人数が多いし犬も居るから這入ればほえるから
だめだと言つてやりました
 処がBはそれではつまらんと言つて居りました
 其の頃から五人の者は何処かで事件を起そうと言ふ事になつて居りましたか、事
件をやる家が決らなかつたので有ります
 其の後今年の一月十八日の日にも午後八時頃にBの内に遊びに行き其の晩泊つて
居りますと翌朝七時頃にBの知り合ひのAdとa町のpのAeの二人がやつて来ま
した
 此の日はa町のwのAeが居たのでBと私しはAdの三人でBzの内に遊びに行
き其処に見付けた事のないAhと言ふ人が居たので五人で四方八方話しをして居り
ましたが午後一時頃になつてEが遊びに来ました
 其の内に午後三時頃にBの婆さんがBzにやつて来てDとCが来て居るから帰つ
て来いと言つて呼びに来ました
 其処でBはAdとAhを連れてa町のAgに行つて居るから一寸と呼びに行つて
来いと私しとEに言ひますので私しはEと二人でBの内に待つて居たDとCを呼び
に行き四人でM旅館に行きBが居る二階の表側から三室目に行きました其の頃が午
後五時半頃で有りました
 集まつて居た者は私し達五人とAdとAhの七人で有りましたが、三十分位話し
をして居りました処Bが今日は「おごる」から飲うではないかと言つて最初金を百
円出して、私しに「天ぷら」を前の店(Ai商店)で買つて来いと言うので酒の肴
と思つて「天ぷら」を買つて帰へりました処、今度は焼酎を買つて来いと言つてB
が現金を三百三十円出しましたので私しが町のAj酒場に焼酒一升を買つて帰へり
ました
 其の後でBが莨を買つて来いと言つて百円出してピース二個を買へと言つて私し
に呉れましたのでMの前のAkに行つて見ますとピースがなかつたので光一個と新
生二個を買つて二十円の釣銭でAi商店で飴を買つて帰へりました
 午後六時頃から其の間で七人の者が焼酎を飲み初めて午後七時頃迄飲んだら焼酎
はなくなりました
 其の間にも私しはBの使いで二回に亘つて飴を五十円とリンゴを百円をAi商店
から買つて帰へつて居ります
 焼酎を飲み終つた後の事で有りますが、皆の者が其の間から前の間に出て行き出
たり入つたり女の処にして居る時で有りました
 Bが金がないからエー処があつたらやるか―と言ひ出すと私しも外の者もほんな
らやるか―と返事をしました
 BはdのAlはどうぢやろうか―と言ふので、私しはあれはおつさんが太い人だ
し犬も居るからだめだ―と話しました
 話しは一寸とぎれましたが、Bが再びdの下のAmはぞうかと尋ねますので、私
しはあれは人数が多いから、それよりN屋はぞうぢやろうかと口を出しました
 続いて私しがKなら年老りが二人居るから逃げるにしても見安いからと言ひまし

 Bも外の者もそれならそれにするか―と一様話しが決りましたが日取りは決めて
居りませんでした
 其の内にc村からeの娘と他に二人の三人がやつて来て女の話しでごたごたする
ので私しは自分の内に帰へりました、其の頃が午後八時半頃で内に帰へつた時間は
午後十時頃て有りました
 其の後本年一月二十二日の日には午後六時頃に私しの内にDがやつて来てAは居
るか―と言うて兄と話して居りましたが私しが便所に居たので側に来て、Bが今晩
来いといや―今夜はBは居だろうと言つて帰へつて行きました
 私しは気に向かなかつたので其の晩はBの内に行かず寝て仕舞ひました
 其の翌日二十三日の晩午後七時半頃に私しはBの内に遊びに行きました処B方に
はEやCやDが来て居て五人になりました
 当時Bの母親も同じ間で居りましたがBが小さい声で私し等に此の間の話しを明
日の晩やろうか―と言うので他の者はそうしようか―と言つて居たので私しは九時
半か十時頃なら良かろうではないかと話したら外の者はそれなら其の頃に八海橋の
方に出て行かうと話しを決めたので有ります
 其の後でBが家の者に知れぬ様に出て来い、知られたら口を合はせて置けと言つ
て居りました
 其の後で仕事の話しや世間話が出て話して居りましたが、私しは三〇分位経つた
午後八時頃に自分の内に帰つて休みました
三、私しは二十四日の日になつては前回申した様にB方に行つて見ると誰も居ない
ので約束の時間に早いと思つてBを出て行きd部落をブラブラと歩いて廻つて居り
ましたが、おゝ方良い時間頃と思つて八海橋を渡つて行きますとa寄の橋の上でB
とEとCに出合ひました
 四人になりましたが、Dが来ないのでポツポツ歩いて行きようと言う事になりま
したが、其の内にDが私達がdに向いて橋を渡つた頃にやつて来ました
 其の頃が考へて見れば午後九時半頃で有つたかと思います
 五人の者が揃つたので私しは俺が先に這つて開けてやるから御前等ははいて来い
よ―と言うとBがそれなら御前先に這入れと言つて居りました
 五人の者はiに下つて行き出しますとBがDにこんなが(私しの事)開けてやる
と言うCがロープを探すEちゃん(Eの事)が人が来たら口笛を吹く吹いたら山の
方に逃げる其の時は一人一人逃げる、Dは婆さんを叩いて首を締める
 Bは、俺が薪割りを探すと言ひ中に這入つたら入口を開けて置いて其処から逃げ
よ―と皆んなと話す話すゆつくり歩いてKの方に行つて居りましたが八海橋から自
動尊様の処の中間位に歩いた頃にBが又皆んなに家の中に這入つたら、ぢいさんは
こんなに先に叩かせる(私しの事)そしておらが叩き其の後がD其の次ぎがE次ぎ
はCの順で一人が一回づつ殴らう、婆さんは叩かずに首を締めよ―と言つて其の後
で夫婦喧嘩の様に見せかけようではないかと言ひ出しました
 皆んなはそれもよかろうと返答をして居りました其の後でBは一寸俺も聞いたの
だが、身に血が着いたら石油かアルコールかオキシフルで拭けば落ちるけなと言つ
たのでそんならDが成る可くなら血を着けぬ様にせようでよと話しました
 此の時Kのぢいさんと婆さんを殺すと言う事が決まつたので有ります
四、私し達五人の者は前回申した様に別れ別れでKの部屋の北側の山の側に行きま
した私しが其処に行つた時は外の三人の者は来て居りませんでした
 私しは一人でKの家の中の状況や家の中に簡単に這る処を探して最初に裏手の山
岸沿いに裏に行き這る処も見当らないので南側を廻つて表側の壁の外の畠の中を通
つてKの出入道の横に風呂の有る処の側に履いて居た下駄を脱で置き素足になつて
表の母屋と部屋の中間の硝子戸の処に行き柱の側のコンクリートの上に当時持つて
居たOから貰らつた四合瓶入りの残りの焼酎を置いて其の出入口の障子を引張りま
したが開かないので止めて裏手に廻る事に致しましたが大便が出たくなり以前から
Bから盗人に這る時には大便をしたら満が良いと教へて貰つて居るので部屋の前の
風呂場の横の便所の前の暗い処に大便を致しました
 其の時Bが部屋の横の中連の処で硝子障子をかたがた動がして居りました
 私しは表側の前を通つて裏手に行き板戸が締めて有る処に下側に板が壁に着けて
有りましたので其の板を手ではぐりますと見安く外れましたので良く電池を灯して
見ると私しが中に這れる位の穴で有つたので直ぐ床の下に這入つて行き私しは五、
六年前にKの内には遊んで居た事も有るので家の中の状態が判るので床下に入つて
からは台所の方向に這入つて行き階段の下の三尺幅に二尺高さの板が有つたので其
れを外して台所の庭に出て行きました
 家の中は電燈の光は見当りませんでした
 私しは台所から炊事場に行く処に板戸が締めて釘が止めて有つたので其れを開け
て炊事場に行きました附近を見るとかどの棚の上に瓶類が見えました炊事場の中程
には台が見当り夫れを一周りして見ると台には引出が見当りましたので、其の中に
何か良い物はないかと思つて抜いて見たが中には庖丁が十本位有つたと思います
 別に其処では良い物も見当らないので外に居る者に戸を開けてやると言つたので
最初に母屋と部屋の中間の硝子戸を捻込錠を外して一尺位開けて先に私しが置いて
居た焼酎が四合瓶に残つて居たものを手に取つて障子は開けた儘放つて置きました
 私しは残りの焼酎の容れ物が大きいので炊事場のすみの瓶棚に沢山瓶が有つた中
からサイダー瓶を取つて瓶をやり替へようと思つて其の時に持つて居た棒電池を口
にくわえて焼酎の入替をしました、私しが最初持つて居た四合瓶はサイダー瓶の置
いて有つた所へ替へて置きました
 私しは其のサイダー瓶の焼酎をラツパで飲んでから炊事場の北側に出入口が有る
事も知つで居たのて焼酎入りのサイダー瓶を持つて北の出入口に行きました
 出入口は硝子戸に柱との間に「つかせ」がして有りましたので夫れを除けて障子
を開き外側の板戸には上側に敷居と「落し掛け」がして有りましたので夫れを外し
て板戸を開きました
 其の時を見ると二、三人の者は月の明りで見えませたので、私しが持つて居たサ
イダ―瓶の焼酎を此処に置くと言つて右側の柱の側に置いておきました
 私しは炊事場から電池を消して台所の板の間を通つて畳の間に「ゆつくり」と上
つて行きました
 家の者が寝て居れば箪笥の中に金が有るに違いないと思つて奥の座敷の方に近寄
りますと家の者は目を覚して居るらしく布団が動く様な気が致しますので私しは炊
事場の処迄引返しました
 其の時Bが炊事場に来て居りました何処からBは家に這入つたか解りませんが出
合つた時Bは庖丁は有るかと尋ねましたので庖丁は此処に有ると小さい声で先に見
付けて居た台の引出の処に私しが行つて出刃庖丁一挺程持つて台所の板座敷の処に
行つた時にBはこれを持つて行けと言つて小さい声で薪割を私しに呉れました
 私しは薪割で先に話し合はせた様にたけつたら殺してやらうと思つて其れを受け
取り庖丁は板座敷に置いて再び家の人が寝て居る次の間に行き襖の処で左側の襖を
「ゆつくり」開けて居りますと中から誰れが言つたか解りませんが、誰れが言つた
か解りませんが誰れかと言ひました一寸見合はせて私しは襖を開けたので中を見た
ら寝間には小さい電燈が灯れて居りました処がBが側に来て居たので小さい声でお
らにかせと言つて薪割をBが取つてKさんを薪割で殴り付けました回数は一回で有
りましたがKさんは「うーン」と言つて居ました
 其の時に婆さんが南側で布団から起き上つて「やあんー」と言つて布団の中に頭
を突き込ましたので私しは前持つて話し合はせた通りに婆さんの処に行き婆さんの
口を両手で押へて居りましたが直く片手にして片手は婆さんの喉笛の処を押へて居
りました処にBが薪割を置いて私しの処に来て首を締める手伝ひをやりました
 其の時にはDはKさんの処に来て薪割で一回程殴り付けて居るの見て居ります
 私しはBが婆さんの処に来たので直ぐKさんの処に行き側に置いて有つた薪割で
一回程Kさんの顔の辺を殴り付けました
 其の時にEが私しの附近に来て居りましたが私しが薪割を置いて箪笥に金を取り
に行く時にEが薪割でKさんを一回位殴り付けて居りました
 私しが箪笥の処に行き金を探した状況は前回申した通りで有りますが、其処にB
が首を締めるのをDと代つて箪笥の処に来て手袋の儘大きな引出を探して居りまし
たがBは着物の間が何処か判りませんが引出しの中から金を取り出しましたが幾等
の金が有つたか知りません
 私しは今考へて見れば
  千円札が八枚と
  百円札が二十枚位と
  十円札が五十枚位と
  五円、一円取り合はせ百円余りとなつて居たと思います
 私しが盗んだ引出や扉は元の儘に錠を締めて置き後を振り向いた時にはEが次の
間で鴨居に黒い紐を取り付けて居りました
 其の頃Bも金を取のが済んで居たのでBが金は畳の下にあろう探して見いと言う
ので私しが北側の襖の方に行き箪笥の方にDが行つてKさんの寝て居る下側の畳を
はぐつて見ましたが、金も何も有りませんでした、夫れが済んだので私しとBの二
人がぐにやつとした婆さんを一人が片手宛持つて次の間の座敷に引ずり出しました
 其の時はDは奥の間で畳が布団かをなおして居りました
 次の間に行つた時にEが黒い紐にこれにぶらさげーと言ふので其の時にDが其処
に来て四人で婆さんを差上げて首をくゝりましたが夫れが切れて仕舞いました
 其の内にCがロープを台所の方から持つて来て婆さんの首の前からロープを後に
廻して一回程締めて私しとCの二人が婆さんの腰の方を持つて差上げてやり、Bと
DとEが鴨居と首の中間をくゝり手を離して見たら落ちないので私しは最初の間に
行きDが座敷に灰を撒けと言うのでKさんの処の丸い火鉢の灰を片手で四、五回座
敷に撒いて置きました
 此の時Kさんは死んで居て火鉢の中に手を入れて居たので邪魔になつたので今で
も覚えて居ります婆さんの首吊りの仕事が済んでからBが夫婦喧嘩をした様に見せ
かける様に婆さんの手や足に血を着けると言ひますので私しは其の間の電燈を灯し
てやりました処がBがKさんの死んで居る処の血を紙に着けると言て其の間の台の
附近の紙一枚を取つて枕元の血を其の紙につけて吊した婆さんの両手の掌に血を塗
り付けて続いて両足か片足か覚へて居りませんが足の腹にも塗り付けて居りました
 其の後で再び枕元に行き紙に血をつけて吊したロープに塗り付け首の附近にも塗
つて居りました
 二回目には婆さんの両手についた血で最初にKさんの枕元に有つた薪割を私しが
Bに渡してからBは薪割を婆さんの両手に握らして血の跡をつけて下にはつたり落
して手袋で端の方を握つて襖の側に置いて次に私しか持つて居た出刃庖丁が板座敷
に有つたものをEが持つて来てこれもついでにやつておけと言つてBに渡しました
 Bは其の庖丁を婆さんの右手に握らして婆さんの首の真下に落して其の儘で有り
ました
 薪割や庖丁は婆さんが主人と喧嘩して使つた様に見せかけたので有ります
 あの薪割や庖丁には婆さんの指紋が出ると思います
 此の時現場に足袋や手袋を掛けて居たのは足袋は私しの外、全員が履いて居り手
袋はBとDと二人が掛けて居たと思つて居ります
 夫婦の者は殺して金も盗んだので皆なは座敷から降りて行きました
 私しは最後に婆さんを吊した台の上の新聞紙の屑を取つてKさんの枕元の血をつ
けて私しが最初庖丁を出した引出しに持つて行き血を庖丁に着けて置きました
 其れは婆さんが喧嘩をして庖丁を取りに行つた様に見せかけて置き、其の新聞紙
の屑は私しのポケツトの中に仕舞つて置いて炊事場に於て前回申した様に手を洗い
水を飲んで居る時CEは外に出て居ませんでした
 BかDのどちらが言つたか覚えませんが、金は出てから分けよーと言つて居りま
した
 私しは御前等は出て居れ俺が締めるからと言うとBDは北側の出入口から外に出
て行きました
 私しは濡れた手をズボンや首に巻いて居たタオル等で拭いて母屋と部屋の中間の
硝子戸を締めて元の様に捻込錠を掛けて次に炊事場の北の出入口の板戸を締め元の
様に錠をして硝子戸を締めて側に有つた竹の親指より大きい竹で元の様に突張りを
して置きました
 私しは最初に家に這入つた床の下から出ようと思つて台所に行き階段の下の板の
処から床下に足から這つて板を元の様にこしらへて置いて山手の裏に出て行き其処
で板を元の様につくらつて置いて北側に出て表面に行き下駄の置いた処で下駄を提
げて直ぐ前のKの新宅を出た処の海岸の道に出た処で下駄を履いて八海橋の方に上
つて行きますとAnの家の附近に他の者が見当りましたので其れに追付いて一緒に
なりましたBが足袋と手袋は海に捨てゝ置かうで―と言つたのて外の者は「オー」
と返事をして居りました
 続いてBは帰へる帰へる部屋の裹に子供の様な足の跡をこしらへたと言つて居り
ました
 外の者はどの様にして拵へたか尋ねて見たらつま先の跡を先につけて其の附近に
踵の足跡を拵へたから足の寸が子供の様な足を造つて置いたと話して居りました
 帰へる途中で其の後で此の事は警察に行くとあれが言うたこれが言うたと山を掛
けるから言うなよーと外の者に話す々々八海橋の方に上つて行きました、其の頃は
もう八海橋の附近で有りました
 八海橋の上に行つた時に誰れが言つたか覚えませんが持つて居た手袋や足袋を海
の中に落しましたので私しも血の着いた新聞紙の屑をポケツトから出して海の中に
落しました
 其の時海の汐の状況は見て居りませんが落した事は間違ひ有りません
 八海橋を渡つた頃に誰れかがあつちに行かうと言つて八海橋の右側に折れて一寸
と行つた頃に歩く歩くBが此の事は警察に行つても叩かれたら口か合はない様に言
うそして裁判所へ行つたら帳ボが合はぬから今頃は証拠がなければ良いのだから一
応は警察に行つて叩かれるからやつたと言うたけど実際はやつて居りせんと言うて
やろうや―御前も言うて置けよと言ひますので私しはそお言おうと言つて居りまし
たBは補償金も取れるのではないか知らんと言つて居りましたが、誰れか其れは取
れる取れると話して居りました事件を言うた者は責任を持つて一人やつたようにす
る、それがやくだのシンギだとDが言つて居りました
 Bは警察では絶対口を合はぬ様にせよ現場に連れて行かれて「カツコー」をやら
せられたら知らぬ振りして「トボケ」ておろう、公判では皆んながAをやりこめて
やろう、そしたらAは何も言はんから俺等は罪がのがれると言つて、私しを恐らか
して居りました其の内に八海橋から旧橋の中程に行つた頃に、Bが此の辺で金を分
けんにやいけまあ、こゝでよかろうはと言つて立止つて其の場で、金を持つて居る
者は出せと言いますので私しはC、E、Dに金千円を渡して合計三千円を出したの
で有りますBは私しは何ぼう持つて居るかと問いますので二、三千円位しかないと
言うとBはそれなら良いと言つてBが持つて居る金を出して、一人が三千宛なら良
かろうと言つて、C、D、Eに渡して居りますが、私しの渡した金と一緒で参千円
になるのかBが三千円出して渡したのか知りません
 金の分配が済んでからBが此の事は口が裂けても言うまいと言ふと外の者は御互
に気をつけよーデーと言つた後でBが警察で調べられた時は這入り口が簡単に開い
たのでつうと這入つて行つて座敷に行つて襖を開けたら誰れかとたけられて逃げよ
うと思つたら上り口の処に薪割が有つたので夢中になつてぢいさんを殴つた処婆さ
んが強盗ぢやと言つたので口を押へに行つて押へて居たので死んだので其の内に金
を取つたと私しが第一回目に申し立てた事を教へて呉れましたが色々と良い具合に
嘘を話せと言つて居りました
 其の時刻は十一時半前頃と思つて居ります
 其の後の状況に就いては前回申し立と同様で有りまして結局私しがKで盗んだ金
は壱万五百五十円位になります
          供  述  人     A
 右の通り録取して読聞せた処誤りのない事を申立署名拇印した
  前 同 日
                   熊毛地区警察署司法警察員巡査部長
                      Aa
          公  判  調  書
          被  告  人     A
 右に対する強盗殺人、窃盗被告事件について昭和二十八年七月二十二日広島高等
裁判所第一部公判の法廷において
         裁判長判事     伏   見   正   保
            判事     尾   坂   貞   治
            判事     小   竹       正
       裁判所書記官補     平   岡   正   行
 列席し検事渡辺礼之助出席して公判を開いた
 弁護人田坂戒三出席
 被告人は出頭した。
 裁判長は
  被告人に対し
 問、現在の気持は
 答、皆さんに手数をかけたことを申訳けないと思つて居ります。
 問、健康状態はどうか
 答、別に異状はありません
 問、昭和二十六年一月二十四日の夜山口県熊毛郡c村字dK方押入り同人とその
妻Aoの両名を殺して金を奪つたことは間違ひないか
 答、其の通り間違いありません
 問、一人で行つたのかそれとも誰か連れがあつたとすれば何人で行つたのか
 答、B、D、E、C及び私の五人で行きました。
 問、被告人か逮捕されて警察で取調を受ける際最初のうちは否認したかそれとも
認めたか答、初めは黙つていて何も云わなかつたのですが、次には色々考えた結果
悪いことをしたのだから白状すれはよいと思つて私が一人でやつたと云つたのであ
ります。
 問、警察で取調べられた際私がやつたのではありませんと云つたことはないか
 答、其の様に申したかも知れませんがよく憶えません。
 問、警察で自分が一人でやつたと云ひ乍ら其の後の取調べでAqを加えた六人で
やつたと云つているがそれは如何なるわけか
 答、それは悪いことをして帰る途中川原のところで色々話合ひましたが其の時「
捕まつたら実際やつていないものも加えて置こう」という話がありましたので私だ
けが本当のことを云えば自分の顔が立たぬので其の様に申上げたのであります。
 問、あくまで一人でやつたとは云ひ張れなかつたのか
 答、一人でやつたと云つても辻褄の合わぬ点があつてそれは出来ませんでした。
 問、どの様な点で辻褄が合わないのか
 答、例えば下から括つたのかと問われたのに対し下から括りましたと答えたので
すが其の後又同じことを尋ねられた時は前に下から括つたと答えたことを忘れてい
て其の時は上から括りましたと答えたのでありまして一事が万事其の様に辻褄が合
わぬことばかりでありますから一人でやつたものであるとは云ひ切れなかつたので
す。
 問、一人でやつたと云つても警察で他に共犯者が居るのだろうとせめられた様な
ことはなかつたか
 答、其の様なことはありませんでした
 問、Aqの名前を出したのは前述の川原の話に従つて被告人が自ら云ひ出したこ
とか
 答、左様であります
 警察から名前を云われたことはありません
 問、被告人に対する検事の第五回供述調書によると其の時
 警察の方がAqも悪いことをしたのではないかと聞かれるのでそんなことはない
と思うが或は私の考え違いでそんな事があつたかも知れんと申しました。
   と述べている様であるが其の様なことがあつたか
 答、当時其の様に申上げているとすれば或は其の様に云つたかも知れません。
 問、其の後Aqを外して五人でやつたと云う様になつたのは何故か
 答、実際にやつていない者の名前を云つても刑事さんは聴入れてくれませんので
色々考えた結果いくらうそを云つても刑事さんの方では判るのだなと云うことが判
りましたので本当の事を云う気になつたのであります。
 問、被告人が一人でやつたのではないか
 答、私が一人でやつたのでないことは事実であります。
 問、Aqも一緒にやつたのではないのか
 答、BがAqも一人入れて置こうと云つたので、私もAqも一緒にやつた様に申
したのでありますがAq君は実際はやつていないのであります。
 問、何時頃から本当の事を云はうという気持ちになつたのか
 答、私が警察に居る時兄がKさんの家へ詫に行つたということを聞き肉親に色々
迷惑をかけていると感じ心安くしている友達を助けるのが妥当か肉親に迷惑をかけ
ぬことが妥当か色々考えている時兄が面会に来て「本当の事を云え」と申しますの
でこれ以上肉親に心配させてはいかぬと思い本当の事を申上げる気になつたのであ
ります
 問、警察の第六回供述調書によると被告人は此の様に述べているがどうか
 此の時裁判長は被告人に対する司法警察員の第六回供述調書の第一項(記録第六
〇二丁裏)を読聞かせた
 答、警察で其の様に申上げたことは間違ひありません
 問、それでは其の時より前の取調べの際は本当の事も云ひ又うそのことも云つた
ということになるのか
 答、左様であります。
 問、Kの家に行く前に八海橋のところに集つた様であるが其の時の模様を話して
みよ。
 答、酒の入つた瓶を持つてぶらぶらし乍ら八海橋のところまで来ますとB、Cも
来ましたが間もなくEが一人でやつて来ました
 するとBがEに
   Eちやんやあれは到頭もどらんづくぢやつた金の出場所がはつきりすればよ
いがのう
  と云つて居りましたが私はなんの事か判らぬので尋ねると、
   Bはお前には用はない
  と云つて怒りました。
   そこえDかやつて来たのでありますが、BはDに
   やつぼり夫婦喧嘩をした様にする方が良いのう
  と云うとDは
   事件にしない方がよいなあ
  と云つて居りました
  そしてBは
   Aに戸を開けさせるからお前(D)は中に入つて金をとれ、Cはロープを探
し俺は長斧を探すそしてEが笛を吹いたら逃げるのだがかたまつて逃げない様に別
々に逃げるのだ
  と云つて居りました。
   其の時Bが其の他にどの様なことを云うたか細いことは忘れましたが、「血
がついたら石油かアルコールで拭けばとれる」とも云つて居りました
 問、Kは何で殴つた
 答、長斧(ちようの)であります
 問、警察では被告人は薪割と云ひ検察庁では長斧と云つているが
 答、長斧(ちようの)とも云ひ薪割とも申します
 問、K夫婦を殺して夫婦喧嘩をした様に見せかけることに話はきまつていたのか
 答、私はくわしい事は話してくれぬので知りませんが其の様な話はして居りまし
た。
 問、八海橋のところえは誰が最初に来たのか
 答、私が八海橋のところまで来るとBとCがやつて来ました
  そして次にEが来て最後にDが来たのであります
 問、Bはどの方向から来たか
 答、iの方からやつて来ました
 問、Bの住む部落名は知つているか
 答、よく知りません
 問、被告人が行つた時はBDは既に来て居りaの方からEとCが来たと警察では
云つているがどうか
 答、…………(答えない)
 問、警察では本当の事を云ひ乍らうその事も云つていたのか
 答、出鱈目を云つておけと云つたので皆んなの云う通りにせねば悪いと思つて云
つたのであります
 問、八海橋のところえ集ろうということは何時何処で定めたのか
 答、二十三日の晩であつたと思いますか私の家にDが来て私に
  今晩是非Bか来てくれと云つている、多分あの話と思う俺も行くが一寸用があ
るから遅くなるかもわからないからお前先に一人で行つおれ
  といつて私の家を出て行きました
  それでBの家え行こうと思つて家を出て行きましたところ途中でB等に出会ひ
ました。
  するとBは私に
   明晩やるからお前が持つている懐中電灯を持つて来いそれから手袋を忘れる

  と申しましたので
   何時頃出て来ればよいか
  と尋ねたところBは
   十時か十一時頃出て来ればよかろう
  と申したのであります
 問、Bは何処え来いと云つたのか
 答、八海橋の上に集ろうと云つた様に思ひますがくわしいことは憶えません
 問、被告人は当夜は何処え集る考えで家を出たのか
 答、B方へ行つてみようと思つて八海橋の方へ行つたのであります。
 問、集る場所については明らかな話はなかつたのか
 答、よく憶えません
 問、集る時間は今でも憶えているか
 答、何時に来ればよいかと尋ねたところBは十時か十一時頃来ればよいと申しま
した。
 問、其の時間の点について被告人に対する警察に於ける第五回供述調書によると
其の時は
   九時から九時半
  と述べ第六回供述調書によると其の時は
   九時半から十時頃
  と述べ検察庁における第一回供述調書によると其の時は
   九時半から十時頃
  と述べているに拘らず公判廷では十時か十一時頃と述べるのであるがBが十時
か十一時頃来ればよいと云つたとはつきり憶えているのなら最初から本当の事を云
えばよいではないか
 答、何時頃行けばよいかと尋ねたらBが十時か十一時頃来れはよいと云つたこと
とは間違ひありません。
 問、そうではなくアリバイの関係上九時か九時半では早過ぎるので十時か十一時
頃と云う気持になつたのではないか
 答、そうではありません
 問、K方に入ることは何処で決めたか
 答、十四か十五日であつたと思ひますが私がa町へ自転車で行く途中BとCに捕
り三人で飲食店で飲んだのであり
  ますが其の時Bが
   何処かえ行かねばならぬが
  と云つて居りました
  しかし其の時は何処え入るというはつきりした話が決つたわけではありません。
  K方に入ることに決定したのは其の後M旅館であつた様に思ひます
 問、其の点について被告人に対する警察に於ける第五回供述調書及び検察庁に於
ける第一回供述調書によると其の時は執れも
   二十三日にB方でK方に入ることに決まつた
  と述べて居り話の決まつた場所が明らかでないがどうか
 答、十九日であつたと思ひますがBの女であるAdが来た時M旅館に皆んな集り
ました其の時Dが
  Arちやん方(K方のこと)はどうぢやろうかあれには此の間金を送つて来た
し山の傍だから良かろうと云ひました
 しかし行く日についてははつきり決まつてはいませんでしたがK方へ行くことは
決まつていました。
 問、何をしに行くと思つたか
 答、当時私等は酒を飲んだりして歩いていたので借金があり又私か馬車にいたず
らをしてその謝罪の意味で酒を買つたり又M旅館の宿泊代に困つていたので金を作
るためにK方へ行くということは判つていました。
 問、窃盗のつもりか、強盗のつもりか
 答、窃盗をする考えでありました
 問、一月十五日にB、D、E、C等とe部落に行つている様であるが憶えている

 答、其の様な事がありました
 問、其の頃自転車を盗んだことは間違ひないか
 答、Bと一緒に盗みましたがその金は遊興に使ひました
 問、それより前にX方へ泥棒に行つたことがあるか
 答、あります
 問、被告人がやつた泥棒は被告人が積極的にやつたかそれともBから云われてや
つたのか
 答、BがXに金はありはせぬか今晩行つて来いと云つたので行つたのであります。
 問、如何なる動機からK方へ金を取りに行く様になつたのか
 答、飲み代やら旅館代が溜つているので其の金が慾しさに行つたのであります
 問、八海橋からK方へ行く途中Asが自転車で追ひ越したと述べているが其の様
な事があつたか
 答、左様であります
  其の時Bが「Asのおぢさんだなあ」と云ひました。
 問、其の時Asは一人であつたか
 答、誰か居た様にも思ひますがよく憶えません
 問、Asを証人として調べた際最初は同人はAtより自転車で帰つたと云ひ其の
後調べた時は連れと一緒に歩いて帰つたと述べているのであるが其の様な事があつ
たか
 答、自転車に乗つていたと思いますが連れの人があつたかどうか其の点は憶えま
せん
 問、最初にKの家へ着いたのは誰々か
 答、二組に分れて行つたのですが、私とBは一緒に海の方から行きました。
 問、Bと一緒に何処に着いたのか
 答、家の傍へ着いたと思います
 問、それは道路から家の方に向つて右の方か
 答、八海橋寄りの方であります
 問、家の裏側の方か
 答、私は裏の方に廻りました
 問、それからどうしたのか
 答、私は家の裏を廻つて表に出るとBも其処に居りました。それで母屋と部屋と
の間の硝子戸を開けようと思つてさわつてみましたが開かないので其処え酒瓶を置
いてはなれの便所の所に行きましたところ他の三人(D、C、E)も来て居りBが
そこの窓を開け様としましたが仲々開きませんでした
  するとDが「これでやつてみい」と云つて其の時は判らなかつたのですが、曲
つた鉄棒を渡しましたのでBはそれを使つて開けました。
  そしてそこからDとBが中に入りましたので私もそこから入ろうとしましたと
ころDが
   お前は此処から入るな母屋の裏の方に入る処があるかもわがらぬからCと裏
へ廻れ
  と云つたので裏え廻つて床下の板をはいで其処から入つたのであります。
 問、BとDがはなれの便所の所から入り被告人とCが裏の床下から入つたわけか
 答、左様であります
 問、被告人に対する警察に於ける第一回供述調書によると其の時は
   母屋と部屋との硝子障子が開いたので其処から入り出る時裏の床下から出た
  と述べて居り、第三回供述調書によると其の時は
   最後に床下をくぐつて出た
  と述べて居り又第五回供述調書によると其の時は
   母屋の裏の床下から入り母屋と部屋との間の戸を開けた
  と述べているがBとDがはなれから入つた形跡は認められないがどうか
 答、警察に居る時は皆んなが口を合さぬ方がよかろうから出鱈目を云つて置けと
云つたので本当の事を云えば皆んなから怒られると思つて色々なことを云つたので
あります。
 問、誰が最初にKを殴つたのか
 答、最初はBが殴り其の後はD、私、Eの順で殴つたと思います
 問、被告人に対する警察に於ける第三回供述調書によれば其の時は
   Kが誰かと云つたので自分で薪割で二回殴り其の後Bが一、二回殴つた
  と述べて居り第五回供述調書によれば其の時は
   殺してやろうと思つて寝間に起き上りかけた人を自分が殴つた
  と述べているが其の点はどうか
 答、Bが長斧を持つて行けと云つたのでそれを持つて奥の間の襖を開けるとおぢ
いさん(K)が「誰か」と呼んだのでびつくりして後に退りましたところBが
   其の様なことでつまるか
  と云つて私が持つていた長斧を取つておぢいさんを殴つたのであります
 問、実際は被告人が殴つたのだがBが殴つたと云えば自分に有利になると思つて
其の様に云うのではないか
 答、今までの調べでは本当の事を云えば皆んなが困りはせぬかと思ひ又皆んなを
悪くいえば怒りはせぬかと思つてうその事を云つたのであります。
 問、箪笥から金を取つた時の様子を述べてみよ
 答、箪笥の一番上の引出しを開けたところ一寸位の厚さの百円札束がありました
ので、その金をBに渡すとBは其の中から五、六枚を抜いて
   これをあつた所に入れて置け
  と云つて渡してくれましたが金を取りに来て残して置かなくてもよかろうと思
つて私はその金をポケツトに入れ続けて探していたところ懐中(財布)が有りまし
たので、それを開けてみると中には細い銭(硬貨)と鍵がありましたのでその鍵で
一番下の引出しを開けたところ千円札束がありましたので又その金をBに渡します
とBは前と同様その中から二、三枚か五枚抜いて
   入れて置け
  と云ひましたが此の時もBに判らぬ様にポケツトに入れたのでありますそして
八海橋のところで金を分配する時Bが私に
   A、残して置けと云つた金をとりはせぬか
  と云つたので
   残す必要がないと思つたので取つた
  と云うとBが
   夫婦喧嘩に見せかけたのに金がなければ直ぐ判るではないか
  と云いましたので此の時夫婦喧嘩をした様に見せかけたものと初めて私は知つ
たのであります。
 問、箪笥の中にあつた金は百円、千円札と硬貨のみであつたか
 答、その外に十円札もあつた様に思います問、十円札は何処にあつたのか
 答、上の引出しではなかつたかと思います
 問、誰がとつたか
 答、私であつたと思います
 問、被告人に対する第一回第四回各供述調書によると其の時は
   五円、一円、五十銭の補助貨が合計百円位、千円札新品五枚、百円札の新品
が二十枚位、十円札の新品が五、六十枚あつた
  と述べているし第三回供述調書によると其の時は
   Dもとつた
  と述べて居り第五回供述調書によると其の時は
   一円や五円の補助貨、千円札の新品が数枚、百円札の新品約二十枚、十円札
の新品か約五十枚位あつた。
  と述べて居り同じく第六回供述調書によると其の時は
   五円、一円合せて百円位、千円札が八枚、百円札が二十枚位、十円札が五十
枚位あつた
  と述べて居り又検察庁に於ける第一回供述調書によれば其の時は
   一番上の引出しには百円札、十円札が「コヨリ」で結んであり懐中に五十銭
銀貨一円銀貨かあり一番下の引出しに千円札が塵紙に包んであつた。
  と述べ此の時初めてBも取つたと述べているがDもBもとつたのか
 答、警察では好い加減のことを云つたのでどの様なことを云つたか憶えませんが
検察庁公判廷では色々考えた上で申上げたことであります
 問、分配した時の様子を話してみよ
 答、Bが私に
   残して置けと云つた金を出せ
  と云つたので其の中からBを除くその他の者に千円宛やりました
  するとBは
   今日はさしむき三千円宛やつて置こう
  と云ひ私には
   お前は持つているからやらぬ
  と云つて
  三人に出してやつて居りましたが三千円やつたのか四千円やつたのか私は知り
ません。
 問、残りは全部Bが持つていたのか
 答、残りは借金等の計算をした上で分けるから今晩は預つて置くと云つて残りは
全部Bが取りました
 問、それ以外には預る理由についてBは話さなかつたか
 答、…………(答えない)
 問、今までの調べで弁護士費とか保釈保証金の費用にあてると云つたと述べてい
る箇所もあるがどうか
 答、捕まつたら出鱈目を云つて口を合さぬ様にしよう。それでいけない場合は一
人だけでも入れて置こうそうすればそれに金がいるかも知れぬということは云つて
居りました。
 問、被告人として十円札を他の人に渡した記憶はないか
 答、渡したかもわかりませんがよく憶えません
 問、Bが十円札を出したのは見ていないか
 答、どこかから十円札を出したとBが云つていた様な気は致します
 問、金を分配する際被告人が金を渡したことについて被告人に対する警察に於け
る第六回供述調書によると其の時は本日と同趣旨のことを述べているにも拘らず第
五回供述調書によると其の時は
   私はポケツトの中から千円札を二枚と百円札五、六枚をDに渡したのみであ

  と述べているがそれは何故か
 答、其の様に書いてある以上は其の様に云つたことは間違ひないと思いますが其
の時どの様に云つたか現在は記憶致しません。
 第八回公判調書の被告人供述部分中の該当部分(記録第七六五丁表九行以下第七
六八丁表九行まで)を読聞かせた上
 問、床下を出る時家の人が「ねずみ」だろうかと云つたことがあるか
 答、おぢいさんであつたかお婆さんであつたか判りませんが「ねずみ」ぢやあな
いかと云う話がありました。
 問、家の人が起きていることは判つていたわけか
 答、話声がしたので直く判りました。
 問、家人か起きていることを知つていながら其の後の行動をしたことがあるのか
 答、起きているからやつてやろうと思つてやつたわけではなく其の時の気持は判
りません。
  私は金を取りに行こうと思つて座敷へ上つたら誰かと云われたの後退したので
あります。
 問、手袋を他の人がはめていたことは間違ひないか
 答、間違ひないと思ひます
  d様で会つた時「手袋を持つて来たか」と聞いたので「忘れた」と云つたら「
仕方がない」と申しました。
  其の時Bは手袋をやつていました
 問、どの様な手袋であつたか憶えているか
 答、よく憶えませんが仕事の際やる手袋ではなかつたかと思ひます
 問、八海橋の上から何か投げたというが被告人は何を投げたか
 答、私は何も投げて居りません
  帰りにBが手拭の様なものを投げたのを見ましたが何を投げたか知りません
 小竹判事は
    被告人に対し
 問、K方へ行く時被告人は何を履いていつたか
 答、下駄ではなかつたかと思う程度ではつきりした記憶はありません。
 問、草履ばきの人は居なかつたか
 答、Dも下駄を履いていたかも知れませんが他の者は草履であつたかズツクであ
つたか知りません
 問、八海橋のところで被告人がBを除く他の三人に千円宛渡したと云うが千円札
で渡したのかそれとも百円札で渡したのか
 答、よく憶えません
 問、分配して被告人はDと一緒に帰途についた様であるがそれにも拘らず被告人
は何故家に帰らなかつたのか
 答、金を分けて帰る時
   今晩は何処えも行つてはいかぬぞ
  と云つて居りましたが私が
  jへ行こうか
  と云つたら皆んなが
   出たらいかぬぞ
  と申しましたので私はDと一緒に帰へりかけたのですが私は家え帰へり度くな
かつたので
   jえ行くぞ
  と云たつらDは
   行かぬ方がよいがどうしてもjへ行くのなら姉さん(jに居る私の姉のこと)
に昼から居たと云つて貰う様に頼んで置け
  と申しました。
 裁判長は、
    被告人に対し
 被告人に対する検事の第二回供述調書中第二問答(記録第六三三丁裏)及同第四
回供述調書中第十一項(記録第六四八丁を)読聞かせた上
 問、皆んなから此の様なことを云われたことは間違ひないか
 答、間違ひありません
 問、今まで述べたことで自己を有利にするため他の人に不利に云つた様なことは
ないか
 答、別にありません
 問、一人でやつたと云えば死刑になるからそれが恐しくやつていないB等と一緒
にやつたと云えば少しでも軽くなると思つてあの様なことを云つていると人が云つ
たら被告人はなんと思うか
 答、人はなんと言つても調べても貰えば判ることで自分は本当のことを云えばよ
いと思つています。
 問、どうして自分の罪を償うつもりでいるか
 答、自分のした丈けのことは罪になると思つています。あれ丈けのことをしたの
ですから死んで行かねばいかぬと云われれば立派に死んで行きます
 裁判長は、
  此の程度で次回に続行し次回公判期日には被告人B、同D、同E、同Cに対す
る各強盗殺人被告事件と併合して審理する旨を告げ次回公判期日を来る七月三十一
日午后一時と指定告知した。
  昭和二十八年七月二十二日
     広島高等裁判所第一部
       裁判所書記官補        平   岡   正   行
           上   申   書
 住居 山口県熊毛郡c村d
 現在 広島刑務所在監
                      A
一、 昭和二十六年一月二十四日夜友人B、D、E、C、私の五名が共に山口県熊
毛郡c村dK氏宅に押入り同家主人K妻Aoの老夫婦を殺害金品を強奪して捕はれ
現在広島刑務所で無期懲役の刑を服役致して居るAと申す者であります。私が前記
四人と共に犯した事件に関して昨今単行本「裁判官」(著者正木)と云う本が出版
されて居りますが此の本の内容が私達の犯した事実より全然違う事が書かれてある
為何も知らない世間の人達の心に色々と疑惑を抱かせて、大きな反響を巻起して居
るとの事を耳に致ますので此の事に就ては私自身にも重大な責任がありますので此
の際私達の犯した偽り無き真実を申述べ度と思ひます。そして亡き御二方様の仏様
にお詫び申したく思うのであります。
二、(告白)
 (イ)昭和二十六年一月十九日私達五人Bの妻AdAhと七人が山口県熊毛郡a
町M旅館に集まつた時女に分からないように私達五人がとなりの部屋に行つたとき、
Bは右の話を持ち出した。「とうとうせつぱ詰まつたぞどこかよい所はないか、d
のAlはどうであろうか、Amはどうであろうか」と云い出したのでDが「Amは
犬が居るし、家旅が多いし、又Alにも犬が居るし、Alのおやじは、力が強いか
ら、それよりもKのArちやん方は(K方)の事」どうであろうか、あれにはこの
前金が入つたそうだと申すので「私もArちやん方ならどうであろうか」、と云う
とEは「あの家は山の縁ではないか、それならよいぞ」と云つて居りました。そし
てBはDに「セビロ」をもつて金をかつてくるように云つて居りました。
  それから、私達は酒としようちうをかつて、又テンプラや、チクはなぞをかつ
て酒をのみはじめたのであります、この時私達がM旅館にきたのが五時半頃ではな
かつたかと思います。そして一時間ぐらいしてからと思ひますがBが私をよんだの
で、廊下に出ると「Kにするから皆んなに云うておけ、その金で「馬車の金も」出
すから、と云うので、私は、DやEやCを一人りづつ廊下に呼んで「BがK方に行
くからと云つていたぞ」と云つておきましたがその他の詳しい話はしませんでした。
 (ロ)その後同月二十二日午後一時頃に私は同郡a町x停留所に行つて自動車を
待つて居りますと、Bは私を見つけて、それとなくBは「お前はやるやると云つて
やつた事があるが、今夜やるとか云つて出て来れはせんではないか」、と云うので
私は「兄が出さないのだから仕方がないのではないか」と云うと「兄が出さないと
云つても、お前が出て来る気があれば出て来れるのではないか、そんな事を云つて
俺をごまかそうと思つて居るのだろう、まだまだ俺はお前達にはごまかされはせん
ぞ、この前の金の事で俺はやられた、その変りにお前を今からやつてやろうか、お
前みたいな者をなぐつた所で仕方がないが、まあーころいてやるから、この前M旅
館で話したろうげーM旅館で、あれをやればそのぐらいの金は出来るから、それを
守れよ判つたのう」と申して居る時自動車が来たので私は自動車にのるとBは「よ
いか、もし、やらなかつたらどんな事になるか覚えておけよ」と大けな声でたけつ
たので自動車にのつて居る人は魂消て私の顔を見すめて居りました。
 (ハ)同年二十三日夜七時半頃に私の家にDが来たのであります、その時私は便
所に入つて居りました、Dは便所のそばに来て「Aかお前が出てこないからBは起
つて居るぞ、ゆんべはもどつておらないと思つてこなかつたが、今夜はもどつてい
るからいつてみてくれとBが云つたから来たのじやが今夜はぜひ出てこいといや、
「たぶんあの話しと思うか」(あの話しと云うのはM旅館で話した事)俺も行くが
俺はちよつとようがあるから、おそくなるかも知れないから先に行つて居れ」と云
つて私の家を出て行きました、それから私は三十分ぐらいして家を出てB方の近所
の「イナリさん」がある所でB、D、E、C出会つたのであります。Bは、私に、
「明日の晩やるからお前が持つていた懐中電燈を持つてこい、それから手袋を忘れ
るなよ」と申しますので、私は、「何時頃に出てくればよいか」と尋ねますと、B
は、「そうぢやのう、十時か十一時頃に出てくればよかろう」と申して居りました。
そしてBは他の三人に「どうふゆうにやるか」、「火を付けるか」「うめるか」と
か云つていますので、私は何の事か分からないので「どうするかと尋ねる」とBは
お前はだまつておけとか、?分からなくともよいのだと云つておこりましたのであ
ります、それから私にはくわしい話しはしてくれない内にB達と別れて私の家に帰
つたのであります。
 (ニ)更に同月二十四日私はBと酒を呑んだその酒代を私の兄に申して出しても
らいたかつたのですが、何度も兄には無理ばかり云つて居るので、私が持つていた
「アカ」をAvと云う家に持つて行きましたが思ほどはありませんでした、この日
は私は午前まではDの姉の家に行つて居りました。そして日に帰つて、y川に「か
い」をとりにいつて帰つてOのおばさんに出会つたので、私はおばさんに「あるか
ね」「酒の事」と云うとおばさんは、「あるよ」と云われたのでおばさんと一つし
よにOの家に行つて酒をのんだのであります。そして三時か四時頃に私の家に「モ
チ」をとりに帰つてOの子供にやつて又その内におぢさんが帰られたので二人で酒
をのんだのでありますがもうおそくなつたので、二合ぐらいもらつてその「ビン」
を持つてOの家を出たのが八時頃と思います。そしてそのビンを持つてぶらぶら歩
いて「Aw」のへんで私はあまりえらいので道の縁で一と寝りしたのであります。
それが一時間ぐらい休んだように思ひます。そして又ふらふらしてB方の方に行つ
てみましたが(図面一葉省略)Bはいないそうであつたので又ひき返してdのAx
と云う家の前のべんでOの家に行つて又酒をのもうと思ひ、O方の方に行きかけた
のでありますが、いまからいつておそくなつたら、それはのみすぎて、おそくなつ
たらBが起るかもしれないので、「z」の橋のヘンでひきかえしてB方の方にいつ
たのであります、そのとき八海橋の上にでBとCに出会つたので、Bは、私に「懐
中電燈を持つてきたか」と云うので私は「持つてきた」と云うと、「手袋をも持つ
てきたか」と云うので「忘れた」と云うと「しもうたのう」とざんねんがつて居り
ましたが、Bはまあよい仕方がないと云つて居りました、そこにEが来たので、B
は、Eに、「ありやのうE」(Eの事)「とうとうもどらんずくだつた」金の出ば
がはつきりするとよいがのう」まあ仕方がない、それならDどうであつたのか」と
云うとEは「Dによく云つておいた」と云うとBは「へらいおそいのう」と云うと
Eは、「Dも家が出ぬくいのだろう、その内に出てくる」と云うとBはEに「家の
方はよいか」と云うとEは「おおセワア」ないと云つて居りました、するとそこえ、
Dが来たので、BはDに「ありやのうD、やつぱり夫婦喧嘩をしたほうがよいぞ」
と云うと、Dは「事件にしないほうがよかろうのう」と申すと「家の方はよいか」
と云うのでDは「せはない」と云つて居りました、するとEがDに「俺がお前方に
行く前にAyでも行つて居たのではないか」と云うとDは、「おおAy方に行つて
いた」と云つて居りました、BはDに、「それからのうDAに逃げ道を作くらそう。
お前は金をさがせい、俺はちようのをさがすから、Cが「ロウプ」をさがすからの
う、それからEが口笛をふくから逃げるのだ、逃げる時には、かたまつて逃げない
ようにちらばらになつて逃げようで、たたくのはAに一番さきになぐらそう、そし
てみんなが一回ずつなぐつておこう、おれもちよつと人に聞いたのだが、身に血が
ついたら「アルコウルか、キアツウか、又はセキウかでふけばとれるげな、「へじ
やが服についたらとれないそうだ」と云うと、Dは「それならつけないようにきを
つけようでと云乍がら歩いてdの地蔵様の所に来るとAlさんがとうられたので、
Bは「あれはAlのおやじではないか」と云うので、私も、DもあれはAlのおや
じだと云つたのであります。するとBは、ここからはかれていこうと云うのでD、
E、Cはy川の新道を行き、私とBと二人は、古道を通つて行つたのであります、
その途中、Bは「オバはぬいでおけ」又じやまになるので私の家の前に原木の上に
ぬいておいてジヤンバは、うらからはしてきたのであります。「オーバー」は、家
の中においたのではなく、家の前の「のき下」にぬいだのでありますから、時間の
内には、はいるものではありません、そしてKさんの北につき、Bは、玄関のほう
に行き私は家の裏にまわつて玄関のほうにいき、その玄関の前の「ヘイ」の近くに
ゲタをぬいで、「カツテ」口の戸をあけようとさわつてみましたが、あかないので、
そこに酒の入つた「ビン」をおいて、外便所の所にくるとBが「へや」のチウれん
戸をあけようと、さわつて居りました。するとDがきてあくかと云うので「あき」
にくいとみい」と云うとDがあかなければこれでやつてみいと云つてなにかのずけ
ておりました。そしてDはそこの便所に入いつていき、Bは私に「懐中電灯をかせ」
と云うのでBにわたしてやりました。私はその便所にはいろうと思つたのですがD
がはいつているのでDはその便所の中でマツチをすつておりましたそれでそこえ私
は、腹番をして居ると「バーン」と大けな音がしたのでBは、しばらく、しずまつ
て居りますたがやかて、それをあけ、BD二人ははいつていつたので私もそれから、
はいろと思うと、BかDかが、「お前はこれからはいるな、「おもや」と部屋とに
人がいたら、困るからお前はCと裏のへんにどこかわいるところがあると思うから、
はいれ」と云つて金のS方をした者と懐中電灯をくれたのでありますが、そのバア
ル」をはすれてはいけないので「ミカン木の下にタイヒがあつたらその中にさしこ
んで家の裏に床下には二分板がうつけてありたのであるが、思うほどかんたんには
がれたのであります、それから私が入つていき、土間に出ると、AoさんかKさん
かが「ネズミ」であろうとか、云うこえがきこえておりました、そしてそこにある、
シキ戸をみると紙み、(図面省略)みたいな者が上に上かつたり下に下がつたりし
て居りました。そして上をみると、ナイフではないかそんな者でさして居りました
ので、B達だなと思ひその戸をコツコツとたたくと、むこうからもコツコツとタタ
イてくれたのでまつていると下のしきいがぬれてきましたそれは音をさせないよう
又あけるのにみあすいように水をまいた者でありましよう、そしてそのシキ戸をあ
けるとBはたしか玄関のほにいつたように思ひます。私はもと、カツテ口の所に酒
のはいつたビンをおいたのをトリにいつてそのがらす戸は、三尺ぐらいあけておき
ました、そのビンわとりにいく前に、そこの「テイブルにあつたヒキだしをあけて
みると、その中にはほいちよが十本ぐらい在つたのでそれをもとどおりしめて居い
て、ビンをとりにいつて、その土間のタナにはビンのからがあつたので、B達に酒
をみんなのまれてはいけないと思ひBにもうないといいたいために、私が持つてい
たビンとそこのビンに入れかえたのであります。そして北裏口の戸をあけに行くと、
そこにはCがみはりして居りましたがそれでCにこれをもつていてくれといつてと
この下において私一人がAoさんがねている所に行こうとしてフスマの所にくると
フトンがいごくような音がして居りましたので下におりますと、そこではBがマチ
をスつて居りました、Bは私に「ほいちようはないかと云うので」、私は「ほいち
ようならここにあつたと云うとBは、それを持つていけと云うので「私はそのほい
ちよう出して板の間にきたのであります。「私達がKについてここまでの仕事が十
五分であつたとようにきをくして居ります。」それからBはこのほうがよいと云う
でチヨウのを私にくれたので、その板の間の上にほいちようをいて私とBとD三人
がねまの間のフスマを私があけると「どなたですか」と云われたのに私はビクリし
てあとにさかると、Bはそんな事でつまるかと云つて私が持つていたチヨウのをと
つて、Kさんをいきなりなぐりつけたので、そこにねていたAoさんが、人殺しだ
とか又ぬしど盗しとだとか云つて逃げかけようとしたのを私が行つておさえるとB
がすぐきておさえてくれました、するとDがこれでなぐつて金をさがせと云つてチ
ヨウのをくれたのでそのちようのでKさんのどこかを一回なぐつておきましたする
とEがそのちようので又なぐつておりました。私がAoさんをDと変るときにはま
だ足をバタバタしておりました。それで私はタンスのヒキダシをあけると百円札や
十円札があつたのでそれをBにここに金があるどとわたすと、その中から六七枚ぬ
いてこれを入れておけと云うので、むりにのけなくともよいのにと思つて私のぽけ
つとに入その中には「かぎ」があつたので、下の小さなヒキだしをあけると千円札
がやく一寸ぐらいあつたので又Bにここにもあつたと云うとBは又その中から五六
七枚ぬいてあつた所に入れておけと云うので、おかしな事をするなと思つてそれを
のけないで私が又とつたのであります。Bはそのときはタンスの長かイヒキダシを
あけてみて居りました。その頃はまだDがAoさんをおさいておりました。Bはタ
タミの下にもあればせんかみてみいと云うので私も、Dもはぐつてみました、そし
てBは、私にちよつとこたをひつぱれと云うのでみるともうAoさんは死んで居ら
れました、そして私は、BとAoさんの手をひつぱつて、つぎのまに出したのであ
ります。するとEがこれに下げようと云つて、「くロいひもでAoさんの首にかけ
たので、私とBと「かかえ」たものおもたくて手がしだつたので私が手をはなすと
そのつながきれて下におちたのでそこに、Cがロープをもつてきたので又首にCが
くくり私とEとBがかかえましたもの、おもたくて又私が酒によつていたつかえら
いので手をゆるめると、Bがよくかかえんかとえつて又上に上ば又CがAoさんの
首が「ぐにやぐにや」してようくくらないので、もつと上げもつと上げと云つて上
げたり下げたりして、ようやくCがくくろうとするとき、Dがきて私に「ハエをま
いておけと云うのでDと変るとき私が手をはなしたのですこし下にずつたと思ひま
す。そして私はそこのハいを二、三回まいておきました、その時たしかKさんはヒ
バチの中に手をいれておられたような気がします。Bは、Eに「そこの血をつけて
くれ」と云うのでEは紙につけてBにわたすとBはAoさのの手や足につけ、そし
て手につけてその手にチヨウのをにぎらして、Aoさんの手の「しもん」をつけて
下におとすとEがこれにもつけておこと云うので又そのほいチヨウを手ににぎらし
てそのそばにおとしてたのであります、するとCは、「ミシ」を「ミシンの頭の事」
もつていくかと云つたらBであつたかDであつたかよく思ひませんがそんな者を持
つていつてはいけない金があるからよいではないか、といつて居りました私はBが
Aoさんの手や足に血をつける事がそのときにわからなかつたので、なぜそのよう
な事をするのかと云うとBはお前には分からなくともよいのだ、と云つておこつた
のであります、Bは私にとこの血をつけてこいと云うので血を紙につけていくとほ
いちようがあつたところにつけておけと云うのでそのヒキだしにつけておきました
Bはそこのアバイバデ手をあらいながら私にあとしまつをよくしておけといつてB
DECは家を出て行つたので私は戸をしめて、もとはいたところから出ていきそし
て玄関の所の「ヘイ」のそばにぬいでいたげたをとりy川のOと云う工場の川のへ
りでB四人においつきました。Bは私に「後しまつはよくしておいたかと云うので」
「よくしておいたと云うと、Bは「俺れは家のうらに小さな足のあとをつけておい
たいや」と云うと、EかDかが「どうしてそのような足のあとをつけたかと云う」
とBは足の先をつけてやつて見せてくれました。そしてBはたぶんよかろうと思う
が、もしも、事件に見られた時は「テツテイテキ」に調べるから話はあわしておか
ないといけないぞ」と云うとEは、Dに「俺れがお前方に行つたのは仕事との事で
行つた事にしよう、まあ仕事は仕事であつたのだから」と云つて居りました。Bは
「この事件で調べられるようになつても、俺達の名前は出すまいで、それが「ヤク
ザ」である又つかまつた者が、その責任はもとうで」と云うので、DもEも俺もそ
のぐらいの事は考へている」と云うので私は「一人で犯したと云うのはどうふに云
つたらよいか」と尋とBは「そうじやのうまず金をとりにはいつたらおちさんが盗
しとだと云うので風呂に入いつていたおばあさんがおつかけてきたので、そこにあ
つたちようのでかつとなつたからなぐつたかつとなつたからと云つたら罪のかるい
から、そしておばあさんがほいちようもつてきたのでおつかけてこないようにくく
つたその時にはまだいきがあつた。俺達三人でかかえてもあれだけおもたかつたの
で一人でかかえてくくる事は出来ないと云う事はわかるからと云つたのであります。
そしてどうでもいけないときにはかんけいのない者を一人いれておけそうすると裁
判所で返すのにぐはいがよいからと、こんな事を云つて居りました、そして八海橋
の上からBはここにすてようと云つてDも何かすてていました。Bは私に「俺がの
けておけと云つた金をおまえはとつたのではないか」と云うので、私は「むりにの
けないでもよいではないか」と云うと、Bは、「馬鹿者のせつかく夫婦げんかをし
たようにみせかけたのに金が一つせんでも無かつたら誰がみてもおかしいと思はれ
るではないか、そんな事がお前には分かるまいげ」と云つておこつたのであります。
それでBはまあ仕方がない、その金はどのぐらいあるかと」云うので私はこれだけ
あると云つて出すと、D達に千円ずつやれと云うので、私は三人に千円ほどやりま
した。Bは、今日はさしむき三千円づつやつておくから、あす又「サンにようをし
よ」うと云つて居りました。Bは警察でどうにもならないときには、ちヨウシヨを
あはさないように、てれんほれん云つておけばよいよい警察で云うのは証拠さえな
ければ、警察が拷問をかけたと云えばせはあないからその時にはかんけいのない者
を入れておけば裁判にもつていつたときには返すのにぐはいがよい本当にやつてい
ない者は分かるからそれにつれて俺らもやらんのだと云ば、警察で云つたのは警察
が拷問をかけた事にあるのだと云つて居りました。それからBはあすは仕事にいか
なければいけんどどこにもいくなよ、と云つて早く帰えろうと云つてBは早足で家
に帰つて行きました。そして私とDは家に帰りかけたのでありますが、どうも気が
すすまないので、Dに「jに行こうかしら、といつたら」Dは行くな、と云うので
「行つてもよかろうげ」と云うとどうしても行くのならPに行つて兄がびようきと
云つて自動車を出してもらえ、それから今日の日からおつたように兄にたのんでも
らえと云うので私はDとはかれたのでありますがjに行こうかどちらにしようかと
八海橋をわたつてaの道のへりで考えで居るとついねむつてしましたのであります。
それが一時間はねむつたように思ひます。
(三)そして私達五人は熊毛地区平生警察署に逮捕されたのであります。私は最初
は否認して居りましたが、ためらしいB達は、つかまつているのかなと考へました
が、まだつかまつていなようであるようであつたので、Bが云つて居りましたよう
に私の一人の単独犯行と云えば顔もたつと思つてそのように申立てたのであります。
しかしBが云うように、そんなにかんたんにやつた現場のようにいくら考へれても
云えず第二回の調べられるときには私は困つたのであります。第一回はかんたんに
ウソもとうりましたがこんどは尋ねられるのに答えるのに困つてまいりました。そ
れでこんどは、一人かんけいのない者を入れて六人と申立てたのであります。しか
し警察の人はお前の云うのは本当か云はれたので、これはB達は五人と云つている
のだろう、Bから云ひはなへて五人と云うとはたよりないそんな事を考へている内
に他の人が私の兄がK様におはびにいつている事を聞いたので、こんな事ではいけ
ない本当を申し立てて、社会に対して亦故人御二方に対しての何らの償ひであり、
御詫びであるのではないかと考へた者のやはり共犯としてくやくそくがあつてゼン
ブ本当を申す事が出来なかつたのであります。然かるに、私達の第一審公判が山口
地方裁判所岩国支部で開廷される頃、私はBに出会い、Bは「事件をかやしてくれ、
そのぐらいの事はするから」と申したのでありますが、当時の私の心境と致しては
自分達の罪の余りの深さに自責の念に耐えず、一日も早く公正な裁判を受けていさ
ぎよく服罪して故人の霊に対し又世間の皆様に対して御詫び申したい気持で一杯で
したからBから此の要求を断つて私は私なり真実を申上げて来たのであります。そ
して、いよいよ検事殿より私達五人は人間として法律の示す所で最高の刑と云われ
る死刑を全員が求刑されたのであります。いかなる裁きを受けたとて、その裁きを
受けて、故人の霊にお詫びをしなければと心にきめて居りましたが。やはり生きる
と云う我慾が出て、その我慾の中で死んで被害者にお詫びする方法はない者かと反
問して苦しみました死刑囚人と云ば必ず殺さねばならぬ程の罪悪を犯した者である
事は間違いないのでありますが、その生かして置けない悪人の私達さえも情ある法
のおとり計らいで絶たるべき生命を赦されましたのであります。その事を深く胸に
抱き感謝致してまいつたので御座居ます。
         理    由
 (イ)昭二十八年十月頃か十一月頃の様に思ひますが、私が午前十一時頃に手紙
を書いて居ると「Dが私のそばにきて」、「どうして俺れ達の云う事を聞かないの
か今からでもよいからかやせ」と申してきたのであります。
 (ロ)その後四、五日立つて、やはりそこで手紙を書いているとBが風呂から出
て来て「ツマラン」デはないか、どうしておれ達の云う事を聞かないのか、おれ達
の云う事を聞けば悪い様にはしないのに今からでもまにあうから返せ、一人でやつ
たと云つても誰が見ても分かるから「aのH」が死んで居るからHとやつたと云え
おれが弁護士によく話すからのう」と申したのであります。
 (ハ)十一月十二日頃に私は運動に出ていると風呂場からBが覗いて「この事は
本屋に心窓として出すから、その金が入つたらお前にやるから弁護士によく云つて
居け」と云つたのである。
 (ニ)私が洗濯物をとりに出るとEに会ひEは私に「今度は間違いないであろう
のおー、頼むぞ、そのぐらいの事はするからのう」と云つた事があります。
 (ホ)十二月はじめ頃に私が風呂のはいるとBがはいつて来ましたBは私の所の
そばにきて人にきこえないように、私のみみのところに口をもつて来「とにかく警
察で拷問をうけたのであんな事をいつた。十円札が証こにしているのは警察がつく
つたのだろうと云つて、お前がうまいぐういに云えばこの事件はかやるのしやけい、
おれが出さいすればお前にはしてやると云うのしやないか、今お前も困まつている
だろうげ」と云うので私は「困るのは困るが仕方がない」それをおれがしてやると
云うのしやないか、こんどの弁護士はの共産党の弁護士であるからおもしろくなる
ぞうみちよつてみい、今はお前に金を入れる事は出来ないがなんとかして入れてや
るからのう」と云うので私はたのむど上申書を書くようになれば少しはいるからと
云つたら、「おお心配するな入れてやるいや」と云つた事があつたのであります。
 (ヘ)弁護士Iとの連述「これはところところを私が思つて居る事を書いたので
あります。
  昭和二十九年一月六日原田氏は私に面会されて私に対して「私はB達について
いる弁護士でありますが、どうですか房の中に居るのは退屈でしよう」と申された
ので「私は退屈ですねと申しますと」「度々面会して上げますから一度私に面会し
て呉れと云う手紙を下さい」、貴男達の事件はB君からだいたい聞いては居ります
が貴男も私に話して下さい又貴男は本当の事を云つて悔悟して居られますが、B達
は云つて居りませんね」と云われたので私は「今からでも助ける事が出来ますか」
と尋ねると原田さんは出来ますともその事をよくけんきうして上げますB達の事と
貴男の事をよく考へて上げます。と云われて帰られたと思ひます。
  二回の面会
 「この本を入れて上げますからどうしてその様な気持になつたかととはれたら、
この本をよんでそのきもちになつたと申しなさい」そして帰られたと思ひます、私
がFの話しをしたのは、三回の面会のように思ひます、Hの名前を云うと思つたの
ですがBが云うように本当かウソかよくわからないのでもしウソであつたら困るの
でFと云う架空人物を作つて云つた事があります原田さんは「私に上申書を書いて
下さいと云はれたので」私は「書いてあげますが「かみがないのです」と云うと金
を五円入れて居きましようね」と云つて帰られたと思ひます。
  その後原田さんは度々面会されて居りますが、いつの面会であつたか思つては
居りませんが貴男が一人でやつたと云うなら上告を取り下げなさい又二人か三人で
やつた事でしたら、上告はして居きなさい貴男の刑はもつとかるくなると思ひます、
私が貴男の弁ゴして上げます。……又日を変えて私は誰とやつたと云うことは云ひ
ませんとにかくこの事件にB達がかんけいないとつぱつて下さればよいのです、貴
男にも考へがある事でしようから又この事件は新聞社が買うと云つて居りましたか
ら金がいれば云つてくださいでも今多くさん入れられませんよ金をいれて貴男に云
わさせると云うにかんずかれると悪いから少しずつ入れて上げます、又……この事
件を返した事はだれにも云わないで下さいね貴男についていた弁護士にも、ここの
人にも、私が云つてもよいと云つたら云ひなさいそれまでちやんとしたくをしない
といけませんからねと云つて居られた、又、日を変えて「この事件の「シンソウ」
を書くために本屋から一万円もらつたから先では上げますからね、又ある日事件の
事を話しているとその面会している「ツウロ」を看守の人がとうられたので「シユ」
と云つて「ペン」でそのほうさされた事がありました、それはなぜそのような事を
されたのでしよう、正しい事と思つて居られるなら人がとうてもよいのではないが。
  又今裁判の「キロク」をうつして居りますから、それが出来たら入れて上げま
すからそれをみて書いて下さい。又この事は新聞や本に出して少し事を大けくしな
ければ裁判所がとり上げてくれませんから本にも出します刑務所の面会で「Dが書
いた上告「シギシヨを送りますからそれをみて書いて下さい、又貴男が伏見裁判長
にBとべつにしてとはれたしよるいを入れますからそれに「ハンバツシン」を書い
て下さい、又あてなは最高裁判所と伏見裁判長と二人に書いて下さいと云つて居ら
れました。
 (ト)私が確定して二、三日頃と思ひますが、私が病者の風呂に入つて居ると「
Bが私のはいつている風呂場の戸をあけて、その戸口にたつてBは「とうとう確定
したか、お前はよくなつておれ達はどんなになつてもよいというのか、それなら俺
達にも考へがあるから、おぼえておけ」と云つたのであります。
 (チ)私が確定して「分類に行くときDが運動に出て居りましたDは私に「とう
とう確定したかおぼえておけよと云つた事がありました。
 (リ)昭和二十九年一月二十日頃と思ひますが私が風呂にはいるとEが入つて居
りましたEは私に「この前おふくろが面会に来たがお前に金を入れさせようと考へ
たがおれ達が金を入れるとなぜAに金を入れるのかお前に云わすため金を入れる事
がわかるから入れさせなかつたのがいる者があつたら云えその内に金もなんとかし
て入るから、弁ゴ士にもよく云つておく」と云つたので「私は、金は弁ゴ士に入れ
てもらつているが、お前方のおふくろがこの前来たときAに入れて上げようと前か
ら思つていたが悪く思はれるといけないから一度弁護士に話したそうだ、そしたら
弁護士は入れてやれ百円ぐらいならよい又今日は金をもつて来ていたから百円入れ
ておくといつて入れてくれた、お前方おふくろも先でけしてやると云つて居られた
又Eのおばさんも頼むからと云つて居られたよ」と弁ゴ士が云つたと申すと、Eは
おふくろがしなくともおれ達がするよそこをおれ達が云うのだお前もよい俺達もよ
いそれが友達であるとにかく一人でやつたと云つてもつまらんぞ、二人か三人かで
やつたと云はなければ一人でやつたと云つても通るのではないから、それから俺達
の証拠と出されている者はBがいうように、Azが作くつたと云え、又、Az司法
主によくしてもらつたと云えそのかわりにうまいぐういに云わなければつまらんぞ、
弁ゴ士はこう云え、ああ云えと、云つてくればせんから警察かのう、拷問をかけた
と、とにかくそれを云え」と申したのである。
 (ヌ)正木弁護士より私の宛の手紙の中にこんな事が書いてあつた
 「この事件はB達が関係がない事を知りつつも裁判長は判決をして居るので、君
が病気で死んでくればとそれを願つて居ります
 そんな悪巧みにのつてはなりません、私は貧乏う弁ゴ士でありますが友人には金
持もいますB君達を助けるためなら金も多さん出してくれる人もいるでしよう、今
君に金を入れると金のために返したと思はれてはいけませんから多さん入れられま
せんが、B君達が無罪になつたら貴男達に金を上げる事が出来ます。それまで貴男
は体をたいせつにしなければなりません、金は今日送られませんが早く病気の回服
が出来るようにします。金が居る事があれば云つて下さいと書いてあつた。
 (ル)「昭和二十九年四、五月頃に正木氏からハガキが来た」「君からもらつた
手紙の中に君が病気で困つて居ると云う事が書いてあつたので、少しだが二千円送
つて上げたが、君から便りがないので「あるいわなくなつてしまつた者と思つて居
ります。まだだつたら知らして下さい」これをよんだ私は、とちうでなくなると云
う事はないのに、金を送つてやつたが返事がない又金をとつたぎりで俺達の云うと
うりをきいてくれなければ、その金を返せと云わんばかりのハガキだと私はこんな
に考へたのであります」それで私はうるさいから云うようにしてやれば今までの金
は返せとは云わないだろうと思つたのであります
 (オ)「昭和二十九年十一、二月頃に正木氏は私に「私は半年かんのあいだにケ
ンキユうしましたが、貴男が酒によつて自分でも分からないほど事件を犯してしま
つたのではないかと思つて居ります、酒の上でした事は自分でも分からないのです。
人間は一度ウソを云うとなかなか信用してもらえないのですから貴男が一人でつい
やつてしまつたのではないかと考ます。貴男が云うHとかの共犯は死んでいますね。
そんないない人を云つたて」、ウソですと思ひます、ちかいうちに本を出版したい
のですが、悪い事した人が本当に変つた人間になつたと書きたいのでほねをおつて
居るはげです。この事件はなかなかむつかしい所にきて居りますので少し事を大け
くしなければ裁判所がとり上げてくれないので本に書いて世の裁判をするつもりで
す」
 「この手紙をよんだとき私が一人であると云うほうがよい、人間は一度ウソをつ
くとあとは中中むつかしいのです。だから一人と云うほうが裁判長は信用してくれ
るからそういつてくれと云う事だなと思ひましたが、私が考へ又B達も云つていた
ように、この事件は一人では出来ないと云う事がわかるから、二、三人かでやつた
と云えと云つて居りましたそれは、私がやつてよくしつて居りますからBも拘置所
で考へてそう云つたのでしよう、ですから私も考へ一人と云つても、分かるので「
H」と云う人を出したのでありますこれが一人でやれる事が出来るのなら私は確定
して居りますから一人と云つても死刑になるはけでもない又二人と云つても、刑が
かるくなるはけでありませんから出来る者ならいない人の名前はださないで私の一
人と申したほうが信用してもらえ、Bをたすける事が出来るから、そのように申し
ます、しかし、犯してよくしつて居りますから、そんなバカな事は申し立てないの
です。正木氏はかんたんに考へ又私が警察で私の一人と云つた事があるからそのよ
うに云つて居られるのでありますが正木氏はこの事件は一人であろうと二人であろ
うと、B等が無罪になればよいのだと考えて居られる事と思ひますが、しかしB等
をたすけるには誰が考へても現場のあつたように云つて、裁判長の目をくらまし、
ウソを本当に信じてもらつてBがたすかるのではないでしようか、でありますから
私はBの云うように、Hを出したのであります
 (ワ)(正木弁護士が差入れ)
 (一)昭和二十九年三月頃に、二千円広島拘置所に送金」これは私はたのんだ金
ではない
 (二)昭和二十九年十一月頃に四百円刑務所に送金」これは私がかみだいとして
たのんだ金」
 (三)昭和三十年二千円Ba様を通じて二千円送金」これは私が歯が悪いからと
云つてたのんだ金でありますが、Baさんになぜ送つたのでしよう。私が思ひでは
Aが又もとにもどすと正木さんから金を送つてもらつたからあんな事を云つたと云
われたときには、自分のめんぼくを失しなうのであんな事をされたと思ひます又原
田さんと云つて居られた、金のために又金を正木さんからもらつているからあんな
事を云つたと云うようになつてはいけないから、と正木さんが云つて居られたと云
つて居られましたが、そんなおそれがあるなら、なぜ金を送つたのでしよう又その
とき私は原田さんに、正木さんに歯がよいから、送らないように手紙を出してくだ
さいとことわつたのに送られたのです。それわ私に云つてもらうと思つて、又私に
きげんをとるためでありましよう。
  すなわち、これは明かに私の歓心を買はんとして居る証左である。
 (四)(原田弁護士からの差入れ)
  昭和二十九年一月十日頃、五百円)これは私はたのんだのでなく、この金でか
みをかつてくれ」と云つて入れてくれた金である。上申書をかくために又書いてく
れと云つたのである
 (五)二十九年一月二十日頃Bb兄の名前で五百円)私の名前で入れるとわるい
から貴男の兄さんの名前で入れたのである
 (六)一月三十日頃Bb兄の名前で六百円)これは新聞者にこの事件をうつたか
らと云つて居られたので原田さんがたてかいてくれた金である」
 (七)二月頃正木の名前で二千円)(新聞者にうりつけた金であるが、私がくす
りをかうのに私がたのんだ金である)
 (八)(三月頃に三百円)(あまり多くさん入れるとわるいから少しずつ入れる
と云つて三百円入れられたのである)
 (十)(三月二十日頃三百円)(確定しするのに金をすしもつておきなさい先き
でB君達が無罪になつたら上げますからねと云つて居られたのである)
 (十一)(昭和二十九年十二月頃四百円刑務所に)
 (十二)(一月七日三百円)
 (十三)(四月十二日三百円)(私が面会をことはつたので面会してもらうと思
つて三百円を送つてくられたのである、私はたのみもしないのに、送つてきたので
ある)
 (十四)(四月二十日頃に五百円)
 (十五)その他の差入は「本が十札」バカリ」「ズボン一枚」これが三百円ぐら
いの金め、ズボンが、「本がやく千円ぐらい
 (十六)食物の差入れ(昭和二十九年二月二十二日「バン五」ベビバン十」
  一月八日「アブラバン五」(リンゴ、牛乳)がやく二週間)
  二十三日「アメ五十」「アマナツト」五十円」「アブラマメ五十」「キヤメル
四十円」
 (十七)Cの弟が私に食物の差入(昭和二十八年三、四月頃に(ミカン五、アマ
ナツト五、ケイキ五、アメ五〇)食物が計千二百円、
  (計一万二千五百円)
  之は明かに私の歓心を買はんとして居る証左である
 (カ)原田さんは私に伏見裁判長と最高裁判所に上申書を書いて下さいと度々云
つてこられたので又正木氏からも云われたので友達を助けるためにと考へ。又それ
が「ヤクザ」のなかまであると考へ又B等の云うようにすれば、気げんもよくなる
と思つて今回の如き架空人物による虚偽の事件を申立てたので御座居ます。そして
前後理非の考へも無く私が申立てた嘘による今日まで取返しの出来ない程大きな迷
惑を世間の皆様に対してお掛け致して私の新兄弟に対しても言語に絶する程の深い
苦しみを掛けて来た私の愚かさを私は今頃になつてやつと気が仕く事が出来たので
御座居ます。
  私は何と云う馬鹿な人間だつたのでせう私の嘘が是程に社会の世論を騒がせる
様な反響を起すとは夢にも考へずただB達を助けてやれば良いのだと簡単に考へて
居た私の愚かさが今更らに悔いられてなりません。
 想へば他から頼まれたとは云え一時は私の浅果かな間違つたB達の件で再たび人
間の道を誤り真実を曲げた申立てをして罪の上に更せら罪を重ねるが如き事態を招
き社会の皆様に対して御詫びの云葉も無い程大きな御迷惑と御不快を御掛け申した
事を大変申し訳けがないと存じて居ります。現在の私はやつと目醒めた気持で御座
居ます、私の心の中に僅かに残されて居た良心の片鱗が是れ以上真実を曲げていつ
はりの申立てをする事が許しませんでした。私が現在の様な人間らしい落着きを為
し得たと云うのも、社会の皆様方やBcおばさんの御言葉が私にとりましては大け
な原因になつたのであります。それから自分の犯せし罪悪を心の底から悔改め自分
の罪の深さを知り今日までの罪の一切を告白致す心が出来たので御座居ます。しか
し今までの様な私ではまだまだ修養がたらない事が私に分つてまいりました。私と
しても生きて居る人間であり悪人であつたとは云えどもやはり赤い血潮は体内を流
れて居るのであります。雨のふる日や人の寝静まつた深夜などには、如何にしたら
ば此の深き罪業が償いおうせるものかという事を思い合せますと一分間といえども
亡き人の冥福を祈らずには居られぬのであります。そして生きる事だけが罪深い私
の社会に対して又亡き御二人方に対しての何よりの償ひであり御詫びであると云う
事が分つてまいりましたので御座居ます。
五、(裁判官、著者正木に対する答弁)
 (ア)「鉄格子の中からBの手紙、正木ひろし弁護士殿」
 (一)Yの供述の矛盾する点を一、二述てみますと、警察での、はじめの取調べ
には一人で出来るか誰か共犯者がいるのだろう、と拷問され、じつは六名共犯です
と申し立て、その六人が全部逮捕されると、こんどは五名共犯なのですと変り、犯
行の時刻のごときは、そのつどはなはだしくあり異なり自分のつごうの悪くなつた
ばあいには「よくおぼえていません、と変つたりしてまつたく口は便利なものです、
証拠は嘘をつくことはできないか、口は嘘をつくことが出来ます。
 (ア)警察で私の一人とか、又六人とか申立てた様な事になつたのは、前「十ペ
ージ」の所で述べて居りますようにBが、その様な事を云つて居りましたので、最
初から本当の事を云うとBがおこるので、又みんなが罪をきるより出来るものなら、
少ないほうがよいBの云う様にすれば、Bがよくしてくれると考へあんな馬鹿な事
を云つたのであります。私かあんな事を云つて居るからそれをよい事にして居るの
であります。Bの手紙を見ますと、私がひきいれたと云うのでありますが、よくも
そんな事が云える事と思ひます。いかにもBは正しい事を云つているのだと云うよ
うな事を書いて居りますがBの嘘はたなに上げて私が嘘を云つて罪におとしたと云
うのでありますが人間として、しかもそれが友達に罪におとしいれる事が良心が許
しましようか、友達が苦しんでいたり又困つていたら、助けてやるのが友達でない
でしようか、
 (二)Yにたいする警察の待遇が松川事件Be君まではいきませんが、私どもと
はまつたく区別され、ひじように大切にされていたのです。第一審の実地検証のと
き未決監より警官に移された時でも私どもには、タバコの一服もできないのにYは
始終ゆうと、タバコを私どもの目の前でスウつて、いるのです、又ある警官はYに
ズボンまでやり、食ものを与えたりしているのです、私の知らない待遇が他にいく
らあるか、それは「ナゾ」デシヨウそして警察官第一審の裁判官、検事がつねに手
紙なぞでYを励ましくつがえすことをふさぎ私どもの敵になつて罪をきせようと努
力しているのです
 (イ)一審の実地検証にdに行つて岩国に帰る時「トラツク」に五人が「ノツテ」
帰つたのですが。その時は、私がタバコを「スワ」ないでいると「Bは私にタバコ
に火をつけてくれ、そして「カタ」目をつぶつたのです、その「カタ」目つぶつた
のは、うまく云つて呉れと云う「ナゾ」でしよう、そのようにBは私にしたのであ
りますその事を警察のかけて云るのであると思ひますBの云つているように裁判官
が罪をきせようと努力して居ると云つているのです、そんな裁判官がいるでしよう、
「シヨウキ」ではとても考へられません、まつたくBはデタラメを云つている事を
Bその者が云つている一つの証拠ではないかと考へて居ります
 (三)(三所で証人B八海が犯行のあつた、二日前にa町のx停留所の所でBが
Aにたいし馬車の箱をひつくり返したので何とかせんにやならんが十九日の晩にき
めたのそやろうといつた、という証言であるB判決はこの立ち聞きの証言によつて
被告人らの共同謀議がなかつたとは云ふなという、意味の断定をしている、しかし
この断定の云葉もよく読むとちよつと変つたとも思える、推認しようところであつ
て共同謀議に確証がないとはいえない、と云うのだが推認しうるということはいつ
までたつても推認であり推認が転びを確証になるというのは言葉のアヤを使つてい
るような印象を与える言葉の「アヤ」で死刑にされてはたまらない、
 (ウ)正木氏が云つているように言葉のアヤかも知れないが、その時の話しは、
アヤではない、前、(ロ)の所で申して居りますようにBは云つているのであつて、
あんな云葉であるから、他の者が聞てもよくなんの事かわ分からないのである、そ
れはK方に行く事であるが、あんな話しであるから人が多さん居ても誰だつて云う
であろう、もし云つて人に分かると思つたらBは云わないであろう、人に分つて事
件を犯かさない内に、つかまつてしまうであろう、だからそこをうまく云つたので
ある。
 (四)(第四)この判決では悪性の人物からこれこれの事をしたろう、と云う順
序になつているが前のアリバイのところでも「推認」の根拠として「Bの性格とい
うものがあげられているが性格が悪いから、アリバイもウソで固めているのがとい
う論法なのである」
 (エ)Bは私が公判で事件を返さないので色目を変て私に対してはそれとなく強
く云ひ、すなはち、脅迫するようなたいどの口で申すのが目に見える事は明らかで
ある。Bはたとえ、私と犯罪をおかしていない者なら、そんな「たいど」はしなく
ともよいであろう「自分は正しい事を云つているのだ」だから正しい者がカツと信
じていないからである、私はBがどんな事を云つてもよい、正しい事を云つておけ
ば最後には正しい者になるのだからと信じて居りました。悪性の人物だからこれこ
れの事をするとは云えないけれども、Bが自分の心がとがめるから、私にそのよう
な「たい」どをして事件を返せようとするのである、
 (五)(第五)(五八頁)この二つの判決理由の中の人物論をみるとBは親分肌
の遊蕩児ですこぶる奸智にたけ部下を操することが。うまく、犯跡を残さないよう
に十分に兇悪犯罪を実行し、けいさつでは部下にわぢと真実をかくさせろ犯人を一
人多くさせたり、つじつまの合わないように自供させておいて裁判になつてから「
ヒツク」り返す云す、準備をした。
 (オ)Bが親分と云うのではないが、今までBの云うによつてなに事も私はして
きて居ります。Bは犯罪を犯す時は研究に研究をしてから事件を犯かすのである。
Bの悪知恵と云うものはすばらい考へをもつている。Dも前には強盗事件をおかし
ている事があるので、犯罪については、警察や裁判所のうらと云う者をよくしつて
いるのである「一つれいを上げて見る」と、Bは私に「こめ」をとつてこい「それ
は、判決にあるコメである」、おれがいくとよいが、おれが行つたらもしお前がつ
かまつた所には、お前の事を云つてくれる者がないおれがいて、おふくろにお前が
うちの家にいたと云わさせなければいけない、又ハキものは、お前の足より大けな
者か、又小さい者をはいていけよ、他の誰かの名前が書いてある「タオル」みたい
な者を、おとしておくといよい、又雨の降つたあとには足のあとがつくから右にか
えるのう、わざと左に少し歩いて行つて、そのほうににげたように見せかけるとよ
い、と云つたので私はTに行つて、こめをとり、Bと二人で自転車につんで、Vの
家の前でくると、お前がもつて行つてこいおれが中にはいるとくわいがわるいから
と云つて中には、はいりませんでしたのはどうしてであろうか、家の中に二人がは
いるともしのばあいは、Bも共犯であると見られたらいけないからであろう、又私
に罪をきせようとしたのではないであろうか、
 (六)(五八頁) 又Aは年少者であり、口の軽い、オツチヨコで、Bをしたつ
て弟のようなつもりでいつも悪の手先となつてBに忠勤をつくしていたとされ又B、
四人はAをバカ者あつかいにしてくわしい事は彼に知らせなかつた、そしていよい
よとなると人のいいAだけが一人で罪を背負つてしまうように圧迫されている、こ
の人物論跡は判決の理由として述べられているようであるから街の人物評論とちが
つてこの評論がそのまま死刑に連続しているわけであるが私は「フと」こんな疑問
をもつた。Bがもし判決で云つて居るような用意周到の男だつたら、どうしてAみ
たいなたよりない男を五人組の仲間に入れたのだろうか一人でも弱体な構成部分が
あれば鉄の結束もそこから崩れさることぐらいは悪党なら分かりそのうものだ
 (カ)今頃になつて私は気がついたのでありますが。Bが私を馬鹿者あつかいに
していた事は、私とBとの中でそんな事はないと思つて居りましたが、今までの事
を考へてみるとBは私をバカにしていたのでしよう。その馬鹿者を事件の中にいれ
たと云う事も、私は考へられない、けれども正木氏の云うように、一人でも弱体な
構成部分があれば鉄束もそこから、崩さる事と思われる、その私を五人の中に入れ
たのは、B達と酒をのんでその金があり又K方に行く事を私に話して居るので四人
がいつたら私に、かんずかれるので、そして、云われるおそれがあり又K方を私が
よくしつて居る事と、又Bとはいつも少さな事件を犯していたのであるから、私を
つれて行く事をきめ、又Bが「アアセイ」こうせいと云つてつかうのにベンリがよ
いので私をつれていつたのである、他の四人ではそんな事を云つてツカウ事が出来
ないからである、正木氏が云つて居る事になればBは私と小さな犯罪をおかしてい
るのであろうか、それは、私をつかうのにベンリがよいからであるからどうでも私
をつれて行つたのである、
 (七)しかし判決の云うようにAがBの云うにしたがつて犯罪にまつたく関係の
ないAqをくわいて六人で実行したと述べているあいだにほかの四被告人は五人で
実行した真目信じているのだとするとBをふくめて四名だけがBの言にしたがわな
かつたということになるAが六人説をとなえていたときほかの四人名も同時に六人
説をとなえた云うのであればBの云ひというもの考がハツキリ分かるのであるが、
Bじしんが六人説を持ちださないと云う事となると論理がオカシクはないか、
 (キ)Bが六人で云つて他の三人が六人と云はなかつたのならBの云うにしたが
わなかつた事になるがBも五人と述ているのであるからBの云うにしたがはなかつ
た事にはならない、B等は、六人と云わなかつたのは、私がさいしよに警察で私が
一人と述べて居る事を知つた四被告人は、B方か、又とこかにあつまつて、うちあ
はせをして居る事であろう、それは警察がきてもとぼけて警察にいこう、Aにあの
ような事を云つているから、おれらわAが云つているように述べてはいけないと色
々と話しをして居るからBも六人と云わなかつたのでしようとして私にみんな罪を
きせようとしたのでありましよう。それはどんな事から私に考へられるかと申しま
すと昭和二十七年九、十月頃ではなかつたかと思ひますが、私が二房にはいつてい
るとBが外から私をよぶので、窓にのぞいてみると、Bは「お前がどうしてもおれ
らの云うとりにならんのなら、お前はそんするぞ、おれらはちやんと話をしてある
から「セワナイ」と云うので私は、「とうふになつて居るのか」ときくとBは「き
くか」、と云うのでいるとき「カンシ」の人が話をするなと云われたのでそれぎり
なつたのであるが、Bは私にそんな事を云つているから、話しはしているなと云う
事が分かるのである。
 (八)(六一頁)八海橋集合
   まず老夫婦のところへ強盗に行くのに五人組と云うのは常識的にみて人数が
多すぎるのではないだろうか」
 (ク)一人でこれだけの仕事が出来るであろうかしかも、Kさんを、ちょうので
たたき、Aoさんを手で首をしめ、首つりをしたようにするのに一人ではできない、
Kさんをたたいて、Aoさんをしめるのであるかそれかとてもこそがしい事であろ
う、私とB、D三人で「ヘヤ」にはいつたのであるから、多すぎるにともない又三
人であつたから「それはヘヤにはいつたこと」それだけの仕事がふつくり出来たの
である、
 (九)(六二頁)「又集合してから取りきめた各自の分担がありまりにも細かす
ぎるようではあるまいか、怨恨の殺人ならともかくそうでもないのに侵入前から夫
婦殺害を決定し、そればかりか、その後にやるべき夫婦自殺装のための首つりの細
引の捜し役まであらかじめきめておくとは正気のさたとは思えない
 (ケ)K方に金がある事を知つたDは、金が出ないときには、Aoさんを、おど
さなければいけないそうなると、事件になつて事が大けくなるとうるさくなるので、
考へ事件にしないように考へたのである。又ニゲる事も考へたのであるが、とにか
く金のもくてきであるから、事件にしないようにして金をとる事を考へたのである、
しかし、正木氏は、そんな事は、ウソであるときめているが、私の云う事がもしも
ウソであるのなら、正木氏が私に面会に行たとき、B等がかんけいないと私が云つ
たのであるがそれなら、正木氏はどうしてB等とやりましたと云つたのですか、そ
れは木当ですか誰の前でも申されるですか、一審二審、どうしてあんな事を云つた
のですかと、それからまず私に尋ねなければならないのに。私がB等はかんけいな
いのですと云たら「そうですか、Bは今に死刑になりますよ」と云つてわらい「も
うウソを云つてつまりませんよ「管理部長さんも聞いて居られますからね又書いて
もらつているのですよ」とこんな事よりほかに尋ねた事はないそれはBがかんけい
ないと云つてくればよいのだ又その証拠として書いてもらつたのである。私の云う
事はウソである事を知つているのなら、私がよんでも東京からわざわさ面会にくな
くともよいであろう、それはBがかんけいないと云つてもらつてもらおうと、思つ
て面会されたのではないかと考へます。B等がかんけいない事を信じているのなら、
どうして、あんな事を云つたのですか又こんな事をどうして云つたのか又Hとの共
犯を尋ねかたより外に尋ねる事が多くさんあるはずのに又警察が拷問をかけたと云
うのは本当ですかと、そんな事を、くわしく尋ねなければならないのにそんな事は
一つも尋ねていない、君は警察で拷問をうけてきずがあると云つて居りましたか、
それはどこですかと云われたので私はこれですと云つた所でもこれは本当でありま
すか、」「テジヨウでこんな所にきずかつきますか、といわなけれはならないのに
正木氏のりつかよいのは本当にして、他のHとはウソであるとききている現在でも、
そのきずはありますか、これは誰がみても「テシヨウ」のキズかすぐわかるのであ
る、そのすぐわかる、きずを、私はなぜ云つたかと申しますと原田氏が私に面会さ
れたとき、貴男は警察で拷問を受けて、きずをしたそうではないですか、私はいい
え、と云つたら」証拠があるとよいです、と云つて居られたので、その後、面会さ
れたので、警察で拷問をうけたときのきずはこれです。と云つたら。「これはよい
ですね、これなら、ちよと、そつとではきえないね、一度、この「イシヤ」にみて
もらつておくとよいですねと云た事はあります。だから原田氏もこれはテジヨのキ
ズテはないと云う事もしつていられたのではないかと思ひます、いずれにしても、
こうして証拠をこしらえておけばよしと云う事である、だから、正木氏の私の尋ね
かたでも、あんな尋ねかたをしたのではないてしようか、
 (十)(六、二頁)しかし広い世の中には精病者も多い右の事がほんとうだつた
らやむえないが、しかしこれだけの折合わせをするのにいつたい時間的に何分ぐら
いかかるだろうか、とても五分十分ではすむまいと思うが、
 (コ) 私の知つているのは、十九日M旅館と、二十二日x停留所のときと二十
三日夜B方のふきんで、話したのと、二十四日夜八海橋にあつまつたときに話した
ので、二度に話したのでないから、正木氏が云つているように時間はかかつてはい
ないのである、私が知らない所にも話しているのではないかと思つて居ります。
 (十一)(六、三頁)またCが八海橋の集合てときにBから指定された役割にし
たがつ、Aoさんの首つり用のロープを捜してきたと云うこともほんとうなら仕方
がないがあまりにも、ツジマが合いすぎて不自然な感じがしないだろうか
 (サ) 二十四日夜八海橋から歩くときBは私達四人は、かく、仕事を、はりあ
てて、いたからCが「ロプ」を持つてきたのである、正木氏か考へるにこんな所が
へんな、又どうしてあんな事を云つたのか、私に面会のときにきくべきであるこん
な事を尋ねないのは、私にBらがかんけいないと云つてくれと云わんばかりの事で
あろう
 (十二)(九、九頁)死の恐怖バラトツス」
 同判決ではこのデタラメの供述をわざと真実を隠したと思われると評しそのデタ
ラメな事をそれ自身かどつはBの指名による事実の行動であつてまさにAが裁判所
になじて内情暴露した供述とビクリと符合する、したがつて四被告人がデタラメを
云えば云うほど、それはAの自供の真実を示すものであるからしたがつて同時に証
明されると断定しているだけこの論法はなかなかむずかしい論法である「彼は人を
殺しても殺さないという男だときめられたら彼は殺した、といつても罰さられるも
殺さないと云いばお前は殺したときに殺さないと云う男だから殺したにちがいない
といつて罰せられるいわゆる、バラドツクス逆理の論法であつて、」
 (シ)これは正木氏の云訳であり、又、口実であるとも云えるのであろう、私や、
裁判長かバラドスクなり正木氏はなんであろうか、正木氏は「バラトツクス」では
ないであろうか、正木氏は、共犯者がいると云えば、「いたい」、「いない」と云
えばいると云つているではありませんか、
 (十三)(八、七頁)「警察は何をしたか」
 最後の何回かまわしましたと云う意味がよく分からないが私はAがロープで死体
を引きあげるためにロープを鴨居越しに引張つたと思うそうでなければ鴨居の擦れ
跡はできるはずがないもちろんAoさんが出刃庖丁でむかつてきたと云うのはオカ
シイ」
 (ス)私がもし一人で首りをしたのなら、ロープをくくつた事もよく知つて居る
のでそんなたよりない事を云わないである。私が本当にくつていない者であるから
なんかいかまはしましたと、ほやしているのである。しかしわざとそのように云つ
たのだとも考へられるものであるがB等であつたら云つているかもしれないが、私
は、馬鹿正直に云つて居ります。それがロープの事でなし他の事をウソを云つたの
は、Bが云えと云つて居たからである、
 (十四)(一〇五頁)Az捜査主任はAが血がついているのにに少しも血がつい
てなかつた事を不審に思つたのであろう同主任にたいするB供述書の最後の部分は
左のようになつているそれは「Bgからわりあい早く帰つたのでそのとき風呂に入
りました事件をやつたが体にあまり血がつかなかつたのと帰りに海で手を洗つたの
で帰つて風呂に入りませんでした」と云うているが
(セ)Bのよな人間か帰つて風呂にはいらない事はない、これわBgから帰つたと
きは、はいつていないでK方を出て帰つて風呂にはいつているのであろうK方に行
つたときは、B、D、Eはほうかぶりをして居りました。私に血がついているぐら
いであるから、Bにも血がついているのである、しかもそれがBが第一回になぐつ
ているのである。その血のついたのをかたずけているのは明かである、返えり血と
云うのは第一回の者より他の者には、つかない事はそうであるが、なぐつた「ズン
バンハ」BD私、Eはまちがいない、それが私に血がついているのは、Bが一回め
をなぐるときにはそこにいた、そしてAoさんがぬしとだとか云つてにげかけたの
で私が云つておさえたのであるが、その行くときでも血がついたのではないかと、
考へて居ります。それでなければつくはづがない、と思つて居ります。
 (十五)(一二六頁)床下侵入口は夫婦の寝に接近しているうえに図面(第14
図一二七ページ)にあるとおりその前面竹竿が数本つみかさねられていてこれをか
たづけなければ羽目板をはがすことはできない又現にはがした羽目板口釘のところ
が割れおちて新しい木地が、露出しているほどであるからこの床下口から入るとす
れはその前後にすくなくとも五分間ぐらい大けな音響か連続したにちがいない、こ
の音でK夫婦が目をさまさぬはずはない、
 (ソ)この床下の板は、どんな板が現物を見ればよくはかるが、二分板のスギ板
でしかも古い板であるから、正木氏が云うような、大けな音はしない、少しぐらい
は音はしたが、その音で、そこにねていたKさんが目をさますような音であない、
又竹竿はあつたがそれをのけるのに一分もかかるはずがありません。
 (十六)四合ビンかなサイダービンに焼酎をつめかえたと云う事は心理学的にみ
てAが侵入当時すくなくとも四合ビンの中に二合ぐらいは焼酎を所持していたと見
るべきで、Oの女房がAに与えた量が二合だというのであるから午後七時半にO方
を出発してからその焼酎を飲みおわらないうちにAはK方に到着したということ
 (タ)これは、私が栗本検事さんの目の前でやつて居りますが、正木氏が云つて
いるように時間はかかつては居りません、又、誰が考へて見ても、正木氏が云うほ
ど時間がかかるであろうか。又私がどうしていれかえたのかと申すならば、八海橋
の上でB達がのんでいるので、もういくらもないのでみんなのまれてはいけないか
ら、Bにそのビンのからを見せるためにいれかえたのである。
 (十七)(5)戸外便の外に脱糞してあつたと云う事実は夫婦喧嘩という自殺擬
装とまつたく矛盾するしたがつて擬装は殺害後色々着想したものであつて脱糞とい
う顕著な既成事実を忘れてしまつたほど犯人はあはてていたものであること(共犯
五人で一人だけ脱糞というのもオカシイことだ
 (チ)正木氏の云うのには五人がK方に行つたのなら五人が脱糞をしなければい
けないと云う事であるがそんな馬鹿な事はない、Bが云つていたが誰かが脱糞をす
ればまんがよいと云つていたので、私とDがしたのであるが、私が一人であつたら
そこに外の便所があるのでその便所の中にはいつてするのである、それが出来なか
つたのは、そのときDがその便所にはいつたからである、正木氏が云つて居るよう
に私の一人の事件であつたら、そこの外便所にはいつて、私は脱糞をするのであり
ます、これからみても他に共犯者がいた事は分かるのである、しにくい所でしない
でも便所ですればみやすいのでその便所にはいつて脱糞するのであるがそれがDが
はいつて居たから、私は便所にはいる事が出来なかつたのであるだから他に共犯者
かいるべきとみるのが正しい事である、
 (十八)(6)AがP自動車店に行つたときは素足にゲタばきであつたというが
一月二十五日の厳寒の真夜中の外出にどんな分見え人でもはじめから素足ではない
と見るべきだろうから犯行のときにはいていたタビは捨てものでありK寝室の畳の
上に一個残つていたタビの足跡はAのものと認むべきなのにAが素足と自供したと
いうのでこの点を調べず別人としたのは軽信であること
 (ツ)私はそのごろ二十三日、四はy川に、「オオガイ」をとりに行つてタビを
ぬらしたので又、ぬいだそのままで、はかなつた事は事実であります。それは私が
Oにいつた時もはいて居りませんでした、正木氏か云うのは、いかにも見たような
事を云つているが、よくもそんなデタラメが云える事であります、私等の悪人が申
立たてるならはなしも分かるのでありますが、正しい裁判に立つて公正なる裁をし
ょうと云う人がそんな事では正き裁はで来ないであろう、血がついてタビをすてる
ぐらいであつたら、ズボンもスてるはずである私がタビをはいていなかつたのは、
足のうらに血がついていた事からみてもタビははいていなかつたとすべきである
 (十九)(9)dを捜査した結果出たものはAのものとK方のものだけで四被告
人の自供したものは、一つも出ないし四被告人と関係のあるものも一つも出なかつ
たこれも検察官としては重要視すべきであつた事、
 (テ)私は八海橋の上から「ステた」者はないのでありますから私の者が出るは
ずがありません、私の者と云うのは、なにをみてそのような事が云えるのであろう
か橋の上からステたのは、BとDEである、そのすてた者はなにかよくはからない
がすてた事は事実であるそれは、B等がふくめんしていたのでその者をすてたのか
又手ぶくろをすてたのではないかと思ひます
 (二十)(10)警察の方ではCやBの内妻がK方にあつた新しい、十円紙幣と
同番になるものをもつていたというがAの第六回供述によると「私はCEDに金を
千円を渡しましたBは二千円か三千円ずつやりましたとなつてCに十円紙幣をやつ
たという供述は全然ないから同番にえの十円紙幣というのは根拠がオカシイはずで
あること
 (ト)私はBがのけておけと云つた、金をむりにのけないでもよかろうのにと思
ひとつた事をBがカンずいたのでしょう、それでBはおれがのけておけと云つた金
をつとたのではないかと云つたので、むりにのけなくてもよいではないかと云うと
馬鹿者せつかく夫婦ゲンカにみせかけたのに金が一つもなければだれだつておかし
いと思うではないか、そんな事がわれに分かるまいゲーその金はどのくらいあるか
と云うので私はたしならDらにやれと云つたので十円もだしてやり又千円も出して
やつた事はあります、又Bも他の三人に金を出して居りましたのは事実である、
 (二十一)(一二九頁)池田検事は、昭和二十六年二月三日からAをしらべはじ
めて山口地方裁判所岩国支部で第一回公判が開かれる五月十四日までに九回しらべ
ている池田検事が客観的事実を尊重すれば四被告人たちを即時釈放しなければなら
るまいもちろん、これは、山口県警察部にとつてゆ―しい黒居となるまかりまちが
うと多数の警察官の拷問事件までおきる可能性があつた私の想像だが池田検事は四
被告人たちのえん罪なることを感知したから警察の面目をたてるために、いちおう
四被告人を起訴して判断の責任を山口地方裁判所岩国支部の裁判官の手にゆだねた
のではあるまいか
 (ナ)正木氏が云うように少しでも池田検事が知つていたら裁判官の手にゆだね
まい、なせならば、裁判官の手にわたすと、検事がBは、この事件にかんけいない
事が分かるくらいであるから裁判官にはなをさらはかるので、そうなると警察の拷
問事件はますます大けくなり、面目を立てるどころが悪くするので、池田検事の手
でうまくまるめてしまうのである。であるから池田検事はそんなばかな事はすまい
と考へるべきであろう、
 (二十二)(一三〇頁)Aの迷によると五人がKの屋敷に着いてからA一人だけ
が十六夜のこうこうと照るところで脱糞をはじめたところ、Bはそのそばのガラス
窓をガタガタと音をさせながらあけよとしていたが開かなかつた、Aが「どうした
か」と聞くとBがあかないからお前の懐中電灯を貸せ」というのでAが貸してやつ
たそこえDがきて窓があかんにや、これでやれといつて金棒みたいなものを貸した」
と云う事である、
 (ニ)この二十四日夜は月があつた事はあつたように思うが、しかし正木氏が云
つている様にそれほどこうこうと照るつてはいなかつたのである。その晩はクモが
出てAlさんの顔がうすらとみえるぐらいの晩であつたのであります。月が出てい
たと云つてもこうこうと照るほどの月ではなく、小さなはん月であつたのでありま
すがこれは正木氏が大ケタ書いた者である。
 (二十三)(一三一)バ―アルについて帰途八海橋の近くでAがDにかつたの返
還を請求されたと右の事情を話したらDはびツクりして「あつシマツタ」しかたが
ない」といつたというのである、なぜならDの家と現場とは百メートルもはなれて
はいない「シマツタ」と云う必要はなくすぐとりかえしにゆけるはずだ。
(ヌ)Dがバールをかくした者でなく、又土の中にさしこんだので、とこにあるか
分らないのでDはとりにゆかなかつたのであつて、又だれがみてもすぐはかる者で
はない土の中にうめれてあるので、いつでもとりにゆける事と、又私がその晩ばD
わかれたのであるからDはゆかなかつた事であろう正木氏は私に面会したときにこ
んな事を尋ねるべきであろうのに、こんなことは一つも尋ないで、ただBがかんけ
いない事を云つてもらえばよいと思つていたのであるそしてこんな事はかつてに書
いたものである、又原田氏は私に面会されたとき左の様な事を云つている、この、
バアルは、Bhさんや、Alさんがかくしたのではないでしょうか「私はそんな事
はないでしよう」貴男が一番きをつけなければいけない人はだれですか。私は「そ
れは、どう云う事ですか」と云うと、「原田氏は、「こんなものをつくる人です」
「こんな者と云つたのはバ―ルのシヤシンをさしていわれたのである」まあBhさ
んとか又AlさんとかAzとか云う人がくさいと云う事はないですか」とこんな事
を云つたことがあるが、これは、私にBhさんがバ―アルをかくシタものとか又A
l、Azかつくつたものと云つてくれと云われたのではないかと考へて居ります、
私はそう思つたのであります、
 (二十四)(一三二頁)彼一人が自宅に帰つて、オバーをぬいで活躍の準備をと
とのえたと云う事はなつてこの事実と烏合の衆のような五人共犯説とどう調和する
のだろうかしかしAがオ―バを家においた事実はここ一カ所だけに記録されあとに
も先にも、だれもこれを問題とサず不用のまま、二つの裁判がおわつてしまつたの
である、
 (ネ)私は私の家の中にオ―バをぬいておいたのではありません。私の家は道の
へりであつて家の前には原木があつたのでその木の上に又家のノキ下の木の上にお
いたのであるから時間のうチにはいる事はない、正木氏はこれも尋ねるべきではな
いであろう、
 (二十五)(板戸の突き傷)
 板戸に小刀を突きさしにオトシ錠の位置をさぐり(ジツサイにワオトシ錠はなか
つた」それが九個におよんでいることは一つ一分間としても九分間は傍観していた
ことになる
 (ノ)正木氏の云うのには、一つあけるのに、一分かかると云うのであるが、そ
んなバカな事はない、「雨戸の板戸と云うものは、どこの家の戸でも、きまつてい
るものである。その戸の板のあつみは二分であつてしかも、スギ板であるから九個
におよんでいても一分もかからない、いくら音をしないようにしても、それほどか
かる者ではない事は正しい人の考へかたであつたらだれが考へても、又やつてみて
も分る事である、悪い事をするのに、時間をかけてする者がいるであろうか、まご
まごしていたら、すぐつかまつてしまうのである、この様な板戸の事も私に尋るべ
きである、それはBがこの事件にかんけいないと信ずるためには、どのくらい時間
かかつたのですかと尋ねるべきが当然である、それなのに、このような問題になる
事は一つも尋ねていないのは、なぜだろうか、今まで、の二つの判決ではAの一人
の仕事ではないB等といつしよである、と判決が下されているのであるからB等の
云う事ばかり聞くより、私の云う事を聞く事が、本当ではないであろうか、それは
「君は今まで一審二審ではB等とやつていたのは、どうしてそんな事を云つたので
すか又でも一審二審ではBらとやつたと云つていますね、B等が君の友達であるか
ら、たすけてやろうと云う心になつたのではないですか」とこのように一度、私に
ためしに尋ねるべきである。そして裁判で問題になつた事をくわしく尋ねてこそ、
B等は無実であるとか又Aの云う事はウソであると云う事であるなら話しもわかる
が、ただB等がかんけいないのですか、警察で拷問を受けたときのきずはどこにあ
るのですか、又Hとやつたのはどうふにやつたのですか、と云つているがこれだけ
の尋ねかたでB等はかんけいない又Aが今まで云つたのはウソであるとキメてよい
だろうか、又これだきの尋ねかたでは本当の事は分る者ではない、いくら裁判所の
キロクをみたと云つても、B等が犯罪を犯していないと云う事が分るべきではない
(二十六)(一四五頁)弁護士の壁、三十分か三時間か、
 物的証拠にのこつた犯行の跡だけをたどつてみてもたとえ犯人が五人であろうと、
一人であろうと、休みなく実演したとしても正味最小限度二時間以上はかかるので
ある、この時間は物的証拠の問題だから絶対に短縮することはできない、K方滞在
二、三十分の仕事ではない
 (ハ)私達の犯行の時間の跡だけをたどつて「キオク」してみると左の様になる
 (1) 八海橋からK方まで(五分)
 (2) 便所のカラス窓から侵入し板戸をひらくまで、又私が床下から土間に出
るまで(十分)
 (3) 焼酎をつめかえ、カツテ口や、北裏口などの戸をひらいて上に上がるま
で(五分)
 (4) 夫婦殺して金をさがし、首つり血塗り灰まき、(十五分か十八分)
 (5) 戸をしめて出るまで(五分)
 (6) K方から八海橋まで(三、四分)帰りには早く歩いていたので、行くと
きよりも早い
 (7) 八海橋からC方まで(十五、八分)
 (ニ)計一時間と五分
 これは事実犯した者であるからキをくがあつて云う事が出来るのである又家の中
にいたのは、三十分もあれば五人であるからゆつくり仕事が出来るのであるしかし、
正木氏の云事によれば一人であつても五人であつても時間は同じであると云うので
あるが一人りが仕事をするのも五人がするのも同じだと云う事と同じであるがそん
なバカな事はないこの様な時間を問題にして、世の人に疑問を抱かせよとしている
証左である。
 (二十七)(一、一、三頁)Dの自供、この供述をもし心理学者が見たらこれだ
けでもDのえん罪は十分に分るのではなかと思う、それは第一回はチンプンカンブ
ンの供述だが二回三回とするとにしたがつて、共同議謀議のことなどはDの供述が
いちばんくわしいことになる
 (フ)DはBと同じ様に犯罪を犯しているのは、二、三度もあつてその犯罪と云
うのは、窃盗や、強姦、や強盗事件もある、その中の強姦はDが光の「バクゲキ」
で気がくるつてした事にしてdのみんなが警察に行つてたのんだのでその強姦はの
がれたのである、だから私等と違つて悪かしこくて警察や、裁判のうらと云うか、
そのうら道をよくしつているから、わざとそのような事を述べているのである。そ
れは犯罪をおかすときいつていたように、BDは今頃は証拠さえなければせわあな
いと云つて、又よく考へた上で犯罪を犯かすのてある。又血かついたら「アルコオ
ル、カキハツウカ、又は石油でフケばとれるとBが云つていたように、これから考
へてもBの考へはどれほどのものがわかるのではないでしょうか、又このアルコオ
ルとか云つたと云うのは正木氏はAがウソを云つていると云つているが、私の考で
そんな考が出るであろうかそれほどの考へもつているのなら血のついたそのままほ
つてはいないであろう、Bが云つたがそれほど私は問題にしていなかつたのである。
(二十八)Cの自白、
 ただいま申上げたことは私として絶対にまちがいないと断云できます。
 多少の小さい考ちがいはあるかもしれませんが全部申し上げました、本当に取り
かえしのつかない馬鹿な事をしました。その中でも私やDEの三人はとくにバカな
目にあつたと思ひつて、くやしくてやりません、BとAは相当よい事をしたと思ひ
ます。どうか御寛大にお願いします
 (ヘ)Cが警察で拷問を受けて苦しまぎれに云つた事ならこの様な云葉が云える
だろうか、なぜならば、もし、警察で拷問を受けて苦しいまぎれに云つた事になれ
ば、その場のがれで、Cの「リツ」のよいように云わなくても、本当に犯罪を犯し
ていないのなら、こんな事を云わなくとも無罪になるのでこんなバカな事を自白す
るはずがないDの自白のように、チグハグナツていなければならない、又警察が「
コウだろう」ああであろうと云つたのでハイそうですと云つたのであつたら、警察
官がそんな事を云わないでもよいだろう又そんな事を云う者人はない、これはCの
本心から出た自白であつて少しでも罪をかるくしてもらおうと考へ又バカオしたと
悔悟していた云葉である、しかしB等の手前があつて、その後否認したのである四
被告の中ではCが一番、すなをな者でありますが、そのはんめんには、ぎりがたい
所もあります、Cが今になつて本当の事が云えないのはB等の手前があつて本当の
事が云えないのである、又警察が拷問をかけてない事は私も、もちろんされて居り
ませんが、私が六人と云つていた、Aqが逮捕され終始否認していたのかかわらず、
二晩留置されただけでベツダン暴行や、強制を受ける事なく釈放されて居る事から
みても、ゆはいる、警察の拷問はウソであると考へて居ります。
(二十九)(現地を探る)(一八八頁)
 犯行のおこなはれたK氏の宅にはたびたび証人に出ているBhさんがいた。同氏
は、われわれが四人のえん罪の調査のために来訪したことを知つてひじょうに不機
嫌であつた、Bh氏はAがBらにだまされて犯行をおこなつたものだと信じこんで
いた。Aが五人の共犯を自白してくれたことを徳とし彼にひじょうに好感をもち差
しいれをしたり裁判所にたいし減刑嘆願書を出していた。のである。
 (ホ)私はBh様に御詫びの手紙を出した事はありますか、Bh様から手紙をも
らつた事もなければ、差しいれをしてもらつた事もなければ、減刑嘆願書を出して
もらつた事もないのである、これは調べればわかる事である、又私が五人と云つて
くれたからBhさんは「徳とし」と云うのであるが、私が一人と云つても五人と云
つてもBhさんには、かんけいのない事である、このようなウソと云う事は正木氏
にわかりきつて書いているのであるか、ばれたときには、Aが云つたとか自分のソ
ウゾウだと云訳するにちかいわないが今更云訳がとうらないであろうこのような事
は原田氏からも聞いた事はない、正木氏の作り事であるであるから、私はふと、こ
んな疑問をもつた、正木氏の考へはウソでもよいから、世の人か興味と疑感を抱か
せて、本がよくうれる様に巧妙に金もうける取欲くを考へている証左である、すな
わち狡猾な弁護士とも云いうるだろう。
(三十)(一三六頁)
 すなわちBとBi証人とが十時三十五分か四十分にAtの近くで会つたというの
はBi証人の時間の計算に誤りであるBi証人はAtが十時十五分におわつたと思
つているがそれは、十時だしたがつてBとBi証人とが、Atの近くであつたのは、
十時二十分か二十五分だ」とB判決は断定したのだ、これはBのアリバイを排斥す
るB判決のもつとも鋭く見える個所であつて、しかも、トンダまちがえであるか、
それはのちに記することにする。Aの右供述によるとBがBi証人と会うよりまに
すでに八海橋の向こうがわでAl証人とスレちがつているというのであるからBの
方がAl証人よりさきにAtの所をさつて八海橋附近まで来ていなければAlとス
レちがう事が出来ないはずだ。(マ)これは、Al証人が云うのが正しいと考へる
べきであるなぜならばAl証人はBi証人とちがつて、浪花節がすんでもすぐ出る
はけにはいかないそれは、はきものをとらなければならない、そのはき者をとるの
であるが後と行けば、どうしても十分十二、三分はかかるのである、それほどかか
るのは早く出れば早く出る事が出来るか、Al証人はそんなにあはてる人間ではな
い事は私はよく知つている、そのテンはBi証人は、いぐでも出る事ができるので
ある、Bi証人が浪花節がすんで十五分ぐらいして出たと云つているがそれはそう
思うたいどである、Bi証人の時間が正しい事にすれば私と八海橋でAl証人とス
レちがう事は出来ないのである、ゲンにAlとは私達とは云つているのであつて、
Al証人かAtを出てから十時のサイレンがなつたと云つている又サイレンを念頭
におくものであるから信用するべきである、Bi証人はAlよりAtを十分ぐらい
早く出ているのである
  (三十一)(一六六頁)第二審における裁判長の詳細な尋問が小竹判事のこの
短い尋問によつて判決では全面的に抹殺され上申書が法廷における証云にかわつて
しまつたのである、しかしこの巡査が上申書はまちがつていたあれは上司と相談し
て書きましたと云えばすぐさま自分の生活の死活に関してくるのだしかしBjの上
申書が生るとなるとBkがBg方を出発したのが十二時近くなりしたがつてそれよ
り一時間前に出たBは十一時四十分頃にBi証人に会う事になり、Atがハネタの
が十一時頃となる、
 (ミ)Bj証人は、第一審の公判では「私がチヨウシヨウ書いていたら、ねてし
まつて目をさまして自分の時計を見ると、十一時過ぎていました、もうおそくなつ
たと思ひC方の「ハシラドケイ」をみると十一時四十分か四五分ではないかと思ひ
ますと云つて居りますではありませんか、Bj証人とCの母とはどれほどの中であ
つたか?。しかも肉体関係までしている仲のよい二人りであつた。その者がなんと
かして助けてやろうと思つたのだが、ウソを云えば分る事であつから一審では本当
の時間を云ひそのご、二審では返したのであるその時間を十一時四十分である者を、
十時四十分と、なおしたのはCの母親Bl氏が十時四十分と云わさせたのである。
それは昭和二十八年三、四月頃に私が運動に出たとき、Eが私に、「Bj「ジンサ」
はこの前の実地検証の時に証人に出て、うまくいつてくれたから、こんどはお前さ
えうまく云つてくればよいCのおばさんがBjにたのんだので時間はなおしてくれ
た、」と云つてのであります。すなはちBjに二審の証人ではCの母にたのまれて
Cを助ける事に決心をしたのである又Bは自転車でCと二人のりして帰つたのであ
るがその帰る途中に自転車の「チーン」がきれたと云うのであるもちろんBi証人
が会つた時は、自転車をおしていたと云つているからチーンがきれていたのである
としても、どこできれたかが又Bの云う事を信用すべきでかである。Bは、そのチ
ーンがきれた事をよい事にして、そのきれたところを作くるとこの時間があはなく
なつてくるから「ウソを」それはキレタ所を考へ自白して居る事である事を考へら
れるのである、B、CがBg方を出たのが、十時前には出ているはずである。そし
て十時五分前頃にa町Bm店前でBi証人と会つた事になるのであるこの時間は、
物的証拠の問題だから絶対に短縮する事は出来ない、したがつてBが八海橋にきた
のが十時十五分頃にAlとスレちがつて「それは私五人の事」いるのである、この
ように時間的にヘンに思われる所があるので、そをよい事にして問題にしているの
であるがなんと云うムちやな書き方であろう。
 (ム)正木氏の手紙の中にこんな事が書いてあつた「人間は一度ウソをつくと後
は中々信用してもらえないのです。私はやはり君が酒をのみすぎて自分でもわから
ないほどやつてしまつたものと考へて居ります。」この手紙をよんだ私は、私の一
人の犯行と云つてくれ、もう服役しているから罪はふえる事はないから前にFと云
う人をだしてそれを返しているから今云つているHと云う人も死んでいるのでウソ
と云う事になるからそれよりも一人と云つたほうがよい、と云つているのだと考へ
て居ります、
 (メ)又こんな手紙もきている、「この事件は今や天下に知れわたつて来ました
ので警察では五人を共犯説を本当のことにしなければ自分達の首があぶなくなつた
のであわてています、きつと君の方へも何とかはたらきかけていつたことと想像し
ています、そんな事をすれはいよいよ自分達のやつたインチキとごうもんとか明る
みに出るのですが学問のない警察の人たちにはそれかわからないようです。
 これには警察が私の方にはたらきにきたような事を書いてあるが、それは私にこ
のように云つてくれ、そうすればよいからと云う事であると考へて居ります他の人
には私のよな考へはとらねれないか知れないが、私としてはそうしかとれないので
す、
(モ)又こんな事も書いてきている
 この事件は、B君等がかんけいない事を知りつつも裁判長は判決をしている事が
よくわかります。ですからそのウソをどこまでも本当にしないと自分達の面目を失
なうので、君が病気で死んでくればとそれを願うているでしょう、そんな悪巧みに
のつてはなりません、私は貧乏弁護士ですが正義にかけては、多くの人に知られて
居ります、貴男やB君達をたすけるためなら金をだしてくれる人も多さんいるでし
よう、その金のために貴男事件を返したと思われてはなりません原田さんもそれを
気にして居りました。今は金を送る事は出来ませんが、B君達が無罪になつたら、
貴男に金を上げる事が出来るのです、今は金は日ようで送られませんが、貴男の病
気が、かいふくするように手はいします。金のいる事があれば知らせて下さいそし
てその後二千円送つて居りますのは、私の歓心を買はんとして居るのである、以上
のように正木氏等は、私にたいする四被告人等のために無罪の証人又あらゆるの証
拠のうらずけをけソをとして、私にナンクセを見いだすことに努力をしたのではな
いかと思はれる「フシン」が、私に思はれる
六、昭和二十九年十一月十五日付で広島高等裁判所伏見裁判長と最高裁判所連記宛
の上申書を原田弁護士に提出した。その中には左の様な事が作つり事の申立をしま
したのであります。
(A)Hとの犯行であると申立をした事、
(B)警察で拷問を受け、Az司法主任に金をもらつたと書いてある事、
(C)昭和二十九年七月二十七日広島高等裁判所第一部公開の法廷において私が伏
見裁判長から尋ねられた事の事実を、B等が無罪になる様に云訳をして書いた事、
(D)Dが私に今年三月十七日頃に洗濯物をほしに来た時警察で拷問を受けたと、
Dかおしえてくれた事を、私がそれは、警察で拷問を受けてあんな事を云つたと、
B等よいように書いた事、
(E)昭和三十六年二月三日に、Bjの上申書に十一時半と書いてあるのでこれは、
Az司法主任がそのように書かしたのであると、書いた事、「これは前も申して居
ります様に、Cの母親がたのんで十一時半である事実を十時半になをしたので、そ
れをりようとして、Az司法主任がそのように書かしたと、申立てなければこの事
件をやぶつ事か出来ないからその様に書いたのであります。」
(F)Azが池田検事の所にきて「Al証人」をおしえてくれたと書いた事、「そ
れはDが昭和二十八年三月頃に私が洗濯物をほしに来つた時私をDがよぶので、行
くとDは、「岩国の公判のある頃に、Azや、Bn刑事らが、きて警察で云つたよ
うに、云わなければつまらん」と云つたと云えそして差入れをしてくれたと云えと
云つた事があつたので、Alも、Az司法主任が云つたと云つたらよいだろうと思
つて申立てたのであります、
(G)警察の取調べのさえ、十円札を十枚ばかりと千円札を一枚出したのであるか
その中の十円札が私か出した事になつておらないのがおかしい、と書いた事、
「これは、前の(12)ページの(ホ)所で申して居りますようにBが警察が作つ
たのだと云つて居りましたので、そのように云つたら、B等の証拠と云うものがな
くなるので書いたのでありますこれらのきろくは、原田氏が裁判のきろくを入れて
上げるからそれをみてB等のはんたいろんを書いて下さいと、私が拘置所にいると
こき、いつておられたので、この刑務で私がそれをたのんだのであります、原田氏
は、この中に貴男が伏見裁判長に一人で尋ねられた事のはんたいろんを書いてくだ
さい又伏見裁判長と最高裁判所と、りょうほうに書いて書いて下さいと云つていれ
て下さつたので、それをみて書いたのである
(H)最後に、私がB等にお詫び様な手紙のようなつもりで、書いたのであります
が、B達を助けるためには、こうして、いかにも私がひきいれたように書いたらよ
かろうと考へて書いたのであります、
七、B等を無罪にするためには上申書だけは、いけないと思つて正木氏や、原田氏
や、岡林弁護士にB達は無実でありますと書いた手紙を多くさんだして居りますの
は、私と弁ゴ士との話しの中では、裁判長殿にわからないから、それは私がB等は
無罪であると云つて居ります事が、」わかつてもらえないから弁ゴ士に手紙で書い
ておいたら、弁ゴ士が裁判所に証拠として出すような事も聞いて居りましたので、
証拠として裁判所に出してもらおと考へて出した事があります。
 その手紙は弁護士に出した手紙の事であります。
八、B、D、E、C、等は私の共犯である事は左の様な事から判断をしてみると分
かるのではないかと思つて居ります。
 (1)現場をみれば一人の仕事が五人の仕事かと云う事、
 (2)仲のよい友人が私ともしも犯罪を犯かしていないのなら、一諸にやつたと
云えるものではない、友達と云う者は、友達が困つていたり苦しんでいた時には助
すけてやるのが、友人であるのではないではあるまいか、私はBとはとても仲のよ
い二人りの中でありました、それで私はBにも、無理を云つてしてもらつて居りま
すが、私もずいふんしてもやつて居ります
 (3)五人は、たいてい酒をのんでいたのでその酒だいがたまつたので犯罪を犯
すようになつた事、
 (4)十九日M旅館や、二十二日x停留所や、二十二日夜Dが私をよびに行たの
であるが、又いつたいなんのためにあつまつて話しをしたのであるかと云う事、
 (5)一人の犯行なら、「ホイチヨウ」と「チヨウノ」二つも持つてAoさん二
人がねているまに行く事が出来な、又二つもいらない云う事、
 (6)私の一人の仕事なら、かならず、Aoさんにも「キズ」がついていなけれ
ばいけないKさん一人り「キズ」がついていると云う事はオカしい事、
 (7)一人の仕事であるなら首つりがデツタイに出来ない事、
 (8)その時の私の考へでは、あの様な考へは出来ない、それは「Bが云つてい
たように、金をのこしておかなければいけないと云つたのに私は、そのような事が
分からなかつたので、とつたのであるが、そんな考がうかばない事又血のぬりつけ
も考へがうかばない、今なら、そのような事なら出来るが、そのとう時はうかばな
い事、
 (9)私が一人の仕事なら、シキ戸の戸をあけなければいけないが私はそのシキ
戸のカギはよくしていおりますから、戸にあるようにあんな、めんどくさい事をし
ないでもあくから、私がへやの外便の所からはいつていたならそんな事はしない。
私は、床下からはいつているからである事、
 (10)一人の仕事なら、まだ金を持つていなければならない事、
 (11)K方の家のまはりには「ゾウリ」「ゲタ」「クツ」の足のあとがあつた

 (12)Bが云うには、Aとは、二十二日から出会つた事はないと云つているが
それなら、左の様な事を私が知るはずがない。
 (13)前の(4ぺージ)「の下に」述べて居りますようにBがEに「ありやの
う「E」とうとうもどうなかつたずくだ、金の出場がはつきりするとよいがと云つ
て」居りましたのであるか、それは金のアリバイを作くるためか、この金をどこか
ら出したかととはれたときにはBgからもらつたと云うために、金をもらいに行つ
ているのであるが、そのとき私はなんの事かわからないの、と尋ねたのであるがB
わ云つてくれなかつたが、とうとうもどらないずくだつたと云うのは、Bgがもど
らなかつた事であるがB等か二十四日夜Bgの方に行つて八海橋の上でaaにいつ
ていないのなら私があんな事を云うはずがない事、
 (14)二十四日夜DはAy方に行つているが、Eが云つたので私か知つた事、
 (15)二十日夜EがD方に行つた事を私にわからない云う事てある事、以上の
様な事実を判断をすれば四被告人は私の共犯であると云う事である
九、Bは私がBo了を愛していたのでそのうらみがあつて、ひきいれていると、云
訳をしていると云う事ですが。もしもBの云つている事が本当にしたら、Bにうら
みがあるだけで、他の三人はうらみはないのである、しかし、この事件を犯す前に
は、愛し合つて結ばれていた、彼女がいたので、あります。その彼女の名前に上げ
て申しません。なせならば現在彼女は、もう結婚して幸福な生活を毎日送つて居り
ますので、もしも私の様な大罪人がいたと云う事を男が知ると、二人の中をやぶつ
事になるので、又彼女が可愛想であるから申しませんが、この様な愛していた彼女
がいたので、Boと云う女は、私には、かんけいない事であります。BはBoと一
緒になれと云うた事はありましたが、本気になつた事ではありませんただ、かもう
てみただけであるのです、Bの云うように私が頭を下げてたのんだ事はありません
そのときは、Bはそれをりようとして私に金を出してBo方につた事と思つて居り
ます。その時のBのやりかたはこうであつた。おれが金をもつていないから、「キ
シヤチンは」だしてくれ、又、みやげをもつて行かなければいけないからかえとい
つて、「リンゴや「ミカン」色んな者をかつて持つていつたら、おれがもつてはい
る、と云つて、いかにもBがかつてた様にして、これは少ないがと云つてわたした
のであります。そのごBからBoとはかんけいしたと云う事を聞いて居ります。が、
それほど私がBoを愛しているのなら、それからはBとはつきあつて居りません。
このよな事はBpがいいづけをして居る事である、
十、正木氏は、新聞で左の様な事を批評している。
  Aが歯が悪いから、二千円送つて呉れと云うのてBaを通じて二千円送つてや
つた、それから、カミだいとして六百円送つとくと云うので、三百円送つてやつた、
そのご金を送れと云つたが、ケイカイして送らなかつた。又そのごAからこんな手
紙をおこしている「俺れのために裁判官と云う本で金をもうけたろう、先生が私の
事を信用してくれないので、もうしらない、と云うような、たかりの手紙をおこし
ている、Aはねつからの悪当であるから、わるじえがあるから、Aの云う事は信用
はできない、でも、もう、証拠があるからだいじようぶだと、云つておられるが、
それほど私が悪当である事を知つて私のたのみを聞いているではないではありませ
んか、私の云う事にウソであると云う事は正木氏ははじめから思つていたのである
のに、そのウソをの云う事をきかなければよいではないではありませんか、私が歯
が悪いと云つて二千円送つてくれといつた事はありましたがそのご、原田弁護士に、
そのことはことわつて下さいと云つたのにもかかわらず送つたのであります、又B
aさに送らなければいけないほど私をうたがつているなら送らなければよいと思つ
て居ります。又俺れのために裁判官と云う本で金をもうけたろうと云う手紙を書い
たのは、原田氏が面会されたので、私が正木さんは、どうしてあんな事を云われる
のですか、正木さんはね自分がこうだと云ひだしたら聞かないのである人です、こ
の本にも書いてあるように、原田先生の努力はなみたいでいてはないと云つて居ら
れるように、ボクと君にも少しはありますよ、正木さんはこの本で金をもうけられ
たよと云つた事がありましたので私は、そのような事を書いて出したのであります、
その後金を送くと云う手紙を出した事はありません、私が金をおくれと云つ事のは
カミだいと云つて出した手紙と、歯が悪いと云つただけであします私が金を送れと
云つたらば正木氏の事であるから送つて居りますいずれにしても、私に多さんの金
を送つてくれると云う事は、私の歓心を買はんとして居る証左であるのではないか
と考へて居ります。
 正木氏は私の云うHとの犯行とキメナかつたのは、Hは死でいるし、又Gと云う
のではじをかいているので、又Aがもとにもどすと、正木の面目をうしなうので、
Aの一人との犯行と云つて、AにはB等がかんけいがないと云つてもらえばそれで
よい、又それは、私か正木氏がしゃしんをとられたので午後から面会しなかつたの
で、こんな事ではまだまだB等を助けてやる気持になつていない、であるからAの
云うように聞いていると又はじをかくので、そのようにキメてしまつたのも正木氏
のさくせんであると考て居ります、正木氏は、私の一人の仕事とキメテにしている
が、なにをキメてにしているのでありましようか、その証拠もないのに、ただ私が
警察でBを助けてやろうと考へ云つたのをよいことにしてそれをキメテにしている
が、あまりにも、ムチヤデあると思ひます、私がB等を助けてやろうと考へてウソ
を云つたのでありますが。そしてバカをみているのでありますがこれほで正木氏ら
に、私の一人の仕事、又ねつから悪当と云われたのでは、私はたまつたものてはあ
りませんでありますから、正しいことをどこまでも云つて正しい裁判をしてもらわ
なければ仏になられたK様にたいしても申訳がありませんと思つて居ります。そし
て正しいのだと世の人に聞いてもらいたいのであります。しかし、正木氏は弁護士
であるから、弁護士がとんなことは云うはずかない。Aが云うのはウソだとしらな
い人は思つて居られる事と思つて居ります、ゲんにBaさんは、正木氏の云う事を
信して居られる様に、悪人と弁護人であるから一般の人は弁護士の云う事を信用さ
れる事であろう、それが私にしては不利な立場でありますが、しかし、自分の事は
自分か信じて居ります。そして正しい事を述べば、最後には、正しい者がかつ事と
信じて居ります。
十一、最後に申し上げたい事は、昨今出版された。正木著書裁判官と云う本に書か
れて、ある様に真実であるとしたら。
 一審二審の弁護士は「トンマ」でその嘘をどこまでも、たたきつぶさなかつたと
云う事になるが、しかし、その本に書かれてあるほど日本の裁判がそんなに暗黒で
あるはずがない、第一そんな本が出版されると云うのが、一つの証拠である。
 だからその本をそのまま、信用してはいけないのであります。広い世の中である
から、この本を「タネ」にする者も出てこないとは云えないから気をつける事であ
りますと思つて居ります。
  従来から裁判は神聖なものを正木氏等は神聖なものではないと司法権を擾撰を
している事は明らかである、しかしながら、言論の自由を基調として成立する、民
主主義社会とは云えども、擾撰はするべきではない日本の裁判になにかたくらみを
抱かせようとしているような気がしてならないのてあります。しかしそのような擾
撰によつて一般の人が圧迫される日本ではないと思つて居ります。
  私は社会の世論を騒した事や、多の裁判長や検事殿にお手数をかけた事をお詫
びして、公正なる法の裁きを持つ者であります。
  昭和三十年九月二十二日
      東京最高裁判所御中
                   広島刑務所在監
                      A
第二 原判決は本件兇行現場の諸般の状況よりしてもA単独犯説を断定できるもの
としているのである。そしてAは判示にいわゆる中連窓を自分携行のバールを以て
こじ明けて入り、床下口を通り抜けて逃げ去つたものであることはその明白な証拠
であるという。これに対し検察官はAは侵入の際も、脱出の際も床下を通過したも
のであるといつており、此の点検察官、弁護人間において攻防の烈しい場面となつ
ている。その点を争うことは全然無意味でもなく、殊にバールが真にA所携のもの
であるかどうか、バールの棄て場所等の問題を解決することは大事なことであるが、
いつたいAが中連窓から侵入し床下から脱出したとすれば、A単独犯行説を認めな
ければならないという理屈があるのであろうか。
 Aが中連窓から侵入した後に共同犯行者が同じ中連窓から侵入する可能性もある
であろう、またAが侵入脱出とも床下を通過したとしても、単独犯行説が成り立た
ないという理屈があるわけでもなかろう、それよりも問題の重点は兇行の現場であ
る屋内にA一人しかいなかつたか、或は他にも誰かいたかどうか兇行はA一人の手
口であつたか、共同者のそれであつたか、それが屋内の客観的状況から判断できる
かどうかの点でなければならない。昭和二六年一月二五日朝被害者宅を訪れて初め
て本件兇行のあつたことを知つたAlは第一審検証の現場において次の如く供述し
ている。「(前略)夫れから廊下を通つて台所と母屋の境の処まで来ました、その
時Bqが私の後をついて来られましたが、此処まで来て母屋の方を見ますとお婆さ
んが鴨居に首を吊つて入口の方に向いているのが見えましたお婆さんの首を吊つて
居られる間は母屋の納戸の下方の間でした、その時私は大変な事になつたと声を出
したと思いますがそれから直ぐ土間を通つて納戸の隣りの間の仏壇のある間を見ま
したが何事もありませんでした、その中にBqが納戸の間に行かれお爺さんが倒れ
ていると云いました(中略)Kは納戸の間で頭を北に向け上向きになり左手を火鉢
に入れる様な恰好になり布団障子戸襖等血みどろの中に亡くなつておりました、そ
してKやお婆さんらの寝ていたらしい布団の上に灰が散乱してありました。(中略)
お婆さんの首吊り死体の直ぐ下足下辺りに庖丁が一本ありました、それからお婆さ
んの首吊り死体のある間とお爺さんの死体のあつた納戸の間との境辺りだつたと思
いますが手斧が一丁ありました手斧にはそれぞれ血が付着しておりました」云々
 又、本事件の捜査主任として活躍した警察官Br等は右と回じ検証現場において
次の如く供述しているのである。「(只前略)現場に急行して直ちにK方に入りま
したところ、北側の部屋と母屋の通路の戸が開いて居りました、そこから入つて台
所に行くと台所の板の間になつている次の間にお婆さんが顔を炊事場の方に向け首
を吊つて死んでいました、そしてお婆さんの真下辺りに庖丁が一本あり、その斜め
西側の処に手斧がありました、私一人が上つて台所を通つて納戸の間の障子を開け
てみるとお爺さんが北側に頭を向け上向きになり左手を火鉢の中に入れて血だるま
になつて死んでおりました、内部の状況外部の状況を一応調査してどうもおかしい
ので、Bs巡査に犯行現場写真をとらせ直ちに県の鑑識課及び捜査課に連絡し応援
を求め現場は全然手をつけませんでした、それからKさんの死んで居る間の南角の
処に箪笥がありますが、その抽斗が乱雑に閉められており先程申したとおり庖丁手
斧等があり炊事場の処にあるテーブルの抽斗を開けてみると庖丁が二、三本あつて、
その柄に血痕があり炊事場の流しの水溜の蓋をとつてみると杓子がありそれに血痕
が附着しており台所の土間を見ると血のついた紙が放り込んでありお婆さんの首吊
り死体の足先が足裏を上に向けて畳についており足裏に血が付着して居りました」
云々。次に被害者らの近親であるというBhは回じ検証の際に現場実見の模様を次
の如く云うのである、「(前略)KAo両名が亡くなつたときいたので変だなと思
い自転車で無我夢中で此処にやつてきました、そしてすぐ中に入つてみました処、
お婆さんが鴨居に首を吊つて居ますので額に手を当ててみましたがすでに冷くなつ
ていました、それから納戸に入つてみましたところお爺さんか頭顔辺り全部で五ケ
所やられ血だるまになつて布団の上に倒れて居ました、そして障子や布団畳等に血
がべつたりついて居ました、それからお婆さんの首を吊つている真下辺りに庖丁が
あり、その柄に血がついて居り手斧が納戸の入口の敷居近くにありお婆さんの足先
は足の裏を上に向けて畳について居ました、それから申し落しましたがお爺さんの
倒れておる納戸部屋に火鉢の灰が散乱してありました」云々
 そして記録を通覧すれば明瞭であるが、前示抽斗の中からは金銭が盗み取られて
いるのであり、老婆の首吊りの模様は末尾添付の写真三葉のとおりである。
 以上は簡単であるが兇行直後の現場の客観的状況である。これによつて見れば、
犯人は老夫婦を殺害した後、老婆の自殺を装うべく同女を隣室に運び首吊り工作を
し、しかも一方灰などを撤き散らしなどして犯跡を隠蔽しようとしていること明瞭
である。犯人とすれば、兇行後兇行現場から早々に退散せんとするはその犯人当然
の心理状態であると思われるのであるが、右のような乱暴狼籍には相当時間を要し
たであろうに、右のような状景がA一人の手で現出できた客観的状況であると認め
ることができるであろうか、殊にその首吊工作を仔細に検討するときは、それが犯
人一人の力や思い付きの限度を遙に越えているものと認めざるを得ないのであつて、
この点に関する原判決の判断には甚大な疑問を抱かざるを得ないのである。原判決
は首吊の工作の説明に数頁を割いている。殊にいわゆる腰紐のくゝられている理由
がA単独犯であることを一層明瞭にするものだとして縷々として述べているのであ
る。しかし当裁判所の見解によれば、その説明は少しも納得ができない。犯人にそ
んな工作をする時間と余裕があつたとすることこそは却つて複数人で工作したこと
の明かな証拠となるではないかとさえ反問したいくらいである。それはそれとして
末尾写真によつて一見明瞭なロープによる首吊り工作は、しかも一方において屍体
を抱えながらのその工作は実に手のこんだものなのである。原判決の云うが如く犯
行者が如何に屈強元気な若者であつてもその力や思い付きだけでは容易に為し遂げ
得ない仕業と考えられるのである。ここで、右首吊の状況を簡単に述べるが、前記
写真を凝視するに、老婆の頸部に引つかけた二条のロープがその後頭部において緊
結されており、それからロープは二筋のものとなつて上向の上鴨居を越えて左右に
垂れ下り、(従つてロープは計四筋となつているわけである)そして頭部と鴨居の
中間やや鴨居寄りのところで二筋宛を組合せてぐるぐると捲き付けたような尋常一
様でない複雑な結び方をしているのである。恐らく、縊死形の死体が落下しないよ
うに堅く緊縛したものであろうが、誠に手のこんだ周到な縛り方をしたものだと云
わなければならない。(しかも、老婆の足の裏に血かべとりと附着している部分は
Aの前示供述等と符合し見遁し得ない点である。)然るに、原判決は首吊り工作が
Aの単独行為であることを冗漫と思われる程に叙説しているにかかわらず、この肝
腎な点に至つては恰も顧みて他を云うが如く「Aoの頸部を麻繩で緊結しその両端
を左右鴨居の上に通しAoの死体を抱え上げると同時に繩の両端を引下げて結びつ
けることにより」云々といともあつさりと説示しているだけなのである。不可解と
いう以外に批評の言葉を見出し得ない。以上によつて当裁判所は兇行現場の客観的
状況はA一人の手口によつて作為されたものとは認められず、複数人の手口によつ
て現出されたものと認めざるを得ないものであり、このことは同時に前記A供述が
一片の作り話でないことを強力に裏付けるものであると信ずるものである。ここで
念の為捜査段階において作成された被告人Dに対する第三回供述調書中首吊工作に
関する部分を引用し右の裏付としたいと考える。
 「(前略)Aは婆さんを床から半分位引出し後から馬乗りになつて締めて居りま
したのをBが行つて同様に交替し首をしめAが奥の方に行き何にか物を捜していた
様であります、そのとき私達三人かBを手伝つて私が腰をもち皆の者は四方からた
かり抱いて中の間に持出しました。そのときはもう婆さんはぐにやぐにやになつ居
りました、そしたらBがやろうと云つて前鴨居の方を見ましたので私はつるす事だ
と思つて後から抱き上げCやEは両横から婆さんを持上げました、Bは婆さんの腰
紐をほどいて上の鴨居に結びつけそして皆んなが婆さんをつりさげて離そうと思つ
て手をゆるめましたら紐がびりびりと云つて切れましたので又下におろし私がやは
り後から抱いて支へて居りました、するとBがすぐこんなぢや駄目だと云つて庭の
方に下りて行きましたが間もなく麻繩を丸るめた儘で持つてきて一本を前鴨居にか
け片方の端を婆さんの首に結びそうして二本一緒にして釣り上げたので私達も前と
回じ様に下から抱き上げました、そうしてBが縄を鴨居にしばり付けたのてありま
す云々」
 上来叙説のとおりであつて本件はAの単独犯行ではなく多数犯人の実行したもの
であると考えられるのであるが、最高裁判所の差戻判決はこの点に関し
一、被害の客観的状況においてKの傷の多いことと一審判決の説示したように殺害
が同時であると認められるのに殺害の方法は違つているところから、Kに対する八
回強打とAoの頸部搾拒は二人以上の人によつてなされた可能性がある。
二、K、Aoが被害後少くとも動かなくなつてから灰撒きや畳上や或は重く扱いに
くいと思われるAoを鴨居に吊す擬装工作をしかつ戸締をすることも二人以上の人
によつてなされた可能性がある。
三、単独犯行なら犯人は前記被害状況から見られるような擬装工作などのために余
り多くの労力を費やし余り長く現場に居残らないのが通常ではないかと思われると
判示し、更に垂水小数意見は被害状況から見ると殺害及び擬装工作が二人以上の者
によつて行われた蓋然性の方が多くはないかと思うと述べておるのは詞に宜なる哉
と考える次第である。
 なお、
(一)前記Aの上申書の記載によれば、Bが誰かが脱糞をすればまんがよいと云つ
ていたので、私とDがしたのであるが、そのときDが外の便所にはいつてマツチを
すつていて私はそこに入れぬため他の場所でしたものである旨述べており、証人A
zの第一審における供述中(記録第一冊一〇七丁、一〇八丁)納家の処の便所の処
に大便がしてありその附近にマツチが五、六本すつてありましたなる記載があり、
また、広島地方裁判所の民事口頭弁論調書の写中(記録第八冊二九〇六丁、二九二
三丁裏二九二四丁)に証人Aaの供述として便所の前に脱糞があり、それとその前
に土足のままで行かれる便所がありそれにも大便をしており、そこにはマツチのす
りかすが五六本台の上に落ちておりました。ですから大便は二ケ所あつた旨の記載
があり、これらによれば、Aの前記記載が真実であることが窺われること。
  (二)Aの上申書の記載によれば、本件犯行当時Aは、K方において素足であ
つて、足の裏に血がついていたことが認められる。然るに検証調書中の写真No.
207(記録三〇四丁裏)並びに原判決の記載(原判決一七六頁)によれば、Kの
死体のあつた部屋に足袋の足跡であると指摘されれば、或はそうであるかも知れな
いと思われる程度の足跡らしいものが顕出されていること。
  (三)前記Aaの証言中(記録第八冊二九二三丁)便所の外にちよつと三名分
の足跡があつた旨の記載があること。等によつてもAの単独犯行でないことか明ら
がである。
 第三 次にアリバイの点について。
 (一)Bjの供述について。
 原判決はC、Bらの本件犯行に対するアリバイが成立するか否かの問題について、
Bjの供述は極めて重大な比重をもつものと云つている。当時警察官であつたBj
は本事件についてCの足取りにつき捜査段階当時より数回に互り取り調べをうけ、
或は上申書を提出したりなどしていたものであり、Cの為め有利な供述をしていた
ものである、例えば熊毛地区警察署長宛の上申書においては「私は二四日の夜C方
に行つたがその時間は一一時四〇分か四五分位ではなかつたかと思う私がC方に入
つた際C(被告人)は上り口のところに腰をかけており黒の短靴をぬいで寝間に入
つた。零時二〇分頃と思うが外から誰かがC(被告人Cのこと)と声をかけた者が
あり私は誰かと尋ねたらおばさんはBちやん(Bのこと)だろうと云つた」と云い、
次に第一審における証言において「私は一月二四日C方に行つたが、その時間は午
後一一時四〇分か五〇分頃ではなかつたかと思う、それから約三〇分位して外から
誰かがCとか云つて呼んだ私はCの母に誰かと尋ねたらBちやんだろうと云つた(
中略)私がC方に行つて間もなくCは就寝した」云々と云い、次に差戻前の控訴審
において証人として「私は一月二四日C方に行つたがその時間は一〇時過ぎか一一
時頃だつたと思う私が行つたときCは敷居のところに腰かけていたが、間もなく寝
間に入つた私がC方に行つて一四分か一五分位たつて外からCと呼んだが誰が呼ん
だのか知らない」云々といつて本件兇行の時刻頃にはCは自宅に就寝していたであ
ろうことを一貫して述べていたのである。そして同人は更に本事件の広島高裁にお
ける差戻審の公判において昭和三三年五月一〇日、同年六月五日、同年七月一日の
三回に互り宣誓をした証人として取調をうけた際前記と同趣旨の供述をなしたので
あつたが、同年一二月一四日、同月一五日、同月一七日、同月一八日の四回にも亘
つて検察官に対し右供述は虚言である旨を自供した結果、広島地方裁判所に偽証罪
として起訴されるに至り、Bjは(一)C方に着いた時刻は午後九時三〇分頃であ
る(二)同夜C方前をCに対する呼びかけとしてCと声をかけて通り過ぎた者があ
りその時刻は一〇時五分か一〇分付前である(三)BjがC方に着いてからCは五
分位してから外出し同月二五日の午前零時過頃BjとCの母の同衾中に帰宅し、そ
の為Bjは狼狽の余り同家押入内にかくれたものであるとの事実、を述べたので遂
に偽証罪として懲役一年三年間執行猶予の判決をうけているのであり、他方Cの事
件当夜の足取りはCら被告人らの従来の供述を覆えす程の有力な反証が現出された
ことになつたわけであり、同時に本件犯行時刻の点に関しても重要な示唆を与えて
いるのである。思うに偽証の判決は再審の事由となる程に重大な証拠価値のあるも
のであり、本件は無罪の場合であるから同一に論ずることは得ないとはいえ、証拠
上極めて重要な価値を有するものであり、裁判所として軽軽に遇すべき筋合のもの
でないことは云うをまたない。況んや本件において右判決が弁護人側から裁判官検
察官の馴合判決、認諾判決などと非難攻撃されておるにおいておやである。然るに
原判決はBjの新供述は極めて疑わしく容易に信じ難いとして一蹴しているのであ
る。しかもその理由とするところは被告人らの供述が正確であることを前提とする
ものであつて、原審の判断は予断にあらずんばBjの心境への憶測に過ぎず当裁判
所の到底納得し能わざるところである。原判決の考方からすれば偽証判決は明らか
に誤判であるということになるのであろう。そのようなことが軽々に考えられるこ
とであろうか、原審として真にBjの新供述が疑わしきものと認めるならば、何故
に起訴官その他を証人として尋問する等むしろBjの新供述が虚偽であることを積
極的に証明することを要するものといわなければならない。しかるに、原判決が単
に消極的に措信し難い旨判示するに止まるのは、採証の法則を誤るものというべき
である。
 (二)Boの供述について。
 Boは本件事犯発生当時Bの内縁の妻であり、従前はほぼ一貫してBの為め有利
な供述を続けていたのであるが、原審六四回、六五回公判において従前の供述を変
更し、Bらに不利な供述をするに至つたことは原判示のとおりである。ところで同
女は本事件の原審における公判において偽証をしたという理由で起訴され、昭和三
四年三月一二日山口地方裁判所において有罪を宣告され懲役六月二年間執行猶予の
刑に処せられ、その刑はすでに確定していたのである。そして右判決の理由とする
ところは、第一、昭和二六年一月二四日頃夜山口県熊毛郡a町hB方より同人と共
に同郡n町大字c字dAq方に赴き同夜より同月二八日朝まで同所に宿泊したこと
及び同月二四日夜同所においてBか同人の浴衣及びズボンを洗濯し、同月二六日頃
までこれを同所家屋内に干していたことを記憶しているにもかかわらず、故らに昭
和二六年一月二四日夜は前記B方で同人とともに就寝し、前記Aq方に宿泊したの
は同月二五日夜より同月二八日朝までの間であり且つ同月二四日Aq方において前
記のように衣類洗濯がなされたこともなく又その衣類が干されたこともない旨、第
二、同年一月二九日防府市国鉄ab駅前においてBが本件強盗殺人事件の容疑で逮
捕された際これに同道しその際Bは現金六〇〇円を所持しており、同日山口県熊毛
地区警察署において警察官の求めにより右所持金(但一部は汽車賃に費消済み)よ
り十円札一枚を任意提出し、これが押収された外残金は右警察署において押収され
たことがないことを記憶し、且つ本事件の証拠物として扱われている十円札は警察
官が被害者方にあつたものを以てすりかえたと認識していないにもかかわらず、故
らに右現金六〇〇円を所持していたものが自分であつたかBであつたか記憶がない、
本強盗殺人事件の証拠物として取扱われている十円札一枚は警察官が右強盗事件の
被害者K方にあつた十円札一枚を以てすり替えこれに充てており恰も被告人が所持
していたものの如く作為したものと思う又前記残金も警察官がとりあげて自分にか
えしてくれたかどうか覚えがない旨各記憶に反した供述をなし以て偽証をなしたも
のであるというのであつて、この事実を被告人の公廷に於ける自白その他八通の証
拠書類によつて認定しているのである。
 この偽証判決も前段に述べたと同じ理由により甚大な価値のあるものであり、本
件の帰趨を決するにおいても無視すべき筋合のものでないことは論なきところであ
るにかかわらず、原判決は右判決の如きは殆んど眼中になきが如く右判決内容と相
容れざる判断を敢えてしているのである。その不合理はともあれBoの前示六四回
の公判における供述はアリバイに関する従前の供述がくずれたばかりでなく本件の
全貌を理解する上において看過できないものと認められるからいささか冗漫である
が、次にその全部を掲げて上来叙説したところを論証したく考えるのである。
                                  (三四
(あ)二一四八)
 原審証人Boの原審第六四回公判における証言(四六冊一八、一一一丁以下)
 裁判長
  あなたはこの前この法廷へ来ていただいたね。
    はい。
  何回目になるかね。
    きようで三べん目です。
  一番最初はいつだつたですか。
    七月の月と九月の月だつたと思います。
  その時に言つたことを覚えてますか、大体。
    はつきり覚えてないですけどね。
  覚えておらない。
    はあ、覚えておるところもございますけど。
  じゃあ大部分は忘れたという意味になるのか、そうではない。
    はあ調書に取つておられれば、わたしが言つたには間違いないんですけど。
  それはいいんだけどね、あんた自身述べたことを覚えておられるかどうかとい
うことを今お尋ねしておるんです。
    記憶しておるところもあります。
  そういうように、今まで述べた中でね、実際と違つたようなことを述べたよう
なことがありますか。
    はああります。
  どういう点、細かい点は追つて詳しく尋ねるが、大まかなことを言うと、どこ
が違つていましたか。
  二十四日の晩にhの家に休んだと言うていたところと、洗濯物と十円札関係と。
その三点だね。
    はい。
  詳しいことはね、追つてこれから尋ねますからね、あなたはこの事件で一番最
初に警察で調べられたのはいつだつたと言いましたかね。
    aの警察署ですか。
  ええ、aの警察で。
    一月の二十九日でした。
  それから何日間調べを受けましたか。
    何日間つてはつきりは覚えていませんですけど、三、四へんぐらい行つた
と思うんですけど。
  日にちをはつきり覚えていない。
    はい。
    三、四へんは呼ばれて行つた。
  はい。
  その時警察では大体ありのままを言つたんですか嘘を言つたんですか。
    違つておりました。
  どこが違つておつた。
    やはりhの家に休んだと言うております。
  hの家に休んだと言うておる、それが違う。
    はい。
  それだけですか。
    いやM旅館で隣の部屋でごそごそ出たりはいつたりしたような形勢もない
とか。
  そういうことを言つた記憶がある。
    はい。
  一体あなたはa町へは何日に行つたんですかね。
    a町へ来たのですか。
  うん。
    一月の十九日でした。
  ところが警察の調書五百十五丁によるとね、本年一月二十日午前七時ごろ、a
町のM旅館に二十三日まで泊り、夕方ごろにBの家に行くと、こう調書にあるんだ
がね、これはどういうわけですか。ことさら嘘を言うたんですか。
    はい。
  日にちまで嘘を言わなくてもいいと思うが、行つた日を嘘を言うたのか。
    いえ、はつきり覚えていなかつたので。
  しかしこれはその年のしかもその月の一月二十九日に調べを受けているんです
よ。
    はい。
  今はこの事件から言えばもう八年だからね、その一番初めの調書は二十六年一
月二十九日に調書が取られた、その時にもう忘れていたんですか。
    いえ私もそれまでは警察へ行つたことがないでしよう。それでまあ日にち
をめくつて詳しく言えばよかつたんですけどね。
  しかし三回も四回も調べを受けたんだからね。思い出さんはずないでしょう。
    それから後も二十日つて言つてますか。
  いやあんたそう言つたでしょう。一月二十九日から三べんぐらい調べを受けた
つて言つたでしょう。
    はい。
  それだつたらそうあがつて日にちを間違うというのはおかしいと思うね、その
当時すでに記憶が薄れておつたんですか。
    わたし二十日の日に来たんじやないか知らんと思つて。
  そうすると、警察で調べを受けたのは自分が行つたのは二十日だつたと思つた、
それでそのように述べた。
    はい。
  あんた子供さんおりましたね。
    はい。
  幾つでしたかね。
    数え年五つです。
  あんた無職だとさつき言われたけど、どうしてあんた自身あるいは子供さんは
暮しておられるんですか。
    まあ主人を連れております。
  ご主人は名前何と言われるんですか。
    Btと申します。
  どういう字ですか。
    ●の徳です。
  徳は道徳の徳ですか。
    はい。
  それから。
    多い横一です。
  その人とはいつ一緒になつたんですか。
    去年の九月です。
  お幾つですか。
    三十五才です。
  職業は。
    大工です。
  あなたはこの前ね、九月に証人に出られてから後、警察官あるいは検事さんの
調べを受けたことがありますか。
    はい。
  最初はいつでした。
    もう一度言つて下さい。
  この前九月の三日だつたかね、本年の九月十三日にね、あんた二度目に証人に
出てもらつてね、それから後に警察官あるいは検事さんの調べを受けたことがあり
ますか。
    あります。
  一番最初はいつでしたか。
    防府のac町の駐在所です。
  誰の調べを受けた。
    卜部検事さん。
  それはいつですか。
    ここの公判から帰つて間もなかつたと思うんですけど。
  その時にはどういうお尋ねを受けた。細かい点がわからなければ、何の点につ
いて。
    金の点でした。
  十円札。
    はい。
  その点だけですか。
    それと細かいことを聞かれましたけど。
  細かい点はどういうことですか。記憶にある範囲のことを述べてみてください。
どういう点を調べられた、調書は取られましたか。
    はい。
  何通調書を取られましたか。
    あまりたくさんじやなかつたと思うんですけど。
  その日は一回ですか、それとも何回調べを受けたですか。
    その時はものの二三時間でした。
  その日はそれで終つた。
    はい。
  それからその後は。
    その後はこの度逮捕せられました。
  それから前に逮捕を受けたことはあつたんじやないですか。そういうことはな
かつた。
    いいえないんです。
  それじやあその次はいつ逮捕されたんですか。
    十一月十日の日です。
  どこへ連れて行かれた。
    初めに徳山署に一晩と、明けての日の夕方から平生署でした。
  初め徳山署で調べを受けて、それから平生署へ行つた。
    はい。
  どういうわけで平生署へ行くようになつたんでしようね。あんたのおられると
ころから言えばaは遠いわけだが、どういうわけで。
    それはわかりません。
  平生署では誰の調べを受けましたか。
    中野検事さんです。
  最初から最後まで。
    はい。
  何日間勾留を受けたんですか。
    二十三日間でした。
  まあ二十三日の間に尋ねられることはあまりにもたくさんあつたと思うからね、
一口に言うのは非常にむつかしいと思うけれども、どういうお尋ねがあつたですか。
まず一番最初のころはどういう尋ねがあつた。
    一番最初はM旅館のことから聞かれまして、二十四日。
  M旅館ではどういうことを聞かれた。
    友達が隣の部屋へはいつてお話するのを、出たりはいつたりするのを見た
ですかと言うて聞かれました。
  それから。
    それから二十四日の晩。
  二十四日の晩のこと。
    はい。
  逮捕されて調べを受けるようになつてから、最初からそういうことを聞かれた。
    はあ、十円札関係。
  十円札、M旅館、それから二十四日の晩のこと。
    それから拷問やら。
  それであなたは最初否定しておつたんですか。否定ということはちよつとあな
たにわかりにくいかも知れないが、今までの供述をその通りつつぱつておつたわけ
ですか。
    はい、十六日まではつつぱつておりました。
  十七日にそれでは間違いだということを認めたわけですか。
    十六日の晩だつたと思うんです、おとうさんの。
  ちょつと待ちなさい。その間あなたは取調官以外の人とは誰々と会いましたか。
会つた人記憶にある範囲でみな述べてみなさい。嘘言つちやいけないよ。
    はい。十六日までの間にですか。
  ええ。そういうようにあんたが自白するようになるまでの間に誰々と会つたか、
一番最初から順に思い出してみてください。調べる人は別ですよ。中野検事さんは
これは取調べする人だから会わなければ調べができないからね、やむを得ないが、
調べをする以外の人で会つた人をもれなく述べてみてください。
    外のかたでしよう。
  外でも内でもよろしい、中野検事さん以外の人。
    警察官の人はいろいろ見ました。
  見たんでなくて、話をした人。見た程度のことはよろしい。
    弁護士のかたが一人見えました。
  誰ですか。
    Buとか何とかおつしやいましたけど。
  それから。
    それとわたしの主人が一度来ましたです。
  あなたの主人、Btさんがね。
    はい。
  それは何日に来ましたか。
    十三日ごろだつたと思います。
  一回きりですか。
    はい。
  それは朝ですか昼ですか晩ですか。
    昼前ごろじやなかつたかと思うんですけど。
  主人は何のために来たんでしょう。
    今連れております子供の養育費を請求しておるんでございます。それの裁
判が二十五日の日にありますからね、それまでに帰していただくようにと言うて。
  それまでに帰していただくようにということを検事さんに頼みに来た。
    はい。
  それをもう少し具体的に言うと、今連れ添つておる子供の養育費を誰に請求す
る、Bwいう人ですか。
    はい。
  もとの主人であるBwいう人に、どこへ訴えを出すと言うんですか。
    山口です。
  山口地方裁判所へね。
    はい。
  それが二十三日にある。
    二十五日です。
  それでそれまでにあんたを釈放してくれと。
    はい。
  いうことを頼みに見えたんですね、あなたの主人が、
    はい。
  あなたどうしてわかつたの、それが。
    わたしは二十五日にそれがあるということは知らなかつたんです、それで
主人が言うて来たわけです。
  どこでそういう話をしたんです、あんたと。
    aの警察署の当直室で検事さんを相対でお話を聞きましたです。
  主人は検事さんにどういうことを訴えておりましたか。
    二十五日に子供のあれが来ていますからね、なるべく早くすめば帰してい
ただくように、子供が待つているからと、それからBx事件のことについてわたし
が主人に少しでも話しておればどういうことを聞かれたかということを聞かれまし
たです。
  それは検事さんがあんたのご主人に聞かれた。
    はい。
  それはどのくらいの時間ですか。
    ほんのわずかの時間でした。
  ほんのわずかでもええがどのくらいの時間。
    二十分くらいじやなかつたかと思うんですけど。
  あなたのご主人も検察官の取調べを受けたんですか。
    中野検事さんがBx事件のことについてBoさんから何か聞いてないです
かと聞かれたです。
  まあその時はあんたそれだけしか知らないからね。その後になつてあなた保釈
を受けて帰つたんでしょう。
    はい保釈は十二月の三日の日に帰りました。
  その後主人に会われて、主人から何か聞かれたことがありますか。検察官の調
べを受けたということを。
    いいえ。
  お聞きにならない。
    主人が調書を、わたしのへりで中野検事さんが何かBoさんから聞いたこ
とないかと聞かれる時にわたしはそばにおりましたです。
  その時だけですか。
    はい。
  それであなたの勾留中は子供はどうしておつたんですか。
    おばあちやんの所へ預けておりました。
  里のね。
    はい。
  それであなたと、今のご主人との間は円満にいつておるんですか。
    はい逮捕されて保釈になつて帰つてからというものはとこて円満にいつて
います。
  勾留当時はそれじやあ何か調子の悪いことがあつたんですか。
    いいえ勾留当時でなしに、今まで去年の九月からね、こつち逮捕を受ける
までは。
  悪かつた。
    はい。
  どういうわけで、それは。
    度々公判に出頭せえと言うて紙が来れば、やつぱり男としてもええ気持が
せんでしょう。少しは愚痴が出ておりました。
  証人に呼び出されたりなんかすると、ご主人がいやな顔をしておつたと、こう
いうわけですか。
    はい。
  それで保釈を受けた後になつてよくなつたという理由はどういうことなんです
か。
    わたしが今まで隠していたんですから、改心したんですからと言うて。
  主人には改心ということがわかるんですか。
    さあ。
  あなたご自身が起訴を受けているんじやないですか。
    はあ。
  起訴と言うちやわからんかも知れんが、山口の地方裁判所へ偽証罪によつて、
検察官によつて訴えられておるんじやないですか。
    はい、まだ保釈はできでおりますけど。
  裁判に訴えられているんでしょう。
    はい。
  そうすると、ますます裁判所へ呼ばれる機会が多くなる、今までは証人であつ
たけれども、被告人として再々裁判所へ呼ばれることになると思うんだが、それで
もご主人は喜んでおられるんですか。
    別に喜ぶというわけでもないですけどね、人間があたりまえのことを良心
に誓つて証言するならば理解してくださいます。
  そういう意味ですね。
    はい。
  あなたはM旅館へ幾晩泊られましたか。
    二晩だつたと思うんですけど。
  それから自分のうちへ帰るまでですね。二十八日にお宅へ帰つたでしょう。そ
れより前B方へ幾晩泊りましたか。
    三晩くらい泊つたと思います。
  Aq方へは幾晩泊りましたか。
    二十四日から二十七日まで。
  じやあもう一ぺん尋ねますよ、Mへは二晩ですか。
    はい。
  B方へは三晩ですか。
    はい。
  あんたそんなにはつきり覚えておられるのにね、警察で先程お尋ねしたように
ね、これは二十六年の一月二十九日ですからね、その月ですよ、事件が勃発して数
日の間に聞かれておるにかかわらず、日にちを間違われておるのはどういうわけで
すか。
    わたしは今までこうして度々証言に出るし、また検事さんからも調書を取
られましたです。その時にもいろいろと嘘偽りを申し立ててきました。この度逮捕
をいただきましてから取調べを受ける時に、人間というものは嘘でこの世は通らな
いと思いまして、一生懸命二十三日間考えました。
  警察では先程あんた記憶違いであつたとおつしやつたでしょう。一月二十日に
行つたと思うと、こうおつしやつたでしよう。
    はい。
  事件が勃発してから一月二十九日は数日の間ですがね、四五日しか経つておら
ない時にすでにあなた日にちをお間違いになつておられるんです。今そう正確に記
憶しておられますか。
    はい。
  それは何んかのですね、いろんな知識を入れられて、あんたがそう思い込まれ
ている場合もあるんじやないですか。
    いいえ。
  そうじやないですか。
    はい。
  それは今申しあげるように、一月二十九日の調書にね、あんたがね、そのよう
にすでに記憶違いのことを述べておられるんでね、それでお尋ねしておるわけです。
それでは細いことは追つて尋ねますけどね、そのように嘘を言うようになつた動機
はどういうわけだつたんですか。どういうわけでそのような嘘を言わなければなら
なかつた。
    いろいろBさんから言われたことや、Bさんのおかあさんから言われたり、
自分に、あと、もしこの人達がそういう立場に陥つて出て来られた際に自分の身か
危いと思つて嘘偽りを申しました。
  自分の身が危いと。
    はい。
  どういうわけで危いと思つた。
    もしお前さえ言うてくれにやあよかつたのに言うて、わたしも子供のおる
身ですから、手一つあてられても子供に対してすまんから嘘偽りを申しました。
  いつごろそういうことをどこで言われたんですか。まずおかあさんはあとから
尋ねるが、Bにはいつごろどこでそういうことを言われたんですか。
    二十九日の晩にaの警察署へ行きましたでしょう、そしてAqさんの宅へ
帰つて休んで明けての日、三十日の日にhのBのおかあさんのうちへ帰りましたん
です。
  ちよつと待ちなさいよ。Bから都合の悪いことを言つてくれるなと、こうあん
た言われたと言うんでしょう。
    はい。
  だからそれは一番最初言われたのは、何月何日にどこで言われたかということ
を今お尋ねしておるんです。
    Bさんが二十六日の晩Aqの家で、Atから帰りまして日をたいてあたる
時に、二十四日の晩はhに寝とつたと言うて、お前ももしわしらが疑われて警察へ
行くようなことがあつたらそう言うておけ、お袋も知つとるんしやけえ言うて。
  二十六日の晩の話ですか。
    はい。
  楽団から帰つてね。
    はい。
  火をたいておつた。
    はい。
  その時誰々おりましたかね。
    BさんDさんEさんCさんがいらつしやいました。
  それだけですか。
    Aqさんはよく覚えてないんですけど。
  もう一度言つてみなさい。どう言つた。
    二十四日の晩、ぼくらがもし疑われて引つぱられる時には、お前も調べら
れるかもわからんけど、二十四日の晩はhへ寝とつたんじやけえお袋も知つとるん
じやからそう言うておりやあええと言うておりましたです。
  もう少し早い時期じゃなかつたんですか。その時が一番初めですか。
  はい。
    それでおかあさんからはいつどういう機会に。
  三十日の日にhに帰りましたらわたしがBちやん警察へ行つとるんよ言うて言
うたら、知つておる言われたです。そしてこの間言うたことを水に流してくれと、
こう言われましたです。そしてわたしはまた警察へ行かにやあならん言うて座敷へ
一応上りました。そして警察でどういうことを聞かれたですかと聞かれたから、ず
つとわたしがBさんを知り合つてから現在までのことを聞かれ.わたしは二十四日
の晩ここへ寝とるように言うた言うてね言いましたです。そしたらパス取りに行つ
てからByちやんと一緒にもどつたんじや言われるけえ、わたしもそれからはその
まま言うてしまいました。
  そうすると、おばあさんが頼んだことはあまり意味がないんですか。Bに頼ま
れたことが意味がある。
    はい。
  おばあさんに頼まれてから嘘を言うたわけではないんですね。それも影響して
おるかもわからんが、主にBに頼まれたんですか。
    それから後にあんたが一番証人になるんじやけえ、あんたさえしつかりし
ておつてくれてなら心配はないんじやからつて言われて、そうですか言うてわたし
も今まで通りに嘘の証言をして来たわけです。
  しかしBから頼まれて、Bに不利益なことを言えば自分の身が危いと思つたと、
こう言うんでしょう。そうだとすると、あんたがそういうように嘘を言うておつた
のは、主としてBに言われたことが影響しておるわけですか。
    はい。まあおかあさんからも言われるし、本人からも聞いておりますから。
  前に証言しておられるからね、あまりダブらんようにお尋ねしたいと思うんで
すがね、十九日のことはさしあたりおいて、二十四日のことをこれからお尋ねしま
すがね。二十四日にはB方におられたんですか。
    二十四日の晩は。
  朝のことからお尋ねしよう。朝はどうだつたんですか。
    二十四日の朝はhの家におりましたです。
  何をしましたか、その日あんた。
    朝Bさんがおられる間にDさんが仕事に行くのに誘いに来られましたです。
そこへ後程聞いたんですけど集金にね、何かお金か何か取りに人が見えられました。
そしてBさんはたんすの方のそばに隠れるようにしてDさんが出てその人とお話な
さいましたです。そしてはいつて来られてから、二十五日までに払うように解決つ
けたからと話しておられましたです。それから後に、Bzさんいうて、わたしがa
へ来る時。
  Aeさんのおかあさんですね。
    はい。
  おかあさんが来た時あんた自身は何しておつた。
    髪をときよつたと思うんですけど。
  それは記憶違いじやないですか。
    いやわたしは確か髪をときよつたと思うんですけど。
  それでBzのおばさんはどう言うたんですか。
    Aeさんがaへ来られます時に着物をAhから借りて来られたんです。そ
れをわたしがBさんに言うたが妹さんに言うたか、まあわたしが結局二人のどちら
かに言うたわけです。それが外へもれたんです。それでAeさんの母親がBへ来ら
れましてね、あんたの所へ来ておる人が言うてなきやあ人が知ろうわけがないと言
うて言うて来られましたです。
  それで。
    それでわたしは言やせん言うたんですけど、そしたらBのおかあさんが、
あんたが言わんで誰が云うかねとしつこく言われますから、わたしもちよつと口で
返答したですけど、はぶててものを言わずすぐ洗濯をしましたです。
  口げんかをしたんですか。
    はい。
  おかあさんとね。
    はい。
  それは二十四日に間違いありませんか。
    はい。
  洗濯したりBzのおばさんが来たという日は。
    はい。
  間違いないかね。
    はい。
  それで、Bzのおばさんが来た日を二十四日だというように八年も経つて思い
出したのはどういうところに理由があるんですか。何でそういうように思い出した
んですか。
    朝二十四日の日に男の人が来られた時Dさんがあしたの二十五日の日にね
金を払うように話をつけたと言われましたですからね、そのあとすぐ引つかけて来
られましたですからよく覚えております。
  Aeのおかあさんがね。
    はい。
  それでその日はあなたは何をしたんです。
    その日は長く手間をかけて洗濯をして、それから後は、おかあさんらが原
料を編まれるへりに坐つておりましたです。
  Caさんという人は何をしておつた。
    あれも原料編んでおられたんじやないですか。
  Cbという子供さんは何をしておりましたか。
    こたつの中へはいつておられたんじやないかと思うんですけど。
  昼食はその日は食べたの食べないの。
    食べませんでした。
  朝食は。
    朝ご飯は食べましたです。
  昼食はどうして食べなかつた。
    おかあさんと。
  けんかしたから。
    はあ。
  あんたがふてたのか、まあ俗な言葉で言えば。
    自分自身にはふてたわけです。
  そういうことであんたの方で食べなかつた、腹が立つて。
    はい。
  それから午後は何をしましたか。
    夕方までは家におりましたです。
  他の人は。
    みなおられましたです。
  何をしていましたか。
    原料を編んでおられたと思うんです。
  それで夕飯はいつごろ食べたんですか。
    夕飯はわたしは食べなかつたんです。
  あんたが口げんかしたために食べなかつた。
    はい。
  他の人は。
    食べられましたです。
  何時ごろ食べた。
    夕方でしたです。
  その二十四日の日Bは何時ごろ出かけたんですか。
    朝出ました。
  朝何時頃出かけましたか。
    八時ちよつと前ぐらいじやなかつたかと思うんです。
  服装はどんな服装でしたか。
    オーバーを上へ着て出ましたですけど。
  まあオーバーはよろしい、下は。
    はきものですか。
  はきものじゃない、どんなものを着ておられたんですか。
    ズボンを着ておられましたが、オーバーの下へどんなものを着ておられた
かようわからんのです。
  ズボンはどんなのを着ていた。
    白つぽいようなズボンじやなかつたかと思うんですけど。
  はきものは。
    はつきりはきものは覚えないんですけど。
  帽子は。
    帽子はかぶつておつたということは知らないです。
  手袋は。
    手袋も知らないです。
  それからあんた自身先程洗濯をしたと言うたですが、何を洗つたんですか。
    Bさんのふんどしとジヤンパーを洗いました。
  そしてその日Bはいつごろ帰つて来たんですか。
    夕方帰つて来ました。
  何時ごろ帰つた。
    日暮れでした。
  まあ正確な時間はわからんけど、大体の見当はつきやあしませんか。
    七時前ころじやなかつたかと思います。
  それからBは食事をしたんですか、しないんですか。
    してないです。
  それからどうしたんですか。
    帰つて来られてから、お便所の方へ行かれましたから、わたしがすぐつい
て行きました。あんたのおかあさんとけんかしてご飯食べておらんと、こう私が言
いましたら、ちょうどええ家を借つたから見に行こうと言うて、そんならついて行
こう言うてついて行きました。
  すぐついて行つたんですか。
    はい。
  何か持物を持つて出たんですか。何も持たずに手ぶらで出たんですか。
    持物を持つていたということは記憶にないんです。
  Bは帰る時に自転車で帰りましたか、何で帰りましたか。歩いていましたか、
それとも自転車で。
    自転車を持つてなかうたように思うんです。
  どうしたんでしよう。
    わたしはBさんの所へ自転車があつたというのを全然今のところ記憶がな
いんですけど、朝も確かDさんと歩いて出たと思うんですけど。
  それでは別に持物は持つて出たようには思わんのですか。
    はい。
  あなた自身もBも、
    はい。
  じやあ帰るとほとんど間なしに夕食もせずに出たんですか。
    はい。
  おかあさんには無断で。
    はい。
  Bは上へ上りましたか上りませんでしたか。
    表口から上られて、お便所へ行つて、お便所から出て、また畳の上を通つ
て表から出ました。
  便所へ行くのをあなた追いかけて話してそれからすぐ出たわけですね。
    はい。
  それからはどこへ行つたんですか。
    Aqさんの宅へ行きました。
  誰かいましたか。
    はあ、行く時Bさんの家を出たときにDさんがいらつしやいました。
  Dがいた。
    はい、三人が連れ合うて、Aqさんの宅へ行きました。
  Dはどこにおつた。
    かどの方におられました。
  それで三人でAqの宅へ行つたんだね。
    はい。
  Aq方には誰がおつたですか。
    Aqさんがいらつしやいました。
  他には誰もいなかつた。
    はい。おつてなかつたと思うんですけど。
  それからどうしたんですか。
    それでわたし表の方で待つていたかと思うんですけど、その時にどの部屋
を貸してくれるか見られて、わたしも上つて部屋見ましたです。
  上へ上られたわけですか。
    はい。
  みんな上つたんですか。
    いいえ、わたしとBが上りました。
  D君は。
    あれは上つてなかつたです。
  Aqは。
    Aqさんがその部屋へ来られたか来られんかよくわからないんです。
  それからどうしたんですか。
    それから賃金取りに今から行くから言うてAqの家を出まして、三人が八
海橋の所まで出まして。
  誰々出たの、三人と言うのは。
    DさんとBさんとわたしと三人です。
  それから賃金を取りに行くと。
    はい。
  歩いて行つたの。
    八海橋を半分へんまで来られた時にBさんかDさんに、Aqの所へ行つて
自転車借りて来てくれ言われて、DさんかAqさん宅へ自転車借りに行かれると、
わたしら二人歩いて出ました。
  それで。
    それでずつと歩いてCさんの宅まで行きましたです。
  あんたもCのうちへ行つたの。
    はい。
  Cのうちには誰々おりましたか。
    Cさんのうちに、お客さんが確か二人ぐらい後向になつておられたと思う
んですけど、お客さんの声がしておりました。
  あんたの知つた人では誰がおつたんですか。
    わたしが知つた人言うたら、わたしも中へはいつたんでないんですから、
確かCさんはおられたと思うんですけど、わたしがCの家に着くか着かんかに、確
かDさんとEさんが自転車で来られたと思うんです。
  まず先にね。
    はい。
  それで。
    それでわたしはすぐその足で帰りました。
  あんた一体何のためにC方まで行つたんですか。
    うどん食べさしてやるからと言うからついて行きました。
  それで食べたの。
    いいえ、食べなかつたです。
  でもしかし食べさしてやると言うて。
    わたしも人がおつてじやから恥かしいからはいらんと言いました。
  どうしてはずかしい。
    そりやあわたしは知らん所へ行きますとひがみますから。
  しかしうどん屋へはいる、あそこは食堂のようなことをしてたんでしよう。
    はい。
  初めからうどん食べさしてやると言うなら、何もそんなにひがむ必要も恐れる
必要もないと思うんだが。
    やはり知らん所へはいるのはええ気持がしないです。
  そう言よつたら、あんた店の中へはいれないじやないですか。どこだつて、広
島でもうどん食べようと思つたらみな新しい店でしよう。
    はい、最近は店屋でもうどん食べに行つたことあるんですが、あの時分は
そんな所へ、食堂なんかへはいつたことなかつたです。
  でもBかおつたんでしよう。
    しかし知らん人が二人ぐらいおつたです。それで、おかあさんが、まあは
いらしてならええのにと言われたです。
  それで。
    それで帰りましたです。帰つて風呂へはいつておけと言われたから帰りま
したです。
  それであんたすぐ帰つたんですか。
    はい。
  帰つてからどうしたの。
    hに帰つて風呂にはいつて、風呂からあがつてご飯食べなさいと勧められ
ましたけど。
  じゃあ今度はAq方じやなくて、B方へ帰つた。
    はい。風呂へはいつておけ言うて別れましたから、一応hへ帰つて、お風
呂にはいつてお風呂からあがつたらご飯食べなさい言うて勧められましたです。そ
れでわたしも強情なから食べませんでした。
  それでどうしたんですか。
    それで風呂からあがりまして原料編んでおられるへりへ坐つて見ていまし
た。それで九時過ぎごろじやつたと思うんですけどEさんがいらつしやいました。
  E君は上へ上つたんですか上らんのですか。
    初めは上つてなかつたですけど、Bのおかあさんか上りなさいと勧めたら
上つたです。
  それで。
    そしてあしたからBちやんはacへ仕事に行くんでパス貸してくれ言うて
じやから、パスあした取りに来てか、それとも今から取りに来てかと言われたです。
  そう一度そこを言つてみなさい、今の点。
    Eさんがいらつしやいましてね、勧められて座敷に上られましてね、Bち
やんは勘定取りに行つて遅うなるからとこう言われたです。そしてどこへ言うたら
adとか何とか言うておつたです。そしてわたしは給料取りに行つておるというこ
とは知つていましたけど、おかあさんには言うてなかつたんです。そしてあしたか
らacへ仕事に行くようになつたから、パスを貸してくれ言うてじやから貸そうと
思うから取りに来てくれと言うたです。
  それはまあそれで打ち切つて、そのほか何か話しがありましたか。
    来られた時、まだ座敷に上つてない時に、Dにもあしたacへ行くように
言うておかにやあ、あれはきよう早う帰つたから知らんから、Dの家へ行つたらお
らんaeのCcちやんとかいう、あそこへ行つてもおらん言うて、とうとう会うた
とかどうとか言うておつたから、今度ここへ言うて来たと言うておられたです。
  何を云うて来た。
    パスを取りに来てくれ、あしたからacへ行くから言うてね。
  そのほかの話は。
    そのほかの話つて別になかつたと思うんですけど。
  それでEはB方でどのくらいおつたんですか。時間を正確に勘定するのは非常
にむつかしいんでね、正確なことをあんたが記憶しておるとは思わんのだが、大体
感じとしてどのくらいおつたように思いますか。
    二十分ぐらいじやなかつたかと思うんですけど。
  そりやあまあ感じだからね、時計でも見ておれば正確なことが言えるんだけど
ね、じやあそれからEのうちへ出かけたんですか。
    はい。
  誰々
    わたしと妹のCaさんと。
  三人でね。
    はい。
  Eは自転車を持つておつたんじゃないですか。
    はい、突いておられました。
  突いておると言うのは押しておるという意味ですか。
    はい。
  じやあ歩いて出かけたんですね。
    はい。
  それはおよそ何時ごろか、およその見当がつきますか。時計見ておりやあ別だ
けど。
    hの家を出ましてね、小さい細い道があるんです。それを出て大きな大道
路に出て、今度また田の中の細い道にはいりかけたころに確かサイレンが鳴つた、
それもわたしは、あれが十時のサイレンが夜鳴るということを聞きましたけどね。
  ちよつと待つてください。家を出てどの辺ですか。そのサイレンを聞いたとい
う場所は。
    裏町にはいる細い道です。
  どの辺がもう少しわかりやすく表現できませんか。店の名前だとか、ぼくら裏
町と言われても、どこまでが裏町かわからんのだけどね、あんたもあんまり詳しく
知らんかも知れないが、店の名前とか。
    裏町へはいるまでには店はないです。
  その辺でサイレンを聞いた。
    はい。
  そうこうことをいつ思い出したんですが、サイレンを聞いたということは。
    それはわたしが一月三十日の日にBさんの宅へ行きましてから、jの飲食
店へ勤めるまでの間に、いろいろ話が出てね、それがその時に警察でわたしは何時
ごろかと時間をとてもやかましゆう聞かれましたです。それでわたしも時間言われ
たつて、あなたも時計持つておつても一々わからんでしょう、わたしはないんだか
らなおさらわかりませんと言うたんです。それで、そうそうあそこで十時のサイレ
ンが鳴つたがと、わたしは確かそう言うたと思うんですけどね、十時と言うて断言
がきれるかと言うてひどく怒られたです。それで確か裏町へはいる時には鳴つたよ
うに思うんですけど、Bのおかあさんに十時のサイレンが、パス借りに行く時に鳴
つたんじやけえ言うたんです、わたしが、そしたらBのおかあさんか、嘘を言いな
さい、うちでおる時に十時のサイレンが鳴つたしやないか、それからしばらくして
行つたじやないか言うて、そうじやつたかね言うて、それからわたしも十時のサイ
レンがhで鳴つたと言うております。
  言つておることはいいんだけどね、サイレンの話なんか知つておりやあ、警察
でもその点は隠す必要がないと思うんですがね、述べてもいいと思うんですけどね、
そういうことは述べた覚えがないんですか、警察で。
    警察では一番初め九時ごろにEさんが来たように言うていると思うんです
けど。
  それはまたなぜそのように言うた。
    わたしがBの宅へ帰りましてね、風呂へはいつて原料編むのをじつと見て
おりましてからあまり長い時間と言う程でもなかつたと思うんです。それで連れ合
うて出る時に、裏町のはいつた所だと思うんですけどね、大きなサイレンが鳴りま
したです。それで帰りばなに、女二人じやあ恐ろしいねと、わたしも初めてそこを
通つたんです。
  帰りに鳴つたんですか。
    いいえ、行きしなです。帰りがこわいと言うたんです。
  それでE方へ行かれたんですね。
    はい。
  それでパスを受け取られたのは従来通り間違いないんですね。
    はい。
  それからCd商店の附近であんたとCaさんとだね帰つておる時Bと会つた事
実、これは本当なんですか、嘘なんですか。
    本当です。
  時間関係を除けば、これは間違いない事実なんですね。
    はい。
  それで一緒になつてからどうしたんですか。Bと一緒になつてからどうしたん
ですか。
    Bさんと会いまして、妹さんが先に帰られまして、わたくしとBが。
  ちよつと待ちなさい、自転車はどうしておつたんですか。Bは持つていたんで
すか、持つていないんですか。
    持つておられました。
  そしてその自転車は何か故障があつたんですか。
    はい、チエンが切れておりました。
  それも従来通り間違いないんだね、あんた述べておられる通り、
    はい。
  そしてCaの方が先にどうしたと言うんですか。
    先に帰られましたです。
  それからあんたかたは。
    わたしとBは自転車を押してAqの。
  誰が押したんです。
    Bが突いておりました。
  Bはその時に何かものを持つていましたか。
    パンを一つ持つておりました。
  パンだけですか。
    はい。
  何かつくだ煮とかてんぷらとかいうものを持つていたんじやないんですか。
    いいえ、わたしは見ませんでした。
  そのパンはどうしたんですか。
    二人が食べましたです。
  誰と誰が。
    Bと二人が。
  妹のCaに与えたんではないんですか。
    いいえ。
  あんたらが食べたんですか。
    はい。
  それは帰つてからですか、途中ですか。
    途中です。
  歩き歩き食べた。
    はい。
  そのころ誰かと人に会いましたか。
    はい、八海橋の所まで帰つた時に、Dさんに会いました。
  Dはどの辺におつたんですか。
    橋を渡つた所へんにおられました。
  橋を渡つた所に。
    橋を渡つて左に折れる川伝いでない方に立つておられました。
  左に折れる、そうするとd部落の方。
    川伝いに右に折れるんです。
  渡つて右。
    はい。
  右言うと、Aq方の方ですよ。
    はい、橋を渡つて川伝いに降りるんです。そこのちよつと角になつておる
所に立つておられたんです。
  どういう恰好をしておりましたか。
    オーバーを着ておられました。
  それで。
    そのほかよく覚えてないんです。
  はきものとか。
    はきものはよく。
  あなた全然記憶にないんですか。
    はい。
  それで何か話をしたんですか、Dと。
    Bさんがちよつとものを言われましたです。
  どういうことを言うた。
    さあ、わたしは完全には聞いておらんですけど。
  記憶にある範囲で。
    あと来るからとかどうとかちょつと言われたと思うんです。はつきりは聞
いてないんですけど。
  それからどうした。
    わたしとBはAqの家へ行きました。
  Bと二人で。
    はい。
  Ceは。
    ついて来てなかつたです。
  帰つた時Aqおりましたか、いなかつたですか。
    おつてなかつたように思うんですけど。
  電気はついていましたか、いなかつたですか。
    ついていたように思うんです。
  そうしてどうした、上つたの上らないの。
    上らなかつたです。自転車をやだりに置かれまして、止めてちよつと出て
くるからと言うてすぐ出られましたです。
  自転車をどこに置いて。
    Aqの軒先におかれましたです。
  そしてちよつと出て来ると言うて出かけた。
    はい。
  どちらへ出かけた。
    それは言うてなかつたです。
  それであんたはどうしたんです。
    わたしは座敷に上りまして、床を引いて服を着たまま横になつておりまし
た。
  それでAqはどうしておりましたか。
    おつてなかつたかと思うんですけどね。
  いなかつたと思う。
    はい。
  その後の行動は知らんのですか。Bがその後どこへ出かけたか知らんのですか。
    はい。どこへ出かけられたか知らんのです。
  ちよつと出て来ると言うて。
    ちよつと出て来る言うた時に、Dさんの所へ行かれるんだろうと思つたん
です、それでdの橋があるでしよう。あの方へ出て行くのをちよつと見たんです。
誰ということはわからんが、ちよつと人影が二人程見えましたです。
  どこで見たんですか。
    橋を渡つてAqの方へさがる道です。
  Aqの方へさがる。
    橋を渡つて。
  渡ると言うのはc部落の方へですか、aの方ですか。
    Aqの家へさがるのに、さがる道があるです。あそこへ橋を渡つてどのく
らいかね、ちようとAqさんの家からdの方へ向いて見たら斜め向うに見えます。
  じやあ橋の手前ですか。
    はあAqの方へ手前です。
  あんたの方から言つてね、手前。
    はい。
  その辺に二三人の人影があつたと言うんですか。
    二人の影を見ました。
  それは誰と誰だつたんでしよう、あんたの想像では。
    それはわかりませんね。
  あんたどこで見たの、それを。
    Aqの軒先で見たんです。
  それからあんたどうしたんです。
    床へはいりましたです。
  それで。
    三十分か一時間ぐらいの間だつたと思うんです、帰つて来られたです。
  三十分か一時間した時にね。
    はい。その時にDさんとBと二人が大かた一緒ぐらいの程度に帰つて来ま
した。
  BDが一緒ぐらいにね。
    はい、そして今度はEさんとCさんがやつて来られました。
  それはちよつとあとに来たんですか。
    はい。
  時間はどうだつた。
    一緒にはいらずに、あらいてはいられましたてす。
  BDが最初に二人帰つたと言うんでしょう。
    はい、それで後に。
  どのくらい間があつたんですか。
    まあ五分あいておつたわけじやないですけどね、ちよつと。
  二三分ぐらいですか。
    はい。
  来てからEとCがはいつた。
    Eさんがはいつて来られて、一番あとでした、Cさんがはいつて来られた
のは。
  あんたその時寝とつたんですか。
    いやBが帰つて来た時にすぐ起きましたです。
  起きてどこへ出た。
    土間へ出ました。
  前の時見たEの服装と、その時見たEの服装は同じでしたか違つておりました
か。
    スプリングコートを上へ着ておられました。
  Cはどういう服装でしたか。
    CさんはMやなんかで見ておりました進駐軍の服のようなものを着ておら
れました。
  それでその時どういう話があつたんですか。お互に、あんた聞いておる範囲で
述べてみなさい、どういうことを言うた。
    帰つて来られてね、遅いから静かにせえつてBか言われましたです。
  何。
    帰つて来られた時ね、一番最後にCさんがトランクをさげてはいつて来ら
れましたです。それをBが受け取つて寝間の頭元に置いておりましたです。そして
みなご飯食べる所の板の間へ上りましてから、上るまで静かにせえ言うて言よつた
です。Bがね。それで上つてからご飯をたいて食べようじやないかと、それでわた
しに米をとぎに行け言いましたから釜をのぞけてお米を入れていただきましてね、
炊事場がどこにあるんかと聞きましたらAqさんが教えてくれましたです。
  Aqはそれじやあおつたんですか。
    はあ、Bが帰つて来る前に何か帰つて来られたようにも思うんですけど、
はつきりあれがAqさんだつたということはわたしも転げていたからはつきり覚え
ていなかつたですけど、Bが帰つておればおられたです。
  Aqがいつ帰つたかわからない。
    はい。
  それでAqに教わつて。
    裏に出られましてね、こうこう行かれたら井戸があると教えてくださいま
したです。それで竹藪があつて暗いですからね、わたしは行かない言うたんてす。
そしたら米をようとがんような女ならとり捨てるがええとほかの人がひやかされま
したです。そしたらBがわしがとぎに行つてやろうと言うてついて来てくれました
です。そして井戸ばたに出るまでに懐中電燈を出されて、これで明りを見せえ言う
て出されましたです。それで米をとぐ時にはわたしが懐中電燈を見せてBがとぎま
したです。そしてとぐ時には出とりやあええのに、どうせわしが出て来るのに、み
んなからひやかされて穴があつたらはいりたかつたと言よりましたです。そしてお
米をといでしまつて、Aqのはいり口にはいる時に電燈を貸せと言うからわたしま
したです。どこへ入れられたかわからないですがね、そのままはいりましてわたし
が木が無いと言うたんです。そしたらDさんが、わしが割つてやろうと言うて、床
下の方から木を出して大きな声で言うたから、静かにせえ、隣近所の迷惑になるか
らと言われたです。そして割つてわたしがご飯をたきつける時だと思うんですが、
おかずがないからつくだ煮を買いに行くと言うてEさんが出られる時に、確かCさ
んがついて帰られたように思うんですけど、一緒に出られたと思うんですけどね、
そしてご飯ができたのと同じぐらいの程度にEさんが帰つて来られたです。ずい分
捜したけど、みな休んでおる言うて、ようよう買うて来たと言うて塩こぶを買うて
来ておられたんです。
  どこで買つて来たんかな。
    さあどこということは聞いていなかつたけど。
  それで。
    それでみんながご飯を食べましたです。ご飯がすんでからDさんとEさん
が、あしたから早いから誘いに来るからと言うて帰りかけられましたです。そして
戸口先へ出られた時にね、自転車を入れておつてあげよう言うて自転車を入れられ
て、そしてあした早よう来るからと言うて帰られましたです。それから後わたしは
食べたものをかたずけるのにはしりで茶わんを洗いよつたんです。そしたらBさん
がきよう寒いから浴衣を着込んどつた言うて、えりあかがついたから洗う言うて浴
衣を脱がれましたです。そしておかしい人じや、この人は服の下に着物を着とると
思つたんですが、寒いから着込んでおられる言うておられるんだから、何も言わな
かつたです。浴衣にえりあかがついたから洗う言うておられたです、それできよう
ばらす上げるのにズボンのすそが汚れたからついでにズボンのすそも洗うと、こう
言うて、そしてわたしは茶わんを洗つてしまつてから火鉢のへりへ行つて、わたし
が洗つてあげようか言うたら、きようは遅いからまた洗つてもらうから言うてAq
さんにたらいがどこにあるかと言うて聞かれましたです。それで土間の向こうにあ
るから言われたです。それでたらいを出して二人で水をくみに出ましたです。それ
で水を入れてあげて、Bさんが自分で腕まくりをして洗濯をしかけちやつたです。
きよう現場でうしろから自動車が来てから怪我人があつて、事故があつたから仕事
にならんじやつた言うて洗濯をしておられましたです。それからわたしが晩にした
つて干場もないのにこごりつくが言うてわたしが言うたんです。そしたら家の中へ
干しておいたら差支えないから言われたです。それもそうだ思つてわたしも黙つて
火鉢のへりにあたつておつたです。それでものの一時間も二時間もかからなかつた
ですか、ほんのわずかですんでから、そのまま休んだです。
  何々洗つたの、一体。
    ズボンと確か浴衣だつたと思いますけど。
  それで洗つたのをあんた見ておつたんですね。
    はい。
  それで干したの、干さないの。
    家の中へ干されましたです。
  どの辺に。
    表板の間です。
  ほかのものは別に洗わなかつた。
    ほかのものはなかつたように思うんですけど。
  浴衣とズボンだけ。
    はい。
  そのズボンと言うのは、昼間着ておつたズボンですか。
    白つぽいようなズボンでした。
  あんた昼間見ておつたでしようが、晩方見ておつたでしよう。
    はい。
  そのズボンですか。
    はい、白つぽいズボンでした。
  それじやあ家の中へ竿を入れて、そこへ干したわけですか。
    竿という何でなしに、洗濯ものを干すような竿じやないんてす。かさ棚み
たいな細い竹竿が通してあつたんです。
  そしてその晩そのまま寝たんですか。何か話でもあつたんですか。
    その晩は、あんたもこちらへ来たんじやから帰らずに、こつちにおりきり
におれ言うて言われたです。この際一緒になろうじやないか言われて、わたしはは
い言うておつたです。
  それで。
    そのまま休みまして、あまり長いこと休んだように思わないんですけどね、
二三時間経つたころに、もうDさんが口笛を吹いて誘いに来られたです。
  二三時間経つたころに。
    はい。
  翌朝の話だね。
    はい、晩はそのまま話がすんでからすぐ休みましたです。
  そしたらDが口笛を吹いて誘いに来た。
    はい。
  それで朝食はどうした。
    朝ご飯はDさんのお弁当をわたしとBか半分分けして食べましたです。
  じゃ前の晩にたいたのはもうなかつたんですか。
    はい。
  全然なかつた。
    はい。
  Dの弁当を二人で食べた。
    はい。
  そしてBはすぐ出かけたんですか。
    はい。
  何を着て出かけたんですか。
    やはりオーバーを上へひつかけておられたと思うんです。
  下は。
    下はズボンをはいておられたです。
  その洗つたズボン。
    いいえ下にもう一枚ズボンをはいておられたです。
  もう一枚のズボン。
    はい。
  重ねておつたのかね、ズボンを。
    はい。
  オーバーは洗わなかつた。
    いいえ。
  洗わなかつた。
    はい。
  上着も
    上着も洗つちやたか洗わなかつたか、確かわたしはズボンのすそが汚れた
ということは聞いたですが、自分で脱いで洗つたんですから、洗つたのか洗わない
のか。
  それじやあ浴衣とズボンだけですね。
    はい。
  今二十四日を中心に聞いておるんだが、その後の事情で今まで述べた点と変つ
たことがありますか。十円札の問題は一応おいて、そのほかのことで、その後の事
情であんたがことさらに今まで嘘を述べたというのがありますか。二十四日の点は
あんた今おつしやるように、今まで述べたところと違うからね、明らかに。
    はい。
  その後の点はどうですか。ことさらに自分が嘘を述べたような記憶があります
か。
    二十四日以後ですか。
  二十四日以後。
    二十六日の日に隣の土手の奥さんが来られたのを、見ないと言うて嘘を言
うておりました。
  二十六日にね。
    はい。
  その点が違う。そのほかあんたが記憶にある点で、ことさらに嘘を言うたとい
うことになれば、記憶にあるはずだがね。
    家のあれでない、ほかのことについてもですか。
  家のあれでなくとも、ことさらにあんたが良心にとがめるような嘘を言うた点
ですね、十円札の問題はええですよ。これはまあさしあたり除いて、それ以外に。
    警察で夜ぱんぱん音がしたというのも違います。
  それじゃあ二十四日より前の点だね。今あとのことをお尋ねしたわけだが、二
十四日より前の点についてね、自分が今省みてね、あれは嘘だつたと良心にとがめ
るというような、はつきりした思い出がありますか。
    二十四日より前言うたら。
  前の点についてだね、あんた今まで述べている場合、警察でも述べる、一審の
裁判所でも、あなたここの裁判所でも二回に渡つて詳細に述べているんだけどね、
細かい点はあんた忘れていると思うかね、それで自分がことさらに嘘を言うたとい
う点は記憶があると思うんです。
    M旅館のことも嘘です。
  じゃあどういう点が嘘かその点を述べてみなさい。
    M旅館へわたし達が行きましてね、BAさんやらDさんやらみな来られま
してね、隣の部屋へはいられましてね、何の話をしていたかは聞いていませんけど、
何かお話しておられたです。その時にAhが百円程出しましてね、Ahにみかんを
買うて来てくれと命令をせられて、みかんを買うて来られて、わたしはそのみかん
を二人で食べる間隣の部屋に入つて何か一生懸命に話しておられたです。
  隣の部屋と言うのは大きい部屋ですか。小さい部屋ですか。
    小さい部屋です。
  小さい部屋へ他の人がはいつた。
    はい。
  それはAをも含めてですか。
    Aさんもはいつておられたと思うんですけど。
  Bfはどうですか。
    Bfさんはお酒を飲み終つて、Aさんが帰るんと、入れ違いぐらいに来ら
れたです。酒飲んでしまつて。
    はい。
  そのころ、一番奥の隣の部屋にはお客さんがおつたんじやなかつたですか。
    はいおられましたです。
  あんたもAに廊下へ呼び出されたんじやなかつたですか。
    はい呼び出されました。
  どういうことをAに言われましたか。
    あんたBが好きなんかと言われたです。それで私ははいと言うたです。そ
したらBちやんが水の中へでも火の中へでもはいれと言われたらはいるかと言われ
たから、はいると私は言うたです。そしたらそうか言うてすぐ帰つたです。
  そうすると、AとBfは一緒のことはなかつたわけですか。入れ違いになつた
わけですか。
    はい。そりやあ入口から階段に上られるまでに話をされたら知りませんけ
どね、部屋で一所ということはなかつたです。
  それでBfが来てからも、隣の部屋で相談でもあつたんですか。
    いいえ、Bfさんが来られた時には、Bfさんが女の人を連れて来ておら
れたと思うんですけどね。何かBに言われる時にね廊下に出られて廊下の方から隣
の部屋へはいる方のつらで何か話しておられましたです。
  BがBfに。
    はい。
  どこで、もう一度正確に言えば。
    廊下へ出まして、隣の三畳の部屋の方へ、廊下の方からはいる、小さい、
畳半分敷ぐらいの板の間があると思うんです。どこかその辺で話しておられたよう
に思うんです。そちらから中へはいられたかも知れんですけど、いずれにせよ、わ
たしらの部屋から隣の部屋にはいらずに。
  そりやあ何の話だつたんですか。
    さあ知りませんです。
  女の話じやなかつた。
    よくわたしは話は聞いていないから知りません。
  Bfは女を二人連れて来ておつたらしいんだがね、証拠の上からみるとね。
    わたしも見ました、そのように。
  その女のことを何か話しておつたんじやないですか。
    さあそりやあ知りません。
  ではM旅館ではその程度のことはそのほかのことは今まで述べておる通り間違
いないんですか。今訂正された範囲で違うけれども、そのほかは何か思い出してみ
て、違うところがありますか、ないですか。
    拷問が違います。
  拷問の点は先程あんたが訂正したからよろしい。その点はもう裁判所がきよう
尋ねる予定にしていないからね。
    はい。
  それじやあ具体的にもう少し尋ねると、Bから二十四日以後にね、あんた自身
が金をもらつたようなことがあるんですか、ないんですか。
    二十七日の晩にいただきました。
  幾らもらつたんですか。
    三百円の上がじようにはなかつたと思うんです。
  それは前に述べた通りですね。
    はい。
  そうすると、金をもらつたとか、もらわないとかいう点も従来通り間違いない
んですね。
    はい。
  それから里へ帰つて千円お宅でもらわれたと、これも間違いない。
    はい間違いありません。
  それからAq方で、二十四日以後、あんたが食うや食わずで、ほとんど食わな
かつたと証言しましたね。
    はい。
  それも間違いない。
    はい間違いありません。
  そうすると違つた点は主として二十四日の晩のことに関するわけですね。
    はい。
  それからさつきあんたが言いかけたのを、こちらで押さえたような恰好になつ
たから、ここで改めてお聞するんだが、あんたが今まで嘘を言うておつたのを、中
野検事さんに自白するようになつたその動機をさつきちよつと言いかけたんで、わ
たしの方で止めた、別に押える積りではなかつたんだが混乱するといけないから一
応あの時は押えたんだが、どういうわけか、もう一度詳しくおつしやつてください。
    十六日の晩にね、おとうさんのなくなられて三年目の命日が十七日だつた
んです。それで十六日に法事をなされたんです。その晩に、わたしはたいがい親元
の方へ帰る時におとうさんの墓参りをするんです。それが近い日の朝法事によう帰
らん、心のうちで淋しい思いをしておつたんです。それで晩に休みましてからね、
おかしい夢を見まして寝られなんだです。それでおとうさんも出られましたです。
おとうさんが正直な人間じやつたのに、どうしてお前はそういう子供になつてくれ
たかと出られましたです。それでああ自分が悪かつた。子供を連れておる親であり
ながら、どうして無責任なことを言つて世間を騒がしたのかと思つて自分から進ん
で自白しましたです。
  十日から十六日までの間、どのくらいの時間いつも調べを受けたんですか。
    朝の十時頃からわたしは早く帰りたいですからね、夜が明けるまで調べら
れてもええとわたしから頼みましたけど。
  あんたの方から夜が明けるまででも調べてほしいということで交渉して調べを
受けたんですね。
    いいえ、女の体でそんな夜まで調べるというようなことをしたんでは。
  できないと。
    はい、できないから言うて。
  まあそれはよろしいが、朝の十時ごろから何時ごろまでいつも調べを受けてい
た。
    十時前ごろ、九時ごろまで。
  夜の九時頃まで。
    はい。
  毎日ですか、それは。
    はい、一日ぐらい昼二時からやられたことがありました。
  それであんたの方では、もう徹夜でもええから早く調べて帰してもらいたいと、
こういうように訴えたんですか。
    はい。
  検事さんはそういう調べをすると、女ではあるしね、いろいろ差し支えるから
いかんというわけで、遅くとも十時ごろには打ち切つておられたと、こういうわけ
ですか。
    はい。
  どうしてそんなに徹夜までして取調べを受けて早く帰りたかつたんですか。
    わたしも子供を今まで手所から離したことがないですからね、黙つてその
まま置いて出ましたからね、一日も早よう調書がすんで帰られるもんならね、わた
しが良心に誓つて調書を作つてもらいさえすれば帰られるものとばかり信じてね早
くして帰してくださいとわたしから頼んだんです。
  それはいいんだけどね、要するに子供可愛さから、そういうことをあんたが申
し出たと、こう言うんですか。
    はい。
  それ程子供が可愛いのであれば、一番最切の日に自白すればすぐ帰してもらつ
たかもわからんじやないですか。
    それがやつぱり言い初めというものが、どうしても、今まで六年も七年も
世間様にご迷惑をかけておるので、なかなか口をきるのが容易なことではなかつた
です。
  それであんたが子供の愛情にひかれて徹夜でもいいから調べてほしいと、こう
いうことまで申し出るのであればね、徹夜までして調べてもらいたいと言うのは、
どういう意味になるんですか。あんた嘘をつつぱる積りでおればね、徹夜までして
調べても同じ結果になるんじやないですか。どういうわけだ、それは。
    悪いことを言うて来たと思つて自分に良心に誓つてね、記憶のある限りは
わたしが今から言うから調書に取つてくださいと。
  いやこちらで尋ねておるのは、逮捕されてから自白するまでの間のことを聞い
ているわけです。さつきそういうようにお尋ねしたはずですよ。逮捕されてからあ
んたが自白するまでの間の調べ状況についてこちらがお尋ねしたんですよ。それに
対してあなたは朝十時ごろから、夜九時十時ごろまでの調べだつた。それから日に
よつては二時ごろから始まつたこともあつたと、こういうことだつたでしょう。そ
れからあなたの方から徹夜でもいいから調べてほしいということを申し出た。しか
し検事さんの方ではそういうことはできない。こういうように断わられて、夜九時
十時ごろで打ち切られたと、こういう証言をされたわけですよ、今、これは間違い
ないんですか。
    はい。
  それ程しかし子供が可愛くて徹夜までして調べをしてもらつたらいいという気
持ならね、早く自白すれば、ことは早く解決つくように思うんだけどね、先程言う
通り、なかなか機会がつかめなかつたと。
    はい。
  そうすると徹夜までして調べてくれと言われても意味がないんじやないですか。
    いやわたしが徹夜までやつて調べてくれと頼みましたのは、十六日から以
後でした。
  さつきは十日から十六日を前提に置いて尋ねたんです。自白してから後はそん
なに暇がかからなかつたんじやないですか。あんたがすらすら自白すれば、そうで
はないんですか。
    二十三日間おりましてね、十六日から三日の夜帰りましたから、二日の夕
方ごろまで調べられましたのはね、それまでに、いろいろ思い出す限りは詳しく思
い出そうと思つてね、もう少し待つて下さい、そこずつと詳しい記憶の出る範囲は
出しますからと言うて、わたしは考えるのに、なかなかいろいろ暇がかかりました
です。長くかかりましたけど、十六日までは知りません知りませんでわたしは通し
て来たんです。
  主人のBtさんに何か勧告受けたようなことはないんですか。勧告言うても、
むずかしい言葉だけど、どう言つたらええですかね、勧告という言葉わかりますか。
    わかりません。
  たとえば正直に言いなさいとか、あるいはそれに類するようなことを、ご主人
から言われたようなことがありますか。
    いいえ、聞いておりません。
  その時子供さん連れて来たんですか、連れては来なかつたの。
    いいえ。
  連れては来ない。
    はい。
藤間裁判官
  ちよつとお尋ねしますけどね、あんた最初Bwさんという人と一緒になつてお
つたんですね。
    はい。
  それはいつまで一緒になつておつたんですか。
    昭和二十九年の五月に結婚して、三十一年の十二月に別れました。
  子供が一人生れたわけですね。
    はい。
  男の子ですか女の子ですか。
    男の子です。
  どういうわけで別れたんですか。
    最初に一緒になる時におかあさんが、この人はこうこういう過去を持つて
ね、証人に出にやあならんやらわからんけど、それをBwさん承知してくれるかと、
まあ許可を得たわけです。そしたらいつでも行かせるからという承諾で一緒になつ
たわけです。そして一度原田弁護士がaへ来られました時に、聴取りに来られまし
た時には気嫌よう行かしてくれましたです。それでその時に行く時に、この度で、
二度と呼ばれることのないように始末をして帰れと言われたんです。それで自分は
そうする積りでしたけど、三十一年にjの民事裁判に出頭せえと言うて紙が来たん
です。それがおかあさんの所へ初めに来まして、十二月の二日でした母がわたしの
所へ持つて来てくれたんです。そしてBwと申しますが、Bwちやんこういうもの
が来ておるんじやが、行かしてもらえんかと言うて、言うて行つたわけです。母親
がものを一つも言われんわけです。片方がね、それでどうするんかね、行かせんの
なら行かせんように罰金をあんたが払つてくれるんじやねと母が言うたわけです。
そして何にも言わんからおかあさんがそのまま持つて帰つたわけです。それから二
日の晩から三日の朝にかけましてね、裁判所へ子供が具合が悪いなりとなんとなり
と手紙を出せと、こう言うたんです。それでわたしが嘘を言うたつてしかられるか
わからんけえ、出え言うんなら出してくれ言うたんです。いや手紙を出せ言うから、
新生の状袋に、子供が具合が悪いと手紙を出したんです。それで罰金は払つてやら
んと、こう言いましたからね、罰金も払つてくれんなら、放つたらかしておくと、
こう言うたんです。そしたら五日の朝になつて、とりあえず、親兄弟のめんつがあ
るから事件が解決つくまでいんでくれんかと言うて、男が頭を下げて頼むんじやか
ら言いましたからね、じやあそれは本気で言われるんですかと言うたら。
  親兄弟のめんつがあるというのは、誰の親兄弟かね。
    Bwのです。
  Bw自身の親兄弟のめんつがあるから。
    はい。帰つてくれ言われるから、本気で言われるんだねとわたしが言いま
したら、男が頭を下げるんだから、なまやさいしいことではないと言われたから、
男が金持つて出ましたから、わたしはその間に帰つて来ましたです。
  そうすると、Bwさんの方では、あんたがBx事件に関係して、再々証人で調
べられるということを嫌つたわけですか。
    はあ調べに出ますでしよう。あれが親に言うてないから、親の顔がつぶれ
ると、こう言うんです。
  再々証人に出ることを嫌つたわけかね。
    はい。
  そしてあんたが証人に出てね、どういうことを証言したかということは、Bw
は知つておつたんでしようかね。
    いいえ、Bx事件のことについては、わたしは言うてないです。
  たとえば、あんたが言つたことが新聞に出るとか何とかして、あんたがどうい
うことを証言しておるかということを、証言の内容をBwさんは知つておつたんで
しよかね。
    いいえ、いろいろとわたしがここえ来て証言することも、わたしがこうい
うように出たということも、別にきようここへ出て、何の話があつたということを
するわけでなし。
  そんなことはBwさんに話さんわけですね。
    はい。
  そうすると、再々証人に引つぱられるということは知つておつたけれども、ど
ういうことをあなたがしやべつておるかということは、Bwさんは知らなかつたん
でしようかね。
    はい。
  それとも新聞とか何かで知つておつたんじやないでしようか。
    殺人事件ということは知つておりました。わたしがBwにね、結婚する時
にね、こうこういう過去があると言うたわけじやないんです。おかあさんが、これ
が初めに結婚しておつた男が、無実の罪ではいつておると、おかあさんが言うたん
です。
  初め結婚しておつた男が無実の罪ではいつておるということを、あんたのおか
あさんが、Bwに話しておつたわけだね。
    はい、その証人に出るということをおかあさんが言うておつたんです。そ
のおかあさんがBちやんどうかつていろいろ聞かれたけど、わたしが二十四日の晩
宵の口から一緒に寝とつたと言うたばつかりに関係がないと信じておるわけです。
  あんたとしても、Bwさんとは別れたくなかつたんですか。
    別に縁がなくて別れたというんじやないんです。
  自分としては子供もあるし、一緒にやりたかつたんですか。
    いや、この事件で通知やなんかない時はまあ金がないんで内輪げんかとい
うことはあつたですけど、別にどうこういう何はなかつたです。
  そうすると、それまで愛情の関係ではどうこうということはなかつたんですか。
    わたしの失策でしかられるということはあつたですけど、別に別れるとい
う仲のことはなかつたです。そうすると結局どういうことになるんですか。Bwと
しても再々Bx事件であんたが調べられるんで、それを嫌つてあんたを帰したこと
になる。
    はい。
  あんたとしては、そうすると子供もあることだし、そのままずつといければ、
一緒に生活したいという気は持つておつたんですか。
    はあその当時は子供がおりますからね、なるべくなら、それまでによう内
輪げんかする時でも、帰れと男として言いますしね、子供がおる身じやから、もう
少し辛抱しようと思つて。
  そういう気持でおつたわけだね。
    はい。
  今のBtさんとはいつ一緒になつたんですか。
    去年の九月です。
  この人にはBx事件の関係では証人に出るかも知れんということは話してあつ
たんですか。
    はい。
  それで承知の上でBtさんは結婚したんですか。
    はい。やはりわたしが無実の罪ではいつておるから、証人の通知が来た時
はいつでも行かしてくれるかと言うたわけです。
  Bなんかが無実の罪ではいつておるから、そのことに関して自分が証人調べを
受けるかも知れないが、すぐ行かしてもらえるかと、こう言うたわけだね。
    はい。
  それを納得の上で結婚したわけだね。
    はい。
  それでその夫婦仲はあんまりよくないようなことをさつき言いましたね。一緒
になつてから。
    はい、やはりわたしがこういう大きな事件を背に隠してきておりましたか
ら、どうしても家庭は円満にはいかなかつたです。
  どういうことですか、具体的に言いますと。
    まあ女としての愛情が足らなかつたんだと思うんですけど。
  Btさんはどういう仕打をしたですか、あんたに。
    どういう仕打ちということもないですけど、このBx事件のことについて
あまり聞かれないですけどね、男としてね、まあ過去を抱へてくる女というものは
あんまりない言うて言われたですけどね。
  過去を抱えてくる女というのはないということを言うんですね。
    はい。
  あんたに暴行するとかなんかということはなかつたんですか。
    別に暴行ということは。
  Bx事件のことであんたが証人に出たりなんかすることについて、向こうが腹
立てて暴行するとか何とかということはなかつたんですか。
    いいえ。
  そういうことはなかつたんですか。
    はい。
  そうすると、証人なんかにあんたが出ることに対しては、Btさんは了解して
おつたんですか、嫌つておつたんですか。
    ええ気持はせんと言うておりましたけど、やはり裁判所からの通知でした
らまあ少しの金でも、汽車賃の足しにと言うてある時にはくださいます。
裁 判 長
  それではまだ裁判所も全部終つたわけではないんだが、まだ検察官弁護人から
お尋ねがあるからね、午後一時から再開します。
藤間裁判官
  午前中の続きだけど、あなたが偽証罪で逮捕されるようになつてからは、ご主
人のBtさんとは非常に円満になつた、こう言いましたね。
    はあ保釈になつて帰つてからです。
  保釈になつて帰つて来てから非常に円満になつたと。
    はい。
  それまでは、それほど仲がよくなかつたようなことを言いましたね。
    はい。
  どういうわけでですね、この保釈になつて帰つてから、そんなに円満になつた
んでしようかね。
    私があの改心したというてね、言いましたんです。
  あなたが改心したと。
    はい。
  それで主人の態度が変つて来たというわけですか。
    はい。
  それともですね、このあなたが、そのただ改心したというだけでなくて検察庁
の取調を受けた時に、こういうことを言つたという、その言つた内容のことを話し
ましたか、ご主人に……。
    いいえ、私から言つていません。
  今まではこういうふうに言つておつたんだけど、今度、検察官の取調を受ける
ようになつてから、こういうふうに言つたんだという内容をですね、ご主人に話し
ましたか。
    全然、話していません。
  全然話していないんですか。
    はい。
  そうするとただ改心したというだけなんですか。
    はい、それと私があの逮捕を受けましてから留守中ね、子供がとつても寂
しい思いをしておつたと言うてね、親がそういう重たい荷を、無実じや、無実じや
言うて、大きなことを言うて来て、子供に対してもすまんというてね、親が教育す
るだけの資格がないじやないか言うてね、改心したんなら子供のために母親として
立派に育てて行こう、自分も力になるから言うてね、夫婦円満にいきます。
  今までは、あなたはその主人に向つてですね、Bあたりは無実だということを
言つておつたわけですか。
    はい。
  そうして今度保釈になつてから後は、そうじやないということを言い出したん
ですか。
    私から主人にはね、こうこう言うて、こういうふうにうそを言うておつた
ということは言うていないんです。いろいろ主人も新聞やなんかを見て知つておる
んじやないかと思うんです。
  新聞なんかを見てあなたが検察官に対してどういうことを言うたかということ
は主人は知つとるわけですか。
    はい。
  端的に言うと、今まではあなたがBなんかの有利なことを言つておつたんで主
人はその点をですね、きらつておつたんじやないんですか。
    有利とは……。
  有利にBが無実になるように、あなたが言つておつたわけですね。その点を主
人がきらつておつたんじやないんですか。
    いいえそうじやないです。
  そうすると主人があなたを、その主人とあなたとの仲がですね、あまり今まで
よくなかつたということは、どういうことかね、結局、さいさいあなたが証人なん
かで検察庁や裁判所あたりに呼ばれるので、それをきらつておつたという意味です
か。
    はい、やつぱり出て行けば動揺がありますからね、日稼ぎぐらいの所帯で
お金もいり、また男としても、ものも一日でもさびしい思いをさせますから、そう
いう点でまあ、いろいろ事情があつたんでしようけどね。
  だけど保釈になつて帰つたにしろ、あなたは偽証罪で起訴されたんでしよう。
    はい。
  懲役になるかも知れんですよ、そんな状態にあるのにですね、たとえあなたが
改心したからといつて、そう主人の気持がですねやはらぐということは、ちよつと
理解出来ないような気がするんですがね。
    主人は私にね、あんたは私に一緒になる時に、無実の罪で証人に出るから、
あのそれを行かしてくれ、承諾してくれてなら結婚するという約束で一緒になつた
のに、どういうわけで偽証罪になつたかというふうにね、あれが帰つて来ましてか
ら聞かれたですけど、私がうそを言つておつたから偽証罪にかかつたわけで、私が
明らかにお話を良心に誓つて話をして保釈をしていただいたんだけれども、保釈金
も主人が積んでくれたんですけどね、こうして出られて、今ちようど山口に行くの
も自分がその今まで、うそを言つていたつぐないをしてきれいなからだになるから、
そうして初めて家庭を何するから言うて、今までのことはこらえてくれ言うて、頭
を下げました。そうしたら納得して下さいまして、夫婦円満にいくわけです。
  あなたが、そのBらに対して不利益なことを言い出したので、それで主人の気
がとけたんじやないんですか。
    いいえ、そういうわけじやないんです、初めに結婚する時に、無実の罪で
はいつておられるのを行かしてくれ、無実の罪ではいつておるのなら私が行かして
やるというあれで一緒になつたわけです。主人でみると私が、まあ裏切つたような
ものですよね。
  あんた今の主人とはもちろん別れたくないんでしような。
    はい。
  いつまでも夫婦で暮したいという気持を持つているんでしようね。
    はいあります。
  それから、これは話は違いますけれども、Aqのうちを借りるという話はいつ
あつたんでしようか。
    二十四日の夕方帰つて来られて、私が、きよう、こうこうであのお母さん
と口ずもうをとつた言うて話しましたから、ちようどええ家を借つたから出て行こ
うと言われました。
  そうするとあなたが話をする前に、BはAqと話をしてですね、家を借りる約
束をしておつたということになるんですか。
    まあそういうことです、それは私の目の前でそういう約束をせられたこと
もなし約束を友達に聞いておるということも聞かしてもらつていないです。突然の
ことです。
  ちようど、いい家を借りることになつておるからと、こういう趣旨のことを言
つたわけですね。
    はい。
  それから、これはまた話が違いますけれども、hのBのうちから、Eのうちに
行く途中で十時のサイレンを聞いたようなことを言いましたね。
    はい。
  これは間違ないですか。
    はい。
  そうするとEのうちまで行つてパスを借りて、そうしてBと一緒になつてAq
のうちに行つたわけですね。
    はい。
  行つて、そうしてBがですね、Aqのうちを出たのは、およそどのくらいな時
間ですか。
    十時のサイレンが裏町で鳴りまして、Eさんのところに行つてすぐパスを
出して下さいましたから、それを受取りまして、EさんとBmさんのところはあま
り遠くなのでそこで会いました。別に走つたわけでない、歩いて行つたんですが、
どの位かかるか、まあ十分か十五分ぐらいじやないかと思うんです。
  そうしてAqのうちに行つて、間もなく出たんですか。
    はいすぐ出ました。
  あるいは、その借りる部屋を見分するとか、そこでAqと話しこむということ
はなかつたんですか。
    いいえ、別に話いうてなかつたです。
  そうすると、あんたの感じでは、気持ではBのうちに行く途中で十時のサイレ
ンの鳴るのを聞いてそれからEのうちに行つてパスを借りて、でBと一緒になつて
Aqのうちに行つてですね、AqのうちをBが出るまでの時間はですね、大体、十
分か十五分ぐらいなものだとこう言うんですか。
    はい、ようかかつても三十分はかからないです。
  そうすると、あなたはBが出てから床を引いて服を着たまま横になつたわけで
すね。
    はい。
  午前中の証言では三十分か一時間ぐらいしてBは帰つて来たと言いましたね。
    はい。
  時間はそのくらいでしたか。
    はあ、あまり長い時間ではなかつたです。
  その間にあなたは寝ましたか。
    横になつておりました。
  横になつておつたけど寝ていなかつたですか。
    眠り込んではいませんでした。
  そうすると、今の考えでは、大体三十分か一時間ぐらいの時間だと思うと、あ
まり長い時間じやなかつた、こういうことですか。
    はい。
  三十分か一時間してBらが帰つて来てその時の状況で何か変つたことはなかつ
たですか。
    いいえ、別に、帰つて来られた時にトランクを下げて来られましたからね、
Cさんがトランクを遅れて持つてはいられましたからね……。
  トランク。
    青いような……。
  大きさは……。
    どの位言うたらいいかしら、普通のまあトランクですね、あまり小さいん
じやないんです。
  小さいんじやない……。
    小さくもなけりら、大きようもなかつたです。
  普通のトランク。
    はい。
  それ以外にですね、格別、Bらの挙動等については変つた点はなかつたですか。
    はい。
  トランクはなんかはいつていましたか。
    別に私は中を見ませんでした。
  トランクを開けたりなんかしなかつたですか、Eとか……。
    いいえ、そんなことはなかつたです。
  お互どうしで帰つて来てから、いろんなことを話をするというようなこともな
かつたですか。
    いいえ、別に帰つて来られて、みんなはいつて来られてから、座敷に上が
りましてね……。
  座敷というのは、あなたが寝ておられる部屋ですか。
    炊事場です。
  炊事場のほうに上がつて、そうして格別変つた話はしていなかつたですか。
    はい。
  その米はどうしたんじやろうかね、めしをたく米ですね。
    さあそれは知りませんですけれども……。
  それは誰が持つて来たかわからん……。
    Bがはがまに入れてくれました。
  どこから出したの。
    表の板の間のほうから持つて来ました。
  何にはいつておつたですか。
    なんかいろもんのような袋でしたけれども、確実に袋は覚えていないんで
す。
  色もんの袋。
    はい。
  米はどのくらいあつたんですか。
    一升あるかないか、ぐらいじやなかつたかと思うんですが……。
  その米を全部、使つてご飯をたいたんですか。
    はい。
  その袋はどうしたんでしようか。
    どういうようにしちやつたか知りませんけど……。
  どうしたかわからん。
    はい。
  Eが下げて帰つて来たというトランクはどうなつたんでしようか。
    Cさんが下げて来たトランクですか。
  ええ。結局どうなつたんですか、そのトランクというのは……。
    あの私がafに帰る時に借つて帰りましたです。
  あなたが借りて帰つた。
    はい。
  帰つて来てからその晩にせんたくをしたと言いましたね。
    はい。
  それは何で洗つたんですか、水で洗つたんですか、お湯ですか。
    水です。
  水はどこにあつたんですか。
    Aqさんの前にある、表にある井戸です。
  野天井戸ですね。
    はい。
  そこから水をくんで洗つたわけですか。
    はい。
  そうして板の間のところに、そのせんたく物を干したと言いましたね。
    はい。
  竹ざおはどうしたものなのですか、干す竹のさおですね。
    さおは、私はせんたく物を干されるまで見ていなかつたですが、どこから
持つて来られたか、そこに前からあつたのか、それは知りませんです。
  そうすると洗つたせんたく物というのはどうなつたんですか。
    かわいてから私がかたづけたか、Bさんがかたづけられたか、そこは私も
よく記憶していないんです。
  そうすると二十五日も干してあつたんですか。
    はい。
  その板の間にですね。
    はい。
  その後は、そうすると、あなたはかたつけたのか、どうなつたのか、自分はわ
からんと言うんですか。
    私がかたづけたのか、そこもよくわからないんですが……。
  洗つた品物はですね、せんたくしたものは、午前中言いましたようにゆかたと
それからズボン二つですか。
    はい、私の前ではズボンが仕事場でよごれたから言うて、ゆかたはえりあ
かがついたからと言うて、私の前では二枚しか出されていなかつたです。
  その二点ですか。
    はあ二点しかなかつたと思うんですが……。
  まだほかにあつたんじやないんですか。
    さあ、そこははつきり覚えていませんが、二枚ほど干してあつたのは覚え
ておるんですが……。
裁 判 長
  先ほど、Bはズボンを二枚はいておつたと、こういうふうに証言されましたね。
    はい。
  どういうズボンですか、もう一枚は。
    何か色もんのズボンのようにあつたですが……。
  どういう色ですか。
    紫の薄うなつたようなズボンをはいておつたように思うんですが……。
 その時以外に見たことがありますか、そのズボンを。
    あれはあのafにdに関係のない、私がaに来ん前に、afに来られた時
に、セビロを上下そろいを着て来られた時に、一応うちへ帰るいうて出られまして、
夕方また引返して来た時に上のええほうのズボンだけ質にかまされまして下に青い
ズボンをはいておられました。その時にはいておられたズボンによく似ておりまし
た。
  そうすると作業着じやないんですか。
    作業着にもなるような古いズボンです。
  Bはいつもそういうふうに二枚ズボンをはいておるんですか。
    日頃は知りませんが、afでも一度そういうふうに見たことがあります。
  それから、さつき午前中の話だけれども、Bがせんたくする前にけがをしたと
か、なんとか、あんたがちよつと言つたんだけれども、それはどういうことを言う
たのかね、もうすこし覚えておる範囲で言つてみなさい。
   きよう、現場で、仕事場でバラスを上げよつたら、うしろから自動車か来て
人が下敷になつたとか言うて、けが人が出て仕事にならんだつたと言うておられま
した。
  そのズボンとかゆかたは、あんたごらんになつたんですか。
    はい、見ました。
  なんか血でもついておつたですか。
    いいえ、赤いものいうて別についておりませんでしたけれども、ひざから
下にちよつとぐらい黒いようなものがついておりました。
  血であるかどうかわからなかつた。
    確実、血というのは見ていないですが……。
  ゆかたのほうは……。
    ゆかたは別に目をかけなかつたですけれども……。
  ゆかたをなぜ洗つたんだろうね。寝巻に必要だと思うんだけど、なぜゆかたを
洗つたんかね。
    えりあかがついたからと言うておられました。
  えりあかがついたにしても夜寝るのに寝巻に必要だろうと思うが、なぜ洗つた
んだろう。
    そこは知りません。
  ゆかたの上にオーバーを着ておつたんじやないんですか。
    オーバーは着ておられました。
  ゆかたも着ておつたの。
    はい。
  じやゆかたの上にオーバーを着ておつたんかね。
    はい。
  じや、そのゆかたのほうだけ洗つてオーバーは洗わなかつたと、こういうわけ
になるかね。
    はい。
  それからね、これは前、あんた二回も証言しておられるから系統だつたことは
聞かないが、とびとびしたことだけしか、お尋ねしないが、間違わないようにお答
願いたいんだがね、Bm商店の前でBと会つた時、あなたとBとの話、あるいはC
aとBとの話、その三人で話し合つたことばで、あんた記憶にある範囲のことを思
い出してみて下さい。あんた前のことを、ずいぶん思い出しておられるから、その
時にかわしたことばを全部思い出す範囲で述べて見て下さい。どういう話があつた
か。
    Bm商店の前で会いました時に前うしろぐらいに離れておりまして今晩わ、
言うてBさんがたけつておられたんです、それで私は帰ろう言うて妹さんに言いま
したんです。妹さんが透かしてみて、お兄ちやんじやないの言うてへりに寄つて行
かれましたです。私もBいうことがわかりましたからそばへ寄つて行きましたです。
    その時にパスを渡されたか、渡されないか見ておらなかつたてすか、それ
からというものは、三人がひとところで話しをしていなかつたです。
  何か割木の話があつたんじやないですか。
    あれはBさんが、私が帰ろう言うたんです、割木を買うて帰らにやいうて
おられましたです。
  Bが。
    はい。ええ、ええもう帰ろう遅いから言うて、それで買わせなかつたんで
す。
  Bが割木を買うて帰らにやいけん言うたんですね。
    はい。
  それであんたがもういいから帰ろう帰ろう、こう言うたというんですか。
    はい。
(昭和三十三年二月十二日施行検証調書添付の第二図を示す)
  これはね、ぴつたり、その場所を当てるということは非常に無理な話ですから、
大体の感じとして、どのへんで十時のサイレンを聞いたんですか。
    このへんです。
  八海橋からaのほうに向けて行くとagという橋がある、その次のa寄りのと
ころに、南にはいるたんぼ道があるわけですね、そのたんぼ道にはいつた、そのた
んぼ道の大体三分の一ぐらいはいつたところで十時のサイレンを聞いたと、こうい
うふうに聞いていいんですか。
    はい。
  間違つておつたら訂正して下さい。
    サイレンを聞きました時に、Eさんか、おつつけBのBちやんも帰つて来
ると言われました。
中野検察官
  一月十九日にMに行かれた時のことで一つほど聞いてみたいんですがね。飲ん
でおる最中にAがあなたを廊下に呼び出したということは先ほど証言された通りで
すか。
    はい。
  そのほかに人を呼び出したようなことはないでしようか、Aが。
    あのほかのDさん、Eさん、Cさんを交替のように呼んで話しておられま
したです。
  それは飲んでおる部屋……。
    以外の部屋です。部屋かまあ外へ、表に出られたんではないでしょうが、
廊下のすみのほうか、隣の部屋にはいられたか、そこまで見届けていないんですが
……。
  とにかく部屋の外に、それは一緒でなしに入れ替りのようなことでですか。
    はい。
  その時期は、およそいつ頃でしようか。たとえば、あの飲み出してから初め頃
とか、飲み出してから、おおかた飲み終つた頃とか、中間頃とか、いろいろ表現が
あると思うんですが、およそ、いつ頃でしようか。
    酒を飲み始める前にも、騒々しておられましたし、酒を飲まれて酒がなく
なる前にも騒々しておられましたです。
  そのAが今、Eとか、Dとか、Cですね、こういう人を入れ替りに廊下に呼び
出しておつたという、その時期ですね、およそ、飲み終る頃とか、飲み出して初め
頃とか、およそ言えませんか。
    お酒がすんでからのようにもあるんですが、お酒を飲む最中はあまりAが
出てどうこうということはなかつたように思うんですけど、お酒がなくなつてから
帰られる前に出られて話されるということもありましたです。お酒を飲む最中は、
初めの時にはそういうことはなかつたです。
  それはあなたがAに呼び出される前ですか、あとですか。
    先です。
  Mから今度、Bの家に移つてからのことですかね。
    はい。
  Ahが尋ねて来たようなことかありますか。
    はあ、あります。
  それはいつ頃ですか。
    私がMからBのうちに帰つて、あけての日じやないかと思いますか……。
  あけての日と言うと。
    二十二日じやなかつたか知らんと思うんですが……。
  それはどういうことで来たんでしようか。
    afに帰るから、帰らんか言うて来られました。
  それはAhでしたか。
    いいえ、Eさんと二人でした。
  それであんたはどういうふうに返事をしたですか。
    今あの仕事に行つて留守をあけておるし、金もないしするから帰らんと言
いました。
  そうすると誘いに来たけれども、金もないし、Bも留守だから帰らなかつたと
いうわけですね。
    はい。
  二十四日の夕方までBの家におられたということですが、Bの家におる間です
ね、お風呂はどうでしょうか、毎日たいておられましたか。それともどういうよう
な方法でしようか。一日おきとか毎日とか。
  さあ、それはよく知りませんです。けれども私がMから帰りました晩には、は
いりました。そのあけての日の晩もはいつたように思うんですけど、とにかくひて
いぐらいじやなかつたかと思うんですがね。
  二十四日の晩はあなたが先ほどBの家で風呂にはいつたと言われましたね。
    はい。
  そうすると二十四日までに何か一日ぐらいははいらなかつたように思うんです
か。
    はい。
  それからhのBの家にBfが来たことはありませんか。
    はあ、一度あのB、D、Cさんらが遊びに来たあとか、とにかくBさんが
おらない時にBfさんが遊びに来られたことがあります。
  それは夜ですか、昼ですか。
    夜です。
  およそ何時頃だつたでしょうか。
    宵の口でした。
  それはあの何日か、よくわかりませんか、何日の夜であつたか。
    二十二日か三日かお酒を飲んだあと来られたか、そのあけての日じやつた
か、よく覚えていないんですけど……。
  二十二日か三日かよくわからない。
    はい。
  それから、一月二十四日のことについて、すこし尋ねますが、証人がBとAq
の家に出かけて行く時ですね。一番最初にね。
    はい。
  その時の証人の服装はどんな服装だつたでしょうか。
    証人とは。
  あなたです。
    青の緑のようなオーバーを着て、靴をはいてサージの、紺のサージの上下
を着ておりました。
  履物はなんだつたですか。
    ズツクをはいておりました。
  ズツクはどんな色のズツクでしようか。
    茶色の靴です。横どめで茶色のズツクをはいておりました。
  それから、Aqの家に行く時はDも一緒だつたと言われましたね。
    はい。
  それからBが賃銀を取りに行くというので、DとあなたとBの三人が八海橋ま
で出たと言われましたね。
    はい。
  それでDが自転車を取りに帰つたんですか、Aqの家にね。
    はい。
  それであなたとBはCの家に行かれたというんですが、それはあなたがついて
行くと言われたんか、どうですか。
    最初、八海橋を渡つた時、帰つて風呂にはいれと言われたがahのところ
までついて行くと言いましたんです。ついでにウドンを食べさしてやるからと言い
ましたからCまで行つたんです。その時こんな遠いところからみな遊びに来てんじ
やねえ、言いました。
  そうするとCの家にはその時が初めてだつたんですか。
    はい。
  それで、わりに遠い感じがしたもんだからこんな遠いところから、Cさんは遊
びに来られるんですかと、Bに言うたことがあるというわけですか。
    はい。
  そうすると、あなたが一応、hの家に帰つて風呂にはいつておけと、Bから言
われたけれども、いやだと言つてことわつたんですか。
    はい。
  それはどういうわけで、いやだと言うたんでしょうか。
    初めに、帰つとけえ言われたんですけど、いやというよりも、まあ、あの
道でなしに、もう一つはいる道がありますからね、どうでも帰れ言われれば、そこ
から帰ろうと思う気持でついて行きましたんです。
  そうしたらahのところまで来たら、ウドンを食べさしてやると言つたわけで
すか。
    はい。
  それでついて行つた。
    はい。
  そうするとCの家まで歩いて行かれたわけでしよう。
    はい。
  二人が。
    はい。
  Bは何も持つていませんでしたか。
    はい。
  自転車をついておるというようなこともなかつたですか。
    いいえ。
  なかつた。
    はい。
  それからCの家についてからですね。どのくらいしてDやEが来たんでしょう
か。
    あの私と、おおかた一緒ぐらいでした。
  おおかた一緒、もう着いたか、着かんぐらい。
    はい。
  同じ頃に。
    はい。
  二人とも自転車のように言われましたが間違ないですか。
    はい、確か突いておられたように思うんてすけど、乗つておられたように
思うんですけれども……。
  DもEも。
    はい。
  Cの家で、Cのお母さんですね、これは顔を見られましたか。
    いいえ、私も見ません、向こうも見てはなかつたと思います。
  何かCのおばさんと話をされたようなことはありませんでしたか。
    いいえ、私は話しはしませんでした。
  Cの家の中にはいらずに前に立つておられたというわけですね。
    はい。
  時間にしてどのくらいのもんでしようか。
    五分ぐらいじやなかつたかと思うんですけど……。
  それからBに先に帰つて風呂にはいつとけえと言われたんで、hの家に帰られ
たと言われましたね。
    はい。
  せつかくAqの家に部屋が決まつているんだから、そちらに帰られたらよさそ
うなもんですが、それはどうでしようかね。
    知らない若い男の人、一人でしたから、主人が帰るまでと思いましてね、
hのほうに帰りました。
  それから、あのhの家に帰られて、お風呂にはいられたと言われましたね。
    はい。
  Bのお母さんや妹さんと話をされたことがありますか、帰られてから……。
    いいえ、ものは言つていません。
  何か仕事でもしておられたんですか。
    はあ、原料を組んでおられましたです。
  それはBの母も妹もですか。
    はい。
  そうするとあなた黙つて見ておられたというわけですか。
    はい。
  それからBm商店の付近でBと出会つて、それからBとAqの家に帰つた、そ
れから妹のCaさんはhの家に帰つた、こういうことでしたね。
    はい。
  そのCaさんには自分達はこれからAqの家に行くんだというようなことは言
わなかつたんですか。
    はい。
  そうするとCaさんとあなたとBとですね、これは相当、離れておつたんです
か、それとも、どういうふうにしてCaさんをはぐらかしたんでしようか。
    別にAqに行くからと言つたわけでもないんですけどね。初めはかけ足の
ようにして行かれて、ずんずん私らがゆつくり歩いているうちに姿が見えなくなり
ました。
  そうするとあなたとBは意識してですね、特にゆつくり歩いたというようなこ
ともないんですか。
    別にゆつくりというわけでもないんですが、片方か急いで帰つて行かれま
した。
  何かその妹さんのほうは、ごきげんでも悪かつたような様子があつたんですか
ね。
    そこはよく知りませんけれども、じやまになるという程度か、どういうも
のか先に帰られました。
  じやまになるというのは、若いどうしだからですか。
    はい、じやないかと思うんですけど。
  その晩、それから、まつすぐあなたとBはAqの家に行かれたと言うんですが、
妹のCaさんは、あなた達が黙つてAqの家に行つたということであとで何か文句
を言うたようなことはないんですか。
    はい、二十五日の日のお昼前だつたと思うんですが、Ayで聞いたと言う
て来られましたです。
  どこへ。
    Aqさんの宅へ、AyのBちやんに聞いたんだけど、黙つて出んでも、出
るんなら出る言うて出りやええのに言うて来られましたです。
  そうすると、ちよつど文句めいたことを言いに来たわけですね。
    はい。
  その時、妹さんは何かそのほか話はしませんでしたか。
    はい、ゆんべcで事件があつたんよ、言うてくれましたです。
  そうするとAqの家で、そのCaさんから二十五日にcでゆんべ事件が起きた
ということを、これを聞かれたことは、これは間違ないですか。
    はい。
  この前の七月と九月の公判に証言に出られた時は、二十五日にBの家で妹さん
から聞かれたように証言されておるんですが、それはうそでしたか。
    はい、hにおるということを明らかにするためにうそを言つたわけです。
  それから、Bとあなたがですね、二十四日の晩ずつとCaさんをはぐらかして
から、八海橋のほうに行つて、渡りきつた付近にDがおつたと言われましたね。
    はい。
  あの位置をちよつと図面で、およそ指摘してもらいたいと思うんですがね。
    はい。
(昭和三十三年二月十二日施行検証調書添付の第四図を示す)
  この図面でどこですか。
    ここです。
  そうすると、第四図で言えば、八海橋を渡つて川沿にAqのほうに右に回わる、
その分岐点の付近のですね、Acの家の前あたりだつたというわげですね。
    はい。
  その位置はAqの家のほうに寄つたところだと。
    はい。
  そのDが立つているのに、会われた時にその附近にはほかに人影は見受けませ
んでしたか。
    あのほかに人は見ませんでしたけれども、一応、Bと一緒にAqの家に帰
りまして後、先に自転車を置いて行かれる時に、私がそこから見た時に、橋の手前
に人影が二人ほどありましたです。
  そうするとその人影というのは、Dがですね、立つておつた位置ですね、その
位置にはやはりDと思える人影があつたわけですか。
    はい。Dさんでない人影が二人ほどありました。
  そうするとDがおつた付近にも人影はあつたんですか。
    はい、ありましたです。
  そうするとあなたがBと一緒に八海橋を渡つて、Dと会つて、一応、Aqの家
に帰つて、Bがちよつと用事かあると言つて出かけて行つたと。
    はい。
  その時橋のほうを見たら別に人影が二人ぐらい見えたと言うんですか。
    はい。
  ちよつとその位置を示して下さい
(昭和三十三年二月十二日施行検証調書添付の第四図を示す)
    ここです。
  第四図で言うと八海橋を渡りきつてAqのほうに通ずる川土手の右に曲つた付
近ですね。
    はい。
  そうするとあなたはAqの家の前からですね、見て、あとはその人影のほうま
で行くところまで見ましたか。
    いいえ、見ませんでした。
  Bがどの近所まで歩いて行くのを見たんでしようか。
    dのほうに向いて上がつて行くのは見ましたが、その人影のところまで行
かないうちに、私は家にはいりましたです。
  dのほうと言うのは橋のほうですね。
    はい。
  そうするとその後、Bがどういう行動をとつたとか、Dや、二人ぐらいの人影
がどういう行動をとつたかということについては見ておられない。
    はい。
  BはAqの家からちよと出て来ると言うて出かける時に、何か持つていました
か。
    いいえ、別に持つてはおられませんでした。
  持つていなかつた。
    はい。
  それから、その後三十分か、一時間ぐらいたつた頃、B達がAqの家に帰つて
来たということなんですがね。最初、BとDかAqの家に帰つて来たんですか。
    はい。
  BとDがAqの家に帰つて来た時に何か持つているようなものはなかつたでし
ようか。
    何かあの棒のようなものを、長いものを持つておられましたけれども確実、
何というそれは見届けませんでしたが……。
  それはあなたが、どこで、どういうふうにして見られたんでしようか。
    あのあれが帰つて来まして、私が床から出て表に、板の間をのぞきました
時にBさんがうしろ手にかわしてね、Dさんに長い物を渡される時に、私がちよつ
と見ましたら戸詰めじやとか、どうとか、言うて押込みのほうにかたづけよられま
した。
  そうするとあなたがあのAqの家の表側の板の間の戸口のほうに出られた、そ
の時にBかうしろ手に何か持つておつて、それをこう、うしろからDに渡しておつ
たと言うんですか。
    はい。
  何か長いようなものであつたと。
    はい。
  それでDはこれは戸詰めだと言うておつたというんですね。
    はい。
  それは、あなたが聞かれたから、そういうふうにDが答えたんでしようか。
    いいえ、私が聞いたわけじやないんです。
  戸詰めとDが言うたというんですか、あなたはその戸詰めということはですね、
どういうふうに聞き取られたでしようか。
    あの戸口やなんかの鍵を下しますね、棒でつつぱりますね、戸が開かんよ
うに、あれのように聞きましたです。
  そうするとその時、Aqの家の表の出入口は戸がしまつておつたんでしようか、
帰つて来た時……。
    いいえ、障子だけがたててありました。
  そうするとあなたが障子戸に戸詰めでもしてあつて、取外してあつたというよ
うな状況はなかつたんですか。
    はい、ないです。
  それはどんな品物か記憶がありますか。
    いいえ、わかりませんけれども……。
  たとえば長さにして、どのくらいのもんだつたんですか。
    このくらいです。
  尺にしてどのくらいですか。
    二尺ぐらいのものじやないかと思うんてすが、はつきり見ていないんです。
  その棒のようなものは何で作つてあつたかということはわかりませんか。
    はい、わかりません。
  それはどこにDがしまつたんでしようか。
    押込みのほうに立てかけておくとか、なんとか、そういうふうに言うてお
られましたですけど……。
  押込みのほうに立てかけておいたような様子でしたか。
    はい。
  その押込みというのはどこにあるんですか。
    Aqさんの表入口をはいつて右つらにあります。
  表をはいれば右側に、それは土間ですね。
    はい。
  土間の右側に物置かあると。
    はい。
  押込みですか。
    はい。
  その前に立てかけたわけですか、Dが。
    はい。
  それからB達と米をといで食べたということについては、先ほど裁判長から聞
かれたような様子でしたか。
    はい。
  間違ないですか。
    はい。
  米とぎに出る時に、裏出口に出たところで、Bが電池をあなたに持たしたと言
いましたね。
    はい。
  その電池というのは、どんな形の電池でしたか。
    棒電池です。
  大きさはどのくらい。
    あまり大きくない、あの豆電池でもなかつたですけどね。まあ中ぐらいの
大きいというほうでもなかつたです。
  普通の大きさの。
    棒電池だつたです。
  丸いあの長いやつですか。
    はい。
  その棒電池というのは、Bの家にあなたがおられる間に見かけられたようなこ
とがありましたか。
    いいえ、見たことはありません。
  ない。
    はい。
  そうすると二十四日の晩、その米とぎの時に見ただけであつて、その後電池を
Aqの家、その他で見かけたようなことがありますか。
    いいえ、ありません。
  どういうふうに処分されたかわからないですか。
    知りません。
  わからない。
    はい。
  それから米をとぐのに井戸に行かれたということなんですが、屋内には水がめ
か、なんか水でもはいつておつたんじやないんですか。
    はあ、見ましたのですが、なかつたのです。
  水がめがあつたことはあつたんですか。
    はいありました。てんでないことはなかつたですけれども、お米をとぐほ
どなかつたんです。
  その井戸は位置は、Aqの家の裏口からどのくらい離れておるところにあつた
んでしようか。
    どのくらい言われて、私には見当かつかないですけれども、Aqさんの裏
に竹やぶみたいな山があります、あの近くでした。
  山手のほうにある井戸てすか。
    はい。
  そうすると、先ほどあなたはせんたくをする時の水くみはAqの家の前にある
井戸の水を使われたと言われましたね。
    はい。
  どうしてAqの家の前の井戸を使われなかつたんでしようか。
    あれは最初、私がAqさんから炊事場を習います時に、表にもあるけれど
も飲み水にならんからと言われたんです。
  その時にそうすると、表にも井戸があるけれども飲み水にはならんということ
をAqから聞いておつたわけですか。
    はい。
  それから、せんたく物のことを、ちよつと聞くんですがね、せんたくをしたの
は、白つぽいようなズボンと、それから、ゆたかのようなものと思うと言われまし
たね。
    はい。
  白つぽいようなズボンというのはどういうスボンなんでしようか。
    あの洗いさらけて白つぽくなつたスボンと思うんです。
  洗いさらけて白つぽくなつたようなズボン。
    はい。
  そうすると、たとえば、よく仕事着なんかになつぱ服を着ますね、そうしてそ
んなズボンかたびたび洗つて白くなつたというようなものなんですか。
    はい。
  それからゆかたですね、たとえばゆかたの模様なんか、どんなものだつたとい
うようなことを覚えておられませんか。
    はい、白地に青の菱形になつた柄でした。
  白地に青の菱形のはいつたゆかただつたと。
    はい。
  そうすると青という色ですね、この空色ですね、あんな色ですか。
    はい。
  このゆかたはBの家でも見かけたようなことがありますか。
    はい、hでも見たことかあります。
  それはBがhでも寝巻にでも使用しておつたものですか。
    はい。
  せんたくの場所は屋内でしようか屋外でしようか、ちよつと記憶がありますか、
どの近所でやられたという……。
    干してあつたのですか。
  たとえば、たらいを……。
    裏口の土間より外かうちか、よく覚えないんですけど、いずれあの電気の
明かりのとどくところでせられました。
  Aqの家の電気というのは、どこについておるんですか。
    あのご飯を食べる、あの裏の板の間の格子戸のへりについておりました。
  そうすると、裏口の出入りの付近には大体光がとどくような状況だつたですか。
    はい。
  それから、水くみですね、水くみはどういうふうにしたんでしようか、せんた
くをするのに……。
    最初の一杯、水をくむ時は二人が出ました。
  二人が出た。
    はい。
  それは何か入れるものを下げて出られたわけですか。
    バケツを持つて出ました。
  バケツで……。
    はい。
  そうするとせんたくに使つた水ですね、水と言いますか、これは沸かした湯を
使つたようなことはないんですか。
    いいえ、水でした。
  せつけんなんかどうでしようか。
    さあ、せつけんはよく覚えていないんですが……。
  使つたかどうかわからない。
    はい。
  どうしてね、ちよつと女の人がね、せんたくをするのが、普通なんですがね、
あなた黙つて見ておられたんでしようか、それとも自分がせんたくをしてやろうと
か、ひと言でも言われたことがありますか。
    はい、ひと口、私が洗おうと言いましたら、きようは遅いから、またこれ
からは洗うてもらうと言われました。
  それから、あのバラス上げの現場ですね、けが人か出て仕事にならなかつたと
いうようなことを、あんた言うておつたようですが。
    はい。
  これはどういう拍子にそういうことをBが言い出したんでしょうかね。
    ズボンをぬがれる時にバラスを上げる仕事をする時に、ズボンがよごれた
と、こう言われたんです。それで私が洗うてあげようと言うて、火ばちのへりにす
わつた時にひざから下に全部ついておつたわけじやないんですが、赤黒いものが点
々とついておりました。それであの私が手に取つて、洗おうと思つて手に取ろうと
した時に、きようは現場でこうこうしてと言う言う持つておりて、せんたくを始め
られました。
  そうすると、あなたとしては、Bからけが人が出たというようなことを言われ
て、そういうズボンに点々と何か赤黒ずんだようなものが、ついておつたとそうす
ると、けが人の血でもついておるように思われたわけですか。Bの言うことを聞か
れて。
    はい。
  それは間違ないことですか。
    私にすれば血なら真赤なのがついておれば本当ですが、黒味がかつておつ
たです。
  それから、せんたく物をですね、このゆすぎますね、ゆすぎ水を使いますね、
ああいうゆすぎ水なんかはどういうふうにしたんですか。
    あれは自分で前に行かれたか、うしろに行かれたか知りませんけれども、
自分でゆすいで来られましたです。
  自分でとは、Bがですか。
    はい。
  それから、せんたく物を干した場所ですね、ちよつと場所を図面で示してもら
いたいんですが。
(昭和三十三年一月二十五日付中野検事作成のAq方実況見分調書添付の第一及び
第二の写真を示す)
    ここです。
  そうすると、表側の板の間の、表側に近いほうにたててある障子寄りのかもい
にかけてあつたですか。
    はい。
  この竹を渡してですか。
    はい。
  それから、先ほど裁判長から聞かれましてね、DやEがAqの家から帰る時に
自転車を土間の中に入れたように言うておられましたね。
    はい。
  その入れた自転車というのは、どの自転車ですか。
    あのチエンの切れた自転車以外の自転車でした。
  そうするとチエンの切れた自転車はすでにAqの家の土間に入れてあつたんで
すか。
    はい。
  そうするとそれは、いつ頃入れられたかということはご存じないんですか、チ
エンの切れた自転車を……。
    誰がいつ頃入れられたというのは知りませんです。
  そのほかにもう一台、Aqの家の外にあつた自転車を、D、Eが帰りがけに入
れてくれたというわけですか。
    はい。
  それは誰の自転車かわかりませんですか。
    はい、知りませんです。
  そうするとあなたが、休まれる時は土間には二台の自転車があつたわけですか。
    はい。
  このチエンの切れた自転車ですね、これはBの家で見かけたことがないように
先ほど言われましたがね、どんな自転車ですか、たとえば型とか、あるいは新しい
とか古いとかいうようなことで、何か表現できませんか。
    男乗りの自転車で、新しい自転車でなく、赤くさびておりました。
  赤くさびておつたというのは、非常に古くなつてですか。
    はい。
  もう一台の自転車はよく覚えませんか。
    はい、どんなということを、晩に休む前にちよつと見ただけですから、よ
く覚えていないんです。
  そうすると晩に休む時に、ちよつと見ただけと言われましたが、チエンの切れ
た自転車以外のもう一台の自転車ですね。
    はい。
  その自転車はそうすると、いつ頃どういうふうにしてなくなつたんでしようか。
    あの二十五日の期、仕事に行かれる時に乗つて出られました。
  誰が。
    Dさんが朝誘いに来られまして、二人が一緒に出られる時、乗つて出られ
ましたです。
  それは誰が、Bがですか。
    はい。
  持つて出るところをあんた見られたんですか。
    いいえ。私が見たわけではないんですけど、横になつている時にね、自転
車を出して持つて出る音がしましたです。
  そうすると、その後二十五日の夕方ですね、Bが帰つて来た時には、その自転
車を持つて帰らなかつたんですか。
    はい。
  そうするとチエンの切れた自転車以外のもう一台の自転車は二十四日の晩、寝
る前にちよつと見ただけで、それ以後、見かけたことがないわけですか。
    はい、ありません。
  それから、本年の七月と九月の証言に、あなたが証言をされた時に、二十四日
の晩にCgという人がBの家に来たというようなことを証言しておられますがね、
これはそういうことがあつたんでしようか。
    あの私がCgさんが来られたということを前の公判に出て証言いたしまし
たのは、私自身がCgさんを見たわけじやないんです。Bのお母さんが、あんたが
風呂にはいつとる時にCgのCgか来ちやつたのう、と言われたから、それを明ら
かに見たように言うたわけです。
  そうするとあなたがCgという人が来たかどうか、見ていないんですね。
    はい、見ておりません。
  でAqの家で二十四日の晩、めしをたいて食べる時にCはいなかつたですか。
    はい、おつてんなかつたです。
  Aqの家に二十八日の朝までおられたわけですが、夜遅くB、D、E、こうい
う人達が集まつて、めしをたいて食べたというようなことは、ほかにはなかつたで
しょうか。
    いいえ、ありませんでした。
  これが一回だけですか。
    はい。
  今度は二十五日の様子を聞いてみますが、二十五日の夕方、BかAqの家に帰
つて来た時、Bと何か話をされたことがありますか。
    はい、仕事から帰つて来られましたから、きようChが来ちやつたと言う
て私が言いました。そうしたら、うん仕事から帰りにhに寄つて来たと言うておら
れましたです。
  そうするとCaさんが昼間来たこともBに話したわけですね。
    はい。
  そうすると事件がcで起きたということは言われませんでしたか。
    はあ、言いましたです。
  それについてBは何か言うておりましたか。
    いいえ、別に言うておられなかつたです。
  この二十五日の昼間ね、あなたはAqの家から外に出てどつかに行かれたよう
なことがありますか。
    いいえ、ありません。
  ない。
    はい。
  hのBの家に行つたようなことはないんですか。
    はい、ありません。
  七月と九月の公判で証言されたのによりますとね、二十五日の午後ですか、A
の兄がhのBの家に尋ねて来たことを知つとるような証言をされておるんですか、
これはうそですか、そうすると。
    はい、うそです。
  どういうわけで、こういうふうな証言になつたんでしょうか。
    あれはBのお母さんがね、あの夕方頃にあのBbさんが来ちゃつたんじや、
来ちゃつたじゃないかと言われましたから、そうじゃつたかいね言うて、私は返事
をして、それから後、そういうふうに言うたわけです。
  そうするとBの母親の話というのはいつ頃あつたんですか。
    三十日頃に聞いたんです。
  そうすると三十日というのは二十六年の一月のですか。
    はい。
  そうするとhの家には全然行かれなかつた。
    はい。
  二十五日、hのBの家にEが行つたというような話を聞かれたようなことはあ
りませんか。
    いいえ、聞きません。
  そういうところを見かけたこともないですか。
    はい、知りませんです。
  二十五日のこの夕方、Bが帰つて来てから後に、B達と一緒にa町のCiとか
いうところにAを捜しに行つたようなことはないんですか。
    いいえ、私は行つた覚えはありません。
  ない。
    はい。
  二十五日の晩はあのD、E、Cですね、こういう人達はAqの家に来たんでし
ょうか。
    はい、来られましたです。
  来てどういうことを、話をして帰つたぐらいのことですか。
    はい、二十五日の日には……。
   原田主任弁護人
    ちよつと異議がございます。二十四日から二十六日までの状況についての
尋問事項はBの衣類がせんたくせられた、そうして、これが同家屋内にAq方、家
屋内に干されていたかどうかに関してのみであります。尋問事項以外の事項につい
ては尋問をすることに対しては反対します。
   卜部検察官
      尋問事項にはその他関連する事項とございまして、弁護人ご指摘の二
十四日夜、B達がAqの家に集まりまして、炊飯をなし、せんたくをしたという事
実が証言されておるのであります。これがその他の日に類似の現象があつたかどう
かということを、証言を求めることは、今の検察官が尋問事項に入れておりますと
ころの、関連事項として、許されると思いますので、それらの点に関係のある範囲
において簡単に証言を求めたわけです。
   原田主任弁護人
     非常にお気の毒ですが、その他関連事項というのがあるとおつしゃいま
したが、尋問事項書にございません。また関連があると言えば限りのないことです
が、そんなに裁判所が尋問事項の中にすら則限をされておる、そうして採用しない、
排除しておるようないきさつから考えましても、ただ今のような尋問事項にない、
のみならず、明らかに関連性のない尋問には異議があります。
   卜部検察官
     ちよつと、弁護人、尋問事項をごらん願います。ヘがございますね、ニ
とホは今裁判所から除外されましたがヘにございます。
裁 判 長
  はい、わかりました。ではここで十分休憩いたします。
                                   (以
上Cj)
中野検察官
  一月の二十六日のことですかね、隣の土手のおばさんが来られたときには洗濯
物はどうだつたんでしようか。
    干してありました。
  まだ干してあつた……。
    はい。
  その洗濯物はその晩はどうでしようか、二十六日の晩は。
    あのAtへ行つて帰つたときには確かのけてあつたようと思いますがね。
それを私がのけたか、のけたんでしようけどはつきりそれを覚えていないんですけ
ど。
  その日には土手のおばさん以外にだれかAqの家に昼間来た人がおりませんか。
    はい、警察の人が見えました。
  どういうことを聞きにきたんです……。
    Bはどこへ行つておるかと聞かれました。仕事へ行つておられると私が言
いましたらそうか云うてわしもいつしよにはいつて寝ようかと言つて帰られました。
  そうすると警察の人が行つたときにはあなたは寝ておつた……。
    はい。
  その警察の人の名前はわかりますか。
    はい、今では知つております。
  なんという人……。
    Ckです。
  それからcで事件があつたということですね、この場所はどちち、どこの方向
だということはだれかに教えてもらつたことがありますか。
    はい、Atへ行くときにBの家に一応帰りまして、私の手提かばんを持つ
て出るときに方向を習つたか、Atの帰りに習つたか、二十六日の日に日が暮れて
から習いましたです。
  それはどつちの方向だということだつた……。
    dのほうですね、殺人のあつた、ずつと向こう、赤い火のついているとこ
ろがそうと習いました。
  そのことについてね、あなたは前回の証言のときにね、二十五日の晩Aqの家
に行く途中にBから教えてもらつたように証言されておりますが、それはどうです
か。
    それはhに二十四日の晩におつたということを明らかにするために言つた
わけです。
  そうするとそれはほんとうのことではなかつたわけですか。
    はい。
  それからAtに行くときになんか袋を持つて出たと言われましたが、それは…
…。
    私の化粧道具がはいつている袋です。
  Atから帰るときにね、何かその袋の中へ入れて持つて帰つたことはありませ
んか。
    Atで楽団を見ておる最中にね、あのう、チユーインガムを初めにもらい
ましたです。
  だれから……。
    Bから。それを噛む噛む楽団を見ておるところに風呂敷にはいつたそれね、
小さいものでありましたけど私の袋の中に入れられました。
    それは何かということは私はあけて見ておりませんから知りませんです。
  そうするとAtから帰つてその風呂敷に包んだものはどういうふうに処分され
ましたか。
    知りません……。
  知らない……。
    はい。
  そうすると袋に入れてどこに置かれたでしょうか、Aqの家に帰つてから。
    Aqの家に帰りましてね、帰つて庭で火をたきつけられるときに私は上り
はなに置いておつたんです。ご飯を食べる板の間、上りがまちに置いておりました。
  そうするとその風呂敷の包はいつごろなくなつたかご存じですか。
    いいえ、知りません。
  B君はAtから帰つた晩にですね、Aqの家で米をたいて食べたように言うて
おるんですがそういうことがありましたか。
    いいえ、ありません。
  ない……。
    はい。
  まちがいないですか。
    はい。
  それから一月の二十七日のことですがね。この日は昼間だれかAqの家に尋ね
て来たようなことがありますか。
    二十七日ですか。
  ええ。
    はい、目じなの悪い刑事さんがいらつしやいました。
  目じなの悪いというのは、目つきの悪い……。
    はい。
  刑事がきたことがある……。
    はい。
  それはどういうことを聞きに来たんですか。
    私の生年月日や、やはりBはどこへ行つたか、いつごろ知り合うたかとい
うことをずつと聞かれました。
  Aqの家にですね、いつごろから来たかというようなことは聞かれませんです
か。
    聞かれましたです。
  どういうふうにあなたは答えたように記憶しますか。
    二十五日からAqの家に来たと言うております。
  二十五日のいつから……。
    晩から来たように。
  そうすると二十四日の晩からと言わずに五日の晩からとあんたはうそを言うた
わけですか。
    はい。
  それはどういうわけでしょうか。
    あのう、Atから帰りましたときにね、火をたいてあたるときにBの母親
が来られましてね、私のことを言われまして帰られてね、それから後に火をたくた
くCさんもEさんもDさんもみんなおられましたところでね、Aが事件にあれした
ということを言われましてね、わしらじゃつたら遊廓なんか行きやせんのだが、人
間ちゆうものはわからんものだのうと話しておられました。そのときにわしらも友
だちだけえ疑われるかもわからんけれども、疑われてひつぱられたときに、もしも
お前がひつぱられたら二十四日にhにおつたと言うてくれ、とおふくろも知つてお
るからと……。
  そういうふうに言われるから目じなの悪い刑事さんが来たときに二十五日から
だと言うたわけか。
    はい。
  それから翌日の一月二十八日にはafに行かれましたね。
    はい。
  このとき、朝出かけにですね、何か品物でも提げて出られましたか。
    はい、私の化粧かばんとトランクを持つて出ました。
  Bは何か持つていましたか。
    いいえ、別に持つていませんでした。
  自転車にトランクを積んで出たようなことはないですか。
    いいえ、ありません。
  そうすると自転車は持つていませんでしたか。
    はい。
  汽車はClから乗られましたね。
    はい。
  Clでは切符はどこまで買われましたか。
    私のだけ買いましてBさんはEさんと一つパスを借りてacまでBjさん
のパスでacまでBさんは切符を買わず一つパスを使われました。acでいつたん
降りてはいられてacからafまで切符を買われて乗られました。
  そのほかにnの駅で金を使われたことはないですか。
    はい、新聞を買いましたです。
  そうすると汽車の中ではその新聞は見られましたか。
    はい、見ましたです。
  何かのつていましたか。
    はい。Aのソフトをかぶつて写真に写つているのがのつておりました。そ
れを見る見るBさんがこれはよいの口にAはやつちよる言うてね、わしらはこのこ
ろにはadで猫を抱いて将棋さしようたんだけえと言うておられました。
  よいの口、何か新聞には早く出ておつたんですか、時間が。
    はい、八時四十分ごろのように私が買うた新聞には書いてありました。
  そんなに早い時間がのつておりましたか。
    はい。
  そのほかに汽車の中で何か記憶に残るような話を聞いたことがありますか。
    汽車の中でね、猫を抱いて将棋をさしようたんだけえ、よいの口から、何、
ようAはやつたもんじやあるいうて話してから、それはわしらはおやじが何におら
んからね、おらんから金をもらうのが遅うなつてなんぼでもそこにおつたんだから、
そのときにadにおるときにほかの人もおつた人があるんじゃから、それが証人に
なつてくれるからという話をしておられました。
  その程度の話ですか。それ以外に記憶に残るような話はないですか。
    今ちよつと忘れました。わしらもね、afに行つてからちょうど帰つたこ
ろにやおおかたわしらの手も回わるころだろうと。
  手に回つてくるとは……。
    けつきょく疑われると一応警察に出て来いと言われると言われたんでしよ
う。
  afから帰るころには警察の手が回わるかもしれんということですか。
    はい。
  それはだれが言うた……
    Bさんが言うておりました。
  一月のですね、三十日にBの家へ朝寄られましたね。
    はい。
  そのころあなたはjのほうへ働きに出られたことがありましたね。
    はい。
  あれはいつごろですか。
    二月の三日ごろだつたと思いますが。
  そうすると二月の三日ごろまでの間にですね、あなたはここにおる被告たちの
ね、家に行かれたことはありませんか。
    はい、一度あります。
  いつごろどこへ行かれたでしようか。
    三十一日から三日jに働きに出る間に日にちははつきり覚えませんですけ
れども、着物を着てCさんのうちにCaさんといつしよに御年始じゃあるけえ行つ
てみょうやあということで行つたことがあります。
  どこで話されました……。
    Cさんのところの座敷の上りがまちに腰をかけてね、Cのおかあさんは炊
事場におられました。
  どんな話が出ました……。
原田主任弁護人
  ちよつと裁判長。さきほど関連の有無は別として簡単にお聞になるようにとい
うことでございましたですが、本日付の書面で尋問事項追加についての申請書が出
ておりますが、またこの意見を書いて提出する余猶はないままに……今、
裁 判 長
  その点については、まだ御意見を伺わずに、かつ裁判所も決定しておりません。
原田主任弁護人
  現在の尋問は明らかにその点に触れておるのではないかと思います。
裁 判 長
  その点に及んでおられるなら一応撤回していただきます。それについて弁護人
の意見を聞いてから決定いたします。
中野検察官
  一応撤回いたします。
中野検察官
  Aqのですね、家に二十八日の朝までおられる間にですね、二十四日の晩以外
にあなたが洗濯をされたことはございませんか。
    二十四日の晩以外にですか。
  ええ。
    いいえ、したことはありません。
  したことはない……。
    はい。
  それから一月二十六日の晩にAtから帰つて来たときにBのおかあさんがです
ね、Aqの家へ何をしに行つたですか。
    うちの息子に押しかけて来たような片目の女を嫁にもらうのではないと…
…。
  それはどういうわけでそんなひどいことを言いに来られたですか。
    それはよく知りませんですけれども黙つて出たからではないかと思います。
  しかしAtへ行く途中ですね、Bの家に寄られたでしよう……。
    はい。
  そのときにはそんなことは言われなかつた……。
    はい。他の女の人がふたりほど来ておられました。口の中では何か言うて
おられましたですけれども、私は何もようものを言わなかつたです。
裁 判 長
  今検察官がお尋ねになつたんだけれどもね、あんた自身はAqかたで洗濯しな
かつた……。
    はい。
  Bはどうです。二十四日の晩はしたとさきほど言われましたね。それはいいで
すがその後Bはしたことがありますか、ないですか。
    洗濯ですか。
  洗濯を。
    いいえ、二十四日の晩してからその後はしておりません。
  Aqはどうです……。
    さあ、知りませんです。
  Aqのことは気がつかん……。
    はい。
中野検察官
  あなたはね、この洗濯物のことについてですね、あるいは二十四日の晩、Aq
の家へ行つて泊つたときだというようなことを人にね、もらされたようなことはあ
りませんか。人のおる前でね、話をされたというようなことはありませんか。
    はい、あのう、七月九月の公判にここに来ますときにね、Bのおかあさん
のところへ寄りましてね、Bfさんの前で口に滑らしました。
  そうすると七月九日の前日ですね、Bの家で。
    はい。
  どういうことからそういう大切なことを口に出したんですか。
    そのときにね、Bのおかあさんのところに寄りましたときに原田弁護士が
ひてえ前に来いと通知があつたんでしよう、それに連れて行く言われてBさんの家
に行きましたのでそれからいつしよに行くいうて停留所に出ましたです。汽車の連
絡、バスの連絡が悪いのでまたあと戻りして、Bのおかあさんはお腹が痛い痛いい
うておられました。私も眠とうあるし遅くなつて行くまいと思つてそこにすわり込
んでいるうちにその日に映画がありました、Atで。そこでよそのおとなの人がは
しごのことでけんかをしておられたのを一生懸命見る見るそこに腰かけているとき
にBfさんが映画を見に来られたです。来られてからね……。
  Bfが来てからどうした……。
    Bfさんあんた証人に出たことあるの言うたら、わしゃあこの間の公判に
出たと、それでどんなかねと聞いたら裁判がやねこいで、ものすごうつつ込まれて
わしは何か読されてつつかかりして、あんたもつつ込まれるぜ、真実の本を読んで
おかなあと。
  それは真実の本を読んでおかなあというのはだれが言つた……。
    BfとBのおかあさんが。それでBのおかあさんがすぐその手で出してく
れました。私はBoとあるところを目を通しましたが頭にはいらんからこれを見て
私が二十四日にはこうこうじやつた言うて口を滑べらしました。
  二十四日の晩にはどういうふうじやつたと口滑べらした……。
    Aqの家に集まつてご飯を食べて洗濯したと言いました。
  そのときにBのおかあさんは気付いたような様子でしたか。
    おなかが痛いと言つて一生懸命で何も言うてなかつたです。お宅に泊まる
からと言いましたから後ほど言おうと思われたか知りませんが。
  そのときには何も言わなかつた……。
    はい。
  まちがいないですね。
    はい。
卜部検察官
  今二十四日の夜、Aqさんのところで洗濯した話がありましたがね、そのとき
に服とオーバーの下にゆかたを着ておつたとこういうふうに言われましたが、どん
なに着ておつたですか。オーバーの下にゆかたを着ていると、ゆかたはたれておる
んですか。
    いいえ、ズボンの下につつ込んでおられました。
  ズボンは、あんたさきほどズボンは二枚はいておつたと、そのうち一枚を洗濯
したのをはいたとこう言われましたね。
    はい。
  そうすると二枚はいているズボンのどういうふうに……。
    下地に一枚はいてその上に着物を着てね。下地にズボンを一枚はかれまし
てね、その上に着物を着られて、着物を上のズボンの下につつ込んでおられました。
  着物というのはゆかたのことだね。
    はい。
  そうすると二枚のスボンの間にゆかたをつつ込んだ……。
    はい。
  帯とかバンドとかあるいは腰ひもとか、つまりズボンを締めるものですね、こ
ういうものはどんなものだつたか。
    どんなものを締めておられたかはつきりよう覚えていないです。
  それからAqさんの家を借りるときに布団なんかはどうしたですか。
    布団は敷布はかかつていたと思いますが、赤いような布団のね、敷布団の
ような布団が一枚と、上に一枚あつただけです。
  その布団はあなたの布団じゃない……。
    はい。
  それはAqさんの家にあつた布団ですね。
    はい。
  それはいつ使わしてもらうという話をした……。
    それは二十四日の日に初めに行きましたでしょう。そのときに布団がない
からと言われてからAqさんがだれか人が置いとる布団があるからそれでなけりや
布団がないと言うておられました。
  そうすると二十四日にAqの家に行く前にB君がですね、家を借りるようにす
るとかしたとかいうことで行つたと言われましたが布団の交渉なんかはD君、B君、
あんたと三人でAqさんのうちに行つてから交渉したんですか。
    はい。
  布団の交渉なんかをしておるのをあなたは聞かれたんですか。
    はい。私はちらつと聞きました。はつきり聞いておりませんです。
  それから二十四日の夜ですね、D君がご飯をたく際にD君がまきを割つてくれ
たと、こう言いましたね。
    はい。
  これはまきはどこにあつたのをどうやつて割つたんでしょうか。
    あのう、床下にありましたのをね、出してまきを割るときに枕木のような
ものを下にはせて割られましたです。
  なんで割つたんでしょう。
    あのう、柄なたと申しますか、長い柄のなたでなしにね、短い……。
  短い柄のなたいうんですか、それで割つたんですね。
    はい。
  この割木は、まきはですね、どんなものだつたんですか、割る前は。
    あまええ木ではなかつたですけどね。
  それはまきになつておるのを小さくしたんでしょうか。
    いいえ、まきになつておるというのでなかつたです。
  丸いかなんか知らんが、木ですか、普通の。
    はい。
  この二十四日よりほかの日にですね、五、六、七とこの三日間の間にですね、
やはりまきをそのようにして木を切つてですね、まきを作つたというようなことが
あつたんでしょうか。
    二十六日の晩Atから帰りましてね、火をたくときに確か割られたように
はないと思いますけど、それ以外に火をたくようなことはなかつたです。
  それから二十四日朝金の請求の人が来て次にBのおかあさんが来られてですね、
そのことでB君のおかあさんと口げんかになつたということですが、それ以外にで
すね、二十五日とかああいう日にですね、B君のおかあさんと口げんかしたような
ことはなかつたですか。
    いいえ、ありません。二十六日にAtから帰つてからAqの家に来られて
私に言われたんでしょうけれども私は返答しておりませんしそれからというものは
けんかしたことはないです。
  それじゃあ、二十四日にですね、Cdさんの前でB君と会つてCaさんを放つ
たらかしておつてAqさんのところへ行きましたね。
    はい。
  ああいうふうに自転車をB君が押してあなたといつしよにですね、aのほうか
らAq君の家のほうに帰つたというのはですね、二十四日よりほかにはないですか。
それともほかの日にもそういうことがありましたか。
    いいえ、ありませんでした。
  B君といつしよにAtのほうからAqのほうに帰つたというのは二十四日のそ
の晩だけのことですか。
    はい。
  それから二十五日ですね。二十五日B君のお友だちのD君とかE君とか、そう
いうような人が来ましたですか。
    はい。
  何時ごろまでおられたですか。
    二十五日の晩ははつきりはわからないですけれども、いつもより早く帰ら
れました。
  だいたいの見当でどんなものでしょう。
    八時前頃に仕事から帰られて、みんな来られたですから……。
  それから……。
    九時ごろじやなかつたかと思いますがね。九時過ぎに帰られたと思います
がね。
  そうすると夜の十一時、十二時まで残つていろいろ話しておるということは…
…。
    なかつたです。
  それじやあ二十六日はAtの帰りですね、あなたはだれとだれといつしよにA
qさんのところへ帰られましたか。
    八海橋のところまで女の人がふたりと、ahのところまでは妹さんもおら
れましたです。私とBとEさんとDさんもおられました。Cさんもおられましたで
す。
  そうしてそのahのところで妹さんと別れ、それから八海橋のところでふたり
の女のかたと別れ、そしてあとのかたは……。
    皆Aqの家にはいられました。
  それで何時ごろまでおられたでしようか。
    あのう、火をたいてあたつてからじき帰られましたです。
  だいたいの見当の時間、わかりませんでしょうか。
    さあ、Atが済んだのがどのくらいじやつたかはつきりわからないですけ
れども。
  Aqさんの家で、Atから帰つてAqさんの家で火をたいてあたつている、そ
うしてみんな帰つた時間ですね。Aqさんの家に帰つてそしてお友だちが帰つて行
くまでの時間は、だいたい。
    一時間、ちよつとこ一時間くらいでした。
  その晩に食事をしたと、飯たいてですね、食つたというようなことはありませ
んか。
    いいえ、ありません。
  Atからですね、楽団を見て帰りがけにどつかへ寄られたようなことはありま
せんか。
    いいえ、ありません。
  Atの前を通つて……。
    大きい道路を通つて帰りました。
  ずつとまつすぐ帰つた……。
    はい。
  どつかの店に寄るということは……。
    いいえ、ありませんでした。
  それから二十七日ですね。これは来た人のことは言われましたがみんないつご
ろに解散してお友だちは帰られたでしよう……。
    仕事から帰られて、いつも帰られる時間よりちよつと遅かつたです、二十
七日はね。それでCさんが一番遅うに来られまして御飯食べるところの板張りに上
られましてね。みんなが勘定もらつた言うて分けておられましたです。
    そうしてBさんがパンを買いに行かれてね、親元の家に廻わつて来たと帰
られてからパンを食べてしもうてすぐその足で帰られました。
  パンを買つて食べたというぐらいですからこの日の晩にですね、二十七日に御
飯をたいて食べたということはなかつたですね。
    いいえ、ないです。
  それから二十八日のことですがね、今あなたがおつしゃつたnからafへ汽車
に乗つているときにB君とD君が、いやB君とE君か、E君がacまで一つのパス
で乗つたというのはどういうことですか。
    あのうClでね、私が切符を買つて出ましてね、新聞を一番先に買いいま
してそうして切符を買つて改札して出ましたら今度汽車から降りて出られる改札口
があるでしょう、あそこの前へ私が立つておりましたらね、いつたん定期を持つて
Bさんのほうが先に出てね、それでEさんに渡しましたです。またそれがそれを持
つてはいつて来られました。
  二重に使うというわけですね。
    はい。
  acでもやはりそういうように二重に使つておつた……。
    はい。出られるのはどうして出られたか私は降りなかつたですから知りま
せんですけれども。
  そうするとB君はacから汽車の切符を買つた……。
    はい。降りる前に私にね。いつたん出て切符を買うてはいるからと言うて
出られました。
  二十八日にですね、afに帰つてそしておにいさんと会つたときにですね、お
にいさんが何か言うたようなことはないか。
    はい、Bさんをつかまえてね、私のうちの開き戸をはいつたときにね、A
が、Aがね、ああいうふうになつておるがお友だちではないか、ここへ来るどころ
ではない早く帰れと言うたですから。
  この前の法廷ではそれは聞いていなかつたように言うたんじゃなかつたですか
ね、あるいは私の勘違いかもしれん、それはまあよろしい。
  そうするとそんなに言われてB君はどんなに言うていましたか。
    さあ、何言われたか私にはにいさんがわしまで、わしを疑うとるというの
は言うておりましたですけれども。
裁 判 長
  あのね、ちよつと検察官の尋問に関連してね。二十五日の夜、何か遅く火をた
いたようなことはありますか。
    いいえ、ありません。
  全然ないですね。
    はい。
  ところがね、Bg……、あんたの取調をされた同じ中野検事さんがね、Cmと
いう人を尋ねておられるがね、その調書は記録の一〇三〇八丁以下に書いてあるが
ね。この調書によるとこういうように書いてあつたがね、ちよつとその関係部分を
読むがね、一〇三一一丁の四号、その晩というのは二十五日の晩だがね、その晩と
いうのは前の関係で読むと二十五日の晩になるが、二十五日の晩のことであります
か、事件のことを知りまして主人がいないので気持も悪く十分寝つかれずうつらう
つら寝床にはいつてからもしていたころ私の記憶ではどうも午前一時か二時ごろに
なつていたと考えておりますが、西隣のAqさんの家のほうからまきを割る音がパ
ツパツと聞こえてきましたので私はこの夜中に何ごとだろうか、おかしなことだな
あ、もしかするとAqさんが連れの若い友だちでも連れて来て家に遅く帰り寒いの
で火でもたいてあたるのかもしれないと考え別に起きて出てみることもせず、その
うちに寝込んでしまいました。とこれは本年の一月十二日に中野検事さんがCmと
いう人をお尋ねになつてCmという人はこういうふうに供述しておられるのですが
ね。あんた勘違いではないかな、二十四日と五日と。
    二十六日にAtから帰つて火をたくときに割られたか二十四日にご飯をた
くときに割つたかどつちか違えておつてじゃないでしようか。
  いや、この人が言われるのは根拠があるがね。Kさんが殺された晩にその日に
主人がおらない、その日に主人がおられずに気持が悪かつたと。これは調書を見る
と二十五日のように思われるが、あなたの記憶違いではないか。
    私は良心に誓つてね、うそでないことを述べておるんですけれども。
  あんたの記憶違いではない……。
    はい。
  それからもう一つね、あんたの供述と違う点がね、Cmさんの同じ調書に書か
れてある。これは全部読むと長くなるから関係の分だけ読むと、一〇三一五丁の初
めから二行目、前は省略するが、これは二十六日の朝だね。CmさんがAqかたへ
行つたときの模様が書いてある。前にね、それからというのはそれをうけるわけだ。
二十六日の朝だがね。それから出入口の横の上り口の三畳の板の間の表側の雨戸内
側で雨戸寄りのほうに三畳の間一杯に短い竹竿が渡してあり、その竿に洗濯物がか
けてあるのが目にはいりました。この竿にかけてあつた洗濯物の中には白い長袖の
ワイシヤツのようなものが一枚あり、その他このシヤツを含めて少なくとも衣類が
四点ぐらいかけてありました。そうしてその衣類はまだぬれており、かけてある衣
類の下の板の間に衣類から落ちた水のしずくがところどころ丸く落ちているあとが
はつきりありました。まだ水が残つておりました。以下まだありますけれどもね長
くなるからこういうようにここの分だけ述べましたが、こういうふうに書いてある、
これは二十六日のことだがね。
    二十四日の晩に洗濯したのにどうして二十六日の日にまだ水がたれておる
か、それが……。
  それがおかしいから聞いているのだ。
    私もそれが聞いていておかしいです。
  Cmさんの調書に、二十四日に洗濯したとしたら二十六日の朝しずくが落ちて
板の間に残つているというのは不思議に思うか。
   私も雑巾がけを一度したことがありますが、水溜りがあるというのはちよつ
とおかしいです。
  二十六日とCmさんは言うておるんだが、あんたの記憶違いではないか。
    いいえ。
  それではCmさんの記憶違いだ……。
    はい。
藤間裁判官
  Bといつしよにですね、Aqのうちに行つてですね、そうしてBが出たわけで
すね、Aqのうちを。
    はい。
  そうして三十分か一時間して帰つて来たと言いましたね、そのときにAqのう
ちを出たときのですね、Bの服装はどういう服装だつたですか。
    あのう、オーバーをやはりかけておられました。
  それから……。その下に何を着ておつたかわからんか。
    はあ、下は何か見ていないですが。
  ズボンはもちろんはいておつたな……。
    はい。ズボンははいておりました。
  そのはいておつたズボンは帰つて来たときのズボンと一しよですか。
    白つぽいようなズボンをはいておられました。
  あんた黒いようなものがついていたと言われましたね、あんた。
    はい。
  そのズボンといつしよですか。
    はい。はいておられるのが晩であつたし、私も行く前は気がつかなかつた
です。Bm商店のところに行くときに赤い絹のようなマフラーのきれの端を巻いて
おられましたです。その上にオーバーをひつかけておられましたから下着を何を着
ておつたか私はそのときにはよくわからなかつたです。
  ゆかたをズボンの間につつ込んでおつたのは洗濯する前ですか。
    ズボンを脱ぐときに見ました。
  そうするとゆかたはAqのうちを出るときから着ておつた……。
    はあ、朝から着込んでおつたと言われました。寒いから着込んでおつたと。
  いつそんなことを言うた……。
    脱ぐときに言われたです。
  朝からそれを着込んでおつたと言うたわけですか。
    はい。
  はきものはどんなものだつた……。
    はきものはどんなものか……。
  地下たびかげたかわからんか。
    仕事から帰つて何されたんだから確か地下たびだつたとも思うんですが、
はつきり……
  特にAqのうちに帰つてから服装を着替えるとかいうことは全然していなかつ
た……。
    はい。帰られてからはきものを替えられたりなんかは全然していなかつた
です。
  それからはいつて来てからですね、洗濯する前にゆかたを見てですね、ゆかた
にはその変つたところはなかつたですか。
    いいえ、別に、がらも小さいがらであるし気にかけなかつたです。
  黒い斑点があるとかいうのは……。
    気がつかなかつたです。
  ズボンにだけそんなことがあつた……。
    ズボンは洗いさらけて白くなつておりましたからよくわかりましたが、ゆ
かたは小さい菱形のがらになつておつてよくわかりませんです。
  ズボンにだいぶんあつたんですか、少しですか。
    ほんの少しです。
  どのくらいあつたですか。
    どのくらいいうてはつきり記憶もないですが、べたつとついてはいなかつ
たです。
  ひざから下と言いましたね。
    ひざから確か下だつたです。手に取つて見たわけではないです。私はバラ
スを上げるときによごれたと言われたからどべでもついておつたのだろうと思いま
した。
  手袋はどうですか、しておつたですか。
    いいえ、手袋ははめておつたのを見たことはないですけれども。
  手袋は見たことはない、Aqのうちを出るときも帰つたときも見たことはない
……。
    はい。
卜部検察官
  二十四日のことですけどね、サイレンを聞いたときにですね、E君のところへ
行つているときにサイレンを聞きましたね。
    はい。
  あのときにBがおつつけ帰る、こういうふうにE君が言つたということを言わ
れましたね。
    はい。
   正木弁護人
     ちよつと、おつつけということばでしたか。
卜部検察官
  おつつけ帰る。それはどういうことでしたか、Bが帰る……。
    十時のサイレンを聞きましてね、それからおつつけ帰つてくるころだと言
われましたです。別に私はなんとも思いもせだつたけど十時のサイレンが鳴つたあ
とですからね、そんなに遅うに、遅くまでおらんから帰ると、本人同志は十時頃に
は帰ると言われる話であつたことは知らんですがね。
  あるいはCd商店でB君に会つたときにですね、偶然ですか、はあやつぱし帰
つたなと帰ることをあてにしておつたか。
    あてにしておつたことはないが、今晩わと起しておられたし、Eさんもお
つつけ帰ると言われておつたし、私も偶然あそこで会つてたまげたような状態では
あつたですがね。
  今藤間裁判官からお尋ねになつたとき、手袋は出るときにも帰るときにも持つ
ておつたか自分は見なかつたと言われましたね。
    はい。
  懐中電灯はどこに置いておりました、B君は。
    米をとぎに出てからね、ポケツトから出されましたが、木戸口はいるとき
に貸せと言われてそれからどうなさいましたか知りませんです。
  懐中電灯はB君がCdの前から帰つてAqに着いてあとでB君が出たときに懐
中電灯を持つていることを気がつかなかつたか。
    気がつきませんです。
  米をとぐときにポケツトから出して初めて気がついたですね。
    はい。
  オーバーのポケツトにはですね、B君がAqから出て行くときにですね、オー
バーのポケツトに何を入れておつたかあなたは調べてみられたことがありましたか。
    いいえ、ありませんでした。
  それからCdさんの前であつたときに赤いマフラーをしておつたということで
したね。
    はい。
  その赤いマフラーはAqの家を出て三十分ないし一時間ぐらいしてみんなが集
まつたときB君は赤いマフラーを持つておつたでしょうか。
    帰つたときにはなかつたように思います。
  その後赤いマフラーを見られたことがありますか。
    いいえ、ありません。
  そうするとどこへ置いたんです……。
    知りませんです。
  それからあなたね、二十四日のことをね、二十五日だと今まで言つてきたとお
つしやつているわけですが、二十四日のことを隠すということがね、どれだけ大事
なことか、どういう必要があつて二十四日のことを隠すのだというふうに思つてお
られましたか。
    私、二十六日の晩にAtから帰りましてね、Bさんがそういうふうに言う
ておられたのを聞いておつたし、hに二十四日におつたようにせなああとでね、ど
うこう言われるかしらんと思つて、それとやはりそのとおりに短い期間でもありま
したですけれどもやはり妻として何をしてきたわけです。
  あんた隠されるお気持はそれでわかりますが、どうして二十四日のAqのうち
に行つて飯をたいたり洗濯したりしたことを言うたらいけないとこういうふうに思
われておつたんでしょうか。そういうことを言つたらなぜいけない、そういうこと
をしゃべつたらなぜいけない、どういうことで秘密にせないけないと考えておつた
……。
    もし私がこういうふうに証言しましたらね、もしあれらが罪に落ちるので
はないかしらんと思つてですね。
  どうしてそういうふうに思うのですか。二十四日のことをね、二十四日にAq
に泊まつた、そうして洗濯した、飯たいて食つたとね、いうようなことを言つたら
どうして罪に陥るかもしれんと思つたんですか。
    それがですね、ちよつと出てくるいうて出られたでしよう、まあ時間とい
うものははつきりわからないですけれどもね、まあ一応、いつたん出て過去のある
人であるしするからね、一応疑われてもおかしいなんで落されたときにあとで私に
どうこうされたらいけんと思つて二十四日は親の手もとにおつたと明らかに私が妻
として言えばあとさわりはないではないかと知りつつ私はうそを言いました。
  そうするとあなたとしては二十四日の晩の行動を多少、事件は二五日にCaさ
んがこられて事件を知つたといわれましたが二十四日の行動を晩の行動を多少不思
議に思つておられたですか。
    思うのは、おかしい、二十六日の晩に帰つてから言われたときに何かおか
しいことを言われると聞いてはおつたんですが別に私は口出しをしていなかつたで
す。
正木弁護人
  ちよつて押収にかかる衣類をちよつと出してもらいたい。全部。
 裁 判 長
  B関係だけですか。
正木弁護人
  いや、そうではない。一応記憶にあるものもあるから全部並べて下さい。
(証第一八、一九、二〇、二四、二五、三一、三二号を示す)
  ちょつと伺いますが、この中で見覚えのあるのはどれですか。
    そのゆかたが見覚えがあります。(証第二五号を示す)
  それですか、そのBが着て行つたというのは。
    はい。
  これを着ると申しますと、上着のズボンの下にこれがはいつたんですか。
    はい。
  はいるとなるとズボンの下までははいりませんね、これがたくなるんですか。
    はい。
  朝着て、これを着て行くのは見なかつたというのですね。
    はい。
  これで、着て出ていましたか、ずつと。
    いいえ、hにおるときには着ておられました。Aqの家に行きましてから
は着てはなかつたです。
  一度も着たことはなかつたですか。
    はい。
  いつ持つて行つたんですか。
    二十四日の日に洗濯するときに脱がれるときに朝寒いから着込んでおつた
と言われておつたんです。
  するといつ、そうすると……。
  ほかにまだ見覚えのあるものはありませんか。
    こういうふうな白つぽいズボンだつたですがね。(証第二四号を示す)
  ほかには見覚えはありますか、なければないと。
    このズボンも見たことがあるように思いますがね。(証第二〇号を示す)
  見たことがあるというのはBのところで見たという意見ですか。
    いや、はいていたのをね。
  Bがはいていたと、そういう意味ですね。
    はい。こういうふうに白つぽいズボンであつたですがね。(証第二四号を
示す)
  そうするとあなたがこの洗濯したのを見たというのはどのズボンです……。
    白い……、
  こちらのほう、二四号が洗濯したものに近い……。
    はい。
  これですか。(証第二四号を示す)
    さあ、今ごろ言われても……。
  この中ではこれが一番近い……。(証第二四号を示す)
    はい。
  これが、あなたが黒いというのはずいぶんこれにほうぼう黒いものがあるが、
こういうこれにある黒いものですか。(証第二四号の黒い斑点を示す)
     私の見たのは下のほうについていたのを見たですが、何ということはわ
からんですが。
  何というのは鑑定の問題ですからいいですよ。黒いこんなような色ですか。
    黒いような……、黒に見えるのは見えたですがね。
  黒に見えた……。
    赤黒く見えたです。手に取つて見たら血じやとかわかるんですが、手に取
つて見てなかつたです。
  みんなこんなきたないのが多いですが、上はきれいだつたですか。
    上のほうはそうよごれているということはなかつたです。
  どんな状態で見ました、はいているところを。
    脱いで置かれたのを見たです。
  脱ぐ前は見ないんですか。
    脱ぐまでは……、
  ほかのみんな関係ありませんね。
    知りませんです。
  ちよつと、これに血がついているとは言いませんですね。(証第二五号を示す)
 裁 判 長
  血がついているとは言わない、えりあかが……。
                                     
    (下 略)
 右調書におけるBoの供述を熟読吟味すれば、その中には多少の喰い違や矛盾は
あるであろうが、全供述を一貫するものは如何にも女性らしい純真さに満ちており、
何の作為的不自然さも認められず、或部分は切々胸をつくものすら感じらるる程で
ある。然るに、原判決はその枝葉末節を捉えて非難攻撃を浴びせBoの新証言は従
前の供述と根本的に相違するのみでなくそれ自体矛盾するものもあり、或は不自然
ないし不合理な点も散見し、A及び被告人らの各自白供述その他関係証人の証言と
も抵触する部分が多く信用し難い、なおBoが女性にとつて極めて重大な事柄であ
るBw、Btらと結婚するに際しいずれの場合もBの為めに将来証言台に立つこと
の諒解を求めた真摯な態度とその情熱に想いを致すならば、これと氷炭相容れない
新証言はこの観点からしても到底首肯できないという。しかし、Boの新証言が、
従来の供述と相違するのは、良心のひらめきによつて大悟した結果であることは、
新証言の力をこめて具さに述べているところであり、そこに何の不自然も不合理も
認められない。殊に原判決のいう女性にとつて云々以下の文章に至つてはその意味
を解するにくるしむ。新証言の場合はBwとの結婚はすでに解消しているし、Bt
との結婚に際し判示の諒解を求めた真摯情熱の態度があつたからこそ、新証言で真
実を告白したのではないか。なお、原判決は新証言が捜査官の執拗な取り調べに屈
服した迎合的な発言でないとは保障できないなどと論するが、新証言を通覧するも
左様な形跡はいさゝかも認められないのである。むしろ、全調書を通じて、裁判官、
検察官らの慎重、執拗な質問に対して極めて自然的に卒直に述供しており、原判決
のいうごとき検察官らの影響など認められないし、Aその他関係証人の新証言とも
一致符合していることを看取するに難くはないのである。以上を要約すれば、前示
偽証判決もBoの新証言も、いずれも被告人らに極めて不利であると同時に本件の
真相に触れ、A供述に一つの支柱を与えていることを思わせるに十分なものがある
のである。
 (三)Bfの供述について。
  BfもGdに関連して偽証の罪責ありとして起訴され、昭和三四年三月一七日
山口地方裁判所において懲役六月、三年間刑の執行猶予の有罪判決をうけ、その判
決はすでに確定しているものである。この偽証有罪判決が前段述べたと同じ理由に
より本件の罪責を判断するについて、尊重さるべきものであることは云うをまたな
い。ことに、昭和二六年九月三日山口地方裁判所岩国支部法廷における被告人Aの
質問に対しBf証人が供述した「馬車の箱をひつくりかやしたので何んとかせんに
やあならんが十九日の晩にきめたのをやろおと言つたのは聞きました」なる供述記
載(記録三七〇丁)は、後に述べる同証人のいわゆる新証言の前提をなすものであ
つて、極めて重要な供述記載であるところ、原判決が、その記載の正確性を否定し
たのは、上告趣意第三点所論のとおり誤謬であると認められる。それはそれとして、
Bfは、原審において証人として喚問され、その第五三回公判において、従来の供
述に反するものばかりでなく、従来同人の口から洩らされていない新事実が続々と
して供述されているのである。その供述調書はまた本件に極めて有力な資料を提供
するものと認められるから、左に抜萃して掲げることとする。
  原審証人Bfの原審第五三回公判における証言の抜萃要旨(三九冊一五、三一
八丁以下)裁判長は、右Bf証人に対し、主尋問は、裁判所において、これをなす
旨を告げ、落着いてね、あがつちやいかんよ。それからね、何もおそれる必要は一
つもない、ありのままを言へさえすればいいんだからね、忘れたことは忘れたと言
わにやいかんよ。覚えておらんことを言うと、前の供述と違うと、また偽証罪とか
何とかいう問題も起らんとは限らんからね。いいかね、との警告を発した上、
 問 一月二二日ね、一月二二日x停留所で、Aと会つた事実、これは間違いない
か。
 答 はい。
 問 間違いないんだね。
 答 はい。
 問 その時は、君は、だれだれ連れがあつたんかね。
 答 Bm君と、B君、C君、D君……それ位じやなかつたかと思います。
 問 それだけか。
 答 はい。
 問 そりや、何の要件で、どこへ行つてたのかね。
 答 それは、adからaiのCnの横へバラスなんか揚げる仕事へ行く途中だつ
たと思います。
 問 時間は、何時頃だつたかね。
 答 昼頃だつたと思います。
 問 昼頃ね。Aとはどこで会つたのか。
 答 停留所です。
 問 停留所はいいんだがね、aiの海岸に、君らは向つておつたと、こういうん
だが、Aは、その君らの進行方向からいうと、左手、右手か、どちら側におつたか。
 答 aiへ向いて行つて……。
 問 君らの進行方向からいうとどちらに。
 答 その時は、あれです。僕なんかも、停留所で待つていたわけです。
 問 何を待つていた。
 答 バスを待つていたんです。
 問 君らの行くバスは、どこ行きだつたかね。
 答 ajかakの方へ行くバスです。
 問 あとからAが来たのか、それとも、Aが先におつたのか。
 答 先へおつたです。
 問 だから、Aはどの辺におつたかと尋ねてるんです。
 答 橋の上におりましたと思います。
 問 橋の上の方におつたか。
 答 はい。
 問 君らは、それでどこにおつた。
 答 僕は時計店の角におりましたと思います。
 問 時計店の角にね。
 答 はい。
 問 さきほど言つた人が、一かたまりになつておつたのか。
 答 いや、そうじやないです。
 問 じやあ、君はだれとおつた。
 答 僕は一人おつたんです。それで、橋の道とかかつたか、かからん所にBm君
もおりましたと思うんです。
 問 一寸待つて下さい。そうすると、橋のもとの点か。
 答 はい。
 問 x停留所よりの橋のたもと辺に、Bmがおつたのか。そういう意味か。
 答 はい。そうです。
 問 それから一人一人、他の人はどこにおつた。
 答 C君たちも橋の上へおつたように思います。
 問 C君たちでは困るんだ、Cはわかつた、それから他の者は。
 答 ……まあ大体その近所に、あつちこつちに、立つておつたわけですね。
 問 それじゃ、BもDも、そこへは、おつたのか。
 答 はい。
 問 それで、Aと、Bたちは近い距離におつたのか。
 答 はい、橋の上にA君がおつたわけです。
 問 Aの話は、さきほど聞いたが、Bらも橋の上らしいというから、近い所にお
つたのか聞いてる。
 答 はい、そうです。
 問 じゃ、君が一番離れておつたのか。
 答 はあ、そこでは、僕が一番離れていたですね。
 問 一番最初は、離れておつた。
 答 はい。
 問 それで、Aと最初に、だれが話を始めたか。
 答 B君……。
 問 Bが、一番最初か。
 答 はい。
 問 はつきりわからんことは、わからんと言つてもらわなくては困るんだからね。
Bが一番最初に、Aに、話をしておつたように思うのか。
 答 はい。
 問 その話の内容がわかるか、記憶にあるか。
 答 橋の上でB君が、こつちへ話をしよる……。
 問 何、Bがどうだつて。
 答 A君に、話をしかけたんです。それで、A君と、B君が、僕なんか立つてい
る前を通つて時計店の後横の辺で二人が話したわけです。
 問 Bだけか、他の人も一緒か。
 答 いえ、BとAだけです。
 問 二人だけか。
 答 はい。
 問 BとA二人だけが時計店のどういう方角だと、もう一ぺん言うてみなさい。
 答 時計店の裏になるですね、まあ裏の横です。
 問 時計店の裏の横ね。
 答 はい。
 一寸証人前へ。
 (昭和三三年二月一二日施行の検証調書添付第三図を示す)
  裁 判 長
 問 方角あたりが、わかるかね、わからなきや、こちらで説明しなきや、わから
んが。
 答 僕は、ここへ立つておりました。
 問 そのCoの前だね。
 答 はい。
 問 その角……。
 答 Bm君がここらへ立つていたです。
 問 橋の付近だね。
 答 A君は、こちらへ立つていたように思います。
 問 Bは。
 答 ここらへおつたりで、Aが見えたから、こつちへつろうて……。
 問 そこから言うと、どの辺へ連れて行つたというんだ。道路ではあるんだね、
さきほど、君は。裏の方だと言つたけれども。
 答 こつちが表です。
 問 八海橋の方へ行く道路だね。
 答 はい、そうです。
 問 そうすると、そりや、Coの東側ということになるかね。東北か東北の道路
上で、Coの前ということになるのか。
 答 前じやない横です。
 問 はいわかつた。そこでは、BとAだけか。他の者は、その付近におつたのか。
 答 どこですか。
 問 だから、B、Aの回りに、人はおつたのか、おらないのか。
 答 いえ、いないです。
 問 いないのか。
 答 はい。
 問 じゃあ、他の人は、もとの位置におつたのか。
 答 はい、そうです。
 問 君も、やはりそのままの位置におつたのか。
 答 そうです。
 問 そうか。
 答 はい。
 問 君と、B、Aらのおる所の距離は、どの位ある。
 答 ……
 問 大体のことだよ、現場へ行かなきや正確なことはわからないんだから、大体
の感じを聞くんだからね、神経を使わなくてもいいんだからね、大体の感じでどの
位離れておつたか。
 答 さあ、二メーター位だと思います。
 問 二メ―夕ー、約一間だね。
 答 はい。
 問 当時その付近に、通行人とか、バスを待ち合せている人らがおつたか、おら
なかつたか。
 答 いましたです。
 問 おつたか。
 答 はい。
 問 それは、バスを待ち合せておる人か、それとも通行人か。
 答 待つてる人も通行人もあります。
 問 バスを待つておる人もおるし、通行人もおつたと。
 答 はい。
 問 ……当時バスを待ち合せている人とか、通行人、当時のね、およそ何人位、
およそですよ、……大体、君が今記憶している範囲では、およそ何人位そんな人が
おつたように思うか。
 答 まあ、一〇人位おつたんじゃないかと思います。
 問 一〇人位ね。
 答 はい。
 問 それは、主にどの辺におつたか、そういう人々は。
 答 橋の上やらお店の前。
 問 店の前、その店というのは、何店か。
 答 x停留所の店の前です。
 問 では、話がまた元へ戻るんだが、BはAをそこへ連れて行つて話をしておつ
たか。
 答 はい。
 問 大きい声でか、小さい声でか。
 答 大きいという声じゃないですね。
 問 それじゃ、小さい声か。
 答 はあ、まあ小つちやい……。
 問 それとも普通の声か。
 答 普通より一寸小つちやい位じやないですか。
 問 普通より小さいの。
 答 はい。
 問 それで、君は、話の内容が、わかつたか、わからなかつたか。
 答 話の内容ですか。
 問 そう。
 答 ところどころわかりました。
 問 ところどころわかつた。
 答 はい。
 問 断片的な話だね、君が聞いたのは。
 答 はい。
 問 君は意味はわかつたか、少しは。
 答 まあ、意味は少しはわかるです。
 問 どういうことかわかつた。
 答 ……経木が悪かつたから持つて来い……。
 問 経木が悪かつたから持つて来い。
 答 はい。それから、それはあとだつたのです。二人が話す時は、この前話をし
たろうが、話をしたことをやれとかですね。
 問 一寸待ちなさい。それを一番に言うたのか。
 答 はい。
 問 それを、もう少し覚えている範囲で、もう一ぺん言つてみなさい。どう言つ
たつて。
 答 この前、決めたあの廊下で話をしたことをやれとですね。それで、お前一人
じやなしに、おれらもおるんじゃからというように言うのを聞きました。それで、
それが済んで、バスが来てから……。
 問 一寸待つて、あんまり早口に言わずに、君の聞いた言葉は、それだけか。
 答 はい。
 問 さつき経木うんぬんということが出たが、どうなつた。
 答 Aが、jに乗つて行くバスが、akの方からjへ向いて来たわけです。その
うち話をしよつてバスが来たから、Aがバスに乗ろうとしてかけて行つたわけです。
その時にB君が、経木のことを少し大きな声で、声をかけたわけです。
 問 どういうたんだ。
 答 この前の経木が悪かつたから、いい経木を持つて来いというように言われた
です。
 問 それだけか。
 答 A君が、今日はjへ行くから、今日は持つて来られんから、今度いいやつを
持つて行つてやると言つただけです。
 問 それだけか。
 答 はい。
 問 もう一ぺん尋ねるがね、そうすると、BはAをだね、時計店の横の方へ連れ
て行つて、一番最初に言い出したのが、さきほど言つた、この前、Mというのは言
うたのか、言わないのか、廊下というのが最初か。
 答 Mというのは聞いたか、聞かんかよう覚えてないですね。
 問 もう一ぺん言うてみなさい。どう言つたつて。
 答 この前廊下で話したことをですね、やれよと言われたです。それで、おお、
おおちゆうてAが言うのに対して、お前一人でないから、おれらもおるんじゃから、
やれよということは聞きましたです。
 問 お前一人じゃないから、おれらもおるんだから、やれよと、そういうように
言うたの。
 答 はい。
 問 君の証言は一審の時の証言と、一寸違つて来たね。岩国の裁判所で、君、証
言したことを覚えておるか。
 答 ……はつきりは覚えてないです。
 問 はつきり覚えておらんの。
 答 はい、大体ところどころ覚えておるのは、覚えております。
 問 そうすると、どの点が、今日言うことと違うか、わかるか。
 答 はい。
 問 どこが違う。
 答 この前はM旅館で、一九日の晩にM旅館で、決めたことをやろうと言つたこ
とが違うと思います。
 問 それだけか。
 答 それと、この前は、そういうことは聞かないと言つたことなんかが違うです。
 問 そういうことというのは。
 答 ……。
 問 そういうことというのは、何を。
 答 今、言うたこととですね、その時とが違うというんです。
 問 全体の供述の内容が、ずい分変つてるがね。
 答 はい。
 問 じやあ岩国の裁判所でもだね、君は、ことさらにうそを述べるつもりで、述
べたのか。
 答 いえ、そうじやないと思います。
 問 そうでないのなら、今日言うことと、なぜ違う。
 答 …………。
 問 ことさら、うそを述べたような記憶はないか。
 答 まあ、その当時は、少しは友達として、人情というか、やつぱりそういうこ
とが、少しはありましたですね。
 問 人情で、それじや、Bらのためを思つて隠しておつたと、こういうのか。
 答 はい。
 問 どういう点を隠したんだ、それじや。
 答 ……E君たちが、Cのうちへですね、尋ねてこられて、それで、おれには警
察から呼び出しが来ているが、お前にも来ているかと言われた時に、E君は口笛を
吹きよつたか、歌を歌いようたいうようなことが、違うと思います。
 問 それだけか。
 答 …………。
 問 それだけか。
 答 一ぺんに言うたら、あがつてわからんようになるです。
 問 岩国で証言したことは覚えてますか。
 答 ……はつきり覚えてないです。
 問 覚えてない。
 答 はい。
 問 にもかかわらず、それより前であるx停留所の問答をどうして、そんなに正
確に覚えているのか。
 答 いつもとがめておりますから、覚えております。
 問 いつもとがめておつたから。
 答 はい。
 問 どういう点をとがめておる。
 答 あの時は、本当はああだつたんじやが、その時は、こういうて、言つている
と思うのにです。
 問 そうか、君は、岩国の公判でね。
 答 はい。
 問 Aから質問を受けたことは覚えておるか。
 答 はい。
 問 覚えておるか。
 答 はい。
 問 その質問は、どういう質問であつたか。
 答 M旅館で決めたことなんかを、xの停留所で、言つたことを、僕に問うたと
思います。
 問 そういう趣旨か。
 答 はい。
 問 もう一ぺん述べてみなさい。Aが君に質問したのは、どういう内容か。
 答 A君が問うたのは、一九日の晩に、M旅館で決めたことをやろうと言つたこ
とをですね、僕に、xの停留所で言うたことを、僕に問うたと思います。
 問 そのように記憶しておるのか。
 答 はい。
 問 Bが、Aに何かどなりつけたんではなかつたか、そういうことはなかつたか。
 答 ……そういうことは、よう覚えてないですね。
 問 覚えておらんか。
 答 はい。
 問 君は、君自身の偽証事件で、いつ逮捕を受けたか。
 答 一七日じやないかと思います。
 問 いつの。
 答 一〇月だつたと思います。
 問 一〇月一七日。
 答 二七日じやつたか、一七日じやつたか……。
 問 それで、君は、その時逃げたか、何かしたのか、そんなことは別にしなかつ
たか。
 答 うるさいから、逃げたですね。
 問 うるさいから逃げた、何がうるさかつた。
 答 まあ、近所やら、何やらにですね、うるさいから逃げたです。
 問 なんで逮捕されるか、すぐわかつたのか、君自身。
 答 いいえ、逮捕されるということは知らなかつたです。
 問 知らなかつた。
 答 はい。
 問 それじや、逃げる必要がないじやないか。
 答 まあ、近所がうるさいからと思つて、逃げたわけですね。
 問 そうか。
 答 はい。
 問 それで、どこで調べを受けたか。
 答 どこですか。
 問 警察なり検察庁、どこの検察庁で調べを受けたか。
 答 acとaです。
 問 そして、君の嫌疑の内容は、すぐわかつたか。
 答 はあ。
 問 君が逮捕された理由は、すぐわかつたか。
 答 はい。
 問 だれに一番最初調べられた。
 答 山崎検事さんじやつたと思います。
 問 ここにいる、ひかえている山崎検事さんか。
 答 はい。
 問 はいというのは、どちらの意味だ。
 答 一番右です。
 問 最初からあの検事さんの調べを受けた。
 答 はい。
 問 で、君は、すぐ自白したのか、自白しないのか、偽証の事実を。
 答 ……なるべくみんなのために、言わなかつたですね。
 問 言わなかつたのか。
 答 はい。
 問 何日位頑張つた。
 答 何日位じやつたか覚えないです。
 問 大体の見当でよろしい。
 答 四、五日位は……。
 問 四、五日は頑張つたか。
 答 はい。
 問 どこへ勾留を受けた、場所は、
 答 acです。
 問 acの警察か。
 答 はい、そうです。
 問 その間ずつと調べは、ひつきりなしに毎日あつたのか。
 答 はい、そうじやつたと思います。
 問 毎日あつた。
 答 はい。
 問 で、調べる人は、すべて山崎検事さんの調べか。
 答 はい。
 問 他の人はしなかつたか。
 答 はい。
 問 四、五日頑張つたというが、結局、自白したわけか。それでも。
 答 ああ言つたり、こう言うたりして、なるべくごまかそうと思つておつたです。
 問 ごまかそうと思つた。
 答 はい。
 問 どういうわけで、ごまかし切れなかつた。
 答 ……僕が言わんでも、ほかの者が皆言うてくれるから。
 問 何。
 答 僕が言わんでもほかの者が皆、言うて来てくれる。
 問 皆というのは。
 答 証拠やら……。
 問 どういう証拠を示された。
 答 本やら何か。
 問 本とは何か。
 答 あの「真実」という本ですね。
 問 それから、その他に、
 答 手紙。
 問 一寸待つた、だれから、だれに宛てた手紙。
 答 B君、被告人から僕のうちへ来た手紙やら。
 問 それから。
 答 あの原田先生から来た手紙やら。
 問 原田弁護士から君宛に来た手紙。
 答 はい。
 問 それから。
 答 それ位じやないかと思います。
 問 そういう証拠を見れば、どうしても認めなきやならんようになるのか。
 答 まあ、良心がとがめるですね。
 問 良心は、そんなものを見なくてもとがめるだろう。君は証拠をつけられて、
自白したと云つたんじやないのか。
 答 はい。
 問 良心に基いて自白するのは、証拠をつけられたから自白するのとは、意味が
違うよ。
 答 僕は、その意味がよくわからないんです……。
 問 ただ、そういうものをつきられた結果、自白せざるを得なかつたと、こうい
うことになるのか。
 答 強制的に……。
 問 いや、強制的という意味じやないよ、そういう証拠をつきつけられて、自白
せざるを得なかつたと、こういう意味なのか。さつき、君が、皆が言つてくれると、
こう言つたろう。それで、その皆とは、何を意味するかと言つたら、君が、さきほ
ど言つたように著書とか手紙だとこう言うでしょう。
 答 はい。
 問 だから、そういう物のうちに、偽証の事実が語られておると、こういうこと
になるのか。
 答 はい、それもあるし、それで自分の良心もとがめるですね。
 問 良心は、もし君にあるとすれば、逮捕頭初から良心が急に生き返るというの
はおかしいじやないか。良心の問題で自白するんなら、最初から自白しても、よさ
そうなものだと思うがね。
 答 最初はどういうわけで、僕を逮捕せられたか、わからなかつたのです……。
 問 君は、四、五日頑張つたにかかわらず、その後自白したというから、その自
白するに至つた動機と経過はどうかと、こちらが聞いたんですね。そしたら、君は、
それを間接に、皆が話してくれるとか、語つてくれたとか言うから、皆とは何ぞや
と、質問したら、さきほど君は列挙した。
 答 そりや、僕の言いそこないですね。
 問 そうすると、良心に基いて君が自白したと、こうなるのか。
 答 はい。
 問 その検察官から見せられた証拠によればだね。君が自白しなきやならんよう
なものを含んでおるのか、おらないのか。
 答 本なんか見せられたら、もうすぐわかつたですね。
 問 何がわかつた。
 答 本のことなんか、本にずい分仮名やら、色鉛筆でつけてあるですね。それな
んか見せられたら、やつぱり僕としてもですね、とがめるですね。
 問 それは、とがめるのは、もう少し意味が違うんではなかつたか。この前この
法廷で、問題の手紙を読みなさいと、検察官から言われてだね。君は。今日読まな
いと言つた。読めないとは言わずに、読まないと言つたね。そういう点を意味した
んじやないか。
 答 その本ですか。
 問 本のことでなしに、君の手紙じやないか。
 答 手紙ですよ。「真実」の中へ、僕が原田先生のところへ出した内容が本に載
つてるんです。
 問 それはわかつてるがね。その「真実」の本の中の手紙に該当する部分をだね。
検察官から、前に、君に読んでほしいと言われたら、君が読めるけれど、今日は読
まないと、こう言つたでしょう。
 答 はい。
 問 それで、君の家から押収した「真実」の本の中に、振がななんかが振つてあ
ると、こういうの。
 答 はい。
 問 そういう点で、その事実については、認めざるを得なかつたと、こういうの。
 答 はい。
 問 そうかMの話が出たからね、若干それに触れるがね。
 答 はい。
 問 君は、M旅館へ行つたのは、何時頃だつたかね。
 答 いつですか。
 問 一月一九日だ。
 答 五時か、六時頃じやないかと思います。
 問 五時か、六時頃ね。
 答 はい。
 問 君が、行つた時には、何か悪いことでもするような相談があつたのかないの
か。
 答 まあ、僕が行つた時には、皆飲みようたですね。
 問 飲んでおつたのか。
 答 はい。
 問 そこでは、何か悪い話の相談でもあつたのか。
 答 いえ、その時は、上つてすぐ僕は、おりましたですから。
 問 そうすると、その日どういう相談があつたか、それは、君は、全然知らんの
か。
 答 はい。
 問 知らんのか。
 答 はい。
 問 それは、前の証言のとおり間違いないんだね。
 答 はい。
 問 それから、一月二二日Aと会つた日に、皆と一緒に飲んだかね。
 答 二二日ですか。
 問 二二日。
 答 はい、あれは仕事から帰つてから後に、飲みに行きましたです。
 問 どこへ飲みに行つた。
 答 B君の家です。
 問 そのほかの場所でも飲んだんではないのか。
 答 仕事へ行くまでになんです。あのxの停留所のすぐそばへ朝鮮人の家があつ
たです。そこで、昼ご飯なんか食べたですね。
 問 朝鮮人の家でね。
 答 はい。
 問 それでは、今日の証言内容が変つて来たから、少しまた、それに関連して尋
ねなきやならんがね。
 答 はい。
 問 そうすると、x停留所で、さきほど言つたように、Bが、Aに言つたことは
間違いないのか。
 答 はい。
 問 間違いないのか。
 答 はい。
 問 それでは、どういうわけで、さきほど示した手紙を原田弁護人に出すように
なつたのか。
 答 そりや、まあ、なんですね。友だちでもあるし、まあ、情を思つたわけです。
 問 情を思つた。
 答 はい。
 問 誰かに頼まれたのか。
 答 はい。それは、Bのおばさんが、僕に再々言つたわけです。
 問 Bの母が再々。
 答 はい。
 問 どういうことを言つてた。
 答 あんたは岩国で言うたことは、ああいうことを言うちやあいけんじやないか、
こういうように言わにやあいけんじやないかと、僕にいつも言つておられたです。
 問 そうか、いつも言うておつたのか。
 答 はい、まあ、いつもいうても、僕がちよいちよい遊びに行つた時ですね。
 問 それで、あのような手紙を書いて原田弁護人に出すようになつたのか。
 答 はい。
 問 出す直前、だれかに言われたわけではないのか。
 答 そういうて言われよつてですね、時々言われて、まあ、時々行きよつたわけ
です。その時、おばさんが、こういう手紙を書いて出してやつてくれんか言うて僕
に頼まれたんです。その時、僕は一応は内容もわからんから、いやだというて言つ
たわけです。いやだと言つても、世話はない、心配はないから言われるから、そう
かなあと思つて、じやか待てよと思つて、まあ、手紙書くだけならいいから言われ
るから、それじや、まあ、出してやろうと思う気になつたわけですね。
 問 Bの母から頼まれた。
 答 はい。
 問 このような、と言つて原稿を示された。
 答 はい、書いたものを僕に渡してくれたです。
 問 どういうものに書いてあつた。
 答 便箋ですね。
 問 便箋。
 答 はい。
 問 そうすると、そのとおりを君は、真似て書いたのか、そして原田弁護人に送
つたと、こういうわけか。
 答 はい。
 問 君は、そうすると、頼まれたら、うそでも証言したり、うそのことでも言え
るんだな。
 答 まあ、友だちでもありますし、また仕様なしですね。
 問 仕様なしにやつたのか。
 答 まあ、頼まれりやあ、いやということは仲々言えんものですね。
 問 頼まれたら、どういうことでもか。
 答 はい。
 問 じやあ人に驚かされても、うそをいうことがありうるわけか。
 答 その当時は……。
 問 いや、抽象的に、今聞いてるわけです。
 答 今は、そういうことはないですね、あの当時は、考え方も、まあ、浅はかで
もありますし、また、皆が、かわいそうだという気もありましたですね。
 問 あつたの。
 答 はい。
 問 それからね。もう一つ、さきほどにもどして尋ねるがね、Bが、Aに、さき
ほど君の言うとおりのような話をしとつた時、他のCとかDそれからBm、こうい
う人は、かなり離れたところにおつたのか。
 答 はい。
 問 じやあ、話の内容も聞こえないところにおつたのか。
 答 そうですね、僕が一から十まで聞こえない位ですから、僕より少し離れてい
たから、聞こえないんじやないかと思いますね。
 問 C、D、Bmは、大分離れておつたか。
 答 はい、僕が一番近かつたですね。
 問 で、その話す時間は、どれ位の間、話しておつたか。BとAは。
 答 一〇分、一七、八分位ですか。
 問 一〇分、一七、八分か。
 答 はい。
 問 その時間の話をすれば、相当話の内容はあると思うんだが、その間で、君が
覚えているのは、さきほど言つた二つですか。経木の話と廊下へ呼び出した話と、
この二つだけしか覚えていないか。
 答 はあ、そうですね、僕は。
 問 馬車の話は出なかつたのか。
 答 まあ、よう覚えてないですね。
 問 覚えておらん。
 答 はあ。
 問 君は、もとの岩国の裁判所でね。その点を述べておるんだがね。
 答 はい。
 問 そういうことは忘れたか。
 答 忘れているですね。
藤間裁判官
 問 一つだけ確かめるんだけどね、もう一ぺん言つてみなさい。Bが後から呼び
かけたところを、もう一ぺん言うてみなさい。
 答 この前持つて来た原料板が悪かつたから、いい原料板を分けてくれと……。
 問 それから。
 答 そしたらA君が、いいのを分けてやるが、今日はjへ行くから、分けてやれ
んから、今度持つて行つてやるというように聞いたと思います。
 問 それから。
 答 それでしまいですね。
 問 その前にだね、BがAに言つたということを聞きたいんだけどね。
 答 あれは廊下で話したことをやれよと。
 問 廊下で話をしたことをやれよというのか。
 答 はい。
 問 やれよというのは、どういう意味かね、お前だけやれという意味か、それと
もどういうふうにとつたかね。
 答 僕は、その時はなんですね、Aにやれというから、一人でやれと言つたよう
に、で、Bが、お前一人じやない、おれらもおるんだからというのを聞いたから、
皆でやるというように僕は感じたです。
 問 最初そうすると、やれよと言つたので、それをA一人にやれと、こういうふ
うに、とつたというわけだね。最初は。
 答 はい。
 問 それで、お前一人でなくて、おれらもおるんだからというて、一緒にやるも
のだと、こういうふうに聞いたというわけかね。
 答 はい。
 問 やるというのは、どういうことを指すのかね、その時、どういうようにとつ
た、やるというのは、何をやるのか、内容は、わからんのか、その時の。
 答 まあ、その時は内容は、はつきりとわからないですね、まあ、あたり前のこ
とではないとは思うのは、思つたですね。
 問 あたり前のことではないとは思つたけれども、やると、何を指すのかという
ことは、わからなかつたということだね。
 答 はい。
渡辺裁判官
 問 あなたが、手紙を原田弁護士に宛てて書く時にね。
 答 はい。
 問 Bのお母さんから岩国で、証言したようなことがあるか。
 答 はい。
 問 証言したようなことを言うてもらつては困る、こういうふうに言うてくれに
やあ困る、というのは、こういうふうにというのは、どういうふうにということで
すか。
 答 岩国で言つたことが、結局いけないという意味ですね。
 問 岩国で言つたことは、あれは間違いだと言つてくれというのですか。
 答 はい。
 問 間違いで、本当は、どうだというふうに言つてくれというんですか。
 答 そういうことはなかつたと言つてくれと。
 問 なかつたと言つてくれねば困ると、こういうわけですか。
 答 はい。
 問 それから、Bのお母さんから手紙をですね、便箋で書いた手紙を見せられた、
そのとおりに、書いてくれということでしたね。
 答 はい。
 問 その原稿は、だれが書いたものだと、あなた聞いてみました。
 答 いいえ、そういうことは、まあ、僕は、字なんかもわからないから、内容も
読んでみないから、そういうことは、全然問うてないです。
 問 Bのお母さんが書いたようなものでしたか。
 答 はい、僕は、そう思いました。
 問 あなたは、そう思つた。
 答 はい。
 問 Bのお母さんが書いたにしてもね、その通り安々と引き受けてね、あなたの
心にもないことを書くということになると、一寸そら恐しいようなことにも思えま
すがね。どうでしょうか。
 答 それは、まあ僕としても、とつてもいやだつたですね、いやだつたから、あ
とでそういうことを頼まれて、その帰りにEへ寄つて、E君の家で見したわけです。
 問 だれに見せたの。
 答 おばさんやら、嫁さんたちに見せたわけです。
 問 Eのお母さんと、嫁さんというのは、兄さんのお嫁さんですね。それを見せ
たんですか。それでどういう話をしたんですか。
 答 こういうふうにやつたらよかろう、こういう手紙ならいいから出してくれと
言われたですね。
 問 あなたは、相談したんですか。こういうふうに頼まれたんだけれども……。
 答 いえ、いえ、こういう手紙を出そうと思うんじやがと、頼まれたのは言わな
かつたですよ。
 問 Bのお母さんに頼まれたということは言わずに、こういう手紙を出そうと思
うんだが、どうかと。
 答 どう思うかね、と聞いたわけです。こういう手紙ならいいから出してくれと
言われたです。そう言うて言われたから、僕は、Eを出て、また帰りにCへ寄つて、
Cのおばさんに見したわけです。Cのおばさんに見せて、出してもええと言われた
から、結局家へ帰つて写して出したわけですね。まあ、内容はよくわからんし、出
してもいいもんか悪いもんか、大体見せりやあ、読んで聞かされるか、それとも、
いけないなら、いけない、これなら大丈夫だということを聞けば、だいしよういや
でも、安心して帰ると思う気がありましたですね。
 問 そのCへ寄つて、見せたのは、どういうわけで見せるんですか。
 答 そりや、まあ、不安だつたですね。自分には、ようわからんから。
 問 内容が、あなたにはよくわからなかつたんですか。
 答 出していけんもんか、出してもせわないかと……。
 問 そうすると、あなたは、それが読めなかつたわけですか。
 答 はい。
 問 で、意味が、よくわからなかつたわけですね。
 答 はい。
 問 Eのお母さんや、Cは読めるから。
 答 はい。
 問 読んでもらいましたか。
 答 いえ、僕は、読んでくれとは言わなかつたですよ。
 問 じやあ、向うが勝手に読んだだけですね。
 答 はい。
 問 書くのは、あなた自身で書いたんですか。
 答 はい。
 問 あなたの知らない字もあつたわけですね。
 答 そうです。
 問 もう一点確めておくがね、君は、廊下の話うんぬんだね、それを岩国の裁判
所では、その通り述べておらんことはさきほど、君自身も述べたがね、どういうよ
うに答えたか、知つておるか、覚えておるか。
 答 岩国ですか。
 問 岩国の裁判所で、Aの質問を受けた際に、君が答えたことが公判調書には出
てるんだがね、これは言葉通りには速記録でないから出ないんだが、どういうふう
に述べたか覚えておるか。
 答 原料板位だけしか……。
 問 それしか述べた記憶はないの。
 答 そうじやないかと思います。ようはつきり覚えてないですね、
 問 何かBらが、悪いことをするうんぬんと、それと関連することを述べたこと
はないの。
 答 はつきり覚えてないですね。
 問 それじやBらに、何か都合の悪いことを言つた記憶はないの、あるの、岩国
の裁判所での話だよ。
 答 ないと思います。
 問 岩国の裁判所では、Bらに不利益なことを述べた記憶はないと。
 答 ないと思います。
 問 ないと思うの。
 答 はい。
 問 そりや間違いないか。
 答 はい、絶対とは言えませんが、はつきり覚えてないですから、まあ、ないと
思うですね。
 問 それじや、Bの母から、さきほど言つたようなことを言われる筋合はないと
思うがね。一寸話が矛盾するよ、それは。
 答 いや、それはですね、A君とですね、話をしたことがないというふうに言え
と言われるですね。
 問 何。
 答 A君たちとですね、話をあそこで、したことはないと言われるんです。僕も、
ここへ来て、A君とはそこで、問われたことはないと、この前も述べたわけです。
 問 それはいいんだけどね、君は一審の裁判所で、Bらに裁判所で不利益なよう
な事実を述べた記憶はないのか、あるのか。
 答 ……。
 問 さきほどは、ないと、こう言つたね。
 答 はい、はつきり覚えてないですね。
 問 覚えておらんのか。
 答 はい。
 問 そうすると、君の話が仲々理解しにくいんだがね。
 答 ……。
 問 岩国の裁判所で言つたようなことを言つてくれちや困るというのは、不利益
なことを言つたのじやないか、君自身ではBの不利益になるようなことを述べた覚
えはないんだね。
 答 Bさんが、そう言われれば、あるんじやないかと思いますね。
 問 その程度か。
 答 その当時のことは、今では、はつきり覚えてないですね。
 問 覚えておらんのか。
 答 はい。
正木弁護人
 問 その当時(注、昭和三〇年四月頃)僕のところに来て、こう言つたのを覚え
ていませんか。自分がAの問に対して「馬車を引つくり返して何んとかせにやいけ
ないが、一九日の晩に言つたことをやろう」と答えたことは絶対にない、そんなこ
とがあろうはずはないと。そういうことをですね、私の家に来ても言うし、一五〇
人ばかりの立派なお方がお出でだつた前で、君はマイクロフオンを使つて言つたん
じやないですか。
 答 覚えてないですね。
 問 僕に対してですね、もし君がそういうことを言つたとすれば、あれは、うそ
だつたんだね。じやあ。
 答 まあ、皆のためを思つてですね、言つたと思いますですね。
 問 皆のためを思つて。
 答 はい。
 問 そうすると、君は、皆が強盗したと思つているのか。
 答 ……。
 問 そう確信しているの、何かそういう根拠があるんですか。そう思つているん
ですか。
 答 そりや、前からそう思つていましたですね、そりや、友だちとして仲々言わ
れないですね。
 問 どうしてそう思つたですか。根拠を言つて下さい。僕はちつとも差支えない
ですよ。言つて下さい。
 答 まあ、話の内容から、行動からですね。
 問 話の内容というのは、いつの話ですか。
 答 それは、x停留所やなんかの話振りからですね、M旅館なんかの話振りから、
そう僕は思つております。
 問 話振り、M旅館では今、君は裁判官に対して話は何も聞かなかつたと言つて
るじやないですか、酒を飲んで、すぐ戻つたんじやないですか。
 答 いえ、酒は、私は全然飲まなかつたです。ただ話を聞いただけですね。
 問 どういう話をですか。
 答 まあ、打ち合せですね。
 問 強盗の。
 答 いえ、その時は、皆の仕事なんかの打ち合せですね。
 問 どんな仕事の打ち合せですか。
 答 そりや仕事をせにやあいけんとか、金がないから、どこか、もうけに行かに
やあいけんという……。
 問 このもうけに行くというのは、強盗ですか、労働にですか。
 答 その時は強盗じゃないです。それから後もM旅館に何回も行つてますね。
 問 そうすると、一九日の晩以外に行つてるんですか。
 答 はい。
 問 その時に、相談してるんですか。
 答 はい。
 問 強盗のですか。
 答 強盗ではないです。
 問 仕事でしよう。
 答 いいえ、仕事ではないです。
 問 何です。
 答 ……。
 問 泥棒に、はいろうという話でもしとつたんですか。
 答 ……。
 問 信ずる信じないは、こちらの自由だから言つて下さい。一九日の晩は仕事の
話はあつたんですか。
 答 あつたですよ。
 問 それから後には、仕事の話は。
 答 仕事の話というのは、別になかつたですね。
 問 そうすると、一九日以外に、それから、二二日に、君が廊下のところで、だ
れがだれに話したというふうに聞いたんだ。
 答 それは、B君がA君へ話すのを、私が聞きましたですね。
 問 B君が、A君に。
 答 はい。
 問 廊下のところで話した、やろうと言つたつて。
 答 はい。
 問 じやあ、一九日の晩に決めたのをやろうというふうには、言わなかつたんだ
ね。
 答 それは、よう、今はつきり覚えてないですね。一九日というのは、その当時
は覚えていたかもしれませんが、今は、はつきり覚えてないですね。
 問 そうすると、両方合せるとだね、一九日の晩に廊下のところで決めたのをや
ろうと言つたことになるね。
 答 両方合せて……、そうじやないかと思います。
 問 裁判所の調書みたいなことを言つてることになるね。普通の話の時に、いく
日のどこで、何々したとそういう細かい裁判所の調書のように聞いたですか。
 答 それは、正木先生か、そう言われるんじやないてすか。私は一九日と言つた
覚えはないですよ。今、先生が、そう言われたから、そうじやないかと思うんです
よ。
 問 そうすると、君は、皆がやつたと信じたのは、その瞬間からそう思つたとい
うんですか。
 答 そう思つておりましたが、それは友だちとして、仲々なんです。この前の証
人に出た時も、そう思いましたが、やつぱり友だちとして、後にいたりすると、や
つぱり言えんですね。
 問 そうすと、言いたかつたと言うのは、どういうことを言いたかつたの。どこ
から先が言いたかつたの。
 答 まあ、手紙のことやら……。
 問 手紙というと。
 答 まあ、本に載つているような手紙ですね。
 問 君から出した手紙でしよう。
 答 はい、そうです。
 問 だから、それを打ち明けたかつたというの。
 答 はい。それやら、x停留所なんかで、AとBか話すのを聞いていないと言つ
ていたやつを、本当は聞いているんじゃが、今打ち明けようかと思つたことは、何
回もあるです。
 問 それだけですか。
 答 はい。
 問 それでは、x停留所のところで一寸聞くが、BとAは人に聞かれてるという
ことを気にして、しやべつていましたか。
 答 いえ、それが気になるかならんか知らんですか、皆より離れて話しよりまし
た。
 問 だから、BとAとは人にわざと聞かれるようにとか、人から内緒にしてるよ
うな素振がありましたか。
 答 まあ、内緒と思いましたですね。
 問 内緒と思つた。
 答 はい。
 問 それでは、経木の時の話はどうでした。
 答 あれは、バスへA君が乗る時にB君が後から追つかけて行くようにして大き
い声で言いましたですね。
 問 それは芝居をやつてるようなふうだと思つたんですか、本当にその話なんで
すか。
 答 まあ、あの時の話を聞くと、前に分けてくれた経木は悪かつたが、今度いい
のを持つて来いというのを聞くと、本当だと思いますですね。
 問 それは、人に聞かせるためでなくて、相お互いの話だつたんですね。
 答 人に聞かすためじやないと思いますね。
 問 それから、経木の話というのは、あんたはそれより前に一九日の晩に、それ
を聞いたことはないですか。覚えてますか。
 答 一九日の晩ですか。
 問 一九日の晩にね、経木を持つて行つたとか、経木の話はその晩には聞かなか
つたですか。経木のやりとりに関しては。
 答 僕は覚えてないですね。それは。
裁 判 長
 問 ちよつと裁判所で尋ねますが、君は一九日以外にもM旅館で話を聞いたと言
いかけたがね、M旅館て二〇日には、だれだれと会つたのか、M旅館でだよ。
 答 二〇日ですね。
 問 二〇日、覚えておらんことを言つちやいけないよ。
 答 B君に、C君、D君、E君がいたと思います。
 問 女は。
 答 女は二人おりました。
 問 AhとBoか。
 答 はい。
 問 そこでは、どんな話があつた。
 答 そこでは、金もうけの話ですね。
 問 金もうけというのは、仕事の意味か、それとも悪いことの意味か。
 答 悪いことというんですか。
 問 悪いことと表現して大体君、わかりやあしないか、犯罪でも犯すという相談
か、それとも働きに行く相談かと、こういうように聞いているわけだ。
 答 いや、働くつて、その当時のことを考えてみますとですね、働くというとこ
ろは、あの当時はなかつたですね。
 問 じやあ、どういう相談があつたんだ。
 答 どうかして金もうけをせなきやあいけんというような話振りだつたですね。
 問 だれが。
 答 皆がです。
 問 君も、そういう話をしたんですか。
 答 僕は、まあ、聞いとつたですね。
 問 どうかして金もうけをせにやあいかんと。
 答 はい。
 問 泥棒をするとか、そういうふうな意味の具体的な話かあつたの。
 答 それは、A君と話したことや何か、やらにやあいけんという話は聞きました
よ。
 問 A君と話したことをやらにやあいけんと。
 答 はい。どうするか、こうするかという話じやつたですね。
 問 それから、二一日はだれだれと会つたか。
 答 やつぱり皆、同じ人だつたと思います。
 問 同じ、さきほど言つた人々か。
 答 はい。
 問 で、話の内容は。
 答 話の内容は、その時はあれだつたです。A君が来ん、早う来やあええが、ど
うして来んのじやろうかというような、できんのかという話だつたです。
 問 その時には、何か悪いことをする相談かあつたのか、ないのか。
 答 その時には、A君なんかの話が多かつたですね。
 問 その日は、別に金もうけうんぬんという話はなかつたのか。
 答 その時には、なかつたと思います。
 問 じやあ、金もうけうんぬんは二〇日の日か。
 答 はい。
 問 じやあ、君もその仲間にはいつたんじやないのか、君に打ち明けてくれたか
ら。
 答 まあ、僕なんかは聞いておつたですね。
 問 君も、仲間の中にはいつておつたんか。
 答 まあ……。
 問 誘われりやあ、やるつもりだつたか。
 答 まあ、仕様がないですね、友だちとして。
 問 誘われたら、君もはいるつもりだつたか。
 答 そりや、おれだけいやだということはできないから。
 問 やるつもりだつた。
 答 そりやあ、まあ……。
 問 君自身、その話の内容は、泥棒でもするように感じたか。
 答 ええ、そりやあ感じたですね。
 問 君自身も、具体的になつたら、一緒にやる気だつたか。
 答 一緒にやろうという約束だつたからですね。
 問 一緒にやろうと。
 答 はい。
 問 どういうことを一緒にやろう。
 答 A君が来てから詳しい話を決めるというような話です。
 問 Aが来てから詳しい話を決めると。
 答 はい。
 問 今まで、君はそういうことを少くも、記録、あるいは当法廷で述べておらん
事実だかね。
 答 はあ、そりや、友だちとして隠しておつたんですね。自分も疑われちやいけ
んという気もあるし、今まで友だちだつたものを、今さら裏切つちやあいけないと、
自分も誘われているんじやからという気持もありました。
 問 そうすると、二〇日の晩にはAが結局、来なかつたのか。二一日も来なかつ
たのか。
 答 はい。
 問 そうすと、最後の取り決めは、まだできていなかつたのか。
 答 それからですね……二二日。
 問 二二日のことはよろしい。必要があれば、あとで聞きますがね。二〇日のこ
とを、今、聞いてるんですがね、二〇日と二一日のことを聞いてるんですが、二一
日はAが来ないから、最後の取り決めはできなかつたと、こういうのか。
 答 はい、Aを捜してですね、Aのうちへ行つて、相談して連れて来ると、こう
いう話たつたんてす。
 問 そうすと、Aが来ないと話が決まらんのか。
 答 はい、そうです。
 問 そうして、具体的に決つたか。君も一口加つてやるつもりだつたと、こうい
うことになるのか。
 答 はい。
 問 それじや、二二日にBがAに話したというのが、もし悪いことであれば、君
もそれを一緒にやるつもりだつたのか。
 答 そりや、まあ、友だちですから。
 問 じやあ、その話はどうなつた。やるつもりであつたか、どうなつた。
 答 二二日にですね、大体の約束をしたわけです。
 問 どういう約束をした。
 答 いよいよcの名前は忘れましたが、どこそこへ行つたら、金があるとかです
ね、それで、あの辺でなきやあ、こつちじや人通りが多いということから、大体c
に行こうという話を決めたわけです。
 問 どこて決めた。
 答 旅館です。
 問 どこの旅館で、
 答 M旅館です。
 問 二二日に。
 答 はい。
 問 二二日か。
 答 はい。
 問 いつ頃だ、それは。
 答 ……。
 問 二二日にはaiへ行つたでしよう。
 答 二二日じやない、二一日ですよ。僕は感違いしています。
 問 二一日は、君はAは来ないと言つたじやないか。
 答 一日、日にちがずつちやうんです。
 問 二一日のことか今言つたのは、じやあもう一ぺん聞くが、二一日はだれだれ
集つた。
 答 皆、集つたと思います。
 問 皆ではわからん。
 答 B君、E君、C君、D君と、僕だつたと思います。
 問 五人か。
 答 はい。
 問 Aはいないの。
 答 Aは一九日の晩にB君が話をしてですね。それで、それきり来るというのが、
来なかつたんです。
 問 出て来なかつた。
 答 はい。
 問 一月二〇日に悪いことをする話は、あまりなかつたのか。
 答 ……。
 問 あつたのか、なかつたのか。
 答 あつたですね。
 問 あつたのか。
 答 はい。
 問 もう一度、それじやその点から尋ねるがどういう話をしたのか、その時。
 答 ……。
 問 どういう話をした。一月二〇日M旅館でどういう話をした。
 答 金もうけの話です。
 問 それは、一寸抽象すぎるんでね、抽象いつたらわからんかもしれんが、もう
少し話した内容をいうてみなさい、どういう話が、だれかどういうようにしたか。
 答 はい、A君と話をしたことをですね。大体B君たちみんなか僕に、みんなで
話をしよつたわけです。
 問 どういうように話した。
 答 どつか物をとつて、売るために金もうけをするのを話したわけです。
 問 じや、物を盗んで売るというのか。
 答 はい。
 問 盗むのか、強盗か。
 答 盗むんです。
 問 物を盗んで、それを売つて金もうけしようと、こういう相談か。
 答 はい。
 問 そりや、最初にだれが言い出した。
 答 B君が言い始めたです。
 問 それから。
 答 それから、みんなにそういう話を説明して、みんなの意見を述べたんです。
 問 君は、どういう意見を述べた。
 答 今頃物をとつて売つていうて、もうけにあまりならんからいうたです。
 間 物といつても、金が入るじやないか。
 答 金も入りますけど、あまり田舎じやから、おいてないからということになつ
たんです。
 問 そうか、物をとつて、盗んで売つても、あまり金にならんから、そういう意
見を述べた。
 答 はい、僕はそういうようにいうたです。
 問 それで、Dはどういう意見だ。
 答 じや、そねいなことはない、確か上手をやりやもうかる。
 問 Cは。
 答 Cも、みな、そういうようにいようたです。
 問 Eもそういうたの。
 答 はい。
 問 盗み物といつても、色々あるが……。
 答 まあ、手当り放題、金になるような物を盗もうちゆうことじやつたです。
 問 金は、特に盗まんのか。
 答 金は、勿論あれば、金の方がいいちゆうことです。
 問 その時まだ相談は、決まらなかつたのか、決まつたのか。
 答 その時に、もう決まつていたですね。
 問 決まつた。
 答 はい。
 問 どこへ入つて盗むことになつた。
 答 それは、その二四日に、dならdとか、Bの家へ来るという約束をしてです
ね。そこで、だれが番するとかですね、いうことを、そこで決めるちゆうことにな
つたんです。
 問 じや、二四日に決めるということになつたんか。
 答 はい。
 問 そうか、二一日は。
 答 二一日は、やはりM旅館へ行きましたです。
 問 さきほどそれは聞いた。どういう話を、その時はした。
 答 絶対に口を割るまいとかですね。それから、もし、どういうことがあつても、
そういうことは、絶対に口を割らんということですね。
 問 それは、だれがいうた。
 答 そりや、みんながいうわけです。
 問 君も、そういうたんか。
 答 はい。
 問 まあ、割らんことはいいが、どういうことをするというた、その日には。
 答 結局、品物をとるのに、どこ方面がいいかということですね。
 問 で、どこ方面に決まつた。
 答 結局、cの方が決まつたわけです。
 問 c。
 答 はい。
 問 何かcにするについて、理由があつたのか。
 答 それは、D君やら、A君なんかの近所なら、よう詳しくわかるということか
らですね。
 問 近所で詳しくわかるので。
 答 はい。
 問 それで。
 答 その方へ行くちゆうことになつたんです。
 問 家は決まらんのか、cの方面だけということだけ決まつたのか。
 答 はい。
 問 家は決まらんのか。
 答 いいえ、大体ですね、何という家か、まあ、忘れたですが、そこへ、まあ、
入るというようなことだつたんです。
 問 じや、家も決めたんか、その時、家の名前は忘れたけれども……。
 答 はい。
 問 入る家は、その時決まつたのか。
 答 はい。
 問 何という家かわからんのか。
 答 はい、忘れましたです。
 問 じや君も、それには入つて、一緒にやるつもりだつたんか。
 答 はい、まあ、やるつもりだつたです。
 問 やるつもりだつた。
 答 はい。
 問 それでもう、最終的にその相談決まつたか。
 答 ……。
 問 最後的に決まつたのか。
 答 それは、いろいろやるということが決まつたのは、二一日の夕方だつたと思
います。
 問 二一日の夕方ね。
 答 はい。
 問 その時は、だれだれがおつたか。
 答 みんなおりましたと思います。
 問 五人か、Aを除く五人か全部おつた。
 答 はい。
 問 そして、最後の打ち合せを、もう一ぺん言つてみなさい、いつどこでやると
いうこと。
 答 二四日になんです。cのBの家かですね、そこへ集るか、それともあの近所
に橋がある。そこらで集つて、それから様子を見て行くちゆうことになつたんです。
 問 時間は。
 答 時間ですか。
 問 うん、時間がないと困るだろう。
 答 時間は、一〇時から一一時半の間ちゆうことになつたんです。
 問 一〇時から一一時半頃……早う行つた人は一時間半も待つわけか。
 答 それはなんですね、大体話のあれで、その適当の時間に出るように。
 問 適当の時間というても、一〇時から一一時半と一時間半もずれかあるからね。
早い人と遅い人じや、えらい違いができるだろう。
 答 はい。
 問 そういう打ち合せか、本当に。
 答 はい。
 問 何か得物は持つて行く相談か、得物といつて兇器だね、そういうものは、何
か相談があつたのか。
 答 兇器は、全然なかつたです。
 問 そういう相談はないのか。
 答 はい。まあものをそろつととつて、帰るというあれだつたですから。
 問 物をとつて帰るのに、五人も六人も行つたら、人の目について悪いじやない
か。
 答 それには、警戒にあたりますから。
 問 警戒にあたるのか。
 答 はい。
 問 その役割は決つておつたか。
 答 まあ、大体決つていたですね。
 問 どういうようになつていた。
 答 まあ、C君やら、E君が見張りをするということです。
 問 C、Eが見張りか。
 答 はい。
 問 それから、
 答 それから、A君が一番最初に入ると。
 問 Aが一番最初に入る。
 答 はい。
 問 それから。
 答 みんながそれについて、ほかの者はよう知らんから、それがまあ、大体様子
を見てから、みんなが入るということになつたんです。
 問 みんなが入るのか。
 答 みんなというのは、E君とC君は見張りに出とつた以外は、僕やらB、Dで
すね。
 問 E、Cが見張りで、他の四人が中へ入つて物を盗むと、こういうわけか。
 答 はい。
 問 しかし、泥棒というのは、こつそりいかんと具合が悪いじやないのか、大勢
大挙して押し掛けちや、みつからんか。
 答 そりや、中の様子次第で、入るということになつておつたです。
 問 そうか。
 答 はい。
 問 見付かれば、何か相談でもあつたか、どうするとか、こうするとか。
 答 まあ、見付かつたら、なんですね、しようがないから、やるんだけとことん
やるか。
 問 どういうことだ、意味は。
 答 まあ、引括つて……。
 問 引括つてどうする。
 答 とつて帰るという……。
 問 じや、強盗か。
 答 はい。
 問 じや、初めから強盗の下心があつたか。
 答 なるべく強盗は、罪が重いからやらんという約束は、約束じやたつたです。
 問 そうか、それで、話はどういうように発展していたのか。君も一役買つたと
いうんだから、それで、どういうになつたんか。
 答 それで、それまでに、そういうふうに疑やなんか受けるようことかあつたら
いけんから、ずつと、おとなしゅうしとろうということで……。
 問 おとなしゆうしとるといつて、月日がいくらもないじやないか。で二二日は、
さらに相談があつたのか、ないのか。
 答 二二日にはなかつたと思います。
 問 それで君は、それじやx停留所の時だね、BがAに話しておれば、その意味
はすぐわかつたのか。
 答 まあ、そりや、大体内容はわかりましたですね。
 問 どういうことを意味しておるのか、すぐわかつたか。
 答 はい。
 問 それで、Bは君らに何か報告したか。
 答 それから後ですか。
 問 Aに会つてからだ。
 答 A君に会つたのは、M旅館とx……。
 問 いやいや、x停留所にうつつている。二二日x停留所で会つたろう。
 答 はい、会いましたです。
 問 そして、BがAに、さつき言つたように何か言つたというんだね。
 答 はい。
 問 その後、Bが君らに何か話したかと聞いておる。
 答 今話をまとめておいたから、言いました。
 問 どういうようにまとまつたと報告したか。
 答 それで、Aはやると、それで、見張りなんかのあの近所の様子は、ようみと
くから、その日には間違いなく行くといつたように言いました。
 問 その日には間違いなく行くと。
 答 はい。
 問 その他、そのことについて、話はあつたのか、ないのか。
 答 それから後ですか。
 問 うん。
 答 なるべく、はあ、もう決つていますから、なるべく人の耳に入つたり、態度
に……、あんまり話をする態度に現われたりなんぞしちやいけんからいうんで、仕
事なんかに行つたりですね。そういうようにしたわけです。
 問 二二日の晩ね。
 答 はい。
 問 B方で一緒に飲んだでしょう。
 答 はい。
 問 さきほど証言したね。
 答 はい。
 問 その時に、何か話が出たのか、出ないのか。
 答 その時は、金もうけをせにや、それで、みんな金なんかも払えるし、何もか
も面白うやれるから、気晴らしに一杯やろうというんで、やつたわけです。
 問 金もうけをすりゃ……。
 答 いつも、くよくよしとつたらばれるから、気晴らしに、まあ、やろうという
ことでやつたわけです。
 問 というわけでやつたのか。
 答 はい。
 問 で、その晩君は、Ay方へ行つたのか、行かんのか。
 答 二二日ですか。
 問 二二日B方で酒を飲んでから。
 答 僕は行かないように思うんですが、はつきり覚えてないです。
 問 B方へずつとおつたのか。
 答 はい、おつて、すぐか少し飲んで気分か悪うなつたかどうかで、家へ帰つた
ように思うんです。
 問 二三日は君は、またバラス採りに行つたのか、行かないのか。
 答 行きましたです。
 問 その時相談はあつたか、ないか。
 答 その時ですか。
 問 うん。
 答 その時はあれです。又飲むとかですね。まあ、どうせやりや金が入るんだか
ら、また、気晴しにやるかというような話かありましたですね。
 問 気晴しにやるかというのは、何をやる。
 答 飲むんです。
 問 それで、飲んだのか。
 答 いや、僕は飲まなかつたです。
 問 他の人は。
 答 その日は、僕家から遊びに出るのが遅かつたです。
 問 飲んだか、飲まんのか、知らんのか。
 答 はい、知りませんです。で、後からB君の家へよつたわけです。よつたら、
みんなどこか遊びに出たといわれるから……。
 問 何々、もう一ぺん、そこをはつきり言つてみなさい。
 答 僕は、少し家を出るのが遅かつたわけです。
 問 遅いというのは、仕事をしに行く時のことか。
 答 いえ、仕事が済んでからです。
 問 済んでから、どこへ行く時。
 答 aへ出てB君の家なんかへ行くのが、僕は遅かつたわけです。
 問 じや、その日もBの所へ集ることになつたのか。
 答 はい。
 問 二三日。
 答 はい。
 問 そうか。
 答 はい。
 問 それで、B方へ君は、行つたのか。
 答 はい、それなら、みんなもう遊びに出た言われたわけです。遊びに出た言わ
れるから、遊ぶ所も別にないから、昔から行つていたAyという家へ、僕は遊びに
行つたわけです。
 問 そしたら、だれがおつた。
 答 B君達が、みんなおりました、今じや、はつきり覚えてないですが。
 問 じや、Ay方へ行つたか、行かんか、はつきりしないというのか、どういう
いうんだ。
 答 二三日は行きましたです。
 問 行つたのか。
 答 はい。
 問 そうか、しかしね、一寸待ちなさい、Cpという人は、検事調を受けている
調書によるとね、その日君等が来たようなことは、調書にのつておらんが、どうか
ね。
 答 いえ、二三日と思います。僕は、それで、僕が行きましたらですね、みんな
もう先へ出ておつた所へ、僕が後から行つてですね。それで、僕が娘さんなんかと
話をしようたら、みながもう帰るといつて、みんな出て行つたわけです。
 問 その日には、君等だけでなしに、他の人もおつたんではなかつたか。
 答 他の人はどうか……。Ayの娘さんやら、おばさんやら、お兄さん達がおら
れたと思います。
 問 そのほかにも、おつたんじやないか。
 答 それは、もうはつきり覚えてないですね。
 問 それは、二二日の間違いではないか。
 答 僕は二三日じやないかと思います。
 問 二三日と思う。
 答 はい。
 問 君の一審の証言では、そうはなつておらんが、まあ、Ay方の点は、詳しく
は述べておらんけれどもね。
 答 はい。
 問 それは、それでいいと。その時何か話があつたのか。二三日。
 答 いえ、その時は、僕は娘さんと話しようたら、みんなが出て行つたのです。
 問 で、その日に何か悪いことをするについて、相談をしたのか、しないのか。
 答 いえ、それはAyの家じやつたですから、全然しなかつたです。
 問 その時は何も君はしないと。
 答 はい。
 問 で明けて二四日、その日は。
 答 その日は、昼からあのaiの海岸へバラスをあげに行くのに、行くという約
束になつていますから、僕はまあ、待つていたわけです、それで、みんなが僕の家
の前を通つて誘つてくれたわけです、みんな誘つてくれて、みんなそのまま行かれ
たですね。僕はみんなより一寸遅く行つたわけです。それから遅く行つて、仕事場
で叱られて、今度バラスなんかみな下へもどしておけといわれたと思います。それ
をおろして、それで帰つたと思います。
 問 それで……。
 答 それから帰る途中、今晩はまあ、約束通り出て来いということになつていた
んです。
 問 だれがいうた。
 答 そりやまあ、B君がいいましたです。
 問 どこのへんで。
 答 そりやまあ、途中ですね。
 問 途中といつてもいろいろある、どの辺。
 答 aiから僕の家へ向かう時ですね。
 問 そりやわかつてるけれども、どの辺かと聞いてる。
 答 それは、あのなんです。Cnの辺だつたと思います。
 問 だれだれおつたんだ、その時には。
 答 その時はB君達、みなおりましたと思います。
 問 だれだれ名前をあげてみなさい。
 答 B君、D君、C君それから……、Bm君じやつたと思います。
 問 Bmもおつた。
 答 はい。
 問 Bmのおる前で、そういう話をした。
 答 いいえ、それは、Bm君なんかにはそういう話は全然しておりませんです。
 問 だけど、一緒に歩きや聞こえるだろう。
 答 そりや、そういう話は、人には云わないです。
 問 だつて一緒に歩いておるんだから聞えそうなもんじやないか。こつそり小さ
い声で話した。
 答 はい。
 問 時間はいうたのか、時間はいわないのか。
 答 時間は、その時には云わないです。前に決つていますから。
 問 時間はいわなかつたか。
 答 はい。
 問 それで、君は別れて自分の家へ帰つた。
 答 はい。
 問 そして、君はその晩行つたのかね。
 答 いいえ、僕は行こうと思つておりましたが、その日は法事でありまして、今
晩ちよいと友達の所へ用があるんじやがいうたです。今日は親父の法事じやから、
絶対に行つちやいけんいわれたわけです。で、僕は本当は出とうていけんのじやが、
そういうてみんながいうので、僕はよう出なかつたんです。
 問 だつて、一一時半頃なら人が眠るから、こつそりぬけ出て行かれるんじやな
いか。
 答 いいえ、もう兄やらみんな狭い所へ一緒に寝ますもんですから、そうぬけて
出るということはできなかつたですね。
 問 法事だつて夜になつたら差支えないでしよう。現に君は一九日頃から毎日出
てるのに、法事でも夜までそうおらなくてもいいと思いますがね。
 答 話をみんなで随分遅くまでしましたからね、出ることはできなかつたわけで
す。僕自身は、そりや出たかつたんです。親類のもんやら、兄やらみんなおるとこ
ろで出してくれなかつたわけです。
 問 監視でも受けたのか、それじや、悪いことをしそうな態度で、君が監視でも
受けておつたのか、そうじやなければ、一寸小便してくるとか、一寸用達をしてく
るといつて、出られんことはないと思うんだがね。
 答 出て行けば、一〇分や二〇分はかかりますから。
 問 いや、かかることはかまわん。友達にそういうふうに約束をしておるんだか
らね、一応義理をたてて、君が行きそうなようにも思えるからね。
 答 それは、行きとうはあるけど、もしそういうことをすればという気もあるし、
でまた、親父の法事で、みんなも昼お前は法事というのに昼働きに出た位じやから、
夜位はおらにやいけんと、
 問 みな君の家は何時頃まで起きてるんだね、一〇時頃には大概寝るんじやない
のか。
 答 いいえ、法事の日は遅くまで話をしておりましたですね。
 問 話をしたにしてもね、君が行く気でありや、出られんことはないと思うがね。
 答 それはですね、昼法事というのに、昼出ましたから、特別夜は出んとか上手
をいうてですね、昼働きに出させてもらつたから、夜はあんまり無理はいえんし、
出とうはあつても、そういうことは云えなかつたわけですね。出るなちゆうていわ
れれば、やつぱりどきつとするです。
 問 むしろ法事は昼おつた方が、いいんじやないか、昼お客をするんでしよう。
 答 はい。
 問 その日、一日法事ですか。
 答 昼から、一一時頃からじやつたと思います。
 問 一一時頃からね。
 答 はい。
 問 そうすと、夕方には法事の人は帰つてしまつたんじゃないの。
 答 まあ、遠い親戚なんかは、みな帰られたですね。それで、兄やら姉さんなん
か、弟やらみんなぢつとおつてですね、遅くまで話をしていたですね。
 問 本当にぬけ出す気ならね。
 答 はい。
 問 わけなくぬけ出せそうに思えるがね、一応。
 答 ……、まあ、半分は、僕もあれですね、ああいう所へ行つたらという気もあ
るし、で、法事のことも昼出してもらつているという気もあるから、兄なんかがあ
まり喧しういうとですね、意志が弱いというんか、どうかあんまりいわれると、や
つぱり親父に一番可愛がられてもらつているんだから、お前がおらんいうことは、
いけんというふうにいつも云われていますし、今頃でも云われております。
藤間裁判官
 問 一寸尋ねるがね、二一日にM旅館で話があつたというたけどね。その時に入
る家は決つておつたんか。名前は忘れたけれども、どこの家へ入る、家は決つてお
つたのか。
 答 大体決つていたようです。
 問 名は忘れたという意味だね、どういう家か。
 答 はい。
 問 本件の被害者のKさんの家じやなかつたのか。
 答 そういう話もありましたですよ。
 問 そういう話もあつた、そこへ入るというのか、それともほかの家へ入ろうと
いうのか。
 答 ほかの家の名も随分出ましたです。
 問 K方の家も含めてほかの家も出たと、何軒位。
 答 四、五軒位。
 問 四、五軒位。
 答 はい。
 問 それから二四日までの間にだね、入るという家は決つたのか、どこの家に入
るというのは決つたのか。
 答 そりや二四日の晩に、その最初の名字を四、五軒、あの家、この家いようた
わけです。その家のどこかに入ることになつておつたんです。その二四日にAも来
るし、みんなも、みな集まつて、そこで、そこまでに家を五軒なら五軒家を挙げて、
その近所をずつとD君やらA君とかですね、様子をずつと見ていつて、そして、今
度二四日の晩に確実な入る家を決めるということになつておつたんです。
 問 みんな集まつた際に、その四、五軒のうちのどれかを決定するということに
なつておつたというのか。
 答 はい。
正木弁護人
 問 実際においてはどうだ、公判の中であろうと外であろうと、Aから口をきか
れたことは一度もなかつたと、今は、そう言わないですか。
 答 岩国では、Aに問われたと思います。
 問 思うんでなくてだね、はつきりAが君に質問しましたか。
 答 はい。
 問 君は、その時には、裁判官かAにそういうように何か聞いたと、裁判官同志
が何か相談して、Bf証人の言うことは、わけがわからんと言つたと、君は僕に言
つたが、そういうことがあつたですか、云つたことそういうことはあつたですか。
裁判官がBf証人の言うことは、何やわからんと、裁判官が言つたことがあります
か。
 答 そねいなことは、ないんじやないんですか。
 問 ないんじやないんですかじやない。君はそういうふうに言つてるんだがね、
忘れましたか。
 答 はい。先生の家で、どういうこと言つたかというようなことは、覚えてない
ですな。
 問 あなたがね、前にずつと僕の聞いておつたことやなんかと違うことを、まあ、
良心のあれだといつて、全部違つたことをいい始めたのは、それは、今度卜部だか
どうか知らんが、検察庁で逮捕された後の期間ですか。その期間に気が変つたので
すか。
 答 いえ、そうじやありませんです。
 問 それより前か後か。
 答 ここの第三回目の証人が済んでから、今云うかどうしようかと思つて、もの
すごう悩んでいたところ、そうなつたんです。
 問 あなたがね、検察庁の意図するような逆転すれば、もつと早く逮捕の留置の
時間が短くなつたわけでしよう。二〇日もかかつたのは、どういうわけですか。
 答 それは、僕がなるべく、みんなのことを僕の胸の中だけで、すまそうと思つ
たから、長くなつたんじやないかと思います。
 問 そうすと、まだ、良心か目覚めてなかつたということになるんだね、つかま
つて逮捕されても、
 答 そりや、いいとうても、仲々そういうことはいいにくかつたわけです。
 問 じや、この前自分で書いたものでないものまでもですね、自分が書いたよう
に云つたり、どもるとか云つて、盛んに……あれまで嘘をつく必要があるから。
 答 一たん頼まれているということは、友達として仲々いいにくんじやないかと
僕は、思つてよう云わなかつたんです。
 問 君の字の上手、下手に関係あるまい。どうですか。それは、そこまで、嘘を
云わなきや、いけないと思つたのか。
 答 そりや一応は、自分の恥もさらしくないという気も、そりやありましたです。
原田弁護人
 問 ……あなたが二二日にBとAが話をしているのを聞いた時に、悪い話、変な
話をしているというように、その時に感じたと言うんですか。そんなことはわから
なかつたというんですか。
 答 感じたですね。
 問 ところがですね、それじや、もう一問聞きます、どうして感じたですか。
 答 そういう話をすると、やつぱりあれですね、僕なんかもぴんとくるですね。
                                     
  (下  略)
 右供述調書を熟読吟味すると、証人Bfは裁判官の執拗な追及に遭い、いささか
渋滞し記憶違のことや、従来の供述と喰い違つていることなども供述してはいるよ
うではあるが、胸中に永い間秘匿していたことを一気に述べているように感じられ
るのである。良心に耻ぢるようなことを隠し切れず、これを告白するときは恰も堰
を切つた水の流れるように一気に吐き出して了うものである。原審裁判長がBfに
「良心がもし君にあるとすれば逮捕当初からの良心が急に生き返るというのはおか
しいではないか、良心の問題で自白するんなら最初から自白してもよさそうなもの
だと思うがね」云々と椰ゆ的に反問しているが、けだし良心というものの動き方を
知らないものだというを憚らない。原判決はBf供述の欠点を衝き、非難攻撃をあ
びせ、只管その虚言性を暴露しようとしているようであるが、一月一九日M旅館に
おけるいわゆる共同謀議の点の判示などは、第一審第三回公判調書中におけるAと
Bf間に交された質問応答のくだりを読了しての判断であろうけれども、いささか
粗漏と云わざるを得ない。原判決は更に証人Bfは偽証容疑で起訴されるに至つた
以降の段階において検察官に弱点を握られており、いわば検察官の手中に在る証人
と言えないこともないのであつて、その新証言はあらゆる角度から充分な検討を加
えた上でその真否を判定せねばならないと云い、Bfが如何にも検察官の云いなり
放題になつて証言しているというような云い廻しをしておる。Bfが検察官の手中
に在るというような確証はいつたい何処にあるのか。もしその疑がいささかでもあ
つたらBf証言の重大性に鑑み係り検察官を証人として尋問追及して、事の真相を
明かにすべきではなかつたか。原審にその慎重さのなかつたことを遺憾とする。し
かも証人が検察官の手中にあるなどゝいうことを判決文中に公言することは、検察
陣に対する予断を以て事件に対処しているものとの疑を惹起させるおそれなしとし
ない。そこで、当審の所見を以てすればBf新証言は、裁判官、弁護人らの追及に
もかゝわらず、一貫して筋のとおつているものがあり、大体において真実に近いも
のと認められるのである。従つてBf新証言により被告人らのアリバイが一部は崩
れ去つたばかりでなく、新しい事実の提供によつてA供述の有力な裏付材料が出来
たこととなり、五人共同犯行説を濃厚にしているものであることは云うまでもない。
 なお、アリバイの崩壊の点については、証人Aq、Bkの各供述についても述べ
たいが、本判決においては以上を以て十分と考え、アリバイの点はこの程度にとゞ
めることとする。
第四、被告人らの警察自白について。
 被告人らが本事犯の共同犯行者であることを告白したいわゆる警察自白のあるこ
とは次のとおりである。
 Bは第一回の取調べで否認したが、第二回ないし第四回ではこれを自白し、E、
Dは第一回ないし第三回でそれぞれ自白し、Cは第一回では否認し、第二回ないし
第五回で自白しているのである。然るに、原審はこれらの自白を事も無げに全面的
に信憑力なしと云つているのである、その理由の説明に数千言を費しているのであ
るが、要するに右四名の供述の変転と相互の不統一ないしくいちがいが数限りなく
あるばかりでなく、右供述は主として被害者夫婦の死亡推定時刻と抵触し(この死
亡推定時刻なるものは原審の想定時刻にすぎないことは後に述べる)、しかも限ら
れた部分の供述においても不合理なるもの或は信用に値する関係証拠と矛盾するも
のが多くまたAの供述と比照すれば非常な喰い違いがあり、到底信憑に値しないと
云い、微に入り細を穿つて自己の判断の正当性を根拠付けんとしているのである。
そこでBら四名は警察で一つたいどんなことを云つているのであるかを、検討する
為めにその全貌を左に掲げることとする。
           第一回被疑者供述調書
 本籍 山口県熊毛那a町大字a町第ax番地
 住居 熊毛那a町大字am字h番地不詳
                   人夫
                      B
                         大正十五年十二月十日生
                         満二十四年
 右の者に対する強盗殺人被疑事件につき昭和二十六年一月二十九日熊毛地区警察
署において本職はあらかじめ供述を拒むことが出来る旨を告げて取調べたところ被
疑者者は任意左の通り供述した
 一、出生地は只今申しました本籍地であります
 二、通称綽名はありません
 三、氏名を変更したことはありません
 四、私の犯罪関係は
   昭和二十一年一月頃元an村Cq学校の毛布がa町u町のCr呉服店にあつ
たのを盗んで其の年の四月十二日徳山区裁判所で懲役一年三年間の執行猶予を受け
其の期間中の昭和二十三年五月頃a町ao町Cs呉服店に這入つて服地を盗んで其
の年の七月十五日に岩国支部裁判所で懲役一年の判決を受け広島刑務所に入り実役
一年五ケ月を務めて一昨年十二月二十四日に出所しました
 五、経歴関係は
   私は九才の時父親に死別し其の後母の許で育てられ所の高等小学校を卒業す
ると卒業すると直ぐ呉市のCt万年筆製作株式会社に職工として一年それから大阪
の兄の許で自動車部分品販売の手伝を一年半位それから徴用でCu廠に二年位配管
修理工として働く中海軍に志願して昭和二十年一月二十五日Cv団に入団し軍艦に
乗つて居る時終戦となつて其の年の十一月末に本籍地に帰り遊んで居る中に悪い事
をして先程申しましたように執行猶予となつて後防府市apで浜子を二年位して又
悪い事をし刑務所に入り出所後は所や隣り村で土工として働いて現在に至つて居り
ます
 六、家族は今の所に私の外
   母   Cw    六十二位
   弟   Cx     二十年
   妹   Ca     二十年
   甥   Cb    七  年
   内妻  Cy    二十一年
 の五人が居りますがCyとは一緒になつたのが本月十九日であります
 七、資産としては私のものも母や妻のものとて一つもありません現在住んで居る
家も所のCzさんのを借りて居ります
 八、今回私が友人の    c村字d、D二十四才、a町字k、E二十三才、a
町u町、C二十四才、c村字d、Aq二十五才、c村字d、Dc二十五才等と一緒
になつてc村字d
 Kさん夫婦を殺して物を盗んだ事についてお尋ねがありましたが私はそんな事は
して居りませんので今から其の当時のことについて詳しく申し上げます
 只今申しました友人の中で一番前から心易くして居つたのはCで戦時中からつき
合つて居りました
 その他の者も昨年より前から知つて居りましたがAqとつき合ひになつたのは昨
年十月頃北海道から帰つて来たDの友人であつた関係で極最近交際し始めたのであ
ります
九、私が只今申しました友人と本年になつて一緒に酒を飲んだり遊んだりしたこと
は、本年正月元旦に私の家でCとEと私の三人で酒一升を昼過から夕方の四時頃ま
でと
 本月十日頃の午后七時頃
 C、Eの三人がc村字vのDd当二十三才位の娘の家に遊びに行つたことや
 本月十五日にCu燃料廠跡に進駐軍のドラム罐運びの人夫に行つての帰りにa町
に寄つて理髪をして(aq町Db理髪店)居る時Dcが這入つて来たので私とDと
Cの三人が居つた時で途中別れた人も居りますが私とCの二人が連れ合つて午后六
時頃自分の家に帰り後からE、D、Aが前后して来たので其の五人が連れ合つてc
村字vのDdさんの家に遊びに行く途中午后八時頃字zのDe理髪店の前の道路側
にc村のDfと言ふ人が馬車に土を積んで居つたのをそのワクをAが外して百米位
先の道路まで担いて来て道の真中に置いたので通行の妨になりましたが其の儘にし
て皆がDdに行きましたがA丈は其の家に這入らず何処に行つたか知りませんでし
たが私等四人は其処で約一時間半位所のDgと言ふ青年や其の家の者とトランプを
したり話をして遊ぶ中に午后十時家の外からAが呼んだので出たら今からjに遊び
に行こうと誘つたのでその時Aが古い二十八吋の自転車を持つて居つたのでこれは
どうしたのかと尋ねたら、それはどうでもよいから早くjに行こうと言うたので其
処からAの自転車の後に二人乗でa町字u町のCの家に行き私が預けて置いた自転
車が字as町のM旅館にあるとのことでありましたからAに取りに行かし二人が自
転車に乗つてj町l遊廓Dhの二軒手前の名の知らない家に上つて仲居に自分はD
と言ふ者であると偽りを言うて女を抱いて一晩泊りましたが女の名前は忘れました
代金は六百五十円で私が支払いました
 そして其の家を出たのは朝の十時頃でありましたがAは私と一緒の家に泊り乗つ
て行つた自転車を抵当にしたので途中Di高等学校の所まで歩いて其処からDj小
学校まで私の自転車にAを乗せ二人乗で帰り途中Aと別れて私は家に昼頃帰りまし

 次は本月十九日のことを申します
 午前七時頃まだ早いので私は床の中に居りましたらDcが来て一緒に床の中に這
入つて居る時私の妻が初めて来るので所からarに嫁に行つて居るAeさんが連れ
て来て直ぐ妻はAeさんと一緒に其の家に行つたのでAに俺も妻が来たが金はない
し困るから此の洋服上下一着(ダブルで水色で白の碁盤入)をa町の質屋に持つて
行き五百円でも金を借りて来て呉れと頼んで私は妻が行つて居るh部落のAeの宅
に行き遊んで居る中にAが来て先程預つた洋服はa町に行き二軒程歩いて見たが三
百円しか借られんので安いから持つて帰つたと申しましたので私が受取りました
 その中にEが私を尋ねて来たので暫らく話をして私と妻ともう一人妻の友人の三
人でa町as町M旅館に向けて来ましたが他のEやAは私の家にCとDが待つて居
ると言うて別れましたので私の家に行つたものと思います、そして暫くしてEとD
とCの三人が私を尋ねてM旅館に上り五分位して又Dcも上りました
 そしてCに腕時計(九型位の四角)一個を借り私の先程申しました洋服上下一着
をDに頼みas町のDk質屋に持つて行かし現金千二百円を借り其の金の中
 Aj酒場で焼酎一升を三百四十五円と肴としてテンプラ百円位を買ひMの二階で
E、C、D、Aに私の五人して飲で其処を午后十時過に皆が家に帰りましたが其の
時焼酎を飲うと言う事を言ひ出したのは私で私が奢つたのであります
 次は本月二十二日のことについて申し上げます
 其の日はa町字adの土木下請負業をして居られるBg某に雇われて朝から私に
友人の
  D
  C
  Bf
  Bk
と一緒にan村字aiのCn学院東側海岸のバラス採り人夫として現場に行つて待
つて居りましたがBgさんが道具を持つて来られなかつたので仕事にならず午后四
時頃其処から五人して水場まで歩き私とBfにCDの四人が其処からパスに乗つて
a、biの停留所で降りBmは其処から自転車を持つて居つたので乗つて家に帰り
ました
 そして私共四人はu町のC方に寄りましたら其所にEが遊びに来て居つたのでE
に対し外の者にも話してあるが今夜私の家で一杯やろうではないかと話しましたら
出来る丈け行くからと言うて私等四人は連れ合つて私の家に歩いて帰つたのが五時
半頃でありました
 そして三十分位してEが来たので帰る時Cで焼酎一升を携げて牛肉も百匁u町の
Dlで買つて帰つたのて五人が飲み始め午后八時頃からBf丈け残して四人がdの
Dmさんの妹さんの家に遊びに行きましたら三十分位遅れてBfが来ました
 そして其処でDn君の兄とDoちゃんの七人が焼酎一升を飲んで十時過に私とC
にEの三人が私の家に一緒に帰り二人はすぐ帰つたので私は床につきました
 次は本月二十三日のことについて申し上げます
  午后一時頃私とDとがatのC方に行きましたらEとCとが炉達の中に這入つ
てDpは其処に腰を掛けて居つたのでCn学院の東側のバラス採りの仕事に行こう
と話しましたらEが俺は帰つて仕事着に着替へて来ると言うて帰つてBfとBmが
来てその中Eも来たので揃つて六人が現場に行く途中BfはEa村であつたので俺
は昼飯を喰べて行くからお前等は先に行つて居れと言うので五人が現場に行き休ん
で居る時Bfがパスで来たのでパラス採を午后四時前までやつて皆で帰る途中Bf
と別れ他の者はaのC君の家に寄つて三十分位遊びEとDと三人連れで帰る途中別
れて家に帰り其の晩は何処へも行かず午后九時頃寝ました
  次は一月二十四日の
  午后一時頃私とDの二人がa町u町の
Cの家にBm、C、Eの五人が集りEa村Bf方に行き昨日の仕事を誘ひましたら
後から来ると言うので現場に行きましたら間もなくBfが自動車で来たのでパラス
採りをして居りましたら誰か名前は知りませんが許可なくしてパラスを採つては悪
いからと言はれたので午后三時半頃止め六人が連れ合つて帰る途中、Bfと別れ五
人がaのCの象に寄つて一時間余り遊んで暮方の六時前頃四人が出ましたがBmと
Eはaの者で途中別れ私とDの二人連れで家に帰る途中a町hでDに対し雇主であ
るadのBgに勘定を貰ひに行くからお前が私の家に忘れた弁当箱を取りに行くの
なら此処で待つて居るから私の自転車を乗つて来てくれと言うて頼みましたら十分
位して自転車を乗つて来て呉れたので其の自転車に乗つてDcの家に行きましたら
(寄つた用件は本月十六日にAが馬車のワクを外したことについてDfに断りに行
つた時私の顔で集積所に居られるDgと言ふ人に頼んで焼酎一升、酒一升、スルメ
で一寸八百円のものを買つて飲みましたので其の代金のことについて相談をするた
め)留守でありましたから私は直ぐaのCに行きましたらBmが来て居つて間もな
くa町auの人夫頭をして居るDqのEがBmを尋ねて来て明日からacのアバー
トの仕事に行つて呉れんか賃金は最低二百五十円間違いないから出すがと話をして
居る中にEが来て私とDとC、Bmの四人が仕事に行く約束をしてEの四人が自転
車に乗つて(Cを出たのが七時半頃)adのBgの下請人の家に八時頃行きました
ら主人は留守でありましたがお髪さんが直ぐ主人は帰るから上つて待つて居れと言
はれるので待つて居りましたらEがDにはまだ明日acに仕事に行くと言ふ事は知
らしてないから俺は今から一寸行つて来ると言つて一人自転車に乗つて午后九時に
五分位前に出ました
 そしてBmは勘定を貰はんと明日米を買う事が出来んから待つて居ると言うて後
に残りましたが私等Cと二人は明日仕事に行くのに朝早いからと言うて午后九時四
十分頃其の家を出て私の自転車にCを乗せて(行く時はEが乗せて行つた)二人乗
で帰る途中avでチエンが切れたので其処から歩いて帰る途中私はCの家の前で別
れてas町のAi商店でパン二個と明日の弁当のオカズにする天ぷら一枚と佃煮五
十匁を買つて帰る途中awの先で妹と妻に出合ひ其処から三人連れで家に午后十時
四十分頃帰つて風呂に這入つて寝たのが十一時半を過ぎて居りました
 明けての二十五日は
 朝五時五十分頃起きて仕度をして居りましたらDが来たのでそれから飯を食うて
Dと共に一番のパスに乗つてnに出て午前六時四十六分の下り列車に乗つてacに
行き新しく出来るDrの仕事をして(Dqに雇われた)nに着いたのが午后七時過
で家に帰つたのが八時頃でありました
 その時家にEか来て居りましたが帰ると直ぐdのK夫婦が殺されたと言うたので
次に私が今頃cにはこんなことが多いFyのお婆さんも変な死に方をするしぞうし
たことであろうかと話しましたがEは其の時別に用事かあつて来たのとは思へませ

 それから母と妻のことで喧嘩をして母には何処に行くとも言わず妻とEと三人で
家を出てdのAqの家に行く途中八海橋の手前でDに出合い八海橋の中央位に立つ
てDとEにDcに合うて金のことについて相談したいことがあるのだがと言うたら
DがAは家には居らんらしいaのCi理髪屋によく行くからあそこに行つて見よう
と言つてaに連れて来ましたかaのCiにはDcは居らなかつたのでEは家に帰り
私等三人はAqに行き夫婦で泊めて貰いました
          供  述  者     B
 右の通り録取して読み聞かしたところ誤のないことを申し立て署名拇印した
  前 同 日
                   熊毛地区警察署司法警察員巡査部長
                      Ds
          第二回供述調書
 本籍 山口県熊毛郡a町大字a第al番地
 住居 山口県熊毛郡a町大字a字h番地不詳 Dt方
 職業 日稼
                 筆頭者  B
                        大正十五年十二月十日生
                              満二十四年
 右の者に対する強盗殺人被疑事件につき昭和二十六年十一月三十日熊毛地区警察
署において本職はあらかじめ供述を拒むことができる旨を告げて取調べたところ被
疑者は任意左の通り供述した
一、私は昭和二十六年一月二十四日の夜人を殺し金を盗りました事に付いて申し上
げます
二、実は私と友人のD、E、C、A
  等の五人が昭和二十六年一月二十四日午后十一時頃に熊毛郡c村八海橋の処に
相前後して集合し予ねて私とD、E、Cの四名が今晩は何処かに金を盗みに行うと
言ふ事を当日C君宅で話し合ひ集合したのでありますが其処に来合したAが今から
dのKの所には金は有るしヂーサンとバーサンの二人ぎりだから其処へ行うと言ひ
ましたので私等四人の者も今晩は何処かへ這入つて金を盗む決心で有りましたので
それはよかろうと言ふ事になり
  八海橋をaから向つて渡つた左側の道に降りて旧橋の地蔵様の有る海岸沿ひの
道と本通りの道の別れ目の処で
  私はC、Dの三人で海岸沿ひの道をA、Eは本通りを通つてKさん前の道路上
で出会ふべく別れてKさん所の前に出ました処一、二分した頃にAとEの二人がや
つて来ました
  其処で私とC、Dの三人がKの前の小道を通つて家の裏側に廻る事になりAと
Eは元来た道を少し逆戻りして畑の方から廻りましたのであります
  Kの家の裏に五人の者が集合してAは裏の方から中に這入る所を見付けるべく
探し私等は四人で表に廻りました
  午后十一時過頃と思ひますが確かDと思ひますが母屋と部屋の中間の硝子戸を
開けたのであります
  其処から四人の者が這入りました処へ裏側に居つたAがやつて来て私等の這入
つた処から来たのであります
  這入つて見ました処台所の電気は消してありました
  其処でAの持つて居りました懐中電気で照して台所の所迄行きました
  其の時寝室らしい方向に少し明るい電気の光を見受けたのであります
  その台所の所の薪木に立てすげて有りました斧を私が見当けましたのでありま

  其の内Aが出刃砲丁を私に呉れましたのでそれをDに渡し私が見付けた斧をA
に私が渡したのであります
  斧をAに渡す時にもし起きたら其れで叩れと言つたのであります
  台所を通つて僅かな電気の光の有る寝室と思はれる部屋にAが先頭になつて後
に四人が続きました
  其の時Aは私が渡した斧をDは砲丁を持つて居りました
  その電気のついて居る部屋の襖を開けた処誰かと言ふ声が致したので一番先頭
に居り然も襖を開けたAがいきなり小口に居つた人を持つて居つた斧で叩たので叩
ぐられた人はうーんうなりました
  続いてAは叩つて居りました処バーサンが起きて来てAに飛付いて来たので
  其処のへりに居りました私等四人がバーサンを倒して其の部屋にありました紐
で首をしめてバーサンを殺し隣の間に五人がかりで引張り込み私が台所の方から持
つて来た麻縄で更に首をしめて隣部屋との中間の釣鴨居に釣りさげたのであります
  そしてヂーサンの死んで居る間の箪笥の中をC等が探して居つた処へ私も行き
ましたが私は何も取るものか有りませんでした、着物は沢山有りましたが盗みませ
んでした
  盗るものは済んだので私とE、C、Dの四人は元這入つた方に行き侵入口から
外に出たのであります
  出る時Aに戸を元通りにして置けと言つたのであります
  そして私等四人は本通りを通つて旧八海橋の所迄急いで逃げたのであります其
処へ最后に逃げたAが来たのであります
  其の道端で私はCから現金弐千円貰ひましたそれは千円札で新しい札でありま
した
  それから八海橋の処で連れの者と別れて家に帰つて寝たのであります
三、同被害者と親籍関係ありますか
  答 ありません
          供  述  人     B
 右の通り録取し読み聞かしたところ誤のないことを申し立て署名拇印した
  即  日
                   熊毛地区警察署司法警察員巡査
                      Du
           被疑者第三回供述調書
 本籍 熊毛郡a町大字a町ax
 住所 熊毛郡a町大字am字h
                   人夫
                      B
                         二十四年
 右者に対する強盗殺人被疑事件につき昭和二十六年一月三十日熊毛地区警察署に
於て本職はあらかじめ供述を拒むことが出来る旨を告げて取調たところ任意左の通
り供述した
 一、二十四日の夜の事について申上げます
   二十四日は朝八時頃にDが仕事を誘ひに来ました、すると九時頃にEが遊び
に来ましたので三人が仕事の事や女の話等をして午後零時頃にEは帰りました、そ
して午後一時頃から仕事に行く為にDと私と二人で
    a町u町の
      C方
  に行きました、そして其処にゐたBkとD、私、Cと後から来たEの五人がa
iのCn学院のところにあるa町adのBgと言ふ人の仕事場に作業に行きました、
行く途中Bfと言ふ友達のところにも誘ひに行きましたがBfは後から仕事場に来
ました
   午後四時過ぎに仕事を終つて
                                   C 
 方  に
  私とD、C、E、Bmの五人が帰つて来てBmは直ちに自宅に帰り残つた私達
が遊んでゐますと何かの話から
    今夜何処かへ行つて一儲けしようではないか
  と言ふ話が出て結局午後十一時に八海橋の上に集る事にして其れから今夜Bg
に勘定を貰ひに行かうと言ふ事になり午後七時頃集る事にして其処を別れ午後六時
頃私とDは二人で私のすぐ近くまで帰り、Dに私の家に自転車を取りに行かせ、D
は其処から家に帰り私は其のあしで、金の取引の事でA方に行きましたが本人が不
在でしたから引返してC方に途中Bmを誘つて行きました、其の時は夜の七時頃で
ありましたするとa町ay町のDqが明日acに仕事に行く事についての相談に来
ました、其の内にEがやつて来ましたので七時三十分頃私とC、E、Bmの四人が
Bgの家に勘定を貰ひに行きましたが主人がゐないので家に上つて帰つて来るのを
待ちましたところ仲々帰つて来ないので
   Eは九時三十分頃にDに行くと言つて帰り
   Cと私は十時十分位前に又出てBmを一人残して帰りましたら其の途中「a
v」のところまで来たら自転車が故障して其処から二人が歩いてCの家まで来まし
たが私は今夜十一時の集合の事もあるし腹もへつたので早く家に帰ろうと思ひCの
家にはよらず自転車を押して自分の家に帰る途中Bm方の近くのbのところで妹と
Adに出会ひ三人が歩いて午後十時頃家に帰りました、そして風呂に入り夕食をす
ませますと丁度打合せの時間頃になつたので仕事着を着て家を出てdの橋のところ
に行きました
   私が家を出た事は妹や母は寝てゐたのでしらないと思ひますがAdは私が出
る事は知つてゐると思ひます
   橋のところに行つて見ると中央にA、D、E、Cの四人が集つてゐました
  其のときAが
   大きい家のKに金があるから行かう
   あそこは、ヂイサーとバアサーとの二人で人数が少ないから行かう
  と言いますので既に金を取りに行く為に其処に集つたので皆の者は前に何も聞
かずに橋をcの方に渡り橋のたもとから左に折れて少こし下り坂を降りて其処から
私とC、EはKの前道路で出会ふ事にして海岸の道を通りAとDは新道路を通つて
行きKの前の道のところで出会ひました其れからD、Aの二人は又後もどりをして
畑の中から山の下を通りKの家の右側の方に行き、私とE、Cは其処から真すぐに
Kの家の前に行き外庭を通つて左側から裏手に行き裏山になつてゐる家の裏で向の
二人と出会ひました、そしてDとAは其処に残り中に這入るところをあちこち探し
てゐました、私達三人はD等の来た方に行家の横の山のところで皆の者の来るのを
待つてゐました、すると間もなくDが来て其の横手の板戸を少し開け私達を呼びま
したので皆の者が其処に行つたのであります、其のときはAは家の中の暗いところ
にゐたのでたしか其処はAが開けたものと思ひます其処で皆の者は素足になり、D、
B、E、Cの順で中に這入りました、そして最後のCが板戸を締めてゐたと思ひま

   其の戸の様子は
   外が板の雨戸で其の中は硝子戸であつたと思ひます
   それからAは自分で持つて来た電池で私達のゐる土間をあちこち探してゐま
したが何か炊事場の方から庖丁らしいものを持つて来て私に呉れましたので私は受
取るなり庖丁である事が解りそれをDに渡しました、Aは電池で又土間の中をあち
こち探してゐましたら何処にあつたものか斧を一本持つて来ました
   はつきり憶ませんが台所の障子を開け座敷に全部の者が上りAとDは襖を開
け次の間に這入つて行きましたら
   誰か……と言ふ様な人を呼ぶ様な男の声がしますとAがいきなり持つてるた
斧で其の人らしい者を盛んに殴り始めました
   すると何かそうぞうしい気配になつたので私達三人も中に這入つて行きます
と部屋の中程に男か女か解らないかAと、Dがねぢふせてゐたので私達も其れを手
伝つて私は右手を押へDが口を押へAが横から乗りかかり首をしめて足の方をC、
Eが押へてゐました
   其の内にEが紐を探して来てAに渡しAが其れで首をしめ殺したのでありま
す、私達は二人共死んだのでてんでに奥の方にある箪笥の方に行き其の中の物を盗
まうとしますと又其の女の人が生き返つた様な声がしたので又其処へ引返し皆の者
がかかへて中の間に連れ出したらAやD達が何か紐は無いかと言つてゐるし、私も
つるして置けば完全に死ぬと思つてゐたので早速Aの電池をかりて家の中や庭の方
を探しましたら店の土間に自転車があり、其の自転車は荷台が中の方にありました
(裏口を中心として)ので其の荷台の麻縄をほどき皆の者のところに持つて行きA
に渡しましたらAが其れを女の人の首に巻き其の人を皆でかかへあげたので私が縄
の先をとり其処の「かもい」に上から通して、くくりつけました其の時女の人の足
は畳についてゐるか又はすれすれ位でありました、又皆の者が奥の箪笥のところに
引返し其の中を探しましたが其のとき箪笥はだれが開けたものか私はよく知りませ
ん、そして十分位探しましたが着物ばかりて他の者は何もなかつたので探してゐた
らAが金かあつたから帰ろうと言ふので其処を出て這入つたところからAを残して
出て海岸を通つて帰る途中私は海で血がついている様なので手を洗ひ昔の橋のとこ
ろまで帰つて来ました
   するとAは戸を中から締めて何処からか出て帰つて来ましたので其処でAと
Dが取つた金を出し私が各人に一〇〇札一枚あてと一〇〇円二枚あてをくばり、十
円札の新らしいものを四、五枚づつくばりました、残りを私が全部とりましたがそ
れは大小まぜて二千六百円位でありました、それから八海橋のところまで皆で帰り
私は其の足で家に帰りました
   他の者はどこに行つたか知りません
 二、取つた金はそのあくる日acに仕事に行つて全部使ひましたがその主なもの

   マーケツトで私とDとCとが呑みました、其の時私は千五百円位出しました
残りの金は二十六、七日の両日にacに仕事に行つて皆の者と共に使ひました
   私は其の金をAd等に渡した事はありません
 三、私は其の日橋の上で皆の者と別れるときこの様な事は誰にも言ふな、と強く
口止めして置きました
 四、この様な事をAが知つてゐたのわDが連絡でもしたのだと思います
 五、私は前申した様に夕方Dに私の家の自転車を取りに行かせましたが其の時家
の者に
   風呂をたいて置いて呉れ
  と伝言しましたがそれは其の日Bgに行つたり又今言つた様な事件をする事を
知つてゐたので体に血がついたりなんかしたら帰つて洗わねばいけないと思つて頼
んだのでありますが
   其の日はBgから割合早く帰つたので其の時風呂に入り又事件はやつたが体
に余り血がつかなかつたのと帰り海で手を洗つたので帰つて風呂には入りませんで
した
          供  述  者     B
 右の通り録取し読み聞かせたところ誤りのない旨申立署名拇印した
  即  日
                   熊毛地区警察署司法警察員
                      Az
          第四回供述調書
 本籍 山口県熊毛郡a町大字a
 住居 右 同
                   職業 人夫
                      B
                         年月日生満二十四年
 右の者に対する殺人強盗被疑事件につき昭和二十六年二月三日熊毛地区警察署に
おいて本職はあらかじめ供述を拒むことができる旨を告げて取調べたところ被疑者
は任意左の通り供述した
  私は今迄申し上げたことについて嘘であつたりまだ隠して居ることかあるので
其のことについて今から詳しく申し上げます
一、昨年の十二月末頃であつたように思います
  日は明瞭り覚えて居りませんが友人のAが夜る私宅に遊びに来て色々世間話を
して居つた時何かのついでに
  c村字dのBc(Dwを製造する人でDvと言うて年が四十五六才位)をやつ
てもよいが(盗みに入る意味)あの家には犬が居るので都合が悪いのをと言うた事
を覚えて居りますが其の時私はよいとも悪いとも返事はしませんでした
二、本年一月十九日の午后六時頃までに
   a町 M旅館に
     E
     C
     A
     D
 の四人と私が妻Adに其の友人の
     Dx
 の二人を連れて
 二階中ノ間で私がAに命じて
 a町Aj酒場に焼酎一升と肴として旅館の前のAiからてんぷらを百円に煙草新
生二ケを買つて来らしたり焼酎の中にあま味を付ける為めサツカリン二袋をAi商
店から買つて来らして飲みましたが飲み終つてから女も居つたので女の居らん間に
行つたり来たり女に隠れて皆の中誰が口を出したのか覚えませんが小使もなくなつ
たが良い所があればやろうではないかと言うと
  AがdのAcもよいが家族が多いしAlもよいがあの家には犬も居るので這入
りにくいがぞうするかと言うて最後にKさんの家なら年寄り夫婦で都合がよいと言
う事に皆で決めました
  そして私がこの事は誰にも言わんことにしようと申しました
  そしてその夜十時頃からA、E、Dが帰り最后にCが帰つたのが十時半頃で私
等女二人は泊り翌二十日も私等三人にEも泊りましたが其の日は朝DとEa村のB
fEも来て他の者は夕方帰りました
三、一月二十二日の午后六時頃から八時頃まで私宅でD、E、C、Ea村Bfの五
人で焼酎一升を飲んでBfは家に残り
  私等四人はdのAyの娘の家に遊びに行くため連れ合つて家を出て歩いて行く
途中八海橋までの間に
  私が明晩八海橋に十時頃集れそれからKさんの家に這入ろうと申しました
四、二十四日の昼からCn学院の海岸でパラス揚の仕事を済ましての帰りに私とD、
Eの三人がCを連れて其の家に寄つた時私が今晩十時頃八海橋に皆集まろうと申し
ましたのが午后五時半頃でありました
五、其の晩何時頃であつたか明瞭りしませんが夕食を済して直ぐ歩いて独り八海橋
に行きましたらA、C、Eの三人が居りましたそして直ぐDも来ましたので五人が
揃ひ皆で今からKに行こうと言うて橋を渡つて川端を百五十米位行つた所に旧道の
別れ道がありますが其処で私とC、Dの三人が川筋の道をA、Eが旧道に別れKさ
んの前で二組が一緒になつて其処でC、E、Dの三人にお前等は風呂場の所で待つ
て居れ俺等は裏の方から這入つて母家と部屋の間の硝子戸を開けるからと言うてA
と二人が北側の方に廻つてAはそこから先に這つて北側の戸を開けてもらい私が這
入りそれから私が前側の硝子戸を開けて三人を入れ、室が暗かつたのでAの電池で
照し私等が這入つた所の隅の薪の所に斧が立て掛けてあつたのでそれを私が手に提
げAは炊事場の附近から庖丁を一本持つてA、私それから後の三人が座敷に上りA
に斧を渡しAは庖丁をDに此の時渡した様に思いますそしてAが奥の襖を開けたら
薄暗い電気が附いて居りました
  其の時中から明瞭りは覚えませんが誰かと言うた様な声がしました
  そしたらAか爺さんを斧で一回撲つて私が次にAから斧を貰つて顔面であつた
と思います
  一回次にD、C、Eの順に撲り付けましたが私か爺さんを撲る時は既に仰向け
に倒れて居りました
  そして婆さんが立ち上ろうとしたところをAが倒して直ぐ首やら口、手足を抑
えてEが何処にあつたのか紐を持つて来てAに渡しAがそれで婆さんの首を締め皆
で抱えて次の間に引摺り出してCがこれも何処から持つて来たのか細引をAに渡し
Aがそれを鴨居に掛け残つた四人して婆さんを抱き上げ私とDが婆さんの首を細引
で二くくり結びました
  そして五人が奥の間(二人が寝て居つた間)に這入り箪笥やら其処等心当りを
探しましたが私は何んにも取りませんでしたそしてEDCの三人は這入つた所から
出て後払が鍵を掛けそして私は這入つた所から出て其処をAが締め最後にAが出ま
した
  そして途中は私とAに他の者が一組となつてdの旧橋の所で皆が金を分けまし
たが其の際一応私が金を集めて四人に大体千六、七百円宛位渡した様に思います
  私は其の時二千五百円位取りました
  そして其処から八海橋までECの三人か来て若し足袋に血か附いて居ると悪い
から捨てようではないかと私が言うて二人は履いて居つた靴下私は黒木綿製十文半
の足袋を川下に投げ捨てました
          供  述  者     B
 右の通り録取して読み聞かしたところ誤りのないことを申し立て署名拇印した
  前 同 日
                   熊毛地区警察署司法警察員巡査部長
                      Ds
           被疑者第一回供述調書
 本籍 山口県熊毛郡a町大字aaz番地
 住居 右 同
                   筆頭者Dyの三男 日稼人夫
                      E
                         昭和四年十一月三日生
                         当二十二年
 右者に対する強盗殺人被疑事件に付き昭和二六年一月二九日本職は当署に於て供
述を拒む事が出来る旨を告げて取調べた処被疑者は任意左の通り供述した
一、私は呉市baに於て実父Dyの三男として生まれ現在まで氏名を変更した事は
ありません
二、公職関係なく勲章記章恩給等もありません
三、現在迄警察で取調べを受けた事は無く徒而前科もありません
四、私は呉市Dz小学校に入学同校四年の時熊毛郡Ea村に移居しEa小学校に入
学同校高等一年の時肩書地に移居しDj小学校に入学昭和十八年同校高等科二年を
卒業して直ちにEbに入り旋盤工として勤務中、終戦となり帰郷しbbの塩業組合
のEc丸にかしきとして乗船一年半余り其の仕事をやり後其れを止めて昭和二二年
半頃aiの潜校に働きに行き人夫をしたりコツクをしたりして二月位送り又是れを
止めてbcの郵船会社の船に乗り操機手として一年半余り働き後又是れを止めて帰
郷しa町のEd組の船に乗りきじうき係りとして四ケ月か五ケ月働き後是れを止め
てからは自宅に於て人夫仕事に出て今日に至つて居ります
五、家族は、私地に、
  父    Dy    当五十五才位
  母    Ee    当四十八才位
  兄    Ef        当二十八才位
  兄嫁   Eg    当二十六・七年位
  兄    S        当二十六年位
  弟    Eh        当十七年位
  甥    Ei    当三年位
  甥    Ej        当一年位
 の九人家族であります
六、資産は
 田地三反、瓦葺平家二棟、宅地四十坪位があります
 貯金や現金等に付いては余り無いと思います
 借金に付いては私には判りませんが生活は余り楽な方ではなく父Dyは魚行商を
兄Efはbq駅の車掌区に勤め兄Sはbdで船に乗船し私と次ぎの弟は家から附近
の人夫仕事に出て日稼ぎをして居りますが生活程度は部落でも中位であります
七、私は此の度c村dでおきました殺人事件に共に力をかして居りますので其の事
に付いて詳しく申上げます
八、一緒にやりましたものは私より外に
  c村字iの    A
  同           D
  a町h       B
  a町字u町      C
 の四人で全部で五人であります
九、B、D、Cは大抵同じ処の人夫仕事に出て居ります関係上平素から心易く親密
なつきあいをし夜なんかも大低一緒に遊んで居ります
 Aとは最近B方で出会つたのか初めてで其の后一、二回C方や浜のBz方で出合
つた事がありますが其の程度のもので余り親しい仲ではありません
一〇、私等五人はずつと以前からCやBに集つて話合つて遊んだり時々は酒を飲ん
だり近所の娘さんの家に夜遊びに行つたりして居りました
一一、今月の十五日、成人の日の事でありました当日c村字vのeの娘方に遊びに
行きました当日私は夕方六時頃C方に遊びに行きますとCは居らず飲みに行つて居
るとの事でありましたので私はC方で待つて居りますとC・B・Aの三人で可成り
酒に酔つて帰つて来ました、其処でBが今晩eに遊びに行こうでよでんざい炊いて
待つて居ると言つて居たからと斯様に言いました、私は其処で夕飯食べに帰り七時
半か八時頃Bの家に行つて見ますと、B・C・A・Dか集つて焼酎(四合入り)を
買つて飲んで居る処でありました、私も少し残りを飲みました其れから五人で歩い
てc村vのeの娘方に行つたのであります途中、Aがzの散髪屋の処の道の横に置
いてあつた馬車上の土を積む時の囲をかついで他所に移動さしていたづらをし乍ら
vに行きました、其の時Aが一番酒に酔つて居りました、其からvのeに遊びに行
きましたがAは最后迄eの家に入つて来ず私等はぜんざいを御馳走になり十一時頃
eの家をB、A二人を除く三人で帰へつたのであります、其の前AはBを呼出して
二人で先に帰へつて仕舞つて居りました途中、zのDe理髪屋の前で馬車の所有者
等七、八人に捕まりいたづらをしたのはお前等であろうと問われたのでA(A)の
行為である事を話して明日連れて来るからとの約束で其の場を還してもらつた様な
訳であります後になつて聞く処に依ると其の後二、三日した十七八日頃BとDとA
の三人で馬車屋に遊びに行き先方に酒を呑まして仲直りしたと言ふ話しを後になつ
て知りました
一二、一月十九日には私は、awのBzの家に遊びに行つて居りますとBの女が来
て居りAにBも来て居りまして其れからa町のM旅館に行き夜の十一時頃迄遊んで
Aと私は帰へりBは女とMに泊つた様でありました
一三、一月二〇日にも私は夕飯を食べてBの泊つて居るMに遊びに行きましたが其
の晩はBと女、他に其の女の友達と言ふAh、D、Bfが集り矢張り十一時頃迄遊
んで他の者は帰へりました其の晩はBと其の女、Bfと私とでMに泊りました其の
翌二一日にも何日もの様に夜はMに遊びに行きました来た連中は私に、C・BとB
の女Ah、D等で其の日は割に早く八時頃には他のものは全部帰へり私は当夜はj
と二人でMに泊つたのであります
一四、二二日は私はEkに就職の試験を受けに行き午后五時過ぎ頃aに帰へり帰へ
り道にCによつて見ますとC・Bf・DBの四人が出し出しで飲んだとか言つて私
がCに居りましたら皆で帰つて来ました、其れから又飲もうと言いますので私は帰
つて夕飯を食べてからB方に行きましたB方でC・B・Bf・Dと私の五人で肉を
肴にして焼酎一升を飲んだ後、c村のAyの娘さんの処に遊びに行き其処で又焼酎
一升を私等五人と其の附近の者二人を交えて七人で飲み一時前頃に其々自宅に帰つ
たのであります
一五、二三日は午前十時頃よりaiのじやり取りの仕事に行き午后六時前頃に帰へ
り其の晩は遊びに出ず自宅に寝た様であります
一六、二四日は午前十一時頃からC・B・Bf・D・Bm・私の六人で歩いてai
のジヤリ取りの現場に行き仕事を終えて帰つたのが午后五時か六時頃でありました、
帰へり道Cによりました処今晩Bgさんの家に人夫に出た勘定をもらつてないのが
あるので其れを貰いに行こうと相談し其れから自宅に帰へり夕飯をすましてCに自
転車で午后六時半頃行きました、暫く其処で遊んで居る中にBm、Bが等行く者が
集りましたので私とCとBmとBの四人で自転車でa町adにあるBg請負師の処
へCと七時過ぎ出て行きました、途中三十分ばかりかかりますので八時前頃Bg宅
に着きましたが、Bgさんが長靴をかりに行つたとか云われて居りませんから帰へ
られる迄待とうと言つて待つて居ります中時間はたちますのにBgさんか帰へられ
ませんから私は用事がありましたのでBgさんの家を九時十分前頃に出て自転車で
aの町に帰へり途中Cにより用事があるから早く帰つたとおばさんに言つて私は又
Dを尋ねてc村dのAyの家に行つて見ました、其の時は今Dが帰つたと言ふ処で
ありましたので私は直くAyを出てD方を訪ねて行きました
 Ayを出たのか午后九時半頃ではないかと思います
 D方の家が判りませんのでiの方へ下り乍ら人に出会つたのを幸ひD方の家を何
処かと尋ねましたか其の人等は二人連れで其の中の一人はiのKであつたと思いま

 其処で教へてもらいましたのでD方を探しあてDを外に呼出し、明日の朝六時二
十分の自動車へ乗つて呉れ―acのアパートの仕事があり出すからと更に私の印判
を出してDに渡し私の勘定をもらうのがあるからCu廠によつて呉れ―と言つて勘
定をもらつて来てもらう様たのみました
 D方では五分か十分位のもので私は直ぐ引返して今度はB方に行きました、其れ
はBgを出る時Bが家によつて風呂をよう見て呉れる様頼んで置いて呉れと言いま
したのて其の事を言いに行つたのであります
 B方に行つてばあさんに其の事を言つて私は帰へる時、私のパス(汽車の定期乗
車券)をBがacに明日から仕事に行く事になつて居るので貸して呉れと言りて居
りましたので家迄とりに来て呉れ―と言いますとBの女と妹の二人で出て来ました
から三人で歩き乍ら私の家に帰へりました
 其して家の外でパスを妹の方にわたしますと、二人は直ぐ帰へつて行きました、
申し落しましたが当日仕事に行く前Cによりました時(大体十一時頃)Bが私とC
とDに向つて今晩良い儲けがあるから十時頃dの橋の処へ来て呉れ―と言つて居り
ました
 其れで私しはBの女達が帰へると直ぐに歩いてdの橋の処へ行つたのであります、
其の時私は現在今此処で着て居ります服装で只上着丈けが現在の此の上衣でなく私
しが所持して居ります、海車士官の詰えりの服をきて居りました
 私しが橋の処に到着しましたのが午前十時十分か二十分頃であつたろうと思われ
ます、行つて見ますと已にDとAが先に来て居り私が行つてから間も無くBが来、
次ぎにCが来て五人が其処に集つた訳であります
 橋のc側の南側に大きな家がありますが其の家の後ろ側に畑がありますので其処
に五人がしやがんで相談しました
 其の時Aが
  Kと言ふアメリカ戻りの家があるがあの家は勝手をよく知つて居から盗みに入
ろう
 Bはお前等は見張りをせえと私等に言いました
 其の時別に声を出して反対をとなえる者も無く皆黙つて居りました
 私は其の時心の中では行きとうないなーと思いました
 併かし私も皆と行動を共にして其れからKの方へ下つて行つたのであります
 皆で歩いて川添いの道を南に向つて行き人家のある処に道が二つに分れて居りま
すが、其の左側の人の余り通らない川添いの道を通つて行きA方の附近から本道路
に出て本道路を早川(K)の家の方向に向つて歩いて行きました
 其してD方の前を通り過ぎDとKとの間の畑の中を通つてKの北側部屋の裏側に
行きました
 其の時一番先をAとBが五十米位遅れてD、私、Cの順で回じコースを通つてK
の家の北側に集まりました
 其処でAが持つて居たサイダー瓶入りの焼酎をAとBとでラツパ飲みした様に思
います
 他の者は飲まなかつたと思います
 其して今度はAが家の裏側の山手の家と山岸との間を通つて家の人の様子を見に
行きました
 其して帰つて来て家人は寝て居るらしいとの事でありました
 其れで私は其処で地下足袋をぬいではだしとなり他のものも履物をぬいだものが
おつた様に思います
 今度は家の北側方向から正面に廻りました、其の時は
  A、B、Dの順で三人が先に行きました
 私とCは畑のみかんの木の処で様子を見て居りましたが暫くして私とCが家の前
側に廻りました其の時先に行つた三人は家の正面から南側を通つて裏の方え廻つて
行きましたが何処から家の中に入つたものか家の中に入つて居た様でありました、
私とCは風呂場のたき口の前の方につくなんで見張りをし乍ら様子を見て居ります
と屋内で女の高い声が何と言ふたか聞きとれませんでしたがしたと思うと喧嘩をし
て叩きあふ様な音がしたので私はどうしたのだろうかとCと話し其処に居るのが怖
ろしくなつたのでCと二人で元来た畑の中のコースを通つて道路に出て道路を走つ
てK宅より三、四百米北のc村z方面に抜ける近道の地蔵さんのある処迄走つて其
処の家の蔭に隠れて坐つて居りました
 暫くしてA、B、Dの三人がかけつて其処に来ましたので五人が一諸になり其処
から直ぐy川に入つて行き川を横切つてa側の堤防に上つて其処で五人か坐つて休
み乍らA達の家の中に入つたもの等がとつて来た、お金を分けて貰つたのでありま
す、其の時私はBから千円札二枚をもらひ次ぎにAから百円札五枚を貰ひ合計分け
前として弐千五百円貰つたのであります、其の時CもBからとAから私と同額位も
らつた様でありました、又Dも金を幾らか分配してもらつた様でありました、金を
分配した後Bが皆の者に絶対此の事はしやべるな、若ししやべつたらお前等叩き殺
してやる、若し捕まつても絶対しやべんな、金が少なうて済まだつたのうと言いま
した
  他の者は別になにも言わなかつた様に思います
 其の土手の堤防上に約二、三十分おつた様に思います
 其れから私とCは一寸北方に行つて東側に向つて通ずるw間の道路がありますが
其れを通つて二人は帰へり他の三人はcaを通ずる県道の方に北方に向つて歩いて
行つたようでありました、Kへ行つて出る迄の間が四五十分かかつた様に思います、
 Kへ行つたのが十時半頃であつた様に思いますので其処を出たのが十一時十分か
二十分頃ではなかつたかと思います
 私は其れからCと自宅前迄同伴しCと別れて自宅に帰つて寝んだのであります
 家に帰つたのが十二時前后と思いますが判然判りません
 私が帰つた時は家の者は皆寝て居りましたので私は何日も寝て居る主家の奥の間
に父母が寝て居る処のふとんにもぐり込んで寝たのであります
十七、其の翌日の二五日の朝は七時頃起きて御飯を食べ又布団に入り十時頃迄寝て
居りました、午前中は家に居り午后はC万に遊びに行きおばさんと話して遊び午后
三時半頃自宅に帰へつて縄ない機械で小縄をない夕方うす暗くなる迄其の仕事をや
つて居りました
 夕飯を済ましてから六時半か七時頃一人で歩いてhのB方に行き今日B等が行つ
たacのアパートの基礎を作る工事に人がいるかどうか尋ねに行き九時か十時頃B
方を出て自宅に帰つて寝た訳であります
 其の日B方に行つた時はBの家内だけで他所からは誰れも遊びに来ては居らずB
の女のAdちやんは居りました
十八、其の翌日(二六日)はa発六時二十分のバスでnに出、B、C、Dと共にa
cのアパートの工事仕事に行き六時頃a着のバスで帰へり夕飯を食べC方に行きC
と二人でAtにElを見に行つて十一時終つて家に帰つて寝みました
十九、二七日何日もの六時のバスでnに出てCDと共にacの工事仕事に行きまし
た回じ汽車でBは女のFlと同伴してafに遊びに行きました
 私は帰へりは何日もの様に自宅に帰へり夕食后早く寝んだ様に思います
二十、二八日は其の日もacに仕事に行きまして帰へり警察に捕まへられたのであ
ります
二十一、貰つた金弐千五百円は二六日からacに仕事に行つて居りました三日間の
中に映画を見たり飲食費等に全部費消致しました
二十二、私しと被害者のKとは親族関係はありません
二十三、問 何故斯様な事をしたか
    答 私はお金か慾しかつたので皆から誘われた時共に加わり一諸に行つた
様な訳で其の金は飲食に使ふ為でありました
                      E
 右の通り録取して読み聞かせた処誤りのない旨申立て署名拇印した
  前 同 日
                   熊毛地区警察署司法警察員巡査部長
                      Em
           被疑者第二回供述調書
 本籍 山口県熊毛郡a町大字aaz番地
 住居 右 同
                   筆頭者 Dyの三男 日稼人夫
                      E
                         昭和四年十一月三日生
                         当二十一年
 右の者に対する強盗殺人被疑事件に付き昭和二六年二月一日本職は当署に於て供
述を拒む事が出来る旨を告げて取調べた処被疑者は任意左の通り供述した
一、私は先回取調べを受けました時申上げました以外の事と尚其の時申し上げまし
た事が違つて居ります事に付いて詳しく申上ます。
二、私は盗みをしようと相談したり話しを聞きましたのは先回申上げました二四日
Cで聞いた丈でありました其の時以外は別に聞いて居りません
 尤も二〇日の昼、M旅館で遊んだ時Bが何か良い儲けはないかのうと言つて居た
のは聞きました、併かし其の儲けと言うのは盗みの事か其れとも当り前の仕事をし
ての儲けの事かは判りません
三、私は二四日の夜九時半過ぎDを訪ねて行きましたが其の時EnからDに明日a
cのアパートの工事仕事に行つてくれ―と言われた伝言と私が以前Cu廠に人夫仕
事に行きました時の勘定を貰つて来て貰う様に頼んで私の印判を渡したのと、更に、
 Bg方でBから言われて居た今晩の集合の事を
  十時頃になつたら直ぐ八海橋の処へ出て呉れ―
 と斯様に伝へました
四、八海橋の処に集合して相談した後Kに行く可く五人で歩いて行く途中橋より百
米余り下の方に地蔵様があつて其処から道が二つに分れて居ります
 其処で私とCは中の道を他の三人は川沿ひの道を通つて行きA方の前で川沿の道
を歩いて居た三人が中の道に出て来ましたので五人になつて其の通をKの方向いて
行きKの手前で私とD、Cの三人がKとD方との間にある畑の中のみかんの木が四
本位ある処の左側を通つてK家の北側に行き其処で待つて居りました一方AとBは
Kの前を通り過ぎてからKの東南側の畑を斜めにK家の裏に出て私等の処にやつて
来ました
五、其の場で五人が焼酎を飲んだと申しましたのは嘘でありまして全然其の事は知
りませんAとBが裏を廻つて家の中の様子をうかがつて来て居りますので
  家の者は寝て居るらしい俺等は裏から入るからお前等は前へ廻つて見張りをし
ておつて呉れと申しますので二人は又裏側に私と外の二人は前に廻つて風呂の角の
所で見張りをして居りました
六、AとBが何処から其の家の中に這入つたかは私は知りません
 暫くして家の中で喧嘩をする様な人声や又ゴトゴト音がして静かになつたと思う
とBが表玄関の障子を開けてD来いと言つて呼びました
 Dが這入つて一寸して私とCも其処から這入つて行き土間に立つて居りました、
其の時奥の間に余り明るくない電燈がともつて居た様に思います
 AもBもDも奥の間に居るらしく土間からは見へませんでしたが暫くしてBが入
つて来いと言いますので私は玄関の入つた処の部屋を通つて奥の間に這入つて行き
ました
 其の時Kのぢいさんは胸の辺から上を布団から外に出して顔から頭の方血もぐれ
になつて横だわつて居るのを見ました
 私は恐ろしかつたので直く次ぎの下の間に出ますとBが一寸来いと言つて私を呼
びました、其れで私は又其の部屋に入り頭を下の間の方に向けて死んだ様になつて
居るばあさんの左腕の処を捕まへ其の反対側をCが持ちAは頭の方をかかえて下の
間に出しました
 其して其儘其処に坐らした処をBが縄をもつてDと二人で婆さんの首をくくり余
り移動もささず其の部屋内の鴨居にBとDが釣り下げますのを私とCとAとで抱へ
上げて手伝いしました
 私等は怖ろしかつたので婆さんを釣ると同時に直ぐ玄関口から私とCとDは外に
出ました其して私等三人が風呂場の処に待つて居りますと玄関の障子をAかBかど
ちらかが施錠し暫くしてAとBとがK家の裏の方から北側を通つて正面に廻つて来
ました其してAとCとが東南側を他の三人が東北側の畑の中を通つて中の道に出て
五人で一緒になり三、四百米はなれた地蔵様のあたり迄走つて逃げ其れから八海橋
に出て其れを渡りh部落の方に行く道に百米余り入つた処の川どてに坐つて其処で
金を分配したのであります
 私は其の時Bから千円(千円札一枚)もらつた丈で先回弐千五百円もらつたと言
うのは嘘であります。
七、其の金は私はCの店で菓子代の借を二十六日頃百八十円位払ひ残りはacに仕
事に行つた時みかん食つたり、いか飴、生菓子を食つたり映画を見たりして費消し
ました
八、其れから私とCは一諸に旧道路を通つて私方の前迄帰へり私は家に入つて寝た
のであります、Cは製粉所の方を通つて帰つた様でありました
九、其の后二五日にB方に行つた時今晩Dと会ふ約束になつて居ると言つて出て来
ましたので私しも一緒に八海橋の処迄出ますと先方からDがこちらに来て居りまし
た、其の時Aが居らんが何処へ行つたものだろうかと話しました
 あれは何日もCiの散髪屋に行つて行るからあそこに行つて居るかも判らんと言
つて直ぐCi散髪屋に行つて見ましたが、見へませんでした、時間にして午后八時
過ぎ頃であつたと思います
一〇、其の翌日の二六日か二七日かでありました、Aか捕まつたと言ふ新聞記事を
acに行く車中見まして皆で警察でしやべつて呉れんにやーいいが自分等も何れ警
察に引張られるだろうが出るのだけは出ようと相談したのであります
一一、其の后二七日にacの勘定をCから貰う為CがdのAq方に行つて居りまし
たので午后八時頃其処に行きました其して其処でCu廠でもらつたと言ふ勘定をC
から千円もらいました、其の金は其の翌日の朝自宅の台所で勘定をもらつたからと
言つて千円札一枚母親に渡しました
 Aq方に行つた時は
 私とD、C、B、とBの女とAqで十時か十一時頃迄其処で話して遊びました、
其の時は事件の話は別にありませんでした
一二、私はKに入る時は地下足袋をはいて行きましたが地下足袋はみかん畑の処に
ぬいではだして家を出入りしたのであります、はだしと言つても靴下ばきのはだし
でありました
 其の靴下は茶の地に白の菱形もようのあるもので家に抛つてあります
一三、其の時の各人の服装は私は先回申上げた通りでありますが他の者はAは下着
は判りませんが空色のオーバーを着て下駄ばきであつた様に思います
 Bは木綿製のカーキ色のジヤンバーにセツタをはいて居りました
 Cは黒の皮靴をはき進駐軍の払下げのジヤンバーを着て居りました
 Dは上着は何であつたか覚へませんがずぼんは国防色の兵隊のラシヤずぼんであ
つたと思います、はきものも何であつたか覚へません
                      E
 右の通り録取して読み聞かせた処誤りのない旨申立て署名拇印した
  前 同 日
                   熊毛地区警察署司法警察員巡査部長
                      Em
          第三回供述調書
 本籍 熊毛郡a町大字a町(字k)第az番地
 住居 本籍地
                      E
                         当二十一年
 右の者に対する強盗殺人被疑事件につき昭和二十六年二月二日熊毛地区警察署に
おいて本職はあらかじめ供述を拒むことができる旨を告げて取調べたところ被疑者
は任意左のとおり供述した
一、私は今迄度々申上げましたがその事は嘘でありますからこれから愈々本当のこ
とをお話し致します
二、先ず此の度の悪いことをした前の色々のことを申します
(1)一月十五日の夕方C方え遊びに行つたらB、A、Cと一緒になり一応Bの家
に集まつてcのeえ遊びに行こうとBが言いますので皆が行くことになり私は家に
帰つて夕食をしてB方に行つてみると
    B、C、A、D
  の四人が集まつて居り直ぐ其処を出てeの方に行きました
  その途中八海橋の辺で少し後を歩いていたBとAが私達に追付いて二人が私達

   〃何処かえゝ所があつたらやつちやろうぢやないか、Kの家はハワイ戻りで
はあるし金もあるぢやろう〃と言う様な事を話しました。私等は余りはつきりした
返事はしませんでしたが「何日入るか又きめよう」
  と言う程度でありました。
(2)次に一月十九日の晩にBの女が来たからと言うので
  B、A、D、Cと私と女二人かa町as町のM旅館に集りました。
  二階の南から三番目の部屋で一寸焼酎を飲みその南の部屋に五人が集りBが主
になつて
  Aに「金の有りそうな所を言え」
 と言うとAが
  〃八海橋を渡つて直ぐ左手の大きな家はどうぢやろうか〃
 と言いましたところBが〃あすこはお前勝手か分つて居るか〃と聞くとAは勝手
が分らんと言うとこんどはDが「Alはどうか」と言いましたがBが
  〃矢ツ張り勝手を知つた方がよかろうKにしよう〃
  〃まあ詳しいことは後できめよう〃
 と言うことを相談しました。二人の女は次の部屋に居りました。
(3)二十二日の晩方家には仕事始めと嘘を言つてB方に行き
   B、C、D、私、Bf
 の五人か集り焼酒一升を飲んでAyに遊びに行く途中Bfは一寸後れて来ました
のでその間にBが
  〃矢つ張りKがえかろうからKにきめよう〃
 と言いました
(4)二十三日の昼十一時頃仕事に行くためC方に
   C、B、D、私
  が集りBが
   〃明日にするか〃
  と言いましたので三人の者は〃アー〃と言つて置きました。その晩は私はAy
へ一人で遊びに行きました
(5)二十四日の昼も昨日と同じくaiのバラス揚げの仕事に行くためC方にB、
D、C、私が集りました際にBが
   〃今晩十時頃八海橋のところ(aの方側)え集まれ〃
   〃今迄話をしておるから若しこんとどやしやげるぞ〃
  と言いました。それはCの店の間でありました。
三、その晩Cの家え私の外B、C、Bmが集り自転車でa町adのBgえ勘定を取
りに行きました。
 家へ入る前にBが私に、
  〃お前今晩行かんにやいけんぞ、Dにはお前言うて行け、帰りに俺の家に寄つ
て風呂をえゝかんにして置くように言うてくれ〃
 と言いました
 家に入つてみると主人が不在なので座敷に上つて待つて居りましたがBが行けと
言いますのて其処の時計が九時十分前に出て、Cに寄つてまんぢう一ケを食つて直
ぐ出て途中一寸Ayに寄つてみたがDがいないので直ぐD方の方に行きました。
 途中家が分らないので何処かで聞こうと考えているとiの地蔵様の少し向うで二
人連れで向うから来る者に会いました。良く見るとa町のEd組でダツトサンの運
転手をしているKでありましたので自転車を飛び降りてDの家を聞きましたら〃こ
ゝから五軒目だ〃と教えてくれましたのでD方に行つて外に呼び出し
 〃今から直ぐ十時頃八海橋の所え集るようにBが言うたから必ず来い〃
 と言うて引返しBに行つておばーさんに風呂の事を言つて置きました。そこでB
の女と妹に鉄道パスを貸してやると言うので二人を連れて私の家え帰り直ぐ八海橋
の東寄に行つてみるとAとDが待つておりました。十分位してBとCが来ましたの
で旧橋との中間位の川土手で五人か集りBが段取りをきめると言つて
 〃Aは家の勝手を知つておるから先に入つて戸を開けー、Dと俺も直ぐ入るから
Cは縄を探しておけ、Eは見張りをせー、若し人が来た様だつたら指で口笛を吹く
のが上手ぢやから吹け〃〃Aは入つて感付いたら縛れ、何んぢやつたらばらしても
えゝ、お前は何が何処にあるか大体知つておろうが道具が何処にあるかよう見てお
け〃
 〃見付つたら何処でもえゝ殴れ〃
 〃ばつさりやつたらよう落付いて誰がやつたか判らんようにやつておけ〃
 〃人が来て口笛を吹いたらバラバラになつて山の方え逃げてhの稲荷さんの所え
集れ〃
と色々詳しい指図をしました。
 それからBが皆履物は脱いでいけと言いますから私は履いていた地下足袋を脱い
で道傍の草の中に置きました。
 Bは更に〃糞をひつたらまじないで見付らん〃とか〃帰りに証拠になるような足
袋や手袋は海の中え捨てー〃
と言いました
 それで五人は一緒になつて八海橋を渡つて下に行き地蔵様のところの別れ途でB

 〃CとEは上(西)の道を行け俺等三人は海岸の方を通つてAの所に出るから〃
と言うから私とCは二人で西側の道を行つてKの前の道路迄行つて様子を見ました
が誰も居りませんのでCがAの家の方に言つて行きましたら三人は一寸して来てK
え行く道の少し北から畑の溝を通り密柑畑の所からKの家の一番東北の隅に出て行
きました。
 私達は前の大きな道の所に居りましたのでそれから三人かどちらに行つたか分り
ませんでした。
 一寸して主屋の方で変な声がしましたのでその方に行つて見ると暫らくして主屋
と部屋の間の硝子戸を開けてくれました。それはAであつたように思います。入つ
て見ると奥の間に薄暗い電気がついて居りましたがBはその部屋の箪笥の中を探し
て居りましたのでAが行つて何かさゝやきました。見るとばあさんは其の間の出口
に近い所え伏せて伸びて居り爺さんは奥側に上向になつて布団を少し着て倒れて居
りました。頭の方に傷がありました。一寸した時ばあさんが動いたからAでありま
したか〃こんなげとうまだ生きておりやがる〃〃C綱を持つて来い〃と言つたので
Cが何処からかロープを持つて来ました。
 その間にBがばあさんの顔を殴つたように思つております。
 Bが〃これを吊れ〃と言いますので私とCがばあさんの両手を持つて引つ張つて
行きBがDに手伝わせて綱を首にかけ私達三人が抱え上げて吊し上げました。
四、それからBが〃出ておれ〃と言うので私とD、Cの三人は入つた所から外に出
て地蔵様の所で一寸待つてみましたが二人は来ませんので又歩き八海橋の上から私
ははいていた靴下をぬいで海に放りました、外の二人も手袋や足袋をすてました。
 そして集合した場所に行つて待つていると二十分位して二人か戻つて来ましたの
で私は地下足袋を履いて、Bが、
 〃此処では月も出て居るから稲荷さんの所え行こう〃
と言うので五人がhの稲荷さんの中(境内)に入り其処で私はBから千円(千円札
一枚)とAから五百円(百円札)と十円札六、七枚を貰いました、
 そしてBが、
 〃若しつかまるか分らんが警察に行つたら嘘を言い知らん知らんで通せ、警察で
はたたいたり鎌を掛けるからそれに掛らんようにせよ〃
 〃Kの家の事を聞かれても分らんように言え〃
 〃若しKに連れて行かれてもやつた事を反対に言え、警察から裁判所に行つたら
世話はない〃
等と言つて聞かせました。
 それで私達は(Cと二人)先に帰り新道路から途中be停留所の一寸手前でCと
別れ小路を伝つて家に帰りました。
 家に帰ると玄関から入つて音がしないように床に入つて寝ました、誰も休んで居
り私が帰つたことは知らない様子でありました。
 帰る途中八海橋の袂で自転車の二人連れがc村の方に向いて行きましたが誰か分
りませんでした。
 それから後は大体前回申したところと同じであります。
 この度申上げたところは一切間違いありません。
                      E
 右録取して読み聞かせたところ誤のないことを申立て、署名拇印した
  前 同 日
                   熊毛地区警察署司法警察員警部補
                      Eo
          第一回供述調書
 本籍 朝鮮咸鏡北道清津府以下不詳
 住居 山口県熊毛郡c村字dbf
                   職業日稼
                      D
                         昭和二年十二月六日生
                         満二十三年
 右の者に対する強盗殺人被疑事件につき昭和二十六年十一月二十八日熊毛地区警
察署において本職はあらかじめ供述を拒むことができる旨を告げて取調べたところ
被疑者は任意左の通り供述した
一、私しの出生地は朝鮮京城以下不詳で有ります
二、通称や綽名等は別に有りません
三、前科は
 昭和二十三年二月十六日山口地方裁判所に於て強窃盗罪に依り懲役六年を言渡さ
れ北海道旭川刑務所に服役中昭和二十五年十月三十日仮出獄となり今日に至つて居
ります
四、家族は
    私の外に
    祖 父   Eq  当六十八年
    祖 母         Er  当六十四年
    実 弟         Es  当十八年
 の四人家族であります
五、資産は
 私の資産は別に有りません
 祖父の資産として
    家屋        一棟  時価  一万円位
    畑地        二畝  時価  一千円位
 合計時価一万千円位の外之れと言う資産は有りません
六、収入は
 私しは日稼をして一ケ月間に六千円位有ります
 弟の収入は一ケ月に一千円位で合計七千円の収入となり此の収入により生活を致
して居りますので生活困難の方で有ります
七、私しは住居地の小学校高等科を卒業して十六才の時より光市の海軍工廠に務め
て居りましたが終戦の年の八月十五日同所をやめて其の後は住居地の塩田に塩田夫
として働いて居りましたが二十一才の時の十一月から小野市のセメント会社の仲仕
として稼動して居りました処昭和二十三年二月に小野田市に於て強窃盗事件の為起
訴せられて昨年十月三十日住居地に帰省して以来日稼をして今日に及んで居ります
八、私しは今回悪い事とは知り乍らも知り合ひのBやA等が盗人をしようと言つて
誘はれて行き外で見張をして居る内に他人の二人を殺して金銭を取つて帰へりまし
た、私しは其の金の分け前を貰つて居りますので其の事に就いて申し立てます
九、実は本年一月十五日の日でありました以前から一月十五日は成人の日で有りま
して知り合いの
    E や
    C や
    A が
 a町字hのBの宅に集まる事になつて居りましたので当日午后七時頃此の五人の
者はBの内に集まつて来ました
 其処で私し達五人の者はc村の字e部落でeと言ふ家の娘さんの処に遊びに行く
事に話が決まりました
 午后七時過ぎに私し達五人の者はBの宅を出て行きhから八海橋に至る途中突然
Aが酒に酔つて居りましたがiのKの爺さん婆さんは二人ではあるし瓦を焼いては
いるし田も有るので喰う物も有るし金は大分有らうと言つてBに話し掛けて一回、
やらうではないかと言つて居りました
 私し達も直ぐ其の側に居たので良く聞いて居りました
 其の後は斯様な話しは出合つてもありませんでしたが本月二十四日のになつて私

  c村の字rの
    Cp
の処に遊びに行つて午后九時一〇分頃Ayさんの家から私しの家に帰へつて来ると
午后九時三〇分頃になつて
 知り合いの
   E が
 私の家に来て、明日はacの仕事が有るから朝六時の気車でacに来て呉れとE
a村のbgのEtさんの使ひに来てからEは今からd橋の処迄出て呉れと言ひまし
た私しは何をするのか解りませんでしたがEの後を追つて八海橋出にて行きました、
其の頃が午后十時前頃で有りました、八海橋に行くと知り合ひの
   B
   E
   C
   A
 が待つて居りました、私は何んの事かと皆んなの者に「ドウカー」と言ひました
 するとAとBが此の間の話しのK方に行こうと小声で言うので私しは行こうと言
つてついてiに向けて行き出しました
 処がiのFzと言う家の附近に行つた頃にBとAが立ち止つて細い声で一緒に同
じ道を行くと人に見付かつた時に困るからと言つてB、Aは直線の道を行き密柑畑
の処からKの部屋の北側に行つて待つて居ると言ひますので私とE、Cの三人はA
方の実家の処から海岸沿ひに道路を行きKの瓦工場の処からKの部屋に直線の道を
行く事にして別れて夫れどれ歩いて行きました
 私し達三人の者がKの部屋の処に行つた時にはB、Aは部屋の西側の出入口の処
にしやがんで居りました
 私し達が其処に行くと直ぐAとBはKの母屋の裏手に廻つて這入り口か有つたら
裏から母屋に這入るから表側の出入口を開けるから私し達三人の者は表側の処で待
つて居れとAが言ひますし出入口を開けたら家の中に這入れと言つて居りましたの
で三人の者は約十分乃至十五分位してKの部屋の前の風呂場の処に三人が行つて待
つて居りました、 其の頃が午后十時三〇分頃であつたと思ひます
 其の頃表側の母屋と部屋の中間の硝子障子をBが開けて呉れました
 其処でEやC、其れから私しの順にKの母屋の中に這入つて行き炊事場の処に行
きました、家の中は奥、南の部屋の電気が小さいのがついて居りました
 その電気の光で室の状況を見ますとAはおばさんの首を素手にて締めて居るのが
見当りました
 私しは台所から畳座敷に上つて行きますと、Eは薪割を何処からか持つて来て座
敷でBに渡しましたBは其の薪割を持つてKさんの寝間に行きKさんを薪割で殴り
出しましたのでKさんが何か声を二、三回立てゝ居りましたので私しは大変な事に
なつたKさんは死んだと思つて表に出て行き部屋と風呂場の処に「しやがんで」居
りましたので其の後は家の中には入らず外に居りました
 Cは私しと一緒に家の中に這入つた儘で約十分位した頃に表出入口からCとEと
Bの三人が出て来ました
 其の時Aは表出入口を締めて母屋の床下を出て、元、Kに来た道を出て行き、私
しとEとC、Bの四人はKの瓦工場の側の道に出て海岸の道を上つて行きますとA
にはEu瓦工場の処で一緒になつたので五人連れで海岸の道を八海橋に向けて逃げ
て行きました、其の途中の事Bが私し達皆んなの者に
 今晩の「バラシ」(殺した事)は絶対にしやべるなと注意し、Aは今夜の事を洩
らしたら刺すと言つて居りましたBやAや私し達はもう少し落ち付いたら大阪か神
戸の方に高飛しようと話し合わせて居りました
 其の間に八海橋に来たのでa町の八海橋を渡つた処のhに上る地点に行つた頃に
道端で立ち上つてAとBが金を出して二人共私し達に阡円宛計二〇〇〇円を分配し
て呉れました
 私しは其の二阡円の金を貰つてAと共に自宅に帰へる様にさそつたがAはjに行
くと言つて別れ他の者も其れ其れ自宅に帰へつて行きました
 私しが帰つた時刻は午后十一時半過ぎ頃でありました
十、私しは最初誘はれる時にはKの家の現金を盗むと言うことで一緒の行動を取り
ましたが人殺しをするのなら一の隣りの事で一緒に行動しなかつたので有ります
 私しはKの家の中には一緒に這入つて行きましたが殺す事には一斉手伝つては居
りません、KさんはBとAの二人が薪割で殴り殺した事は知つて居りますが、おば
あさんはどうして殺したのか私しは知りませんでした又其の状況に就いては現場に
行つた人からも現在聞いて居りません
 私しがKに行つた時は顔にタオルを巻いて白い鳥打帽を冠り黒のオーバーに国防
色のズボンに素足の下駄履で有りました
 他の者の服装や履物等は記憶致して居りません
 私しがAとBの二人から各一〇〇〇円の計二阡円の金は遊興費に費つて現在持つ
ては居りません
十一、問 現場に庖丁を使用したのは誰れか
   答 現場で薪割を使用したのはBとAで庖丁の事は私しは知りません
十二、問 被害者と親族の関係は如何
   答 別に有りません
十三、問 本件に関して利益の申立なきや
   答 今度間違つた事を起して真にすまないと思つて居りますが、今後は斯様
な事は致しませんから御寛大に御願ひ致します
          供  述  人     D
 右の通り録取して読聞せた処誤りのない事を申立署名拇印した
  前 同 日
                   熊毛地区警察署司法警察員巡査部長
                      Aa
           被疑者第二回供述調書
 本籍 山口県熊毛郡c村大字c字dbh番地
 住居 前同村字d Eq方
                   土方稼
                      D
                         満二十三年
 右の者に対する強盗殺人被疑事件につき昭和二十六年一月三十一日熊毛地区警察
署において本職はあらかじめ供述を拒むことが出来る旨を告げて取調べたところ被
疑者は左の通り任意供述した
 私が前回申し上げた事について少し違つたことを申して居りますので只今からK
爺さん夫婦を殺して物を取つた二十四日の夕方からの行動について大体項目を分け
て申し上げます
一、其の日の二十四日an村宇aiのCn学院の東側海岸でバラス揚げの仕事から
家に帰つたのが途中Cに寄つたので遅くなつて午后七時であつたと思いますそれか
ら顔や手を洗つて家内揃つて夕食を済し直ぐ同じ部落のAyの妹(Cp)の所に私
一人で遊びに行き九時十分に其の家を出ましたか私が時間を覚えて居ると言うのは
Ayのお婆さんがまだ早いではないか九時十分である最少し遊んで帰りなさいと言
われたので明瞭りして居ります帰ると直ぐ服を脱いで床に入りましたので九時二十
分頃であつた様に思いますそしてまだうつらうつらする時の九時半頃友人の
  a町字k
    E
が家の前の道路端からDと一回呼んだのでヨオーイと返事をして直ぐ床から出て着
て居つたこのシヤツと、其の上に白ネルのシヤツと袴下の上に今着て居る黒のジヤ
ンバーとオーバを肩に掛けて門口に出ましたら自転車を置いて門口に立つて居りま
した
 そしてEが明日acのアバートの工事をやるからお前は朝六時の汽車に乗つて仕
事に行つて呉れ俺は仕事には行かれないから又二十日の勘定を貰う事が出来なかつ
たから皈りにEr組の事務所に寄つて勘定を貰つて来て呉れと言ふて印鑑を出した
ので受取りそれからこの煙草に火を付けて呉れと言うて一本出したので私は家に這
入つて火を付けてEに渡しましたから今からすぐ八海橋に来いと言ふたので何の事
か判りませんでしたかつい私はヨシ行こうと申しましたらEはそのなり自転車に乗
つて出ました
 それから私は直ぐ家に這入つて先程申しました服装に兵隊の冬ズボン(木綿製)
を履いて履物は女物の下駄(これはお爺さんが赤と白のボロを手でナツタもの)を
履き薄白色のハンチングを冠り外は月が上つて居りましたが薄曇りでありまして十
分位かかつて八海橋に歩いて行き其の途中は誰にも会いませんでした
 私の行つた所は八海橋の取り付の橋の上(aからcに行く取り付き)で其処には
    B
    A
    E
    C
の四人が立つて居つたので私が初めにゾウカと言ひましたらBとAが殆んど同時に
Kに行こう来いと言うたので本月十五日の成人の日午后七時か七時半頃私等五人が
Bの家から出てc村字vのDdさんの家に遊びに行く途中八海橋に掛るまでの間に
AがKさんの家には田も作るし食うものもある瓦も焼いて居るので金があるから一
回やるとエエノオと言うたことがあるのでその事を思い出し直ぐヨツシ行こうと申
しましたが私が八海橋に行つた時間は午后九時四十分か四十五分頃であつた様に憶
います
 そして五人連れで歩き橋を渡つて左に曲り川に沿ふた道路を二百米位先の地蔵さ
んのある所まで歩く途中Bが警察に捕えられても絶対シヤベルナと言ひましたので
私等もそれはシヤベリはせんにやーと言いました
 それから地蔵さんの所で一寸止つてAにBが五人が一緒に行つてはこれから先は
家も多いし見られたら悪いから別れようと言うて又歩き出し百五十米位先のAの家
の横でBとAの二人が二足三足先を歩いて居つたので私が俺等三人はこちらから行
こうと言ふて川端の道路を通りAとBは其処から裏道を通り私等は川端にあるKさ
んの瓦製造場の裏を通り其処から西に向け真直ぐにKさんの部屋の北側の隅の裏口
の所に行きましたらBとAが其処にシヤガンで居りました
 其の夜は月夜で其の直ぐ北側は山を崩した空地があつたことを憶へて居ります
二、時間は其の時何時頃であつたか明瞭りしませんが私等三人も其処でシヤガンで
五人して私しがお前等は這入ると言うても何処から這入るかと言うたらAが俺等(
Bのこと)二人が裏に廻つて這入る所を探して何処からか這入るからお前等(私と
EとCのこと)は風呂場の所で待つて居れそして前の母家と部屋の間の戸を開ける
からと言うたので私等三人は直ぐ風呂場の入口の前にシヤガンで待つて居りました
が其の横には手押のポンプがあつて其の又東側に物洗い場もありました又其処が風
呂場であると言う事を知つたのは東側を通る時窓硝子から内側を見て煙突も立つて
居つたから知つたのであります
 其処で十分位待つたと思つた頃開ける音がしたので其の方を見ましたら部屋と母
家の所が半分位開いて月あかりに見ればBが無言つて顔を一寸出して又引凹んだの
で三人が其処に行き私が先に這入りました時に奥の方から難気ソオな声であまり大
きな声ではありませんでしたがヤーと一回丈け聞きましたので気がドキーンとし何
かやつたなーと直感し這入る順序は私の後ECで右側は部屋で左側は母屋のヘイ壁
で巾が三尺か四尺位の間を通つて一寸右に曲り母家の庭に這入り奥の方を見ました
ら座敷に薄暗い電気が灯いて居つて庭に這入つたと思ふ瞬間背を向けては居りまし
たがAが何か振り上げて下したと思つたと同時にあまり大きな音でもなかつたがポ
カンと聞へました
 其の時私の感じは何かで家の者を撲つたのであろう位に思いました
 そして三人が台所の板の間に上つた時Aがお婆さんの後から馬乗りの中腰になつ
て右腕で首を締め下座敷の方に引出すのを見たので三人が其処に行つたら其の腕を
離して奥の間に行きましたが其の時お婆さんは、うつ伏に長くなつて少しも動きま
せんでした息はあつたかぞうかそんなことは知りません
 そしてBがAがやつて居た様にして婆さんの首を右腕で締め私は婆さんの左側に
行き腰の当りの上の着物を右手で掴み二人して一米位引摺り手を離しました時その
間にCが何処からか細引を丸めて持つて来たのをBが受取つて鴨居(上敷居)に引
掛けたので私が先にお婆さんの後腰の当りを抱き起しEとCも両辺りから抱き上げ
婆さんの首にその細引をBが前側から掛けて上の方で結びましたがその結び方はぞ
んな結び方をしたかよく憶へて居りませんが首に掛ける時は上から下した二筋を掛
けた事は知つて居ります、吊した時婆さんの足が畳に着いて居つたかぞうかそんな
細かい事は知りません
 Aは奥に這入つて箪笥の抽斗か何か抜く様な音をさして居りましたが詳しい事は
知りませんお爺さんの顔も見ませんでした又座敷に何があつたかも知りません
 私等が家に這つてものを言うたのはお婆さんの腰を掴へる一寸前に私がよつし引
張つてやろうと誰に言うともなく声を出した位で他には話はしなかつた様に思いま

 そして私はBが細引で結び終ると若し人が来たり気付かれたりすると困るので私
一人庭に下りて這入つた所を歩いて出て始め這入る前風呂場の前でシヤガンで居る
時私一人が脱いだ下駄を持つて部屋の東隅の便所の所にシヤガンで居りましたら五、
六分位して私が出た方向からB、E、Cの三人が来てそれから一寸遅れて私等が出
た反対の裏側の方からAが来たので全部揃ひ私が始めに来たように別れて何処で集
まろうと言う事は言わず八海橋の方に出よう来いと申しまして私とE、Cと。B、
Aの二組に分れて私等は元来た道を通つて行く途中Oの瓦場の所でA等と出合つて
途中話もせずに八海橋を渡るとすぐ左に曲ると五、六米位歩いて道の左側に五人が
シヤガンでBがこの事は誰にもバラスナ(誰にも言うな)と言うてAが若し此の事
を言う者が居つたら刺殺すと申しました
 そして私が俺は皈ると言うて立ちましたら他の四人も腰を上げて先にAが左のヅ
ボンのボケツトから千円札一枚を出してソラ此れをやると言うて出し其の次にBが
ぞこから出したか知りませんが百円札をなんぼうか呉れたので私のジンバーのポケ
ツトに入れAに皈ろうと誘ひましたら俺は今からjに行くと言うたので私丈け一人
先に別れ八海橋の上でBから貰つた百円札を出して数へて見たら丁度千円ありまし

 そして橋を渡つた所で後を振り向いて見ましたらaに向けてE、C、A。hに向
けてBが皈るのを見ましたがそれはhはB丈けであつたからそう思つたのでありま

 そして私が家に皈つたのは十一時半頃で直ぐ寝ました
 翌二十五日はacのアパートの仕事に行くので朝五時に起き食事を済し弁当を持
つて歩いて出る途中Bを誘ひ自動車(パス)に乗つてn出にて六時四十分頃の下り
に二人が乗つてacに降りアパートの工事場に行つたら其処にまだ道具か来て居ら
んのでDrの後片附をして午后三時頃に終つてC、Bの三人が映画を見て午后六時
の汽車に乗つてnに七時過頃降りて其処から歩いて三人がaのGaまで一緒で其処
でCと別れBと二人で皈る途中又別れて家に皈つたのか午后八時頃であつた様に思
います
 そして夕食を済しB君の家に行きましたらBにBの妻とEが門口に立つて居つた
のでそうかと言うたらBが今日妻とお袋が喧嘩をして家には居られんからdのAq
に話して泊らして貰うようにお前話をして呉れと言うたので世話してやるから行こ
うと言つて四人が連立つて八海橋の中間辺まで行つた時私がAはaの方に行つて居
るのではなかろうか家には居らんらしいaならCiの理髪屋であろうから先に行つ
て探そうではないかと言うてAqの家に行くのを止めて引返しCiの理髪屋には居
らんので其処でEは皈つて寝ると言うて皈りましたので私等三人は又引返しdのA
qの家に行き寝て居つたのを起してBが喧嘩をしたことを話して其の家にBの二人
を頼んで三十分位話して家に皈つて寝ました
 申し落しましたが二十五日の朝汽車に乗つてacに行く途中nを発車して間もな
く隣りの乗客が新聞を見て居るのを覗みしたらdのKさんが殺されたと言う事が出
て居つたのでその新聞を借つて辺に腰を掛けて居つたC、Bに新聞に出て居る判つ
たなあと言ひましたが其の意味は其の時の気持として新聞に出て居るので私等が捕
えられん知れなければよいかと心配しました、それから私が貰つた(BAから)二
千円は煙草を買つたりacで映画に行き買食したりして残りが五十五円丈け残つて
居つたのをおん署に来てから差し出しました
 問 其の金は是れか
 此の時証第  号を示す
 答 お示しの十円札五枚と五円銅貨一ケに相違ありません
 問 此の下駄に見覚えがあるか
 此の時証第  号を示す
 答 その女下駄は二十四日の夜Kさんの家に這入る時風呂場の前で脱いで家を出
る時便所の裏まで持つて出て其処から履いて自分の家に皈り庭に脱いで置いた品に
相違ありません
          供  述  者     D
 右の通り録取して読み聞かしたところ誤りのない旨申し立て署名拇印した
  前 同 日
                   熊毛地区警察署司法警察員巡査部長
                      Ds
           被疑者第三回供述調書
 本籍 山口県熊毛郡c村字ibf番地
 住居 右 同
                   日稼
                      D
                         昭和二年十二月六日生
                         満二十三年
 右の者に対する殺人強盗被疑事件に付いて昭和二十六年二月二日熊毛地区警察署
に於て本職はあらかじめ供述を拒む事が出来る旨を告げて取調た処任意左の通り供
述した
一、私達がKに行つて悪い事をしたのは一月の十五日から話し合つてやつたのであ
ります
二、一月十五日成人の日には私は午後六時三十分頃B方へ遊びに行きましたが其処
にはE、C、A達が集つて皆んなでcのe方へ遊びに行こうとゆう事になり午後七
時前にB方を出て八海橋を通つてe方へ行つたのでありますが其の時八海橋に行く
迄にAが
 Kには夫婦二人で瓦も作つて居るし田も作つてゐるので相当金があるから一回や
らんか
と話し出しましたので皆んなはそれはよかろうやろうと言つて話したのであります
それからeに行く途中AがDeと言ふ散髪屋の前で馬車の枠を取外し道路に投げて
色々問題を起したのであります
 eに行つてから私達四人が家の中に入り其処の娘や近所の若い連中と色々遊びま
したがAは其の日は酒に酔つてゐたので中には入りませんでしたそれからしばらく
してBとAは帰つて行きましたが私達はそれから三十分位して帰りました
三、一月の十九日の事であります其の日は確か雨が降つてゐたと思ひます、私は午
前中家でぶらぶらして午後はB方の方へ遊びに行きました
 B方にはCが行つて居りましてBは何処かへ行つて居りましたので私はCやBの
家の人達と話して居りましたらEAの二人がaの方から帰つて来て今Bがaで待つ
ておるから来いと言ふので其の二人と一緒に私もCもaに出て行きましたが其の途
中Eが今日afからBが女を二人連れて来てMに居るから此処へ行くのだと申しま
した、私達がMに行つたのは四時半頃であつたかと思います、行つて見るとMの裏
の部屋に布団を敷いてBと女が二人居りましたそうしてBが私を部屋の外に呼びB
が背広の上下と時計を私に渡しそれをこの前の質屋に行つて千二百円程借りて来て
くれと頼みますので私はそれを持つてすぐ近の質屋に行き事情をいつて私の名前で
千二百円程借りてBに渡したのであります、するとBが今日は一杯買ふといつて幾
らか金を出してAに渡し之れで焼酎を一升と肴を買つて来いと申しましたのでAは
まもなく焼酎と天婦羅を何処からか買つて帰りました
 そして皆んなで飲み始めましたが女の二人は布団の中に入つて寝て了ひました其
の時色々の女の話しや何にかゞ出ましたがBが又私達に
  Kを一回やろうじやないか
 と言ふ話しを出しましたので皆の者は前にAから金があると言ふ話しを聞いてゐ
たので
  それはやろう
 と言つて賛成しました、其の日は七時頃迄で飲んでBと女二人が残つて外の者は
各自自分の家に帰りました後で聞いた事ですがEは其の後で其の旅館に行つたと言
ふ事でありました、私は其の後二十日、二十一日、二十二日は朝弁当を持つては其
処に来てBや女達と遊んでは晩帰つて居りました、其の時にはCやEBf達も同じ
様に遊びに来て居りましたが其の時には別に其の様な話しは聞いた事はありません、
四、二十三日の事であります、私とBm、C、E、B、Bfの六人はa町のBgと
言ふ人の仕事でaのadの川の仕事に行きましたが寒くて仕事が出来ないので午後
から仕事場を変へてan村aiのバラスを上げる処に行く様に変へてもらつたので
あります
 其の行がけ六人の者は午前十一時頃a町biのEsといふ朝鮮人の家に行つて焼
酎二升を買ひ一升を其処で飲み弁当も喰ひそれから一升を持つて仕事に行く途中C
方に寄つて其の一升を置き弁当箱をあづけ午後一時半頃現場に行きBgが来るのを
待つてゐたがとうとう来ないので午後六時頃C方に帰り五人の者がEtの肉屋から
肉を買つて来てあつけた焼酎の一升を持つてB方に行き午後六時三十分頃私とCE
BfBが其の一升を飲み始めました、其の時にAもやつて来ましたそうして代る代
る風呂に入つたのであります、其の時Bfが風呂に入つた際、Bが
 明日の晩Kに行こう
と言ふ話しを出して皆の者が行く事に定めたのであります、それから七時三十分頃
Aが帰り私とE、C、Bf、Bの五人はc村のrのAyと言ふ家に娘が居るので遊
びに行きました、すると其の時Ayのjの兄とDoが其処に来てBと口論を始め私
達が仲裁に入つて止めたのであります、其の時Ayの兄が二百円程金を出して焼酎
を買ふと言ふので私はEs方に買ひに行つてAyで其処に居つた皆の者が飲んだの
であります、其の時CやE、B達は私が帰るより三十分位早く其処を出て帰りまし
た、私は十時三十分過ぎに家に帰つて行きました
五、二十四日の事であります午前中は仕事に行く予定でB方に行きましたが仕事場
の潮時が悪いので其処でE等と遊び午後一時頃Bと二人でC方に仕事に行く途中寄
りましたらE、Bm、Cの三人が居てそれから五人で先に申しましたaiのバラス」
現場に行きました行く途中Bfを誘ひましたが法事があつてBfは三十分位遅れて
現場に来ました午後五時頃迄仕事をして六時頃C方に皆の者が帰りました、皆の者
はBgに金を貰ひに行くと言ふので私とEは其の儘家に帰つて行きました、午後八
時頃私はAyに遊びに行きました、そして九時十分頃Ayを出て九時二十分頃に家
に帰り寝てゐますと九時三十分頃であつたと思ひますがEが自転車で私の家に来て
明日はacにアパートの仕事があるから朝六時の汽車でacへ行つてくれ、そのつ
いでに燃料廠に寄つて金を貰ふのがあるから金を貰つて来てくれと言つて印鑑を私
があづかりました其の時煙草の火を貸してくれと言ひますので私はEの煙草を持つ
て家の中で火をつけてやり渡しますと、私にも一本呉れました、其の時小声で
  今からKに行くから一本松の処に来い
 と私に伝へました、私はKに行つて金を盗ると言ふ事は前以て定めてゐたのです
ぐ納得ゆき九時四十五分頃であつたと思ひますが八海橋の近くの一本松の処に行き
ました行つて見るとBECAの四人が集つて私を待つて居りました、私が行くなり
Bが今からKへ行くから手配をしょうと行つて
  私とBAの三人は主人の方を斧か何にかでやつける
  EとCはお婆さんを締める
 と言ふ様に役割を定めました、其の役割に付いては何故其の様に定めたか詳しい
事は知りませんがBに何にかの考があつたのだと思ひます、集合してから三十分位
した午後の十時過ぎ其処を出て無言の儘dの方へ橋を渡り左側を下つてAcの処の
附近迄来たところ歩きながらBが皆の者に
  今日やる事は絶対にばらす様な事がない様にせよ
 と申しましたので皆の者はそんな事はないと答へて歩きました地蔵様の処迄行つ
た時皆の者が立止まりました、其の時私が五人が行くと具合が悪いので別れて行こ
うと言つて私とEとCが海岸の方の道を通つて行きAとBは本通りを通つてKの方
に行きました、そうしてKの北側の室の出口の処へ皆が集り其処にしやがんで話し
合いました、其の時AとBが裏から入り部屋の境の表側の戸を開けるから其の前で
二人は待つて居つて入つて来いと言ふ様にしました、Aはまじないに糞をすると言
ふ様な事も言つて居りました、私達三人はそれから表に渡つて前の風呂場の処でし
やがんで六、七分位待つて居りました処、今申しました境の戸が開いたので其の方
を見ますとBが首をのぞけて来いと言ふ合図をしたので私が一番先に其処から中に
入つて行きました入つた処は私が子供の頃からよく知つて居ります土間の炊事場や
台所があります申し遅れましたが私達わ北側の裏で集つたとき履物を風呂場の処に
置く様に言ひ合せて風呂場の前に脱いで素足になつてゐたのであります、炊事場に
入つた処が真暗でありましたその時主屋の奥の部屋の方から
  やあつ と
 言ふ低いうめき声の様な声が聞へました其の時私は話しに定めてみた様に誰れか
ゞぢいさんをやつたなあと思ひました、そして三人は入口を左に廻つて主屋の台所
の方へ行きますと台所の戸は開いて奥の部屋の電気の光らしい物がボヤツト見えて
ゐました私が奥の間の見へる処迄入口から曲つた時、Aだつたと思ひますが斧かな
にかを奥の間の入口の処で振り上げて下すのを見ましたすると今度はBが振り上げ
て打ち下しましたが其の時私は中の間迄上つてゐましたので振り上げてゐたものは
斧であると言ふ事が分りました、私が奥の部屋に入りますと入口の処でBが私に持
つてゐた斧をおいと言つて呉れましたので始の約束通り私もやるのだと思つて其の
斧をとるなりぢいさんの頭を目がけて打ち下しました、其の時ぢいさんは床の中に
倒れた儘で何にも言つて居りませんでした、そして私は其の斧を次の者に渡さずに
其処に放つて置きました、私達が部屋に入つた時はAがぢいさんと反対側の箪笥の
方に頭をやつて寝てゐる婆さんを床から半分位引出し後から首を馬乗りになつて締
めて居りましたのをBが行つて同様に交替し首をしめAが奥の方に行き何にか物を
探していた様であります、其の時私達三人がBを手助つて私が腰を持ち皆の者は四
方からたかり抱へて中の間に持出しました其の時はもう婆さんはぐにやぐにやにな
つて居りました、そしたらBが
  やろう
 と言つて上の鴨居の方を見ましたので私はつるす事だと思つて後から抱き上げC
やEは両横から婆さんを持上げましたBは婆さんの腰紐をほどいて上の鴨居に結び
つけそして皆んなが婆さんをつりさげて離そうと思つて手をゆるめましたら紐がび
りびりと言つて切れましたので又下におろし私がやはり後から抱きついて支へて居
りました、するとBがすぐこんなじゃ駄目だと言つて庭の方に下りて行きましたが
間もなく麻縄を丸るめた儘で持つて来て一本を上の鴨居にかけ片方の端で婆さんの
首を結びそうして二本一緒にして釣り上げたので私達も前と同じ様に下から抱き上
げましたそしてBが縄を鴨居にしばり付けたのであります、その時は中の間の電気
はついて居ませんでした、それから私は恐くなつたのと人が来たりなんかしてはい
けないと思ひ其の儘入口から外に出て風呂場の処の下駄を取り部屋の裏の北側の便
所のコンクリートの処に坐つて見張りをして居りました
 それから十分位して表の方からB、E、Cか出て来ました、それからちよつとし
て家の裏の方からAが出てきましたそうして私がこの儘帰つたのでは分るから来た
樣にバラバラになつて帰ろうといつて私にE、Cのが前来た道を海岸に出てバラバ
ラになつてOの瓦の処迄帰つて本通りを帰つて来た二人の者と落逢ひましたそれか
ら八海橋迄話しもせずに五人の者が帰りました、橋の上に差しかゝつたときにBが、
  こねいな物があつたらいけんから捨てよう
 と言つて橋の上から下手に向けて
 Bが欄干から手を下して手袋の様なものを捨てました、其の外何にか分らないも
のを捨て居りました、CEA達も同じ様なものを捨てゝ居りました、私は素足に手
袋が左手だけでありましたので何んにも捨てずに見て居りました其の時満潮ではな
かつたが川の中が見えない位に水がありましたそれから橋をaの方に渡つてすぐ右
側の浜の方に五、六十米位行つた処で金を分けたのであります
六、金を分けた様子は皆の者が其処に集つた時何んにも言はないので私も少し腹が
立つて
  金はどうか
 と言つて皆んなに尋ねたらBやAが
  金はなかつた
 と申しますので私は自分だけとつて俺には呉れんのだと思ひ
  俺は帰る
 と気嫌悪くそう言ひましたら
  Aが千円札     一  枚
  Bが百円札     十  枚
 程呉れました、外の二人も何に程貰つたか知りませんが私にも同じ位は貰つてゐ
ると思ひます、それから私はAに帰らんかと誘ひましたら俺は今夜jに行くと言つ
て帰らんので
  それでは明日仕事にゆこうでよ
 と皆の者に言つて私は其処から帰りました、他の者は其の時はまだ其処に居たの
でどうした事か其の後の事は知りません、金を分ける時にBが私達に
  若し分かつて警察へ行つても警察は山をかけるから言はない様にせい
 それから
  証拠があがらねばよいから
 と附け加へ
  検察庁や裁判所に行けば無罪になるから一日何んぼかで金が貰へるから
 と言ふ様な事を皆の者に言ひましたAは
  若し其の様な事を言つたものがゐたら刺殺す
 と言つて居りました
八、私が家に帰つたのははつきりしませんが午後の十一時三十分頃であつたと思ひ
ます、家の者は寝てるて私の帰つたのを知らないと思ひます、家の者には何んとも
話しては居りません
九、其の翌日は朝六時の汽車でacのEu組のアパートの仕事に行きました、BC
が来て居りました其の日は前日の話しは何にも出ませんでした、其の金はacで映
画を見たり煙草を買つたり物を買つて食つたりして殆んど使ひましたが警察に来た
とき五十五円位残つてゐたので警察の方へあづけて居ります
一〇、私がAが捕つた事を知つたのは二十六日の新聞を見て警察へ知れた事を知り
二十七日の朝acへ行く時汽車の中で隣りの人の新聞を見せて貰つたときAが捕つ
たと言ふ事が書いてあり始めて知つたのでありますが其の記事がA一人と言ふ事が
書いてあつたので私も幾らか安心したのであります
一一、警察から二十八日の晩に出てくる様にと言ふ呼出かありました其の時私の家
にEが午後七時頃私の家へ誘ひに来ましたそれから私達二人はCに行つて見ようと
言つてC方に行きましたらCにも呼出しが来て居りましたが本人が仕事から帰つて
居らないので二人で警察へ来たのであります
 警察へ来る途中Eと二人がAが俺達の事を言つて居るだろうかどうだろうかと心
配しつゝ来たのであります
一二、警察で今迄嘘を申上ましたのはB達が絶対に言ふなと言つていたので私が本
当を言つた事は後で分つたらひどい目に逢ふと思つたからであります
 犯罪に付いて色々話しの合はない事を申しましたがそれも何んとか言はずに済め
ばゆうまいと思つたからであります
一三、Kに行つた時に五人の者の服装は
 Bは国防色の作業ズボンにシヤンバの様なものでありました帽子はかぶらず履物
もよく覚て居りません、Cはニツカーズボン上は進駐軍の上衣だつたのであります、
履物はよく覚へません帽子は船員帽でありました
 Eは船乗りの着る様な黒の上衣で茶色の船員の作業ズボンで船員帽をかぶつて居
り下駄履きでしたと思ひます
 Aは上がジヤンバーで下はよく覚えて居りません、オーバーは空色のオーバーで
ありましたが家の中では着て居らない様に思います、履物は覚えません
 私は陸軍の冬服のズボンにジヤンバーに黒のオーバーを着て下駄を履いて居りま
した
 Eも黒のオーバーを着てゐたと思ひます
一四、BがM旅館に連れて来た女は始て見た女で何処の者か処も名前も知りません
が一人の眼の悪い女の人はBの女でありますが名前は知りません
          供  述  人     D
 右の通り録取して読聞た処誤りのない旨を申立署名拇印した
  前 同 日
                   熊毛地区警察署司法警察員警部補
                      Az
                   筆記者司法警察員巡査
                      Ev
          第一回供述調書
 本籍 山口県熊毛郡a町大字a町(字u町)第bj番地のbk
 住居 本籍地に同じ
                   筆頭者 土方稼
                      C
                         昭和三年十二月十三日生
                         当二十二年
 右の者に対する強盗殺人被疑事件につき昭和二十六年一月二十九日熊毛地区警察
署において本職はあらかじめ供述を拒むことができる旨を告げて取調べたところ被
疑者は任意左のとおり供述した。
一、出生地は本籍であります。
二、兵隊の関係や公職の関係はありません
三、位勲や恩給、年金記章等も一切ありません
四、前科は執行猶予が一つあります、それは昭和二十一年六月頃窃盗で取調を受け
山口地方裁判所に控訴して懲役二年で六年の執行猶予になりました。
 その外には警察等で悪いことをしてお調を受けたことはありません。
五、私はCSの長男に生れ昭和十八年三月にDj小学校高等科二年を卒業して直ち
に岩国市のEwに職工として入り寄宿舎から通いましたが其処は給料が安いので翌
年二月にやめて家に帰り遊んで居りましたが間もなく徴用がかゝり宇部市のEx炭
礦に行きました。
 終戦になつて家に帰り翌二十一年四月頃から熊毛郡an村字ai元Cq学校跡の
占領軍キヤンプに入り掃除夫や食堂で働きました。
 翌年占領軍が引揚げましたので家でぶらぶらして居りましたが年末にblのキヤ
ンプに入り三ケ月後bmのキヤンプに変り二年計り辛棒しました。二十四年の暮に
bnのキヤンプに行き昨年一月に兵隊が居なくなる迄居りました。それからは家に
帰つてあちこちの士方稼をして現在に至つています。
六、家族は
    母    Ey    当四十三年
    弟    Ez    当二十一年
    弟    Fa    当十三年
    妹    Fb    当十七年
 と私の五人であります。
 母は飲食店をして居りEzは私と土方に出て居ります、Faは小学校六年生で妹
は岡山市boの叔母の所で喫茶店に働いて居ります、
 父は私が十五才の時腎臓病で死にました。
七、財産は私の物は何もありません、母の物が十坪位の住宅平家建が一棟あるだけ
で貯金等もありません
 収入は私の方が一ケ月四千円位あります、弟が月三千円と母の方が千五百円位で
あります、
 三人の収入を一緒にして生活するのでありますが仲々苦しくて困つて居ります
八、私はこんどcの事件で逮捕状により御署に連れて来られましたのでその事につ
いて申上げます
 私は事件のあつたと言う一月二十四日には朝八時頃に起きて潮加減を見て午前十
一時頃日頃から友達仲間であり仕事も一緒にしている
    a町    Bk
           E
     〃     B
 が集まり途中Ea村のBfを誘つて五人が歩いて一里計りあるan村aiの海岸
に砂利揚げに行きました、a町adのBgさんの方の仕事であります、
 午後三時頃仕事を止めて皆が一緒に連れ立つて帰り四時半頃私の家の前で別れて
家で遊んで居りました、
 その日aiの仕事場で話合つて今夜Bgさんの所え勘定を貰いに行くということ
になつて居りましたが六時半前後にBm、E、Bの三人が来ましたので午後七時頃
四人連れ立つて自転車で私はEの荷台に乗せて貰つて二粁計りあるBgさんの宅え
行きました
 主人が不在でおばさんに勘定の事を話すと一寸出て行つたから間もなく帰るから
待つて居てくれと言われました、
 暫らく待つたが主人は仲々帰つて来ませんでした、その中午後九時頃にEは〃娘
の所え行くから″と言つて帰つて行きました。私の想像ではEは
   c村r    Cp (二十才位)
 の所え度々遊びに行くのでそれだろうと思いました。
 残つた私達三人はBgさんの部屋で待つて居りましたが主人は帰りませんし寒く
なつたので私が帰ろうと言い出すとBも帰ると言いましたがBmは金がないので困
るからと言いますから十時二十分頃に私とBの二人はBgさんの宅を出て帰りまし
た。Bの自転車に二人乗りでありましたので一粁計り行つたa町bpでパンクしま
した。それで自転車を押して歩いて帰りbiの新道路十字路の所でBと別れ私は家
に帰り寝みました。十一時十分位前でありましたが翌朝迄出て居りません
九、問 一月中頃c村方面に行つたことはないか、
  答 丁度成人の日(一月十五日)は
    c村  Fc(当二十年位)
 方え友達同志が遊びに行く申合せになつて居りましたので私は午後五時頃B方に
行つて見ましたら、
    c村i    A
     〃        D
 の二人が来て居りました、Aは焼酒を飲んで相当酔うて居り、サイダー瓶に少し
計り残つて居りましたので私もコツプに一杯飲みました、
 午後六時頃四人連れ立つて其処を出て歩いてcに行きましたが、酔うているので
少しふらふらして後れて歩いていたAがc村字zのDeと言う散髪屋の前の道路で
後を振り返つて見ると木箱を担いで来て居りますのでBが止めました。eに行つて
みると附近の青年十人許りが集まつてトランプをして居りましたので私達もその中
に入りぜんざい一杯を御馳走になつてトランプをやり十一時頃迄遊びました。
 Aは先に帰つたと言つて居りませんでしたがD、Eと私の三人が帰り掛りますと
De髪屋の所で十人計りの青年が出て来て一寸待てと呼止め馬車の箱を道路に散ら
ばした事で因縁をつけて来ましたのでDが仲に入つてAを探したが居りませんので
明日の夕方来て話をつけようと言うことにして帰りました、
 その晩は外には何も変つた話もありませんでした、
一〇、その後
 一月二十二日にB、Bf、E、Bm、Dと私の六人が出し合いで一杯飲もうと言
うことになり正午頃
   a町bi    Es     某  (朝鮮人)
 方に集り焼酒一升を買つて六人で飲みました
 其の外にも先程から申しました友達等と本年に入つても三、四回位焼酒を飲んで
居りますが詳しいことは忘れてしまいました、
 私は焼酒なら二合位で丁度よい気持になりますが顏がほてつて眼がパチパチする
程度で別に悪酔いするようなことはありません、空腹に焼酒を四合位飮んだら少し
位ふらふらします、
 以上のとおり私は今回お尋ねのc村dKさん宅の事件には一切関係ありません私
の友達は先程から申しましたD、B、E、Bm、Bf、Aの六人でありますがその
中Aは時々交際する程度で二人丈けが心易くすることはありません、
一一、私は名前を変えたことはありませんが友達仲間では「C」と呼んで居ります、
                      C
 右のとおり録取して読み聞かせたところ誤のないことを申立署名拇印した
  前 同 日
                   熊毛地区警察署司法警察員警部補
                      Eo
          第二回供述調書
 本籍 熊毛郡a町字u町bjノbk
 住居 本籍地
                      C
                       当二十二年
 右の者に対する強盗殺人被疑事件につき昭和二十六年一月三十日熊毛地区警察署
において本職はあらかじめ供述を拒むことができる旨を告げて取調べたところ任意
左のとおり供述した。
一、昨日申上げた中で間違つているところがあり私は二十四日の晩Kの家え行つて
居りますから申上げます、
 一月二十四日の晩
    a町adのBg
 に行き午後十時少し過ぎに私とBの二人が帰つた事迄は十時のサイレンが鳴つて
間もなく出たので間違いありません、途中自転車のパンクと言いましたが間違いで
チエンが切れたのであります、
二、Bが自転車を押して私の家迄帰りBを外の道路で待たして私は一寸家の中に入
つてみましたら小さい電灯はついて居りましたが母等は起きて居る様な気配はあり
ませんでした。それで一、二分で直ぐ出てBと歩いて(Bは自転車を押していた)
八海橋の向う側(c村側の橋際)迄行つて暫らくすると左側のi部落の方からAが
歩いて来ました。
 それから四、五分も三人が其処で待つていると西南方のz部落の方からの大きい
道路からE、Dの二人が一緒に歩いて来ました
 それで五人になりそこでAが
 〃Kの家ははエー物が沢山あるし自分が中の事情をよう知つて居るので今夜入ろ
うぢやないか〃
 と話しだしましたので四人の者もやろうと言うことになり、みんな歩いてBAD
の三人は海岸側の道路から私とEは山寄りの道路を行きました、道を二手に別れる
前にAが自分が家の中を良く知つているから一番先に入るからと言いますので私は
〃俺とEちやん(Eの意)は見張りをするぞ″と言うとAかBかゞ〃オー〃と答え
ましたので私達はその積りでおりました、
三、私は今迄Kに行つた事はないがあの附近えは度々娘の家え遊びに行つてあれが
Kの家と言う位は知つておりました行つて見るとB等はまだ来て居らないので道路
から更に道を通つてEと二人でKの家に行き寄り付きの所で待つて居りました、
 ポーツと明かつたので前の道路位迄は充分見透が利いて居りましたから月は出て
いたのではないかと思いますが良く憶えません、
 五分も待ない中にB等三人は前の道路から畑の中か畑の構(畦間)を通つて南側
から主家の後側に廻りました。それで私達も主家の前迄行つてみたが居らないので
元の方え引返して見ると先程私達が居たところにB、A、Dの三人が居りました、
多分北側を廻つて出たのだと思いました。私達四人がそこで待つて居る中にAは家
の廻りを廻つて入口を探していましたが暫らくして時間は分りませんが割合早く中
から主家と部屋の間の硝子障子を開けました。
 それで其処からB、私、D、Eの順で一緒に入りました。その突当りは炊事場で
ありました。
 そこから南側(左手)に板の間があり次の間との境には障子が閉めてありました
が奥の方には薄暗い電灯がついて居りました。
 Eは直ぐ外に出ましたが、Aが先に板の間に上り、続いてBと私が上りました。
そしてAが障子を開けて次の南側の間に入りましたので私達二人は板の間の敷居際
に立つた儘中の様子に注意して居りましたがAは一人で更に東表の間やその南の奥
表の間に入つて見て最後に納戸の間の北側の障子を二、三寸開けて中の様子をみて
居りましたが直ぐに二尺計り開けてその間の中に盗び込みました、その時気付きま
したが電灯はその間に十燭位のがついて居ります、
 そしてAは中で何かがさがさ探している模様でありましたが暫らくして〃アツ起
きた〃とどなり私達の方に駈つて来て炊事場の方に行き、何処かその辺にあつた薪
割を持つて納戸に走つて行き上向に寝ているおじさんの頭え打込みました、回数は
憶えませんが一回位ではないかと思います、おぢさんはその瞬間ギヤツと一寸言い
ようのない声を出しました。
 その時Dは敷居際に立つている私の左側に来て居りましたが驚いて外に飛び出し
ました、Bは私の側で見て居りました
 同時におばさんも起きて中腰になり〃ワーツ〃と言うような声を出しました。お
ぢさんは頭を炊事場の方に向けて北寄りに寝て居りましたのでAか薪割を打込むの
も良く見えました、おばさんは真中の当りに寝ていたように思います。おばさんが
中腰になつたのでAがそれを後から両腕で喉をしめつけたら間もなくくにやツとな
りました。A一人がやりました、
 私はその時喉が乾くので炊事場に行き杓で壼の水を飲みました。Bは次の間に入
つて立つて居りました。それからAは奥表(寝室の東側)の間に在つた箪笥の抽斗
をあれこれ開けて探して居りました。Bも寝室やその他を探し歩き、Aは板の間の
次の間に在つた(何処か知らない)手提金庫を畳の上に出して中を探しました。私
は水を飲んでからあちこち部屋の中を歩き廻りましたが別に探しは致しませんでし
た。
 Dは一度飛び出たが何時の間にか入つて来て炊事場に立つて見て居りました。
 Eはその時も外に居たと思います。一応探し終つたので出ようとしたがAが、
 〃おばさんがどうも生き戻るようなから吊り下げようぢやないか〃
 と言いましたのでBと私がそれが良かろうと言つて私とB、Eの三入がおばさん
をかゝえて下の間に運びDが何処か台所の方から麻縄を持つて来ました
 Eは何時入つて来たか知りません、Dが縄を首に掛け私とBとEの三人が体をか
ゝえ上げAが縄を鴨居にかけ五人が吊しました。
 申し落しましたが最初Aが腕でおばさんの首を締め更に又寝室の南側の壁に着物
と一緒にかけてあつた黒い紐で締めました、それで吊上げる際にもその紐がついて
居りました、
 吊し上げる時はまだ体温はありましたが息は無かつたように思います。それで仕
事が済んだので出ることになつたがAが
 〃俺が戸締をして出るから皆先に出ておれ〃
 と言いましたからAを除いた四人の者は入つたところから外に出ましたらAが中
から戸締をして間もなく後から北側の畑の方に出て来ました
 又申落して居りますが出る時にDが奥の寝室にあつた火鉢の灰を撒きました、誰
が言い出したか又その訳も知りません、又Bが探し廻る時手に出刃庖丁を持つてい
るのを見ましたが何時何処から出して来たのか知りません、又何に使つたか知りま
せん、
四、私達四人は入つた所から出て道伝いに前の道路に出て帰り掛りますとAの家の
少し北の方で後からAが追付きましたがその辺から五人はばらばらになり私はEと
二人で北に歩きました。
 八海橋の上で後から歩いていたAが
 〃小遣がなかろうから少いがこれをやろう〃
 と言つて私とEに五百円宛呉れました。二人共百円札計りでありました。又矢張
り八海橋の上でAがBに二千円(千円札二枚)渡すのを見ましたから私は直ぐBに
千円を貸せと言つてその中の一枚を借りました。
 Aはその際中古の上衣二、三枚位を左脇に抱えて居りましたが焦茶色であつたと
思います。その外の品物は何も知りません。
 それからは真直ぐに帰りbでEと別れ一人で家に帰り直ぐ寝みましたが家にはお
客もなく母も寝んでおりました。
五、その晩の服装を申しますと、
 1 私は船員帽に占領軍の雨合羽の様な生地の上衣、黒のニツカーズボン、白の
靴下に黒の短靴をはいて居りました。これらは現在も全部家にあります。
 2 Bは
  ねずみ色のジヤンパーの上に茶色のオーバを着て、白ちやけたホームスぱンの
古ズボンをはき、無帽でゴム草履、軍手をはめて棒電池を持つて居りました、
 3 Aは
  シヤツの上に草色がかつたオーバーを着、カーキ色のズボンをはき、帽子は憶
えませんが下駄で棒電池を持つていました。
 4 Dは
  黒味がかつたねずみ色のジヤンパーに黒のオーバー、黄味がかつた半チング下
駄穿きでありました、
 5 Eは
  船員帽に、海上保安庁が着るコートのようなものを着、毛糸のシヤツ、黄色の
ナツパズボン、茶色の靴下に女物下駄をはいて居りました、
六、Aから貰つた五百円の金は一月二十六日に徳山市に行き一人で駅前のFdと言
う喫茶店でまんぢうやリンゴ、ビール(二本)を飲食して全部費いました。
 Bから借つた千円は一月二十七日の昼食頃母に千円札一枚で渡しました。この千
円は金が出来たら何時かBに返す積りであります。
 尚Kの家では私は直接には何も盗つて居りません
 私がこの度した大変な悪い事は以上の通りで多少の考違いはあるか知れませんが
決して嘘は言つては居りません。
                      C
 右のとおり録取して読み聞せたところ誤のないことを申立て署名拇印した。
  前 同 日
                   熊毛地区警察署司法警察員警部補
                      Eo
          第三回供述調書
 本籍 熊毛郡a町u町bjノbk
 住居 本籍地に同じ
                      C
                         当二十二年
 右の者に対する強盗殺人被疑事件につき昭和二十六年一月三十一日熊毛地区警察
署において本職はあらかじめ供述を拒むことができる旨を告げて取調べたところ被
疑者は任意左のとおり供述した。
一、今度の事で皆が相談したことを申上げます
 一月十五日午後七時頃a町のB方にB、A、E、Dと私の五人が集りc村のeに
遊びに行くことになりました
 その途中Aは焼酒を少々飲んでおりましたが行く道々で
 〃うちの近くにえゝ所があるからやろうぢやないか〃
 と言いますとBもこれに相槌を打つて居りましたが大体皆に異存がないのでAは
更に
 〃二十四日頃にやろうから夕飯を食うてdの橋の所に集ろう〃
 と言いました、それで私もその気になつておりました。
 時間はAが九時か九時半頃に集ろうと言いましたが中に、それではちつと早いか
ら一時間位遅うしよう〃と言う者があつて結局Aが十時か十時半頃に集ろうと言う
ことにしました。
 次に一月二十三日の日が暮れてからBの家に行つて見たらB、E、Dの三人が居
り暫らくしてAが来ました。
 その時Aが主になつて
 「此の話は絶対秘密にして外部に漏すまい、万一分つたら絶対に口が裂けても割
るまい」と言いました。
 行先ははつきり言いませんでしたが、Aが物や金がよけーあると言うようなこと
を何回も繰り返し言いました。
 翌二十四日には何も打合せをしませんでした。
二、二十四日の八時頃に四人がBgに行きEは九時頃に一人で先に帰り私はBと二
人でそこの時計が十時二十分位過ぎた頃出ました。二人乗りで途中bpの所でチエ
ンが切れそれからは押したまゝ歩いて私の家には立寄らずにBの家に行きました
 私は家の外で待つているとBは自転車を家の中に置いて五分位して出て来ました
ので連立つて八海橋に行きました。行つて見ると橋のc寄りのたもとにAもEもD
も待つて居りました。そこでAが、
 〃行き先は俺の家の近くでKと言う家ぢやが、あすこの家に行つたら金がある事
は間違はないし、何処に何があると言うことはよー知つちよるから俺か先に中に入
つて戸を開けるからお前等は入つてもよいし見張りをしてもえゝがついて来る事は
ついて来い、中のことは自分に任せー〃と言いました
 その時のAの顔は何時もと少し変つて気が立つているように見えました。それか
らiの方に五人が下り、地蔵様の所の分れ路でAが
 〃CとEはこつちの道(山添の道)を行つてKの家の前で待つて居れ、俺等三人
はこつちの道を行くから〃
 と言つてA、B、Dの三人が海岸の方の道を行きましたので私とEは二人で言わ
れた通り山手の方の道路をKの家に行き寄り付きの入る道より北側の壁に寄りつい
て居りました
 私が〃えらー明いのう〃と言いましたがEはボヤツとして居りました
 その中に三人が海岸の方の道路から上つて来て畑を通つて南側からKの家の方に
寄つて来ました。そして三人の中二人は主屋の東南の角から三、四歩位の所にしや
がみました一人はその儘裏側に廻りましたが私達は二人で元の所に居りますと一寸
して左(北)側に居たEが肘で私を突きましたのでその方を振り向いて見たらAが
直ぐ近くの部屋の東北の角の所に出て来て居りました。
 私達はAが家の中のことは俺に任せえと言つて居りますので何も言いませんでし
たらAは直ぐその儘後に廻りました。
 それから十分位して主屋の方でガツタンガツタンと言う漸く聞える位の音がしま
したのでその方に廻つてみましたら主屋と部屋の間の硝子戸を開けて居りオイオイ
と言うように言つて向うに居る二人を呼びましたので直ぐその二人が来ました。四
人が入口に集ると中からAがBの袖を引つ張りましたので直ぐBが中に入りました、
それで私とDとEがその順に続いて中に入りました。台所を通つて板の間に上り更
に次の南側畳敷の間に上りますとAが両手で押えるような手真似をしましたので私
達四人は家の勝手は分らずその儘しやがみました。
 Aはそれから又二、三遍入口の方を突くような手真似をしましたので直ぐEが外
に出て行きました。私達がジーツとしているとAは何処を通つたか憶えませんが直
ぐ東側の表の間に入つて行きました、それからはどちらに行つたか分りませんでし
たが又間もなく私達の所え戻つて来ました、
 それからAは顔で南側の間を差すようにして
 〃こゝえ寝て居るけー〃
 と言つてその方に行き襖を一、二寸位開け様子を窺つて居りましたが間もなく体
を横にして入れる位開けて中に入つて行きました。
 入ると直ぐ半分位襖を閉めて部屋の中を歩くような音はしましたが何をしている
かは分りませんでした。最初一、二寸襖を開けた瞬間私達の居る薄暗い部屋に電灯
の光りが漏れて来ました。然しその光りは一、二燭位の小さい電灯のように思いま
した。
 その時Eが私達の所え入つて来て私に小声で〃どうか〃と聞きますので〃Aが中
に入つて探しちよるんぢやがと言いました。
 一寸するとAが襖の間から頭を出して〃静かにせー〃と言つて襖を少し開けて私
達の方に出てジーツと襖を閉めました、
 そのAが襖の所を出る瞬間Aのオーバの左ポケツトにポケツト一杯の巾で厚みの
薄い草色がかつたような紙らしいものを入れその端が五分位上に出て居りました。
又右胸のポケツトが相当膨らんでいるのを見ましたがAは入る前にはそんな物は無
かつたので盗つたなと思いました。
 Aが私達の所に戻つて来て〃外はどうか〃と言いましたのでE〃が外はえゝ〃と
答えはしましたが直ぐ外に出ました。
 一寸間を置いてDが外に出ましたので私もしん気臭くなり一寸して出て行きまし
た。そして私が〃アーツ〃と言つて空を見ると月はほゞ頭の上近くに上つて居り月
影は殆んどありませんでした。
 申落しましたが私達四人が手前の間で待つている時Bが台所の方に歩いて行つて
一寸して戻つて来ました。何をしたが分りませんが戻つた時は何も持つている様に
も見えませんでした。
 三人が外に出て十分位も経つてから別に変つた様子があつた訳ではありませんで
したが矢張り家の中が気に掛るので私が〃オラ中に入るど〃と言つて最初入つた所
から中に入るとEとDがついて来ました。その時一番後のDが戸を閉めたと思いま
す。
 先程居た間に三人か立つて居りますとそこに居たAが又襖を開けて体を半分位中
に入れたか入れないかの時中からぢいさんの〃誰か〃と言う声がしました。それで
私達はびつくりして板の間から出口(侵入口)の方に硝子戸の近く迄走りました
 Bはその儘元の所に立つて居りました。
 Aは私達の後を走り私達の方に来るかと思うと台所の方え行き直ぐ又寝室の方に
走つて引返しました。何を取りに行つたかは分りません。
 私達三人は外に出ようかどうしようかと話しているとその時身が震えるような気
持の悪い言いようのない変な声がしましたので私達三人は驚いて元居た座敷に飛び
上りました、寝室との間の襖は人間が一人入れる位開いて居りましたがAはその中
に入つて居りBは見えませんでした。
 座敷に上つた際奥で女の様な声で〃A〃と叫ぶのが聞えました。
 以上誰かと言われて飛び出てからそれ迄の事はほんの瞬間的なことでありました。
私達が直ぐ襖の方に近寄るとAが中から襖を二寸位残して閉めました。それで私が
〃オイ〃と声を掛けEが続いて〃何か〃と呼びました。その時中から変な声がしま
したので私が右手で襖を右の方に二尺位サツと開けて中に入るとEとDも続いて入
りました。
 私が入ると同時位に何故か電灯が消えました。然しその部屋の西北の隅の少し上
の方から微かにボーツと何か光のようなものがさして闇になれた私達の眼には部屋
の中が多少見えました。見るとAは部屋の真中で向う向きになり膝をついて左腕を
ばあさんの首に巻き付け締め後に仰向けになつて居りました。
 ぢいさんは入口の方で頭を少し山手の方にしていたように思いましたが詳しいこ
とは分りませんでした、然し動く気配はありませんでした。
 その頃Bが部屋に入つて来たがそれ迄何処に居たか知りません、Eも同時頃入つ
て来ました。
 Bは入つてくるなり〃A〃とAを呼びましたらAは返事はしませんでしたがビツ
クリしてばあさんの首を締めていた手を放しました。
 私は其の場の模様を見て恐ろしく気持が悪くなりましたのでDと二人で元の部屋
に出ました。
 その時AはBに〃みんなわ〃と言うとBは私達が外に出たと思つてか〃外〃と答
えました。
 一寸して外から誰か入つて来ましたので透すようにして見るとEでありましたの
で私等もその方(板の間に近い方)に行きました。
 一寸してAが寝室から〃来い〃と呼んだので三人(C、E、D)はその部屋に入
つて行きました。
 AとBは部屋の真中の方にこちらを向いてボヤンと立つて居りましたがやがてA
が「ソコソコソコ」と言いました。
 その声は平素と全く違つたとても上ついた声でありました。私達は意味が分らな
いのでボヤツとして居りましたがEが〃何か〃と言い続いて私が〃何の用か〃と言
いましたらAが
 〃これの切りをつけよー〃
 と言つて両手をばあさんの頭の方から両脇の下に入れて引き起しましたので私は
上向になつているばあさんの左側から両手を背中に当てゝ支えるようにし、Eは私
の反対側を持ちました。BはEの方から両脚を持ち上げましたらばーさんは尻の所
が下つてくの字型になりました。
 Aの方が先に下表(東側)の間に運び出して下し私が〃いのうぢやないか〃と言
うとAが〃一寸待て〃と言つて更に〃外に出て来るけエー〃と言い板の間を通つて
土間の方に行きました、然し外に出た気配はなく間もなく帰つて来ました。
 Dは一緒に居りましたがばあさんを運ぶ手伝はしませんでした。
 Aは戻つて来ると直ぐばあさんを引き起してD一寸持つて居つてくれと言つたの
でDが代つてばあさんを持ちました。
 そしてAは足元の畳に置いていた相当長い麻縄のようなものをとつて一人で首に
巻き付け片方を上の鴨居に掛けその縄をAが引つ張り四人が体を持ち上げAが自分
で縄をくゝりました。ばあゆんの体はよく憶えませんが余り高くありませんでした。
 終つてAは
 〃自分が皆んなをこゝに連れて来たのは俺が悪かつた、然し誰も言わなければ此
の事は分らんのじやけー〃
 と言いましたら、こんどはBが
 〃今からでも遅い事はない、何処えでも出られるんじやけー〃
 と言いました。
 私は初めAが運べと言つた時も「これはあたらん方がえゝが」と思つたが仕方な
く手伝つたしその時は何んとも言えない嫌な気持でありました。
 次いでDが〃いのう〃いましたところAが〃家の中の物を何も彼もごちやんごち
やんにして出た方が良いんじやないか〃と言いますので私が〃どうしてか〃と尋ね
ましたらAが〃分らんように〃と言いました。
 それで私は誰が入つたとも分らんようにする積りだと思いました。
 それからBがボヤツとして居りましたが〃イノーイノー〃と言いましたので五人
が山手の間の西北の隅に集りました。が直ぐ私達は入つた出口の方に行きE、D、
私の順に三人は急いで外に出ましたが出口の戸は閉めませんでした。
 A、Bの二人は中に残り、私達は一緒に入つて来た道を伝つて大きい道路に出て
更に海岸の方え家の間を東側の道路に出、それから私、E、Dの順で夫々一間位の
間をおいて北の八海橋の方に向つて急ぎ足で行きました。旧八海橋(石橋)と八海
橋の中間の西側にある国旗掲揚台を一寸過ぎた所でBが駈足で追突いてきて「一寸
待て」と呼びましたので私が後を振り向いて〃何か〃と言うと〃bのバスの停留所
で待たう〃と言いましたが私達はその外には一口も話す者もなくa町sのbe停留
所に行きました。
 そして私達四人はbeの東側で道路との間によく物干をしている空地があります
がそこに入つてAが帰つて来るのを待つておりました。
 寒さに震え乍ら暫らくするとBが「誰か」と言つたので私はビクツとして見ると
丁度Aが〃オイ〃と言つてdから来る道路の西端の方から出て来ました。
 それで五人がかたまつたので私が「どうするんか」と言いますと直ぐAが「どう
するちゆうて何か」と少し腹を立てたような返事をしました。私が平素Aにはよく
チカチカするようなことを言うので腹を立てゝいたのだと思いましたそれからAが
オーバーの右ポケツトから金を掴み出して先ず私に〃小遣に〃と言つて五百円呉れ
ました。(百円五枚)次いでEに先程出した金の中から五百円やりました。Eは直
ぐ左側にいて数えて居りましたが五枚と思いました。次にAの真ん前にいたBがA
から貰つたようであつたが幾等貰つたかよく分りませんでした。それでAが一寸横
を向いたので私はその隙にBに小さい声で「千円」と言つて右手の親指を出して見
せたら直ぐ千円札一枚をくれました。私としてはこの金はBから借つたので金が入
り次第Bに戻す気持でありました。
 それでDが一人でdの方に帰り出したので私とEも一緒にbの方に歩きました。
その際BとAは何かヒソヒソ話して居りましたが私達が〃いのう」と言つても動か
ずAが「jが面白いぞ」と言うような事を一寸言つておりましたので何処かえ行く
のだと思いました。
 bのCi散髪屋の少し手前でEと別れ、Atの方に入つて裏町を通り役場の所か
らFgの所に出て家に帰りました。
 玄関の戸を開けようとしたが錠がかけてあるので店の方の開戸を押したら開きま
した、それでソツと中に入り炊事場との境の硝子戸を持ち上げるようにして音立て
ないように開けて中に入り、更に寝室との境の硝子戸も音を立てないように静かに
開けて上り電灯は消えて居りましたが、その儘上衣とズボンを脱いで直ぐ寝ました。
三、四十分間も経つたか暫らくうつらうつらしていると寝室の柱時計が三時を打ち
ました。私が帰つたのは家の者も誰も知らない様子でありましたがそれからは布団
を頭からかむつて寝ました。
 二十五日は朝七時頃に起き、二十四日の午後Bgに行く前にEtが来て頼むので
徳山市Fh建設に仕に行くことになつて居りましたがEa村のBfと外の用事で一
緒に行くことになつて居りましたのでそれを待つてBfと二人で七時五十分のバス
に乗りClに出て一寸待つて汽車で行き正午前にFh建設に行つてみましたらBや
Dも行つて居りました。
 二十四日の晩Kに行く時にAのオーバのポケツトがふくれて居りましたが何か知
りません、酒に酔うているとは思いませんでした、然し誰が飲んでいたかアルコー
ルの臭はしていました。
 昨日言つたKの家に入つた時私が水を飲んだのは嘘であります。
 昨日八海橋でAが服を持つていたと言つたのも嘘であります。
 又Dが灰を撒いたと言いましたがそれは、Aが出る少し前〃何も彼もごちやごち
やにしよう〃と言つて一寸した時バラバラツと何か撒いたような音がしましたが後
でDのオーバーの前上の方に灰のような物がついていたのでそう思つたのでありま
す。
 二十五日の朝起きた時母に〃ゆうべ誰か来たか〃と聞きましたら(気がとがめる
ので)母がBjさんが一寸寄つちやつたと言いましたがその時間は聞きません。
 この度申上げた事は私としては絶対間違いないと断言出来ます、但し多少の小さ
い考違はあるかも知れません、今全部申上げて良く考えて見ると本当に取り返しの
つかない馬鹿なことをしたし、その中でも私やDEの三人は特に馬鹿な目に会つた
と思つてくやしくてなりません。
 BとAは相当良いことをしたと思います。
 家探しをして物を盗つたのはAでBも一寸姿が見えませんでしたので多少仕事を
しているか分りませんが他の三人は全然盗つては居りません。
 どうかよろしく御寛大にお願い致します。
 ばあさんを抱えた時はまだ体温がありました。
                      C
 右のとおり録取して読み聞せたところ誤のないことを申立て署名拇印した。
  前 同 日
                   熊毛地区警察署司法警察員警部補
                      Eo
          第四回供述調書
 本籍 熊毛郡a町u町bjノbk
 住居 本籍地
                      C
                         当二十二年
 右の者に対する強盗殺人被疑事件につき昭和二十六年二月二日熊毛地区警察署に
おいて本職はあらかじめ供述を拒むことができる旨を告げて取調べたところ被疑者
は任意左の供述をした
一、金の使途は
 一月二十五日にFh建設の仕事でacえ行つた時、bq駅に降りて直ぐに映劇の
前の喫茶店に行つて(十時頃)コーヒー二杯、稲荷寿司五ケ位を食べて百二十五円
位支払つて出ました。店の名前は初めて行つたので知りません、そしてその隣りの
ゲーム屋に行きチケツトを三百円位買つて遊びました。私は勝目無しで結局三百円
使いました。それから正午一寸前にDrのFh建設の仕事に行き午後二時頃仕事を
済して一緒に仕事に行つていたD、Bと私の三人が入りました。
 EtとFi、Fjの三人は人が多いと言つて入れて呉れませんでした。それはF
kで無声映画で無代でありました。帰りにbq駅で新聞を買おうと思つてポケツト
を見ましたが金が見付らず喫茶店で千円札で支払つた後ゲム遊びで三百円計り払つ
た五百七十五円は捨たるかすられて居るのに気付きました。千五百円は一緒に持つ
ていたが千円札を小さくする積りでそれで払いその釣銭は別の所に入れていたので
あります上衣の右下のポケツトであります。
 二十六日の午後四時頃仕事から帰りにbq駅前のFd喫茶店で残りの五百円を支
払つて使い果したことは間違いありません。
 私は二十四日にKに行く前は手持の小遣銭等は少して持つて居りませんでしたが
その晩の千五百円の外には、
 二十七日の正午頃
 a町bi朝鮮人Es某方に行つて、前にacのドラム罐の仕事に行つた勘定を私
とBf、B、Bm、Aq、Eと六人分を合計五千三百何円か貰つて帰り私の分が七
百九十円ありましたのでその中から五百円(百円札五枚)をお母さんに手渡し二百
九十円は小遣銭に持つて居りましたが皆勘定は夫々私が持つて廻つて渡してやりま
した、二百九十円の中Aq方に勘定を渡しに行つたとき、FlというBの女が居り
ましたのでそれに二十二日にEsで焼酒を飲んだ立替金二百円を渡しました。
二、その日の午後五時頃Aq方に遊びに行くとD、B、Eが来ましたのでパンを食
つたりして話しましたが、Bはafの方に行くような事を言つておりました。
 その時勘定が違うと言うのでFlから三十五円貰いましたので百二十五円になり
ますがその金は煙草等を買つて全部使いました。
 二十七日の午後brで散髪して五十円払いその隣りで焼まんじうを三、四十円位
買つて食いました。
 Bはafの方に行くように言つておりました。
 二十八日にはacに仕事に行き午後八時頃家に帰りますと弟(Fm)がEちやん
等が警察の所に居るから来いと言う事だと言いますので直ぐ警察の方へ来ましたら
途中警察の方が二人来られるのに会い一寸来て呉れないかと言われますから一緒に
来たのであります。
三、私にはこれと言つて懇意にする女はありませんがFn方に遊びに行くことがあ
ります。
 金は何時も余りありませんが
  a町u町  Fo洋服店
 に昨年春合服を作つて貰つた残金が二千五百円位借りになつて居ります外には借
金はありません。
四、Kの家に入る時は私は黒の短靴をはいて居りましたがAが開けた入口を入る時
に脱いで置きました。他の者も脱いで入つたのではないかと思いますがはつきり憶
えません二十四日の晩Adからの帰りは大きい道路を私の家の前を通りsの停留所
の十字路から左にとり八海橋の袂から右に入つてB方に行きました。
                      C
 右のとおり録取して読み聞せたところ誤のないことを申立て署名拇印した。
  前 同 日
                   熊毛地区警察署司法警察員警部補
                      Eo
          第五回供述調書
 本籍 山口県熊毛郡a町大字
 住居 右 同
                   日稼人夫
                      C
                         昭和三年十二月十三日生
                         満二十二年
 右の者に対する強盗殺人被疑事件につき昭和二十六年二月三日熊毛地区警察署に
おいて本職はあらかじめ供述を拒むことができる旨を告げて取調べた処被疑者は任
意左の通り供述した。
一、先日取調べを受けました時に申し落した事や是迄に嘘を申述べて居りますので
其の事に付いて詳しく申上げます。
二、一月十五日の事であります、私は当日夕飯を済まして一人が歩いてa町hのB
方に行きました、先方に着いたのが七時頃であつた様に思います。
 Aは己にB方に来て居り私の後にEDの二人がどちらが先であつたかやつて来て
五人が集合しました。
 其の時Aは相当酒に酔うて居りまして其の上四合瓶入りの焼酒を一本持つて来て
居りました、其の焼酒を其処でコツプに一杯もらつて飲みました。
 他のものも一杯あて位い飲みました。
 其の時Aだつたと思いますが
 良い金儲けがあるからやろうじやーないか、
 と主にBと話して居るのを私等は呑み乍ら傍で聞いて居りました。
三、一月十九日の事であります当日は仕事もなかつたので私は昼飯を食つてB方に
遊びに行きました丁度Bの心安くして居るFlが来て居ると言ふ話しで行つたので
ありますがBもFlも居らず待つて居りますと二時か三時頃Eが迎えに来てa町の
M旅館にB等が居るから遊びに行こうと言いますので連れ立つて行きました其の晩
Mには私と、
 A、B、E、DとBの女のAdちゃんと其の友達と言ふ女とが集つて話したので
あります。
 其の時Bの女が焼酎を一升買いましたのでMでテンプラを肴にして皆で飲んだの
であります。
 其の時でありました、Aが
  自分の知つたとこにえゝ処かあるからやろうじゃーないか、と
 盗みをする話をしました。
 其の晩私は午后六時頃暗くなつてから帰へりました、其の時は他の者は未だ其処
に残つて居た様に思います。
 其の時四、五時間Mで話して居りますが酒を呑んでぐだぐだ話したのであります
が私は酒に酔うて一時其処に寝たので其の時の話の内容に付いてははつきり覚へま
せん娘や仕事の話しはやつたと思います。
四、次ぎは一月廿三日の事であります、其の日のゴ七時頃Bの家に、
  私とEDAが集合しBと五人で話しました。
 其の時Aが
  明日の(廿四日)晩十一時頃八海橋に集ろう、自分方の近くのK方に物とりに
行こう
 と言いました、其の時Aは又
  其の家は近所でもあるし家の様子は良く知つている、
  金も大分持つて居るらしい
 と言いました
 其の話しをしたり雑談して午后十時過ぎ頃自宅に帰つて寝たのであります
五、廿四の夜八海橋の処へ集る迄の話しは前回申し上げた通りであります
 八海橋のc側の端にBgから帰つてから後行きますと未だ誰れも来て居らず間も
無くBEDAが来ました其して橋をa側に後戻りし旧橋の方へ少し行つた処の土堤
で五人が今夜の事に付いて話合いました
 其の時B、Aから私とEとDは見張りをやれ、家の中の事はAとBとでやるから
と言いました
 其れから五人で現場に歩いて行きました、行つた道は中の道でありますA方の附
近で皆が又集つて
  若し捕まつてもお互いに口を割らん様に心掛けーと
 Bが言いました
 それから前申述べました様にして
 Kの家の所に行きAが北側を通つてK家の後ろの山側の方に廻り他の四人が風呂
場の処で待つて居ると暫くしてAが正面側の北側の出入口の硝子障子を開けて呉れ
たので私DEと其処から中に入つて行きました其の時Bも後ろに入つて居りました
其の時家内は真暗でありましたのでAかBかゞ棒電池をもつて居たと思います、其
れで炊事場をAとBが探してAがナタをBがホウ丁を持つて居りました、其れから
Aを先頭にしてB私Dと台所の板の間から座敷に上りました、Eも上つたと思いま

 Aが奥の部屋を開けますと薄暗い電燈が中にともつて居りました
 其の時おぢいさんの声らしく誰れかと言ふ声が聞こえて来ました
 私はびつくりして台所まで逃げましたが其の時AとBが続いて其の部屋内に入つ
て行たのであります
 Aが入つてからぢいさんを切るか叩くかしたらしく中でぢいさんの悲鳴が聞こえ
て来ました
 私は其の后其の奥の部屋の近く迄行つて居りましたが
 其の時おばあさんがAの名前を呼んだ様でありました其の時おばーさんが起きて
来るのをAがとびかゝつて行つて後ろ側からおばあさんを倒して首を締めたのであ
ります
 Bも其の時直ぐおばあさんの傍に行きました
 私は怖ろしいので次の部屋の蔭に小さくなつて震いて居りました
 其の時Bや他の者等が何をしたか私は怖ろしかつたので余りはつきり覚へて居り
ません
 奥の部屋からはおばあさんの苦しい様な変な声がして居りました
 私がのぞいて見ますと婆さんは頭を北に向けて顔を伏せて居りました
 Aが来いと言いますので私や他のものも中に入りますとお婆さんを次の部屋に出
そうと言いますので
 私は頭の方をAが足の方を中程をBが他の二人が他の何処かをもつて皆で次の間
に出しました
 するとAが縄をもつて来いと言ふとDだつたと思います縄を何処からか持つて来
ました
 其して其の縄をAかもらつて婆さんの首にくゝり鴨居に釣つた様に思います他の
者は婆さんを抱へ上げて其の手伝をしました
 私とDとEは其の部屋に居りますとAとBの二人が奥の部屋を探し初めました
 其の前婆さんを釣つて奥の部屋に入る時Bが部屋の中をむちやくちやにして置こ
うと言つて居りました
 暫く奥の部屋を探して二人は下の間に出て来ました
 庖丁やナタはやつてからのち何処に抛つて有つたかはつきり覚へません
 私等はE、Dと共に侵入口から外に出ました暫らくしてBが其処から出て来まし

 出入口はAが締めて裏の方から北側の方を通つて出て来ました
 私等は家から先に出て中の道の処に行きました、Bは家から出るのは見ましたが
道路に出るのは少し遅れた様であります
 最後にAが来て道路に一応五人が集まり、私とDとEが先に五米余り遅れてBA
がずつと歩いて中の道を歩いて八海橋の処迄行きました
 其して八海橋の処でBが
  此の事件がもらしたらいけん、お互いに皆気を付けよう
  良い仕事があつたら他所へ出よう、口をすべらした者はどうこうと、とに角口
を割るなと言ふ意味の事を申合ひました
  其れから八海橋を渡つて川に沿うて下り一本松の辺にしゃがんでお金を分けて
もらつたのであります
  私はその時Aから
   五百円
 Bから千円もらいました
 其の時、Aは
 Eに五百円Dに五百円か千円Bに弐千円やつた様に思います、又BはEに五百円、
Dに五百円か干円やつた様でありました
 私は其れから三人と別れてEと二人で裏町を通つてEの前でEと別れ其れからb
s町からbtの前を通り役場の前に出て其処からFgの前に出て自宅に帰つたので
あります
 家に帰つたのが時計は見ませんでしたが一時前後ではなかつたかと思いますそれ
から床に入つて寝たのであります、私はKの家に行く時は革靴をはいて居りました
が現場でも別に靴はぬがず座敷に上る時は靴をぬいで上りました
 先程申上げました分け前の事でありますが、Bから
  Eに五百円、Dに五百円か干円と申しましたのは間違いで私が千円もらつた丈
であります、
                      C
 右の通り録取して読みきかせた処誤りのない旨申立て署名拇印した
  前 同 日
                   熊毛地区警察署司法警察員巡査部長
                      Em
 右各供述を熟読して、まず気の付くことは、被告人らはいずれも自己の立場を少
しでも有利にすべく隠し立てをしておりながらも、包みきれず徐々に真相に近づき
つつある供述をしていることである。その間には一見明瞭な嘘と見られる供述がな
いことはない。Cの供述にはその傾向が多分にある。また各供述の間には喰い違い
もあり、一方の供述にある事実が他方の供述にないとか各供述の確実性を疑わしむ
るものあることは原判示のとおりであろう。しかし、共犯者の供述は枝葉末節に至
るまで符節を合するように合致するものではない、むしろその合致しないところに、
誰に教えられたのでもなく、また互にしめし合せているのでもないことがはつきり
し、その真実性を認めるの一助となるものである。被告人らの供述の場合において
もその例外ではない。右供述を仔細に検討すれば、A供述と一致する点が多々あり、
また各供述の間でも至極微妙な点で一致し、犯行の現場に赴いたものでなければ到
底語り得ないことをすらすらと述べていることに気付くであろう。しかも、語るに
落ちてDは「金を分けるときBが私達に若し分かつて警察へ行つても警察は山をか
けるから云わない様にせい。証拠があがらねばいいのである。検察庁や裁判所に行
けば無罪になるから、一日何んぼかで金が貰えるからというようなことを皆のもの
に云いました」云々といつているのである。これなど戦後の新しい裁判所の事情に
何程か通じているものの言であり、教えられたり、そそのかされたりして出てくる
発言とは到底認められない。むしろそれはBがAに対しテレンポレンの事を云うて
検察庁や裁判所を胡魔化さうという趣旨のことを云つたというAの供述と一脈相通
ずるところのものがあるものと考えるのである。以上を要するに被告人らの右供述
の推移は新鮮で生々しく、決して大筋を外れてはおらず、彼らか当夜参々伍々八海
橋附近に集合し、Aと同行して兇行現場に赴き、兇行に及んだことはAの供述と相
俟つて容易に看取できるものと認められるのである。ところで原審は被告人らの右
供述は警察当局の拷問によるもので、任意性を欠き証拠価値のない疑濃厚であると
云うのである。そしてその説明に数頁を割いているのである。ここで銘記して貰い
度いことは、最高裁判所の差戻判決が拷問強制、欺罔等により任意性を欠くものと
は認められないと判示し、しかも、原審が被告人らの右供述が任意性を欠くと判断
した資料を大体斟酌しての判断なのである。勿論、右差戻判決の判断は原審をその
まま拘束するものではないであろう。しかし差戻判決は任意性の点を、原判決破棄
の理由とはしていないのである。しからば下級裁判所としては、最高裁判所の右判
断を一応尊重することこそそのあるべき態度ではなかろうか。その点はともあれ、
原審は被告人らの犯行に関する供述はこれを冗々しいまでの説明で信憑できないと
云つていながら、事任意性の点になると物的証拠や証言を示してはいるが、被告人
らの訴言を何んの疑をも差し挾まず容れているのである。その何の故なるやを解す
るに苦しむ。原判決は次の如く云うのである。「そこで原審並びに当審で取り調べ
た証拠によつて検討をする。証人Fpの証言当審証人Fq、同CEyの各証言昭和
二六年一月二九日平生署において係官が撮影したCの写真及びその上衣を綜合すれ
ば、Cは一月二八日平生警察署に出頭し、同署に留置されている間に着用していた
上衣が何らかの原因により破損したので、二月三日岩国少年刑務所に廻される前に
監視に当つていたFpに依頼し、右上衣を宅下げした事実を認めることができる。
この事実にCの供述を参照すると、同人の供述するとおりの拷問があつたとは認め
難いにしても、少くとも刑事の取調過程において上衣が破損したという事実は否定
し得ないように思われる。次に証人Fq及当審証人Frの証言によれば、Bは勾留
されていた岩国少年刑務所で担当弁護人Fqに拷問の事実を訴え、且つそのため鼻
血が出て着用していた上衣に血がついていた現物を示したこと、同弁護人はBより
示された上衣に付着しているものが血痕であると判断し、原審一回公判で右上衣に
付着している血痕がBのものであることの鑑定を請求したが採用されなかつたもの
であること及びその頃Bは同房者Frにも右と略同様のことを洩したことを各々認
め得る。以上の事実にBの供述を綜合すると、Bは警官より取り調べを受ける過程
において鼻血を出して、それが着用していた上衣に付着したものと推定せざるを得
ない」という。 (この場合にもBの供述はそのまま信用しているのであるが、そ
れはそれとしてこのような推論の方法があるであろうか。)続いて原判決は「以上
説示した事柄に当審証人Fs、同Fqの各証言、原審証人Gbの証言を綜合し、更
に被告人らの各供述及びこれらの供述と勾留関係記録とによつて認められる、各被
告人が一度犯行を自白しながら、一月三〇日平生署において、検察官の取り調べ及
び裁判官の勾留尋問を受けた際、期せずして一様に犯行を否認し寃罪を訴えている
事実、しかも被告人らが本件のような重大事犯に関して、関係証拠に抵触すると推
測される事柄についても敢えて自己に不利益な供述をなしている事実を参照して考
察すれば、被告人らが強調するとおりの拷問があつたものとは認め難いにしても、
自白調書作成前の刑事等による下調べ段階において、犯行を否認する被告人らに対
し何らかの暴行をなし、或は夜間、程度を超えて尋問を継続し睡眠不足に陥らしめ
る等、有形無形の圧力を加え、これによつて被告人らをして心にもなく犯行を自白
させた疑いが濃厚である」と断定しているのである。(その根拠の薄弱さ論外であ
る。)そして、原判決は更に一方において「被告人らの自白供述は共同犯行を認め
てはいるものの、個々の具体的事実に関しては区々まちまちで統一を欠き、Aの供
述とも抵触する部分が数多く散見されるから自供調書を作成した担当警察官が自己
の推理或はAの自白内容をすべて強引に押しつけたと見ることはできない。されば
といつて、被告人らが自発的に各自白調書記載のような供述をなしたものと認め難
いことは既に述べたとおりである。それではなぜ右のような結果が現れたのであろ
うか、この点について被告人らは前掲拷問に関する供述に付加し一様に取調官によ
つて強制ないし誘導尋問がなされた旨供述しているのである」と云い、Eの公判に
おける供述とCの前上告審に提出した上告趣意書の記載とを引用した上更に「B、
Dの両名はE、Cの供述に比較しより一層強力な強制ないし誘導尋問を行われた旨
を訴えている。これらの供述ないしその記載を前段で記述した事情に照し合わせる
と、各被告人が共同犯行を一応自白するまでの段階において一様に強力な圧力が加
えられその後の個々の具体的事実に関する取調方法(特に誘導の方法、程度、巧拙
等)については担当係官の如何によつて個人差があつたものと推測できる。次に被
告人らの自白調書とAの警察調書とを比較検討してみると、被告人らの供述は相互
矛盾し且つAの供述にも抵触するとは云え、その根幹となる荒筋においては、Aの
供述に追随したと推測される形跡が顕著であり、一方においてAが警察において秘
匿し検察官に対し或は原審ではじめて自供した事実については被告人ら四名の各自
白調書に片言の記載をも発見できないのである。以上記述したところを綜合すれば、
被告人らの自白供述が変転し且相互にくい違い、又一方においてAの警察供述とも
抵触することは(中略)係官の取調方法特に圧力のかけ具合及び誘導の程度、巧拙
に関する個人差、被告人らのこれに対する応接の態度、性格の強弱等がからみあつ
た結果生じた現象と推測できる。そして被告人らの各自白調書が下調べ担当者とは
別異な係官によつて調査作成されたものであることは、被告人らの供述によつても
これを知るに十分であるが、同時に又該調書作成者による取り調べが、刑事等によ
る前掲不当な下調と殆んど時を接してなされたものであることも証拠上否定し得な
いところであるから、このような条件の下に作成された被告人らの自白調書はその
任意性について疑問なきを得ないというのである。」その叙述の曖昧にして晦渋な
るいつたい何を云わんとするか、補捉するにくるしむのであるが、要するところ、
独断的説明を合理化すべく苦しい弁明に終始していると思われるのである。しかも
その認定たるや自信のない推測の域を一歩も出ていないのである。この程度の叙述
では、被告人らの警察での自供が拷問、強制、誘導等によつて導き出されたもので
あるとか或はその疑があるものであるとは到底首肯し得られない。むしろ当審の判
断によると、右各供述の推移変遷が、如何にも自然的に発展し、各供述の間の喰い
違いも、またA供述との間の不一致も、むしろその供述の自由さを物語りこそすれ、
少しも無理を感ぜしめず、もし何らかの圧力が加えられたであろうならばもつと作
為的な供述があるであろうに、その形跡が認められないのである。されば、被告人
の各供述は原判決の云うように任意性を欠くとかその疑のあるものであるなどとは
到底認められないのである。それ故原判決の右説示はその理由において不備であつ
て、是認できない。
第五、K夫婦の死亡時刻、すなわち兇行時刻は、アリバイの成否を決定する上にお
いて、またA供述の信憑性の如何につながる問題としてこれを決定することは本件
において重大であることは、原判決指摘のとおりである。原判決は、被害者夫婦の
屍体解剖の結果、Ft、Fu、Fv三鑑定人の鑑定の結果によつて胃の内容物から
推理した結論に副つてこれを推論しようとする。その態度は不合理とは思わない。
原判決はFt鑑定書によれば、K夫婦が最終食事をした後死亡するまでの時間を約
三時間と推定する旨の記載があり、Fv鑑定書によれば、右の時間を三時間ないし
四時間と推定する旨の記載あり、直接解剖を担当したFu鑑定人の鑑定によれば、
K夫婦は夕食後二時間ないし四時間を経過した頃に殺されたことになり、三者を綜
合すれば、三時間の公算が最も多いものと認められるというのである。しかし右三
鑑定の受取り方、推論の過程には多大の疑なしとしない。まず、Ft鑑定について
であるがその鑑定書には判示のような明快な結論が記載されていない。同鑑定書を
仔細に検討すると、同鑑定は結論としてK夫婦の食後死亡までの時間は資料不足の
ため決定できず、但し、食後死亡までの経過時間は両人とも目覚めている普通の生
活様式で大体三時間前後であろうという程度の推定は可能であるというのである。
すなわち、右但書の場合だけが、大体三時間前後であろうと推定することが可能だ
というだけなのである。しかるに、原判決は、本件の場合が右但書のような具体的
条件の備つている場合かどうかという点については何ら言及していないので、ただ
漫然と右三時間とある点だけを捉えてFt鑑定書には云々の記載ありと云つている
のである。同鑑定書を十分に咀嚼していないものというの外はない。Ft鑑定書の
全文を熟読通覧すれば、同鑑定人は問題の点は結局結論し難しというのであつて、
これでは本屍体に対する疑問を解明するに足る資料とはなし難いのではないか。次
にFv鑑定についてであるが、原判決はFv鑑定書には前述のごとく前示時間を三
時間ないし四時間と推定する旨記載されていると判示しているのであるが、その判
示もFv鑑定を十分理解しているとは思われない。すなわち、Fv鑑定は次の如く
云う、屍体の胃内に停滞している食物の種類並びにその消化状況を基準としての死
亡時刻の判定は検索が杜撰に流れ易く結果については不確実のそしりを免れ難い。
けだし摂取した飲食物の消化器内における運命は諸種の条件によつて常に同一の経
過を辿るものではないからである。徒つて摂取した食物の消化管殊に胃内における
消化程度又はその他の胃の詳細なる所見を補えたといえどもその摂取後の経過時間
並びに摂取時刻の確実なる判定は不可能であるといつても過言ではない。胃の運動
は食物の種類、調理の方法、量等によつて同一でないのみならず個人の全身体的状
態、食後の身体の動静、殊に感情や気分に関するところが多い。このようないろい
ろな条件によつて摂取した食物の胃内の停滞時間は容易に判定し難い処といわざる
を得ないと前提した上(中略)、K夫婦はその死亡前三時間ないし四時間の頃に食
事をとつたものと推測されると云い、更に、原審における証言としてこの点を補足
し、その前提において胃内の消化状況に影響ある諸条件が不明であることを念頭に
おいて本件に対処すれば元来正確な経過時間を推測することは困難であると説示し
つつ、強いて推測すれば、死亡前三時間ないし四時間の頃と表現し得るであろうと
云つているのである。このような鑑定人の判断を原判示のように端的にFv鑑定書
には右の時間を三時間ないし四時間と推定する旨記載ありとして重要な事実認定の
資料に供し得るであろうか。鑑定資料の杜撰な受取り方と云うの外はない。それに
もまして疑問とするのは前示三鑑定人の鑑定の結果の綜合判断である。原判決はい
とも簡単に三者の鑑定を綜合すれば三時間の公算が最も多いものと認められると断
定しているのである。しかしFv鑑定によると三時間ないし四時間余と言つている
のであるから三時間でもあろうが四時間であるかもしれないしまたそれをオーバー
しているかもしれないのである。またFu鑑定によれば老夫婦は夕食後二時間ない
し四時間を経過した頃に殺されたというのであるから二時間後に殺されたかもしれ
ずまた四時間後に殺されたやもしれずその蓋然性は結局茫漠としているのである。
それを算術の計算のように三時間云々と割り切つて了うのは原審独自の想定以外の
何ものでもないと思われるのであつて、理由不備の違法を免れない。ところで以上
の三鑑定人の鑑定を通覧すれば、一見明瞭であるが右各鑑定はいずれもK夫婦の夕
食時刻殊に最終食事時刻を確定し得られるものとしての判断である。右食事時刻が
確定されなければ、右鑑定の如きは無価値に帰するものというの外はない。然るに
原判決は、食事時刻について当審証人Fw、同Gc、同Fxの各証言によればd部
落では本件発生の日時である一月二四日頃の厳寒時には一般に午後六時頃から七時
頃までの間に夕食をとり、特にKのような瓦製造業者は仕事の性質上早寝早起の傾
向があり、徒つて夕食も一般家庭より多少早目にとることが多いことを認め得べく、
又右Fwの証言によると、一月二四日K家に手伝いに行つた同女が、同日午後五時
過同家を辞去しようとした頃Aoが夕食の仕度にとりかかつていたことを首肯でき
る。そして一、二審を通じ何れの当事者からも右認定に反するような主張立証は少
しもなされなかつたのである。以上認定した事実関係を綜合すれば、K夫婦は同日
午後六時頃から七時頃までの間に夕食をとつたものと推認するのが相当であり、む
しろ六時頃に近い頃食事をした公算が多いものと考えられると判示している。しか
し夕食時刻などというものは各家庭を通じて必ずしも一定しているものではない。
d部落と雖も然りであろう。そのことは次の証拠によつて明確である。証人Fwは
「一月二四日頃にはだいたい私のあたりでは六時か六時半頃食べるがK宅でもその
頃ではないかと思うが私が夕方K方を帰る頃には夕食をされるのを見たことは一度
もないし、夕飯どきにK方へ行つたこともないので分らない」と云い、証人Fxは
「私方の夕食は瓦の製造をして夕方の後仕舞があるから毎晩決つたような時間では
なく六時から七時頃の間と思う、K方の食事は見たことも聞いたこともないのでわ
からない。私方では一、二月頃夕食は六時から六時半頃その日の仕事の後仕舞の都
合によつて一定しない。d部落では家によつて夕食時は一定していないと思う」と
言つているのである。しかも、仮にd部落の一般に判示のような夕食時刻の習慣が
あるとしても、各家庭によつてその時刻より早めの場合も、おくれる場合もあるで
あろう。K夫婦の場合は夕食について次のような特別な関係かあつたのてはないか
と思わしめる事情があるのである。すなわち記録によつて確認てきるのであるが、
Kは当日法事に呼ばれ正午頃から午後二時頃までに昼食をとつていた事実があり、
この事実からすればKらの夕食時刻はおのづから毎日の習慣よりもおくれたものと
認めるのが相当であろう。また二四日午後六時半前後にK宅に来客があつたことが
窺われるのであつて、このことからも夕食の習慣が若干ずれたであろうことは容易
に推測されるのである。またKは当日前示法事に列席し法事の席上に出された料理
の食べ残りや土産物を貰つて帰りこれを帰宅后夫婦で食べたことも記録上明らかで
あるから、この事実からしても平素の夕食時刻がずれたこともたやすく推測し得ら
れるのであり、更にKは本件発生の日以前から風邪の為め病臥し、瓦製造業には従
事せず、専ら療養の努めていたことをも記録上認められるのであるから、このこと
がKらの夕食時刻に影響なしとはしないであろう。然るに原判決は叙上特別な事情
には何ら考慮を払わず、まん然とK夫婦は同日午後六時頃から七時頃までの間に夕
食をとつたものと推認するのが相当であり、むしろ六時近い頃に食事をなした公算
が多いものと考えると断定しているのは速断と言うの外はない。況んや死亡時刻す
なわち兇行時刻を屍体の胃部状況から知らんと欲するならば、夕食時刻も大事には
違いないが、最終食事時刻が何どきであるかを確定することこそ最も肝腎な点であ
ると思われるのであるが、原判決はその点に付いて何ら言及していない。K夫婦の
場合夕食後何物も食べなかつたものと果して保障できるであろうか。KAo解剖の
結果によるとその胃の内容物の間に密柑があつたというのである。この事実などK
夫婦の夕食時刻のみによつてその死亡時刻を知ることの如何に困難であるかを物語
るものであろう。
 以上を要約して考うるに、原判決のK夫婦の夕食時刻に関する説示は、差戻判決
の疑点とした点を解明せんとする意図に出でたものてはあろうが、一方被告人らの
アリバイの成立を肯定した結論に影響されて判断を誤まつたものと思われるのであ
る。
 なお、当審としては原判決の言及している物的証拠の点、殊に兇行現場における
戸板に刺し跡の沢山ある点や被告人の誰れかが犯行の帰途川に物を捨てたという点
など言及すべき点が多々あるのを感ずるのであるが、上来説述し来つた処により本
事案における肝要な点における原判決の欠点は十分に指摘したものと考えられるの
で、爾余の点には触れないこととする。
 以上を大観して結論すると、原判決には叙上の諸点で審理不尽、理由不備の欠陥
があり、この欠陥は延いて原判決を破棄するのでなけれは著しく正義に反するもの
と認められる程の事実誤認を導き出しているものと考えるのである。
 よつて、刑訴四一一条一号、三号、四一三条本文に従い裁判官高木常七を除く、
その余の全裁判官一致の意見で主文のとおり判決する。
 裁判官高木常七の少数意見は、次のとおりである。
 本件は、Aの単独犯行とみるか、Bら本件各被告人とAの五人共犯とみるか、極
めて困難な事案である。このことは、本件差戻し判決前の一、二審判決、差戻しの
裁判をした当審第三小法廷の判決及び差戻し判決後の原審判決が、真実探究のため
にそれぞれ精根を尽したと思われるに拘らず、なおかつその観るところを異にし、
あるいは五人の共犯といい、あるいはAの単独犯行といい、あるいは、その何れと
もみえなくはないといい、帰一するところを知らない事実に徴しても明らかである。
 むろん、審理に顕出されたかずかずの証拠の中には、Bら五人の共犯と窺わしめ
るものなしとはしないが、また反対に、これを否定せしめるもの、たとえば、原判
決に挙示する如き多数の反証のあることを否むことはできない。いわば、右とみれ
ば右、左とみれば左、その何れとも容易に断定しがたいのが本件のもつ特質である。
 かかる事案において、原審が、五人共犯を疑わしとするならば格別、あまりにも
直截に、Aの単独犯行と割り切つてしまつたかの感がある点に、いささか釈然とし
得ないものがなくはないが、証拠の取捨判断及び事実の認定は、直接審理によつて
得べき心証に負うところが多く、しかも、それによつて得た微妙な心証は、筆紙に
尽して悉くこれを判決に現わし得ないのを常とするから、みずから事実の取調べを
なさず、専ら書面審理によつて事件の全貌を把握するしかない上告審としては、右
判決の過程において明らかに経験則の違反ないし論理法則の違背があると認められ
ないかぎり、それを尊重するのが相当である。
 本件についてこれをみるのに、原審のした証拠の取捨判断及び事実認定は、挙示
の証拠関係に照らして首肯し得ないではなく、その取捨判断及び認定の過程におい
て、明らかに経験則ないし論理法則に違反するものがあるとも認められないから、
職権を発動して刑訴四一一条を適用すべき事案ではなく、従つて、本件上告は、棄
却するのを相当と思料される。
 検察官村上朝一、田中萬一、稲川龍雄公判出席
  昭和三七年五月一九日
     最高裁判所第一小法廷
         裁判長裁判官    下 飯 坂   潤   夫
            裁判官    齋   藤   悠   輔
            裁判官    入   江   俊   郎
            裁判官    高   木   常   七
(写真三葉並びに検察官上告趣意書省略)

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