弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


戻る

平成12年(行ケ)第336号審決取消請求事件
平成14年3月5日口頭弁論終結
判決
  原      告   三菱電機株式会社
原      告   日石三菱株式会社
   原      告   日本グリース株式会社
原      告   株式会社中善
原告ら訴訟代理人弁護士籏進
同   加藤倫子
同   鈴木誠
同   森田尚男
同弁理士      佐藤強
   原告ら訴訟復代理人弁護士
   安  達  実知子
  被      告   A
主文
 特許庁が平成11年審判第35137号事件について平成12年7月1
8日にした審決を取り消す。
 訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1 原告ら
 主文と同旨
2 被告
 原告らの請求を棄却する。
 訴訟費用は原告らの負担とする。
第2 当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯
 原告三菱電機株式会社(以下「原告三菱電機」という。),同日石三菱株式
会社(以下「原告日石三菱」という。),同日本グリース株式会社(以下「原告日
本グリース」という。)及び同株式会社中善(以下「原告中善」という。)は,発
明の名称を「放電加工液および放電加工法」とする特許第2723435号の特許
(平成4年11月30日出願,平成9年11月28日登録,以下「本件特許」とい
い,その発明を「本件発明」という。)の特許権を共有する者である。
 被告は,平成11年3月29日,本件特許を請求項1ないし4のいずれに関して
も無効とすることについて審判を請求した。特許庁は,これを平成11年審判第3
5137号事件として審判した結果,平成12年7月18日,「特許第27234
35号発明の明細書の請求項1乃至請求項4に記載された発明についての特許を無
効とする。」との審決をし,平成12年8月9日にその謄本を原告らに送達した。
2 特許請求の範囲
「[請求項1]40℃での動粘度が1.0~3.0mm

/sの低粘度油と,4
0℃で固体の数平均分子量400~1200のテルペン樹脂および/または40℃
で固体の数平均分子量400~1200の石油樹脂とからなり,樹脂成分が0.5
~20重量%含まれてなる放電加工液。
[請求項2]40℃での動粘度が3.0mm

/sを越え25mm

/sまでの
中粘度油を1~15重量%含んでいる請求項1記載の放電加工液。
[請求項3]JIS K 2242に基づく冷却性能試験法において,液温3
0℃で測定したときの特性温度が500℃以上で,800℃から200℃に至る冷
却時間が7.0秒以下である請求項1または2記載の放電加工液。
[請求項4]請求項1,2または3記載の放電加工液の存在下に,被加工物と
加工用電極との間に放電を生ぜしめ,被加工物を加工する放電加工法。」
3 審決の理由
 審決の理由は,別紙審決書の写しのとおりである。要するに,本件発明の共
同出願人の一人である原告中善は,同発明の発明者の一人である被告から,特許を
受ける権利についての被告の持分(以下「被告持分」という。)の譲渡を受けてい
なかった,とした上,これを前提に,本件特許は,その特許が発明者でない者であ
ってその発明について特許を受ける権利を承継しないものの特許出願に対してされ
たとき(特許法123条1項6号)に該当するから,無効とされるべきである,と
するものである。
第3 原告ら主張の審決取消事由の要点
 審決は,原告中善が被告(請求人)から被告持分の譲渡を受けたか否かにつ
き,「本件においては,勤務規則その他の定が存在せず,特許を受ける権利につい
て請求人の譲渡の意思を推認できる明白な事情を認定できず,また,譲渡証書も作
成されていないだけでなく,中善において職務発明は無償かつ当然に中善に帰属す
るものであるとの意思が明白であり,特許法が職務発明について規定している法条
の趣意に悖るこのような場合についてまで請求人と中善との間に特許を受ける権利
の譲渡についての合意があったとすることはできない。」(審決書12頁26行~3
2行)と認定判断をした。審決の上記認定判断は誤りであり,結論に影響を及ぼす
ことが明らかであるから,審決は取り消されなければならない。
1 「特許を受ける権利について請求人の譲渡の意思を推認できる明白な事情を
認定でき」ないとの認定の誤り
(1)「請求人は,本件発明の出願に当たって,発明者が請求人で,出願人が中
善であると自ら記載した乙第3号証に示す発明者及び出願人のリストを特許事務所
に渡していること」(審決書11頁18行~21行)は,審判段階以来,当事者間
に争いがない事実である。
(2)これをより具体的にいうと,次のとおりである。
 被告は,本件発明につき共同で特許出願するに当たって,原告三菱電機関係につ
いては,同原告を出願人,その従業員であるB及びCを発明者とし,原告日石三菱
関係については,同原告(正確には,三菱石油株式会社である。同社は,平成11
年4月23日に同原告に吸収合併された。)を出願人,その従業員であるD及びE
を発明者とし,原告中善関係については,同原告を出願人,その従業員であった被
告を発明者とする内容の文言の記載された文書(以下「被告起案文書」という。)
を,自分自身が作成して,ファックスで原告日本グリースに送付した。
 原告らは,本件出願を委任した朝日奈特許事務所から,出願人及び発明者をだれ
にするかについて問合せを受けたので,原告らそれぞれの内部で出願人及び発明者
を確定した上,まず,被告が,上記のとおり,原告三菱電機,同日石三菱,同中善
の関係で出願人及び発明者を記載した被告起案文書を作成し,これを原告日本グリ
ースの名古屋支店にファックスで送付し,これが同所から原告日本グリースの技術
研究所にファックスで送付され,原告日本グリースの担当者が,これに同原告関係
の出願人及び発明者を記入して完成し(以下「甲第13号証文書」という。),完
成した甲第13号証文書を朝日奈特許事務所に送付した。
(3)甲第13号証文書は,その記載内容からして,これが作成されたころ,若
しくは,それ以前の時期において,本件発明に係る特許を受ける権利が,発明者で
あるB(原告三菱電機),C(同),D(原告日石三菱),E(同),F(原告日
本グリース),G(同),被告(原告中善)から,原告三菱電機,同日石三菱,同
日本グリース及び同中善に譲渡されていることを証明する書面であることが明らか
である。したがって,原告中善の従業員であった被告が,原告中善に被告持分を譲
渡していないということはあり得ないことである。
(4)審決は,甲第13号証文書が存在するにもかかわらず,「請求人は発明完
成時,出願時又は登録時のいずれにおいても本件発明について対価の支払を受けて
おらず,これに対して請求人が不満を抱いていたであろうことは忖度するに難くな
い。請求人は,使用者である中善と自分との間に存在する立場上の大きな力関係の
下,在職中その地位・立場を危うくしてまで本意に沿った行動をとることができな
かったとみるのが相当であ」(審決書11頁25行~31行)るとし,これを根拠
に被告の譲渡の意思を否定している。
 しかしながら,審決自体が,「少なくとも,請求人が取締役を退任した平成7年
9月30日まで,中善が出願人であることを不満とする請求人の行動はなかったこ
とだけをみると,請求人は特許を受ける権利の譲渡について了承していたかのよう
にみえる。」(審決書11頁21行~24行)と述べているように,被告には,本
件出願について,少なくとも,平成7年9月30日に原告中善を退職するまで,同
原告が出願人であることを不満とする行動はなかったのであり,出願当時,被告が
本件発明に係る特許を受ける権利を譲渡することを了承していたことは明らかであ
る。審決の認定は,失当である。
2 「譲渡証書も作成されていない」ことを被告持分が移転していない根拠とし
た誤り
(1)特許法は,譲渡証書を作成することを,特許を受ける権利の譲渡が有効に
行われるための要件としていない。
 審決は,「いうまでもなく譲渡証書とは,契約等の法律行為による権利の移転を
証する書面であり,特許を受ける権利の譲渡に当たっても譲渡契約の成立を明らか
にするためには是非とも必要なものであって出願要件ではないとか会社と従業員と
の間にも信頼関係があるとかを理由として作成しなくてもよいというような性質の
ものではない。」(12頁16行~20行)などと述べているが,明らかに失当で
ある。
 特許庁は,昭和40年9月16日通商産業省令第95号により改正される前の特
許法施行規則5号の下で,出願人が特許出願をするに際し,願書に譲渡証書を添付
することを義務付けていた。上記改正の後,出願人は,譲渡証書を添付する義務が
なくなったものの,一部の大手企業が引き続いて譲渡証書を添付していたので,特
許庁は,弁理士に対し,任意に提出することを禁止する旨通知した。以後,特許事
務所においては,特許庁の意向に従って,依頼人に譲渡証書の作成を要求すること
をやめ,譲渡証書に注意を払わなくなった。本件発明についても,原告らから出願
の委任を受けた朝日奈特許事務所は,甲第13号証文書によって,本件発明に係る
特許を受ける権利の移転に関する発明者と出願人との合意ができているものと判断
したのである(ちなみに,後記の原発明,第1発明,第2発明についての出願は,
原告三菱電機の社内弁理士によってなされたものである。)。
(2)後述する放電加工液ダイヤモンドEDF-Kの共同開発の過程でなされた
特許出願(特願昭61-1538,特願昭62-2209,特願平4-28012
3,特願平4-320263(本件発明)。前3者を順に「原発明」,「第1発
明」,「第2発明」という。),による4件の特許出願とその後の特許取得の経緯
をまとめると次のとおりである。
(ア)原発明(甲第16号証参照)
発明の名称放電加工液
出願昭和61年1月8日(特願昭61-1538)
出願人原告三菱電機,同日本グリース,同中善
発明者H(原告三菱電機),F(原告日本グリース),G
(同),被告(原告中善)
譲渡証書作成昭和62年1月20日
(イ)第1発明(甲第18号の1証参照)
発明の名称放電加工液及び放電加工方法
出願昭和62年1月8日(特願昭62-2209)
公開昭和62年12月2日(特開昭62-277220)
出願人原告三菱電機,同日本グリース,同中善
発明者H(原告三菱電機),F(原告日本グリース),G
(同),被告(原告中善)
設定登録平成8年6月10日(第2060887号)
譲渡証書作成昭和62年1月20日頃
備考原発明に基づく国内優先権主張
(ウ)第2発明(甲第25号証参照)
発明の名称放電加工液及び放電加工方法
分割出願平成4年10月19日(特願平4-280123)
出願公開平成5年11月22日(特開平5-309527)
出願人原告三菱電機,原告日本グリース,原告中善
発明者H(原告三菱電機),F(原告日本グリース)G(同),
被告(原告中善)
設定登録平成8年9月19日(第2563736号)
譲渡証書作成昭和62年1月20日頃
備考第1発明の分割出願
(エ)本件発明(甲第1号証参照)
発明の名称放電加工液および放電加工法
出願平成4年11月30日(特願平4-320263)
出願公開平成6年6月3日(特開平6-155165)
出願人原告三菱電機,原告日石三菱,原告日本グリース,原告
中善
発明者B(原告三菱電機),C(同),D(原告日石三菱),
E(同),F(原告日本グリース),G(同),被告(原告中善)
設定登録平成9年11月28日(第2723435号)
(3)上記4件の発明は,いずれも,原告日石三菱が販売する放電加工液ダイヤ
モンドEDF-Kの開発の経過においてなされたものである。上記のとおり,第1
発明は,原発明に基づく優先権主張を伴った特許出願であり,第2発明は,第1発
明の一部を分割出願したものであり,本件発明は,第2発明とほぼ同時期に,更に
改良を加えたものを特許出願したものである。
 設定登録を受けた第1発明,第2発明及び本件発明は,それらの特許の特許請求
の範囲において,いずれも,べースオイルとなる低粘度の油に添加物を加えたもの
であること,所定の冷却特性を有すること,において共通の特徴を有している。上
記3件の発明は,いずれも,原告日本グリースの有する熱処理油の技術に基づいて
いるものである。
 第1発明及び第2発明に係る譲渡証書は,昭和61年12月ころ,後日の証拠と
するために,同時に作成された。第1発明と第2発明の譲渡の時期が同時であるの
は,第2発明は第1発明の分割出願だからである。本件発明について出願の委任を
受けた朝日奈特許事務所は,甲第13号証文書によって,本件発明に係る特許を受
ける権利の移転に関する発明者と出願人との合意ができているものと判断し,それ
以上に,譲渡証書を作成することまではしなかったのである。
 このような一連の開発のプロセスに鑑みれば,第1発明と第2発明については,
被告から原告中善に,被告の有する特許を受ける権利の持分が譲渡されているの
に,本件発明についてのみは,特許を受ける権利の持分(被告持分)が譲渡されて
いない,などということは,あり得ないことというべきである。
3 「中善において職務発明は無償かつ当然に中善に帰属するものであるとの意
思が明白であり,特許法が職務発明について規定している法条の趣意に悖るこのよ
うな場合についてまで請求人と中善との間に特許を受ける権利の譲渡についての合
意があったとすることはできない。」(審決書12頁28行~32行)との認定の
誤り
 審決は,「中善において職務発明は無償かつ当然に中善に帰属するものであると
の意思が明白であり,」と認定した上,使用者が従業員の職務発明は無償かつ当然
に会社に帰属するものであるとの意思を有することは特許法が職務発明について規
定している法意にもとるとして,これを,被告持分の譲渡を否定する根拠の一つと
している。しかし,このような認定は,明らかに失当である。
 職務発明において,使用者等は,発明者に対し,「職務発明をするに至った
行為」を職務として与えるとともに,その職務を遂行するのに必要な設備・資材・
費用(給与も含む)を提供することによって,発明の完成に多大の貢献をしている
のである。また,従業者等は,企業において多くの知識及び技能を体得することが
でき,これが発明完成への重要な助けとなっているのである。したがって,職務発
明について使用者等の果たす役割には,極めて大きいものがある。そこで,特許法
35条3項は,「従業者等は,契約,勤務規則その他の定めにより,職務発明につ
いて使用者等に特許を受ける権利若しくは特許権を承継させ,又は使用者等のため
専用実施権を設定したときは,相当の対価の支払を受ける権利を有する。」と定め
て,勤務規則その他の定めによって,一方的に特許を受ける権利を会社に移転する
ことを認める一方で,対価を支払わせることにしているのである。特許法は,対価
を払わないとされている場合には譲渡が無効となる,と定めているわけではなく,
むしろ,職務発明について特許を受ける権利を契約その他によって譲渡したときに
は,相当の対価の支払を受ける権利を有すると定めて(特許法35条
3項),無償で譲渡されるものとされているとき,あるいは,対価が定められなか
ったときについても,発明者である従業員に相当の対価の支払を受ける権利を保障
することにしているのである。これは,会社と従業員との力関係によって職務発明
を無償で譲渡することが強要されることもあり得ることを考えて,従業員である発
明者を金銭給付という形で保護する旨を定めるものである。
 そうである以上,対価が支払われないとされている場合においては,対価の支払
をなさしめることによってこそ利害の調整が図られるべきである。審決のように,
特許を受ける権利の譲渡そのものを認めないことにするという形でこの問題を解決
しようとすることは,特許法の趣旨と相容れないものというべきである。
4 被告の,本件発明が職務発明であることを否定する主張に対する反論
 被告は,本件発明が職務発明であることを争っている。しかし,審決が認定
しているとおり,本件発明は,被告にとって正しく職務発明である。被告は,原告
三菱電機から依頼を受け,原告中善の担当者として放電加工液の開発に従事してい
たものであり,原告中善に勤務規則がないこと,技術担当者である旨の職名がない
こと,発明に対する待遇と報酬がないことによって,本件発明に係る放電加工液の
開発が被告の職務内容となることが否定されるものではない。
第4 被告の反論の要点
 審決の認定判断は,正当であり,審決を取り消すべき理由はない。
1 原告らの主張1(「特許を受ける権利について請求人の譲渡の意思を推認で
きる明白な事情を認定でき」ないとの認定の誤り)について
(1)特許を受ける権利は,これを譲渡するに当たって,必ず譲渡証書が作成さ
れなければならないものである。本件発明については,被告から原告中善に対し
て,被告持分を譲渡したことを示す譲渡証書が作成されていないから,被告は,原
告中善に対して,被告持分を譲渡したことにならない。
 原告らは,甲第13号証文書が譲渡証書であるとしている。しかし,甲第13号
証文書は,被告が,原告日本グリースに送信した被告起案文書の写しに原告日本グ
リースが書き足したメモにすぎないものであって,譲渡証書ではない。しかも,譲
渡を示す譲渡証書は,原本でなければならないのに,原告らが審判段階及び訴訟段
階で提出した甲第13号証文書に記載されている被告記載部分は,原本でなく,写
しにすぎない。
 譲渡証書であるためには,そこに,当事者の譲渡の意思が示されていなければな
らない。ところが,上記のとおり,甲第13号証文書は,被告が記入したものの写
しに,他人が勝手に追加して記入したものであり,いい加減なものであるから,単
なるメモにすぎないものであって,このようなものが譲渡証書であるはずがない。
しかも,甲第13号証文書をみても,他人の文章が挿入されていて,何を意味して
いるのか不明確となっており,被告がいかなる合意の下で被告持分を譲渡したのか
全く明らかでない。
(2)被告は,平成4年11月2日,原告中善の取締役直売部長に就任した。し
かし,その際,被告は,原告中善から,取締役直売部長就任について,これといっ
た説明を受けていない。被告は,潤滑油の販売担当専門職として長年にわたり,驚
異的な販売実績を達成してきたので,原告日石三菱や同中善に対する多大の成果の
ゆえに取締役に就任することになったものと思われる。少なくとも,被告は,本件
発明をした対価として取締役に就任したとは,一切聞いていない。
(3)本件発明は,松脂を添加することを要点とするものである。特許請求の範
囲は,各発明者による実験と提案によるものであるものの,松脂を添加するとの部
分は,被告のアイデアによるものである。
 原告日本グリースのFは,その陳述書(甲第38号証)において,熱処理油の技
術を応用するに当たって樹脂を加えるという考え方について,同人が提案したもの
である,と述べているけれども,その陳述は,誤っている。
 原告三菱電機は,放電加工液の激烈な販売競争で苦戦を強いられ,次世代加工液
を早急に開発しなければならない状況に置かれており,このような状況の下で,原
告中善は,この原告三菱電機の販売戦略の一環に組み込まれていた。このようなと
きに,被告は,Iに,松脂を添加する,松脂を添加するのであれば他社の特許に抵触
しないというアイデアを提案し,これが基となって,原告日石三菱,同三菱電機,
同日本グリースにおいて本件発明を完成させ,次世代加工液の開発を実現したので
ある。
2 原告らの主張2(「譲渡証書も作成されていない」ことを被告持分が移転し
ていない根拠とした誤り)について
(1)特許を受ける権利を譲渡するに当たって,必ず,譲渡証書が作成されなけ
ればならないことは,前述したとおりである。
 原告らは,特許法は,特許を受ける権利の譲渡について譲渡証書を作成すること
を要件としていない,と主張する。しかし,この主張は,特許法35条の理念を正
しく理解していないものである。
 特許庁が,昭和40年の特許法の改正以来,特許出願の際,譲渡証書の添付を省
略すべきものとしていたことは事実である。しかし,必要が生じた場合にはその提
出をすべきことが義務付けられていたのであり,このことは,本件において,審判
段階での審尋によって,原告らが譲渡証書の提出を求められたことからも明らかで
ある。
(2)被告が,第1発明,第2発明についての譲渡証書を,その意思に基づいて
作成したことは認める。
3 原告らの主張3(「中善において職務発明は無償かつ当然に中善に帰属する
ものであるとの意思が明白であり,特許法が職務発明について規定している法条の
趣意に悖るこのような場合についてまで請求人と中善との間に特許を受ける権利の
譲渡についての合意があったとすることはできない」との認定の誤り)について
 原告中善は,被告に対し,本件発明に係る被告持分の譲渡手続を要求せず,
いわば,被告を無視していた。被告は,本件発明に係る被告持分の譲渡を了承して
いたわけではなかった。被告は,原告中善の態度を理不尽に思い,一連の特許出願
に基づいて設定登録がなされたあかつきには,解雇をも覚悟の上で,被告の正当な
権利を主張し,原告中善と協議を図るつもりであった。しかし,幸か不幸か,被告
が原告中善に在職していた間には設定登録がなされず,第1発明,第2発明,本件
発明のいずれについても,設定登録がなされたのは退職後であった。そこで,被告
は,平成7年9月30日の退職後,このような不自然な状況を改善するために,平
成9年1月,是正措置をするように申入れを行なったものの,受け入れられなかっ
た。原告中善には,社員の発明は,すべて当然に無償で会社に帰属するという意思
がうかがわれる。
 審決の認定に誤りはない。
4 本件発明が職務発明でないこと
 原告中善の主たる業務は,石油製品の販売である。被告は,本件発明を完成
した当時,原告中善の技術担当者ではなく純粋な販売担当者であり,直売課長であ
った。被告の業務は,原告中善の主たる業務である石油製品の販売であり,燃料油
のほか,特に工業用潤滑油の販売をしていた。発明をなす業務とは関係のない販売
担当者のした行為であるから,職務発明とはいえない。
第5 当裁判所の判断
1 原告らの主張1(「特許を受ける権利について請求人の譲渡の意思を推認で
きる明白な事情を認定でき」ないとの認定の誤り)について
(1)甲第13号証によれば,次の記載がある文書(甲第13号証文書)が存在
することが認められる。
(ア)上端の欄外には,「92年11月9日 15時08分;日本グリース株
式会社名古屋支店 技術研究所殿」,「技術研究所,I主幹研究員殿←名古屋支店 
EDF-K改良品特許出願人及び発明者(樹脂配合品の特許申請)」との記載があ
る。
(イ)原告三菱電機,同日石三菱,同中善関係の特許出願人及び発明者欄に
は,
「1,三菱電機関係
出願人東京都千代田区<以下略> 三菱電機株式会社 J
発明者・・・B,C
 2,三菱石油関係
出願人東京都港区<以下略> 三菱石油株式会社 K
発明者・・・D
・・・E
 3,中善関係
出願人名古屋市<以下略> 株式会社中善 L
発明者・・・A」
との記載がある。
(ウ)原告日本グリースの特許出願人及び発明者欄には,
「4 日本グリース(株)
出願人大阪市<以下略> M
発明者・・・F
発明者・・・G」
との記載がある。
(2)甲第13号証文書の,原告三菱電機,同日石三菱(三菱石油),同中善関
係の出願人及び発明者の各欄に係る(イ)の部分を,被告自身が作成して,これを原告
日本グリース名古屋支店にファックスで送付したことは,当事者間に争いがない。
(3)甲第13ないし15,32号証,弁論の全趣旨によれば,次の事実が認め
られる。
① 原告中善は,放電加工液ダイヤモンドEDF-Kの共同開発において,
共同開発に当たる会社の間で行われる会議の設定などの諸事務を担当しており,そ
の際,原告中善の社員であった被告が,上記事務のほか,必要に応じて技術上の関
与をし,さらに,原告中善の特許関係の事務一切を担当していた。
② 原告らは,本件発明についての特許出願を委任した朝日奈特許事務所か
ら,出願人及び発明者をだれとするかについて問合せを受け,それぞれの内部で出
願人及び発明者を確定した上,まず,被告が,甲第13号証文書の上記(イ)の部分と
同一内容の文書を作成し(被告起案文書),これを,原告日本グリース名古屋支店宛
てにファックスで送付した。
③ 原告日本グリース名古屋支店は,これを同社技術研究所にファックスで
送付し,その間に,原告日本グリースは,上記(ア)及び(ウ)の部分を作成した後,朝
日奈特許事務所に送付した。これが甲第13号証文書である。
④ 朝日奈特許事務所は,上記のとおりにして作成された甲第13号証文書
を基に,明細書案を作成した上,平成4年11月25日,これを原告日本グリース
に送付し,不備な点,不明な点を指摘し,検討して各社の意見をとりまとめて欲し
い旨伝えた。
⑤ 朝日奈特許事務所は,原告らからの回答を受けて,平成4年11月30
日,特許出願した。
(4)上記認定の事実によれば,被告は,本件発明に係る特許関係の原告中善の
事務の担当者として,明確な被告自身の意思に基づいて,出願人を原告中善,発明
者を被告とするという記載を含め,上記内容の被告起案文書を作成したことが明ら
かであるから,被告は,同文書を作成して原告日本グリース名古屋支店にファック
スで送付した時点で,原告中善が出願人である,逆にいえば,被告は発明者の一人
ではあるものの出願人ではなくなっているとの態度を,外部に向かって明確にして
いたことが明らかである。
 そうだとすれば,反対の結論に導く特別の事情が認められない限り,被告による
上記行為までの間に,被告から原告中善へ被告持分の譲渡が行われたとするのが,
合理的な事実認定の方法であるというべきである。ところが,上記特別の事情に該
当するものは,本件全証拠を検討しても見出すことができない。
(5)被告は,特許を受ける権利を譲渡するに当たって,必ず,譲渡証書が作成
されなければならないものである,本件発明については,被告から原告中善に対し
て,被告持分を譲渡したことを示す譲渡証書が作成されていないから,被告は,原
告中善に対して,被告持分を譲渡したことにならない,と主張する。
 しかしながら,特許を受ける権利を譲渡するに当たっては必ず譲渡証書が作成さ
れなければならない,というわけのものではないことは,後述するとおりである。
 被告は,特許を受ける権利を譲渡するに当たっては必ず譲渡証書が作成されなけ
ればならない,ということを前提に,縷々主張するけれども,前提において既に誤
っており,採用できない。
 なお,仮に,被告の主張するとおり,被告が原告中善に被告持分を譲渡していな
いとすれば,被告は,自分が発明者の一人であり,原告中善に被告持分を譲渡して
いないにもかかわらず,敢えて,事実に反する被告起案文書を作成して,原告らに
無効となるべき特許の出願をさせ,このようにしてなされた特許につき,原告中善
を退職した後に,これを無効とすべきであるとの審判を請求しているということに
なる。もしそうであるとするならば,被告の行為を全体としてみた場合,とりわけ
原告中善以外の原告らとの関係において,著しく信義に反するものといわざるを得
ないのである。
(6)審決は,被告による被告起案文書の作成とその送付(ファックスによる送
付)という上記事実が存在するにもかかわらず,「請求人は発明完成時,出願時又
は登録時のいずれにおいても本件発明について対価の支払を受けておらず,これに
対して請求人が不満を抱いていたであろうことは忖度するに難くない。請求人は,
使用者である中善と自分との間に存在する立場上の大きな力関係の下,在職中その
地位・立場を危うくしてまで本意に沿った行動をとることができなかったとみるの
が相当であ」(審決書11頁25行~31行)るとし,これを根拠に被告の譲渡の
意思を否定している。
 しかしながら,仮に,被告が本件発明について対価を受けておらず,これ
に対して不満を抱いていたとしても,前述したとおり,被告は,被告起案文書の作
成とその送付をもって,本件発明に係る被告持分を原告中善に譲渡したことを明ら
かにしているのであり,このような強い証明力を有する事実による推認が,これに
より覆されるものでないことは,論ずるまでもないところというべきである。
2 原告らの主張2(「譲渡証書も作成されていない」ことを被告持分が移転し
ていない根拠とした誤り)について,
(1)一般に,権利の譲渡は,譲渡人と譲受人間の合意のみで効力を生じるのが
原則である。特許法も,その33条1項で,「特許を受ける権利は,移転すること
ができる。」と定めるだけであり,特許を受ける権利の譲渡を上記原則の例外とは
していないことが明らかである。
 したがって,「譲渡証書も作成されていない」ことは,被告持分が移転していな
い根拠にはなり得ない。
 審決は,「いうまでもなく譲渡証書とは,契約等の法律行為による権利の移転を
証する書面であり,特許を受ける権利の譲渡に当たっても譲渡契約の成立を明らか
にするためには是非とも必要なものであって出願要件ではないとか会社と従業員と
の間にも信頼関係があるとかを理由として作成しなくてもよいというような性質の
ものではない。」(12頁16行~20行)と述べている。しかしながら,上述し
たとおり,一般に,譲渡契約においては,当事者間の合意のみで権利移転の効果を
生じるのであり,譲渡証書が作成されなければ権利移転が生じないというわけでも
なければ,譲渡証書以外に契約の成立を裏付ける資料はあり得ないというわけでも
ない。譲渡証書は,その意味で,権利移転を裏付ける,多くの場合有力ではあるも
のの,結局のところ一つの資料であるにすぎず,それ以上に出るものではない。審
決は,根本的な誤りを犯している。
(2)被告は,特許法施行規則5条が,「特許庁長官は,特許を受ける権利を承
継した者の特許出願について必要があると認めるときは,その権利の承継を証明す
る書面の提出を命ずることができる。」と規定していることをもって,特許を受け
る権利を譲渡するに当たって,必ず,譲渡証書が作成されなければならない,と考
えているようである。
 しかしながら,同条は,上記のとおり,「権利の承継を証明する書面」の提出を
求めることができると規定しているだけであって,その書面に格別の制限を加える
旨は規定していないから,特許を受ける権利の譲渡行為自体について,書面による
合意という,いわゆる要式行為を要求しているものではなく,権利の譲渡の合意が
あり,特許を受ける権利を承継したことを証明するに足りる書面があればよい,と
しているものと解するのが当然である。したがって,権利の譲渡の合意に当たっ
て,譲渡人と譲受人が何らの書面をも作成していないとしても,後に,例えば,譲
渡人が,特許を受ける権利を譲受人に譲渡したことを確認する書面を作成すれば,
これも「権利の承継を証明する書面」となり得るのである。
 被告の主張は,採用できない。
(3)前述したところによれば,甲第13号証文書は,本件発明の出願手続を進
めている過程で発明者及び出願人自身の関与によって作成されたものであるから,
特許法施行規則5条にいう「権利の承継を証明する書面」としての証拠価値は非常
に高いものということができる。
 いずれにせよ,審決が「譲渡証書も作成されていない」ことを被告持分が移転し
ていない根拠としたことには,明らかな誤りがある。
3 原告らの主張3(「中善において職務発明は無償かつ当然に中善に帰属する
ものであるとの意思が明白であり,特許法が職務発明について規定している法条の
趣意に悖るこのような場合についてまで請求人(被告)と中善との間に特許を受け
る権利の譲渡についての合意があったとすることはできない」との認定の誤り)に
ついて
 審決は,原告中善の態度をもって,「特許法が職務発明について規定してい
る法条の趣意に悖る」とし,このことを直ちに,特許を受ける権利の譲渡の合意の
否定と結び付けている。
 しかしながら,特許を受ける権利の譲渡の合意の有無は,事実認定の問題であっ
て,譲受人である原告中善の,職務発明についての態度のいかんによって,左右さ
れるべき事柄ではない。
 審決のいわんとするところが,たとい譲渡の合意が認められたとしても,「職務
発明は無償かつ当然に中善に帰属するものであるとの意思が明白」な原告中善に
は,法律上,権利は移転しないものとして処理するのが,職務発明についての特許
法の規定の趣旨である,ということであるとしても,失当である。特許法35条3
項が,職務発明については,「勤務規則その他の定めにより,」,すなわち,従業
者等の意思に反してでも,権利を使用者等に承継させ得るものとしていることなど
に照らせば,上記のような場合には,譲渡の効力を否定することによってではな
く,原告中善に相当の対価を支払わせることによって両者の利害を調整しようとし
ているとみるのが,合理的であるからである。
 いずれにせよ,審決は,事実認定の問題に,職務発明における使用者と従業者の
利害の調整の問題を誤った形で持ち込んでいるのであって,失当である。
4 本件発明が職務発明でないとの被告の主張について
 被告は,本件発明を完成した当時,技術担当者ではなく純粋な販売担当者で
あり,直売課長であった,被告の業務は,原告中善の主たる業務である石油製品の
販売であり,燃料油のほか,特に工業用潤滑油の販売をしていた,発明をなす業務
とは関係のない販売担当者のした行為であるから,職務発明とはいえない,と主張
する。
 しかしながら,そもそも,本件において問題となるのは,被告から原告中善
に被告持分が譲渡されたと認められるか否かであり,この点についての前記判断の
結論が,本件発明が被告にとって職務発明であるか否かによって,影響を受けるこ
とはあり得ない。この意味で,被告の主張は主張自体失当という以外にないもので
ある。
5 結論
 以上によれば,審決の取消しを求める原告らの請求は,理由がある。そこ
で,これを認容することとし,訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条,民事
訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。
東京高等裁判所第6民事部
 
  裁判長裁判官山  下  和  明
 裁判官宍  戸     充
 裁判官阿  部  正  幸

戻る



採用情報


弁護士 求人 採用
弁護士募集(経験者 司法修習生)
激動の時代に
今後の弁護士業界はどうなっていくのでしょうか。 もはや、東京では弁護士が過剰であり、すでに仕事がない弁護士が多数います。
ベテランで優秀な弁護士も、営業が苦手な先生は食べていけない、そういう時代が既に到来しています。
「コツコツ真面目に仕事をすれば、お客が来る。」といった考え方は残念ながら通用しません。
仕事がない弁護士は無力です。
弁護士は仕事がなければ経験もできず、能力も発揮できないからです。
ではどうしたらよいのでしょうか。
答えは、弁護士業もサービス業であるという原点に立ち返ることです。
我々は、クライアントの信頼に応えることが最重要と考え、そのために努力していきたいと思います。 弁護士数の増加、市民のニーズの多様化に応えるべく、従来の法律事務所と違ったアプローチを模索しております。
今まで培ったノウハウを共有し、さらなる発展をともに目指したいと思います。
興味がおありの弁護士の方、司法修習生の方、お気軽にご連絡下さい。 事務所を見学頂き、ゆっくりお話ししましょう。

応募資格
司法修習生
すでに経験を有する弁護士
なお、地方での勤務を希望する先生も歓迎します。
また、勤務弁護士ではなく、経費共同も可能です。

学歴、年齢、性別、成績等で評価はしません。
従いまして、司法試験での成績、司法研修所での成績等の書類は不要です。

詳細は、面談の上、決定させてください。

独立支援
独立を考えている弁護士を支援します。
条件は以下のとおりです。
お気軽にお問い合わせ下さい。
◎1年目の経費無料(場所代、コピー代、ファックス代等)
◎秘書等の支援可能
◎事務所の名称は自由に選択可能
◎業務に関する質問等可能
◎事務所事件の共同受任可

応募方法
メールまたはお電話でご連絡ください。
残り応募人数(2019年5月1日現在)
採用は2名
独立支援は3名

連絡先
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所 採用担当宛
email:[email protected]

71期修習生 72期修習生 求人
修習生の事務所訪問歓迎しております。

ITJではアルバイトを募集しております。
職種 事務職
時給 当社規定による
勤務地 〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
その他 明るく楽しい職場です。
シフトは週40時間以上
ロースクール生歓迎
経験不問です。

応募方法
写真付きの履歴書を以下の住所までお送り下さい。
履歴書の返送はいたしませんのであしからずご了承下さい。
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所
[email protected]
採用担当宛