弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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主文
被告人を懲役4年に処する。
未決勾留日数中70日を刑に算入する。
理由
(犯罪事実)
第1被告人は,平成15年5月10日午前4時ころ,現に人が住居として使用せ
ず,かつ,現に人がいない山口県柳井市大字a(現柳井市a)字bc番地d所
在のA所有の木造トタン葺平家建て倉庫に放火しようと考え,同倉庫内におい
て,同所に置いてあったかますに所携のライターで点火して放火し,これを同
倉庫等に燃え移らせ,よって,同倉庫等(床面積約186.9平方メートル)
を全焼させて焼損した。
第2被告人は,前記日時ころ,Bが現に住居として使用している同市大字a(現
同市a)字be番地所在の自己所有の木造瓦葺平家建て建物に放火しようと考
え,同建物北側付近において,同所に置いてあった樹脂袋の中の木ぎれに所携
のライターで点火して放火しこれを同建物に燃え移らせよって同建物床,,,(
面積約283平方メートル)を全焼させて焼損した。
第3被告人は,前記日時ころ,現に人が住居として使用せず,かつ,現に人がい
ない同市大字a(現同市a)字bf番地g所在のC所有の木造瓦葺平家建て倉
庫に放火しようと考え,同倉庫西側付近において,同所に置いてあった布きれ
様の物に所携のライターで点火して放火し,これを同倉庫に燃え移らせ,よっ
て,同倉庫(床面積約64.3平方メートル)を全焼させて焼損した。
なお,被告人は,本件各犯行当時,心神耗弱の状態にあったものである。
(弁護人の主張に対する判断)
1弁護人は,本件各犯行当時被告人は是非弁別能力及びそれに従って行動する能
力を著しく欠く状態,すなわち心神耗弱の状態にあった旨主張するので,以下検
討する。
2まず,検察官が提出した2通の鑑定書の内容は次のようなものである。
医師D作成の鑑定書(甲84)は,本件各犯行当時の被告人の精神状態は,も
うろう状態にあったため,是非弁別能力及びそれに従って行動する能力は強く障
,,,害されていたがなお完全に失われてはいなかったとしておりその根拠として
被告人は犯行時の状態について覚えがない,半信半疑などの供述を一貫して行っ
ており,これはもうろう状態の際起こる健忘といわれる状態であるところ,被告
人は,本件各犯行当時重症のうつ病に罹患しており,不安焦燥状態が極期に達し
ていたのであり,このような激しい不安焦燥が心因性のもうろう状態をもたらし
たと推測され,また,統制の弱まった時点で衝動行為を起こしやすいという性格
特性が犯行を助長した可能性もあり,さらに,軽い寝ぼけが生じて意識障害をさ
らに増悪させた可能性も否定できないなど,被告人には意識障害を起こしうる状
況がお互いに絡み合うように存在しており,その結果生じた意識障害下で衝動的
に火をつけてまわるという行為を繰り返したと考えられるとしている(以下「D
鑑定」という。。)
また,医師E作成の精神鑑定書(甲85)は,被告人を直接診察することなく
作成されたものであるが,捜査記録をもとにD鑑定の内容について検討した上,
被告人に真に健忘があるのであれば,本件各犯行当時,もうろう状態にあった可
能性はあり,その場合でも,記憶が断片的に残っていることなどから,是非善悪
を弁別し,それに従って行動を制御する能力はある程度障害されていたものの完
全には失われていなかったと思われる一方,仮にもうろう状態でなかったとすれ
ば,これらの能力は完全に保たれていたとしている(以下「E鑑定」という。。)
3検察官は,D鑑定については,被告人の犯行時の状況について覚えがない,半
信半疑などの供述が信用できることを前提として,もうろう状態の際に起こる健
忘といわれる状態があったとしているが,被告人の前記供述の真偽は精神医学的
にも確定できないから,D鑑定の結果を重視することはできず,むしろ,着火物
等の犯行時の状況について詳細に供述していることなどから,被告人が本件各犯
,。行時完全責任能力を有していたことは明白である旨主張するので以下検討する
(1)被告人の犯行前後の状況について
関係証拠(ただし,被告人の供述のみを根拠とする事実に関しては,供述の
変遷がないものに限る)によれば,次の事実が認められる(なお,以下ので。
,,,。)。きごと等は特に断りのない限りいずれも平成15年におけるものである
アB家は,A家との間では,その先祖が第二次世界大戦中の食糧の配給の関
係で戦後裁判沙汰になるなどのいさかいがあったが,最近では家族間の交流
もあり,少なくとも表向きは良好な関係であった。また,C家とは何らの対
立もなかった。
イ被告人は,農業経営の不振,コイン精米機事業の失敗等により,妻である
B名義のものも含めて約2500万円の借金を抱え,3月ころから自己破産
を検討していたが,家を手放すことや世間体を苦にし,破産申立てに踏み切
ることができず苦悩していた。
ウ被告人は,4月28日,山口県柳井市にあるF病院のG医師の診察を受け
た。この日が初診であった被告人は,G医師に対し「妻との夫婦喧嘩が絶,
えない「借金が重なり自転車操業状態である「農機具が故障して農。」,。」,
作業が進まないそれらのことを考えるといらいらして眠れない夜。」,「。」,「
寝ても,午前3時ころには新聞配達のバイクの音等で目が覚めてしまうこと
が続き,最近三,四か月は,午前1時ころには目が覚めて,その後は眠れな
い状態が続いている」などと訴えた。G医師は,不眠症とうつ病であり,。
うつ病については軽度に近い中程度の状態であると診断し,被告人に対し,
抗うつ剤と睡眠薬10日分を処方した。しかし,被告人は,処方された睡眠
薬を飲んでもあまり眠れず,抗うつ剤の効果も乏しかった。
エ被告人は,本件各犯行前日の5月9日の夜,近隣のH方を訪れ,同人に対
し,自治会長を代わってくれと頼み,理由を尋ねられたのに対し「もうで,
きん,頭がおかしい。うちは破産じゃけー「コイン精米機を4台設置し。」,
。。。」たが全部赤字だ精米機は1台400万円する借金が今2000万円ある
などと答えた。
オ被告人は,本件各犯行以前には,A方倉庫には入ったことがなかった。
カ被告人は,本件各犯行の翌日である5月11日午前10時前ころ,被告人
の作業場の事務所において,見舞いに訪れた知人のI及びBに対し,突然,
「わしは今から警察に行こうと思っている。なぜやったのか分からないが,
わしがやったと思う。死のうと思っちょったが久しぶりにあんたの声を聞い
て警察に行こうと思った」と,落ち着いた真剣な様子で話した。そして,。
Bに対し「お前には苦労をかけたのお。お前には迷惑かけたのお。お前元,
気でやれの」と言い残して事務所を出て警察に行った。被告人は自車で柳。
,,「。」井警察署に赴き同行したIから奥さんに何か伝えることはないですか
と言われたのに対し「元気でやってくれと言ってくれ」と言った。,。
キ被告人は,同日午前10時ころ,柳井警察署を訪れ,同署員に対し「自,
分がやったかもしれない,自首に来た」旨申し立てたため,同署において。
被告人の取調べが行われた。取調べにおいて,被告人は「わしがやっぱり,
やったんじゃないかと思って来た」などと供述したが,警察官の「どのよ。
うにやったのか」との問いに対し「覚えていない,思い出せない」と供。,。
述し,その後,昼食を挟んで午後6時40分まで行われた取調べの間,終始
取調べには応じる言動をしつつも,本件各犯行の状況については「思い出せ
ません「本当にやったんじゃろうか」などという供述を繰り返した。。」,。
ク被告人は,6月24日,本件放火により逮捕され取調べを受け,7月10
日から8月11日まで鑑定留置された後,不起訴処分を受けたが,遅くとも
平成16年6月8日より前に,検察審査会で議決がなされた。
(2)被告人の本件各犯行についての供述内容について
ア関係証拠によれば,被告人は,7月10日に鑑定留置されるまでの間,次
のとおりの供述をしていたことが認められる。
(ア)被告人は,本件各犯行の前日ころ,近隣のH方に行き,被告人が居住
していたa字b地区の自治会長の交代を頼んだことがあった。
(イ)被告人は,A方倉庫及び自宅に対する放火につき,犯行を認めるとと
もに,A方倉庫については,入口近くの角の部分に,むしろで作った袋
であるかますがだいたい10枚くらい,1メートル20センチくらいの
高さに置かれてあり,その下側に,かがみ込んだ状態で,持っていた百
円ライターで1か所だけ火をつけ,火が立ち上ったのを見届けて同所を
出た,自宅については,木ぎれを入れたPP袋(ナイロン製の袋)が1
0個くらい,高さ1.5メートルくらいに積み重ねてあり,その一番下
あたりの1つに火をつけたなどと,放火の具体的な態様について供述を
した(乙6ないし8。これに対し,C方倉庫への放火については,7)
月8日の検証(甲74ないし76)以前の取調べにおいては,放火して
いるのは間違いないように思うが,この時の光景がよく思い出せない旨
供述し(乙9,同検証後の取調べにおいて,一番初めにA方倉庫に放)
火したことを思い出したことを供述し(乙10,検証に行って現場を)
見て「あー,ここにあった布きれに火を付けたんだ」と思い出したと,。
して,具体的な供述を始め,各放火の具体的な態様についても,図を描
くなどして以前よりさらに詳細な供述をするに至った(乙12。)
(ウ)被告人は,本件各犯行以前にA方倉庫には入ったことがなく,本件各
犯行直前に自宅から屋外へ出て,A方へ行くまでの状況,同方から自宅
に戻るまでの状況,その後C方へ赴いた状況については,前記・のとお
り,検証の際,A方から被告人方へ向かう際に通った道のことを思い出
したこと,これによって,A方倉庫に一番始めに放火したことを思い出
したほかには,それ以上に具体的な供述をしておらず,自宅で便所に行
ったことと本件各犯行との先後関係等についても,それが放火する前な
のか後なのかについてはよく思い出せない旨供述した。
(エ)動機を含めた本件各犯行に至る心理状態については,被告人は,次
のような供述をした。
a借金については直接の原因ではない。仕事が上手くいかなかった,イ
,,ライラして眠ることもできなかった煙草を吸ってもうまくなかったし
何とかしてこのいらだちを形に出そうとして,うっ憤晴らしという気持
ちだった(乙3)。
bA方への放火については,悪い感情もあったかも知れないが,自宅に
放火したときと同じように,どうにもならないいらだちから衝動的にな
って,うっ憤晴らしのために放火している(乙6)。
c農作業がはかどらないことや借金,自己破産のことで,イライラした
状態が続いて布団の中に入っていても寝付かれず,どうしようもない気
持ちになり,こうなったら放火してうっ憤を晴らそう,そうしたら少し
は気持ちが収まるかも知れないと思い,放火することを決めて布団から
出た(乙9)。
d私方倉庫に火をつけようと思ったのは,Aさん方に火をつけたすぐ後
位だったように思う。その当時どういう思いであったかは良く思い出せ
ないが,今考えてみると,もうどうにでもなれ,という自暴自棄的な気
持ちと,もうAさん方も燃やしたんだという気持ちから,もっと燃やし
てうっ憤を晴らそうという思いから,私方倉庫も燃やそうとしたものと
思う(中略)なぜC方倉庫まで火をつけようと思ったかについては,。
,,,むしゃくしゃしていたそしてAさん方や私方に火をつけたついでに
といった気持ちだったと思う(乙10)。
,,,e多額の借金自己破産を考えたこと稲作が捗らないことの不安から
いつもイライラした気持ちが続いて気持ちもふさぎ,夜も眠れない状態
になった(中略)そんな中,5月10日の午前4時ころに,眠りたく。
ても心配で眠れない,気持ちがふさぎ込んでどうしようもない,どうに
かしてそのうっ憤を晴らせないか,という思いになったとき,近所の家
の倉庫にでも放火したら,少しはうっ憤が晴れるかも知れないと思って
放火することを思い立った(中略)最初にA方に放火したのは,Aに。
対して良い感情を持っていなかったことから,パニックになってうっ憤
を晴らそうとした時に,まず同人方の倉庫に火をつけようと思っている
ものと思う(中略)私方倉庫に火をつけた理由は,Aさん方倉庫に火。
,,。をつけた後もうどうにでもなれという自暴自棄に陥ったためである
破産すれば自分の家ではなくなる,農業もうまくいかないという気持ち
もあった(中略)C方倉庫に火をつけた理由は,A方,私方倉庫に火。
をつけた後のことで,こうなったらもうついでにうっ憤晴らしのために
やってしまおうと思って放火している。今考えると本当にパニックにな
っていたと思う(乙11)。
イ被告人は,D医師が鑑定を行った際の面接の過程で,7月21日以前の段階
においては,以下のとおりの供述をした。
(ア)本件各犯行の前日,自治会長を代わってくれとH方に行ったかというこ
とは,覚えていない。
(イ)放火行為の具体的な態様について,半信半疑,うすうす覚えているなど
,,という留保を付しながらA方倉庫及び自宅に対する放火をした旨供述し
また,C方倉庫に対する放火行為についても,少しは記憶があったような
気もする旨述べ,本件各犯行につき,大変なことをした,大勢の人に迷惑
をかけて申し訳ないことをしたなどと供述した。
(ウ)本件各犯行直前に自宅から屋外へ出て,A方へ行くまでの状況,同方か
ら自宅に戻るまでの状況,その後C方へ行った状況,自宅で便所に行った
のと本件各犯行との先後関係等について,判らない,覚えていないなどと
供述した。
(エ)動機を含む本件各犯行に至る心理状態につき,眠れないので煙草でも吸
おうと思って外へ出たが,煙草を吸ったのかどうかは判らない,A宅にな
ぜ火をつける気になったか判らない,昔からの恨みがあったんじゃろうと
思っている,そうでもなけりゃ思い当たらない,その後自宅に火をつけた
のは,片方つけたから自分のところもと思ってしたのだろうと供述し,自
宅に放火した動機が保険金目当てであったかどうかという点については明
確に否定した。
ウなお,被告人は,D医師が鑑定を行った際の面接の過程で,7月22日以降
においては,本件各犯行につき,自分がやったのかやらないのか半信半疑の状
態である,考えていると自分がやったんじゃないと思う,自分がする理由がな
いなどと,犯行を否認する供述に転じた。
,,,エ被告人はD鑑定終了後の8月12日付け検察官調書においては一転して
本件各犯行を認める旨の供述をし,詳しい事情については既に警察で説明し,
調書に記載されているとおり間違いない旨供述した。
オ被告人は,前記(1)ク認定のとおり,本件各犯行につき一旦不起訴処分を
受けた後,検察審査会で議決がなされてから行われた検察官の取調べにおいて
は,以下のとおり供述した。
(ア)A方倉庫,自宅及びC方倉庫に対する放火の具体的な態様については,
ほぼ従前の取調べに際しての供述と同様の供述をしつつ,放火をしようと考
えて自宅を出てA方倉庫まで行く間のこと,そこで火をつけてから自宅に戻
るまでのこと,自宅からC方倉庫に行く間のこと,そこで火をつけてから自
宅に戻るまでの間のことについては,いずれもあまり覚えていない,火をつ
けた前後に自宅のトイレに入ったというのも確かな記憶ではないし,いつの
ことだったかも記憶にない旨供述した(乙16)。
(),。イ動機を含めた本件各犯行に至る心理状態については次のように供述した
イライラが募って,火をつけてうっ憤を晴らそうと思った。当初は,自宅
に火をつけようと考えたが,自宅だけに火をつければ,私が借金返済に困っ
ていたことから,すぐに私が疑われると考えた。そこで,以前トラブルもあ
ったA方倉庫にも火をつけた。もっとも,自宅とA方だけに火をつけてみる
と,Aとトラブルがあったことは部落の者もよく知っており,やはり,私が
疑われてしまうと考えて,C方にも火をつけて私への疑いをごまかそうと思
。,。,ったなぜ最初にA方倉庫に放火したのかについては覚えていないなお
自宅に放火した動機は保険金目当てではない(乙15,18)。
(ウ)捜査当初の心理状態については,次のように供述した。
捜査の当初は,処罰が怖くて正直に話すことができず,やっていないなど
とうそをついたが,何度か警察に呼ばれる間に全てを話してけじめを付けよ
うと考え,覚えていることを正直に話して供述調書(乙3)を作ってもらっ
た。その後逮捕されてからも動揺し,特に何の恨みもないC方に火をつけた
ことについては,全く言い訳もできないことであり,正直に話すことが辛か
ったことから,C方の件については覚えていないなどと言い訳をした。C方
に火をつけたのは覚えていたが,詳しいことを忘れていたことも事実だった
ので,すべて覚えていないかのように話したが,現場に行って大変なことを
したと後悔し,現場で思い出したことも多かったので詳しい話をして供述調
書(乙10ないし12)を作ってもらった(乙16)。
カ被告人は,公判においては,ライターで火をつけたこと,火をつけた場所な
ど,事件のことはだいたい覚えている,火をつけた理由については,いらいら
していたのだろうかどうだろうかと自分でも理解できず納得がいかない,ただ
し保険金目当ての犯行ではない旨供述している。
(3)検討
確かに,被告人は,前記(1)エのとおり,本件各犯行の前日にH方を訪れ
自治会長の交代を依頼しており,前記(2)ア(ア)のとおり,捜査官に対し
てはそのことを供述していたのに対し,同イ(ア)のとおり,D医師に対して
この点は覚えていないと供述し,同ア(エ)aのとおり,捜査官に対して,放
火直前にイライラして眠れなかったために煙草を吸ったがうまくなかったなど
と供述しながら,同イ(エ)のとおり,D医師に対しては煙草を吸ったかどう
かは判らないなどと供述したほか,前記(2)ア(イ,エ,オ(ア)のとお)
り,捜査官に対しては,放火の手段を具体的に供述しながら,同ウのとおり,
D医師には,一時,自分がやったんじゃないと思うなどと供述するなど,D医
師に対して記憶がないことを強調しすぎている面が窺われるほか,D鑑定によ
れば,ロールシャッハテストの際の検査態度では,自己の回答を覆す発言が見
られ,また,被告人の娘であるJは,D医師に対し,被告人は,都合が悪くな
るとわしは知らん,聞いとらんと言うのが常道である旨を説明していたことが
認められ,記憶がない旨の被告人の供述中には,信用し難い部分が存在するこ
とは事実である。
しかしながら,被告人は,前記(1)カ,キのとおり,Iに対し,突然,自
分がやったと思うから警察に行こうと思っている旨述べた上,実際に警察に出
頭していること,前記(2)ア(イ,イ(イ,エ,オ(ア)のとおり,被告))
人は,捜査官に対しても,D医師に対しても,本件各犯行当時イライラしてい
たこと,ライターを持って自宅を出たこと,被告人がA方倉庫,被告人宅及び
C宅に火をつけたことは認めているなど,自己の罪責を免れるために故意に記
憶がない旨を供述しているとまで断定し難い側面が多々見受けられる。
また,被告人は,前記(2)ア(ウ)のとおり,A方倉庫において検証を行
った際に,当日の光景を思い出したとして,同検証後に放火の順番等の具体的
な内容を供述するようになったことが認められるところ,前記(1)オのとお
り,被告人が本件各犯行前にA方倉庫の中に入ったことがなかったことを考慮
すれば,現場の生の光景に接してようやく記憶を喚起できたように感じること
があったとしても,あながち不自然とはいえない。
さらに,被告人は,前記(2)ア(エ)e,同イ(エ)のとおり,捜査官及
びD医師に対して,A方倉庫に火をつけた動機に関し,Aに対して良い感情を
持っていなかったことがその動機であるかのような供述をしたが,前記(1)
アのとおり,Aとの間で本件各犯行当時に深刻ないさかいがあったわけではな
いことや,この点に関する被告人の供述が「Aに対しては,それまでによい,
感情を持っていなかったことから,パニックになってうっ憤を晴らそうとした
,。」(),時にまずA方の倉庫に火をつけようと思っているものと思います乙11
「Aさんとは過去のわだかまりがあったので,私としてはすぐにAさんの家の
倉庫に火をつけて恨みを晴らしたいという気持ちになったのかも知れませんで
した(乙15,また,D医師の,なぜA宅かという問いに対して「昔から。」),
の恨みがあったんじゃろうと思っている。そうでもなけりゃ思い当たらん」。
などというものであったことを考慮すれば,A方とのいさかいがA方倉庫に対
する動機である旨の被告人の供述は,被告人が本件各犯行後の捜査段階におい
て本件各犯行を振り返り,後から推測して理由を付けたにすぎず,本件各犯行
当時の自己の心理状況を記憶喚起してなされたものではないのではないかとい
う疑いが生じ,D医師の鑑定書(甲84)によれば,被告人には,統制の弱ま
った時点で衝動行為を起こしやすいという性格特性が存在したことと併せ考慮
すれば,動機について思い出せないとする被告人の供述を,あながち信用する
ことができないとはいえないものと考えられる。
そうすると,被告人が現実に3件もの放火を実行するなど,もうろう状態で
あったと具体的に認定することには躊躇を感じさせるような事情が存在するも
のの,放火に至った経緯や,実際に火を放った後の行動経過等のうちの多くの
部分について,被告人に健忘があったのではないか,ひいては,少なくとも犯
行を決意して行動を開始した当初においては,もうろう状態にあったのではな
いかという合理的疑いを払拭することはできないといわざるを得ない。
したがって,検察官の前記主張は採用することができない。
,,,,4検察官はD鑑定は被告人が本件各犯行当時重症のうつ病に罹患しており
不安焦燥状態の極期にあり,こうした不安焦燥状態が心因性のもうろう状態をも
たらしたと推測しているが,前記3(1)ウのとおり,G医師は,被告人は軽度
に近い中程度のうつ病と診断していたにすぎないのであって,被告人には完全責
任能力があった旨主張する。
しかしながら,前記3(1)ウのとおり,G医師は,被告人からは「自転車,
操業状態である」と聞かされていただけで,自己破産をも検討しているとは聞。
かされた形跡がなく,また,妻との夫婦喧嘩や農機具の故障など,愚痴ともとれ
る訴えを並列的に聞かされているにすぎないこと,被告人は,G医師から抗うつ
剤を処方され服用していたにもかかわらず,その効果は乏しく,G医師の診察と
投薬を受けてから10日以上経った本件各犯行前日にも,前記3(1)エのとお
り,H方に赴いて自治会長の交代を頼み「もうできん,頭がおかしい。うちは,
破産じゃけー」などと訴えるなど,依然として強い不安焦燥状態にあったこと。
が窺われることを考慮すれば,G医師の前記診断よりは,うつ病の程度が進行し
ていたのではないかという合理的な疑いが生じる。
こうしたことに,前記3(1)イのとおり,被告人が,自己破産を検討せざる
,(),を得ないまでに経済的に追い込まれた状態にあったこと前記33のとおり
統制の弱まった時点で衝動行為を起こしやすいという性格特性や,前記3(1)
ウのとおり,G医師から睡眠薬を処方されるなど睡眠不足の状態にあったことを
考慮すれば,うつ病の進行により,これに関連する睡眠不足も相まって,不安焦
燥状態が心因性のもうろう状態をもたらしたのではないかという合理的疑いは残
るのであって,その限度で,D鑑定はあながち信用することができないとはいえ
ない。
したがって,検察官の主張は採用することができない。
5検察官は,①被告人が,犯行の細部はともかく,着火物等については詳細に供
述していること,②本件自宅以外の倉庫2件の放火の動機が「自己の犯行発覚を
防止するため」であったこと,③犯行時,就寝中のはずの妻を気遣い,妻を一旦
自宅から離れた場所まで避難させたこと,④犯行直後,付近住民に対し「どう,
にもならない」などと話したり,消火活動を手伝おうとしていたことなど被告人
が犯行結果の重大性を十分に認識していたこと,⑤避難時に,荷物を持って避難
していた妻に対し,荷物を捨てろと指示し,被告人一家が予め火事を予想してい
たと疑われる,すなわち犯人と疑われることを防止しようとしたこと,⑥現在で
は捜査当初覚えていない旨供述していた理由を「処罰をおそれ,また,無関係,
なCさんにも迷惑をかけたので正直に言えなかった」旨供述していることなど。
の諸事情にかんがみれば,被告人が,本件各犯行時,完全責任能力を有していた
ことは明白である旨主張する。
しかしながら,①の点については,捜査段階において,被告人が,本件各犯行
の着火物等につき詳細な供述をしていることは事実であるものの,被告人に,本
件各犯行当時の状況について部分的に健忘があったのではないかという合理的疑
いを払拭することができないのは,前記説示のとおりであり,火をつけた箇所や
火をつけた方法など,犯意が生じてしまった後の生々しい光景について鮮明に記
憶しているということと,犯意を生じさせ行動を開始した時点において,行動制
御能力に問題が生じていたということは両立するものと解される。②の点につい
ては,確かに,被告人は,前記3(2)オ(イ)のとおり,検察審査会で議決が
なされてから行われた検察官の取調べにおいて,当初は自宅に火をつけようと考
えたが,自分の家に火をつければ,私が借金返済に困っていたことから,すぐに
私が疑われると思ったので,A方倉庫にも火をつけようと思い,A方,次いで自
宅と火をつけたが,自宅とA方だけが燃えれば,Aといざこざのあった私が疑わ
れるかも知れないという思いが強くなったので,C方にも火をつけて私への疑い
をごまかそうと思った旨供述しているものの,前記3(2)ア(エ,イ(エ,))
エのとおり,かかる動機は,不起訴処分以前の捜査段階においては一切述べられ
ず,検察審査会で議決がなされてから行われた検察官の取調べにおいて初めて述
べられているものであるところ,この供述の変遷について,納得のできる理由は
見当たらないことに照らせば,本件自宅以外の倉庫2件の放火の動機が「自己の
犯行発覚を防止するため」という明確な目的に導かれたものであったのかどうか
については疑問を差し挟む余地がある。また,③ないし⑤の点については,被告
人が本件各犯行の一部については詳細に記憶し供述していることに加え,前記D
鑑定においても,本件各犯行直後に被告人が自宅に戻った段階ではもうろう状態
は終了していたとされていることからすれば,本件各犯行後において③ないし⑤
のような行動が見られたからといって,被告人が本件各犯行当時に心神耗弱状態
にあったという合理的疑いが否定されることはないというべきである。⑥の点に
ついては,確かに,被告人は,捜査当初の心理状態について,検察官調書(乙1
)()(),,()6において前記32オウのとおり述べているがその一方で同ア
のとおり,同じ検察官調書において,本件各犯行の経緯の一部について,覚えて
いない旨明確に供述しているのであるから,この点によっても,被告人に本件各
犯行当時部分的に健忘があったのではないかという合理的疑いは否定されない。
したがって,検察官の主張は,採用することができない。
6もっとも,前記3(2)ア(イ,同イ(イ,同オ(ア)のとおり,被告人))
が,捜査段階を通じて,ほぼ一貫して,A方倉庫及び自宅に対する放火の具体的
な態様について詳細に記憶し,供述していることにかんがみれば,被告人は,本
件各犯行当時,心神喪失状態にまでは至っていなかったと認められる。
7なお,E鑑定についてみると,同鑑定は,被告人を直接診察することなく,捜
査記録等の書面のみを鑑定資料として行われたものであって,その判断の信用性
には,同鑑定においても述べられているとおり限界があるといわざるを得ない。
しかしながら,同鑑定も,被告人の覚えていないなどの供述が真実である場合,
被告人がもうろう状態にあった可能性も,それ以外の可能性もある,仮に被告人
にもうろう状態が存在していたとすれば,記憶は断片的には残っており,火をつ
けたことそのものは覚えていることなどから,是非善悪を弁別し,それに従って
行動を制御する能力はある程度障害されていたものの,完全には失われていなか
ったというものであり,D鑑定と矛盾するものではないし,被告人に健忘があっ
たのではないかという合理的疑いを払拭することができないという前提に立つ限
り,当裁判所の結論と符合するものであるといえる。
8以上のとおりであるから,被告人は,本件各犯行当時,心神耗弱の状態にあっ
たとの合理的疑いが払拭できないのであって,心神耗弱でないことは検察官の立
証責任に属することを踏まえれば,弁護人の主張のとおり,被告人は,本件各犯
行当時,心神耗弱の状態にあったと認定せざるを得ない。
(量刑の事情)
1本件は,被告人が,近隣の2軒の倉庫等非現住建造物(判示第1及び第3の犯
)()。行及び現住建造物である自宅判示第2の犯行に放火したという事案である
2犯行態様は,いずれも所携のライターを用い,短時間のうちに3回にわたり,
次々と,近接した木造建物に対し,燃え易い媒介物を見つけてこれに点火し,各
建物に燃え移らせるという危険なものである。被害建物はいずれも全焼し,焼損
面積は起訴されたものだけでも合計534.2平方メートルに及んでいる。犯行
時刻は未明であり,判示第2の現住建造物である自宅には妻が就寝しており,そ
の他の非現住建造物についても,被害者らが就寝していた居宅と隣接しており,
判示第1の犯行においては,現実に居住に供されていた居宅に延焼したことが窺
われることを考慮すれば,人的被害が生じる危険が高かったもので,被害者らに
与えた恐怖は大きい。また,本件各犯行現場は田園地帯であるが,付近には他の
住宅も存在していたのであり,平穏な田園地帯において敢行された突然の凶行に
,。,より近隣住民に与えた社会的不安も大きかった被告人方を除く財産的被害は
倉庫等及びその所蔵物の合計で400万円を超えている。さらに,判示第2の犯
行により全焼した被告人の自宅は現在に至るまで放置されており,その残骸によ
り近隣住民に財産的被害を生じさせている。被害者らには,何らの落ち度も見当
たらないのであり,各被害者のうち,判示第1及び第3の犯行の被害者らの被害
感情は,当然ながら,厳しいものである。しかるに,被告人自身は何らの被害弁
償を行っていない。
3他方,前記のとおり,本件各犯行は,心神耗弱の状態での犯行であること,い
ずれも偶発的犯行であること,幸いにして人的被害は生じなかったこと,判示第
3の犯行の被害建物である倉庫については250万円の火災保険金が支払われる
見込みであり,また,判示第1及び第3の延焼家屋についても火災保険金が支払
われ,あるいは支払われる見込みであること,被告人は,本件各犯行について反
省の態度を示し,大変なことをして申し訳ない旨述べるとともに,年金から可能
な範囲で被害弁償を行う旨,また,前記のとおり放置されている自宅の残骸につ
いても妻と2人で解体作業を行う旨誓っていること,被告人の妻及び娘が情状証
,,,人として出廷し今後の監督と被害弁償等の努力を誓っていること被告人には
昭和42年の業務上過失傷害による罰金前科以外には前科・前歴ともないこと,
判決言渡し時の年齢は73歳であることなどの被告人にとって有利な,あるいは
酌むべき事情も認められる。
4これらの事情を総合考慮して,主文の刑を量定した。
(求刑懲役6年)
平成17年4月21日
山口地方裁判所岩国支部
裁判長裁判官和久田斉
裁判官山下美和子
裁判官大村泰平

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