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主文
原判決を破棄する。
本件控訴を棄却する。
理由
第1上告趣意に対する判断
弁護人浦崎寛泰,同南川学の上告趣意のうち,憲法39条違反をいう点は,検察
官の上訴は同一の犯罪について重ねて刑事上の責任を問うものでないから,前提を
欠き,その余は,憲法違反,判例違反をいう点を含め,実質は単なる法令違反,事
実誤認の主張であって,刑訴法405条の上告理由に当たらない。
第2職権判断
所論に鑑み職権をもって調査すると,原判決は,刑訴法411条1号により破棄
を免れない。その理由は,以下のとおりである。
1本件公訴事実の要旨及び本件審理の概要
本件公訴事実の要旨は,「被告人は,氏名不詳者らと共謀の上,営利の目的で,
平成21年11月1日,マレーシア所在のクアラルンプール国際空港において,成
田国際空港行きの航空機に搭乗する際,覚せい剤998.79gをビニール袋3袋
に小分けした上,缶3個にそれぞれ収納し,これらをボストンバッグ(以下「本件
バッグ」という。)に隠して,機内預託手荷物として預けて航空機に積み込ませ,
同日,成田国際空港において,本件バッグを航空機から機外に搬出させて,覚せい
剤取締法違反である覚せい剤の輸入行為を行い,さらに,空港内の税関の旅具検査
場において,税関職員による検査を受けた際,覚せい剤を携帯している事実を申告
しないで税関検査場を通過して輸入しようとしたが,職員に覚せい剤を発見された
ため,関税法違反である覚せい剤の輸入行為は,その目的を遂げなかった。」とい
うものである。本件については,裁判員の参加する合議体が審理し,第1審は,被
告人には缶の中に覚せい剤を含む違法薬物(以下単に「違法薬物」という。)が隠
されていることの認識が認められず,犯罪の証明がないとして無罪を言い渡した
が,控訴審は,第1審判決に事実誤認があるとしてこれを破棄し,有罪を言い渡し
た。
2本件の事実関係
原判決の認定及び記録によれば,本件の事実関係は以下のとおりである。
(1)被告人は,平成21年11月1日,クアラルンプール国際空港(マレーシ
ア)から成田国際空港行きの航空機に搭乗し,本件バッグを機内預託手荷物として
預け,航空機に積み込ませた。被告人は,成田国際空港に到着した後,本件バッグ
を受領し,これを携帯して成田税関支署の職員による税関検査を受けた。
(2)被告人は,携帯品・別送品申告書の「他人から預かった物」を申告する欄
に「いいえ」と記載し,税関職員から覚せい剤などの持込禁止物件の写真を示され
てそれらを持っているかどうかを尋ねられた際もこれを否定した。
(3)税関職員は,被告人の所持品のうち,まず免税袋を検査し,チョコレート
2缶とたばこのカートンが入っていることを確認したが,特に不審な点は発見され
ず,引き続き,本件バッグの検査を行い,チョコレート3缶(以下「本件チョコレ
ート缶」という。)や黒色ビニールの包みが入っていることを確認した。税関職員
は,先に検査した免税袋に入っていたチョコレート缶と比べると,本件チョコレー
ト缶は,同程度の大きさであるのに明らかに重いと感じ,免税袋に入っていたチョ
コレート缶と本件チョコレート缶を持ち比べ,重さの違いからチョコレート以外の
何かが入っているのではないかと考えたため,被告人に本件チョコレート缶につい
てエックス線検査を行うことの了解を求めた(なお,本件チョコレート缶は,いず
れも横27㎝,縦20㎝,高さ4㎝の同種の平らな缶であり,各缶の蓋と本体の缶
の周囲が粘着セロハンテープで留められていた。各缶の裏面には380gのチョコ
レートが入っている旨が表示されているが,約334gから約350gの覚せい剤
がチョコレートのトレーの下に隠匿されていたため,缶の重量を合わせると約10
56gから約1071gであった。)。
被告人は,直ちに検査を承諾し,本件チョコレート缶に対するエックス線検査が
行われた。なお,エックス線検査は,検査室の外にあるエックス線検査装置で行わ
れ,被告人は検査室で待っていたため,エックス線検査には立ち会っていない。
(4)税関職員は,エックス線検査を行い,本件チョコレート缶の底の部分にい
ずれも黒い影が映し出されたことを確認し,検査室に戻り,被告人に対し,エック
ス線検査の結果については伝えずに被告人がこれらのチョコレート缶を自分で購入
したのかどうかを尋ねたところ,被告人は,「ああそれは,きのう向こうで人から
もらったものだよ。」と返答した。
税関職員は,被告人に対し,当初は預り物やもらい物がないと申告したのではな
いかと尋ねたが,被告人から返答はなく,「それではどのような人にもらったの
か,日本人ですか。」と質問したところ,被告人は,「イラン人らしき人です。」
と答えた。これらの問答の後,税関職員は,被告人に荷物に関する確認票を作成さ
せた上で,被告人にどれが預かってきたものであるのかを尋ね,被告人は,本件チ
ョコレート缶,黒色ビニールの包み,菓子数点を申告した。
税関職員は,被告人に黒色ビニールの包みを開けるよう求めたが,被告人が企業
秘密の書類だからと答えてこれを拒否したため,本件チョコレート缶について,
「エックス線検査をした結果,底の部分に影がありますので確認させていただきた
い。」とエックス線検査の結果を説明した上で,缶を開けることの承諾を求めた。
被告人が承諾したので,税関職員が被告人の面前で缶を開けたところ,本件チョコ
レート缶3缶全部から白色結晶が発見された。
(5)税関職員は,被告人に対し,「これはなんだと思うか。」と白色結晶につ
いて質問したところ,被告人は,「薬かな,麻薬って粉だよね,何だろうね,見た
目から覚せい剤じゃねえの。」と答えた。税関職員は,再び黒色ビニールの包みに
ついて被告人に開披を求め,その同意を得てこれを開けると,中には名義人の異な
る5通の外国の旅券が入っており,そのうち3通は偽造旅券であった。
その後,税関職員は,白色結晶の検査をして覚せい剤であることを確認し,被告
人を逮捕した。
(6)被告人は,逮捕された直後は,本件チョコレート缶について,マレーシア
で知らない外国人から日本に持って行くように頼まれたと述べていたが,その後
は,日本国内にいるナスールという人物から,30万円の報酬を約束され,航空運
賃等を負担してもらった上で偽造旅券を日本に密輸することを依頼され,マレーシ
アでジミーという人物から旅券を受け取った際にナスールへの土産として本件チョ
コレート缶を持って行くよう頼まれたと述べるようになり,次いで,日本で旧知の
カラミ・ダボットから被告人が送金を受けていることについて説明を求められた後
に,ナスールから頼まれたのではなく,カラミ・ダボットに頼まれ,ジミーから偽
造旅券を受け取り,ダボットに渡した上でナスールに渡すことが予定されていた旨
述べた。なお,本件当時,カラミ・ダボットは,本件とは別の覚せい剤輸入事件の
共犯者として大阪地方裁判所に起訴され,第1審で無罪判決を受けた後,検察官控
訴により大阪高等裁判所で審理を受けている状況にあった。被告人は,こうした訴
訟経緯をカラミ・ダボットから聞かされていた。
3審理の経過及び第1,2審判決
(1)本件においては,本件チョコレート缶を本邦に持ち込む時点において,そ
の缶の中に覚せい剤が入っていることを被告人が認識していたか否か(以下「被告
人の覚せい剤の認識」という。)が争われた。
検察官は,上記の検挙の経過等を立証し,本件犯行の態様や被告人の税関検査で
の言動,被告人の弁解状況などを被告人の覚せい剤の認識を推認させる間接事実で
ある旨指摘し,これらを総合すれば,被告人の覚せい剤の認識が認められる旨主張
した。
これに対し,被告人は,マレーシアに渡航したのは偽造旅券の輸入を依頼された
ためであり,マレーシアでチョコレート缶を受け取った際,一旦は,その中に違法
薬物が隠されているのではないかという一抹の不安を感じたが,その後,外見上異
常がないことを確認して不安が払拭されたため,税関検査を受けるまで本件チョコ
レート缶の中に違法薬物が入っているとは思っていなかった旨の弁解をした。
(2)第1審判決は,被告人の覚せい剤の認識を裏付けるために検察官が主張し
た間接事実を6点に分類し,それが被告人の違法薬物の認識を裏付けるかについ
て,個別に検討している。
すなわち,第1審判決は,①被告人が本件チョコレート缶を自分で本件バッグに
入れて手荷物として日本に持ち込んだという間接事実については,本件チョコレー
ト缶の内容を外側から確認できず,外見的には開封等された様子がなかったことな
どを指摘し,この間接事実から,直ちに本件チョコレート缶に違法薬物が隠されて
いる事実が分かっていたはずであるとまではいえないとし,②被告人が30万円の
報酬を約束され,航空運賃等を負担してもらった上で,関係者に渡すために本件チ
ョコレート缶を持ち帰っているという間接事実については,被告人が偽造旅券の密
輸を依頼されていたと述べ,税関検査時に偽造旅券を所持していたことなどを指摘
し,この間接事実から委託物が違法薬物であると当然に分かったはずであるとまで
はいえないとし,③本件チョコレート缶が不自然に重いという間接事実について
は,被告人が本件チョコレート缶を他の缶と持ち比べる機会はなく,本件チョコレ
ート缶の重量感からチョコレート以外の物が隠されていると気付くはずであるとは
いえないとしている。
さらに,④被告人の税関検査時の言動に関しては,(ア)被告人が税関検査の際に
預り物はないと嘘をついたこと,(イ)被告人が本件チョコレート缶のエックス線検
査結果を知らされる前に,税関職員に対し他人から本件チョコレート缶をもらった
と述べたこと,(ウ)本件覚せい剤が発見された際等に被告人に狼狽していた様子が
うかがわれなかったこと,(エ)発見された白色結晶について税関職員が被告人に質
問したところ,被告人が「見た目から覚せい剤じゃねえの。」と発言していること
が間接事実として主張されたが,第1審判決は,(ア)については,被告人が厳密な
税関検査を受けることを煩わしく思って嘘をつくことはあり得るし,偽造旅券を所
持していたことから嘘をついたとも考えられるとし,(イ)については,被告人は本
件チョコレート缶を受け取った際に一旦はその中に違法薬物が隠されているのでは
ないかという一抹の不安を感じ,その後,外見上異常がないことを確認して不安が
払拭されたというのであり,エックス線検査を行っている状況に置かれた被告人が
再度不安を抱いて預り物であると正直に申告しようと考えたというのも十分に理解
でき,このような言動により,被告人が違法薬物の存在を知っていたとまで断言す
ることはできないとし,(ウ)については,動揺していることが表情等にどのように
表れるかは人によって大きく異なり,この間接事実から直ちに被告人が最初から違
法薬物の存在を知っていたとまではいえないとし,(エ)については,被告人がそれ
以前の調査の過程で覚せい剤のカラー写真を見せられていたことを指摘し,この間
接事実から,被告人が本件覚せい剤の存在を最初から知っていたとはいえないとし
ている。
また,⑤被告人が覚せい剤輸入事件で裁判中の者であるカラミ・ダボットらから
高額の報酬を約束され,渡航費用を負担してもらうなどして依頼を受けていたこと
や,⑥被告人の言い分が不自然であることも間接事実として主張された。第1審判
決は,⑤の点については,違法薬物との関わりが疑われている人物から高額の報酬
を約束されるなどして渡航し,日本国内の第三者に渡すように依頼されて本件チョ
コレート缶を受け取ったことは,被告人が本件チョコレート缶の中に違法薬物が入
っているかもしれないと考えていたことをうかがわせる事実といえると判示しつ
つ,⑥の点の検討に移り,本件チョコレート缶の中に違法薬物が入っているとは考
えていなかったと述べる被告人の弁解について,本件チョコレート缶は外見上異常
がなかったこと,被告人は,偽造旅券等の入った黒色ビニールの包みを税関職員等
の目に付きにくい本件バッグの底の方に入れていたにもかかわらず,本件チョコレ
ート缶は目に付きやすい本件バッグの最上部に横並びで収納していたこと,被告人
は,税関検査の際に上記の黒色ビニールの包みを開けるよう求められた際には,
「企業秘密だから。」などと述べて拒絶したにもかかわらず,本件チョコレート缶
のエックス線検査や開披検査を求められるや,直ちにこれを承諾したことなどを指
摘し,被告人の弁解が信用できないとはいえない旨判示して,被告人に無罪を言い
渡している。
(3)これに対し,検察官が控訴し,事実誤認を主張した。原判決は,被告人が
本件チョコレート缶を本邦に持ち込んだ経緯について供述を何度も変遷させてお
り,覚せい剤輸入事件で裁判中のカラミ・ダボットから委託されて渡航した事実を
隠そうとしていたことなどを指摘して,被告人の供述は信用し難いと判示し,さら
に,検察官の主張した各間接事実のうち,①②④⑤⑥などは,被告人に覚せい剤の
認識があったと認定する一つの証拠となり得ると判断し,間接事実の評価等に関し
第1審判決が指摘した疑問や説示についても是認できないとした上で,これらを総
合すれば,被告人の覚せい剤の認識を認めるのが相当であるとし,第1審判決には
判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があるとしてこれを破棄し,覚せい剤
取締法違反及び関税法違反の各事実について被告人を有罪と認め,被告人を懲役1
0年及び罰金600万円に処するとともに覚せい剤3袋を没収した。
4当裁判所の判断
(1)刑訴法は控訴審の性格を原則として事後審としており,控訴審は,第1審
と同じ立場で事件そのものを審理するのではなく,当事者の訴訟活動を基礎として
形成された第1審判決を対象とし,これに事後的な審査を加えるべきものである。
第1審において,直接主義・口頭主義の原則が採られ,争点に関する証人を直接調
べ,その際の証言態度等も踏まえて供述の信用性が判断され,それらを総合して事
実認定が行われることが予定されていることに鑑みると,控訴審における事実誤認
の審査は,第1審判決が行った証拠の信用性評価や証拠の総合判断が論理則,経験
則等に照らして不合理といえるかという観点から行うべきものであって,刑訴法3
82条の事実誤認とは,第1審判決の事実認定が論理則,経験則等に照らして不合
理であることをいうものと解するのが相当である。したがって,控訴審が第1審判
決に事実誤認があるというためには,第1審判決の事実認定が論理則,経験則等に
照らして不合理であることを具体的に示すことが必要であるというべきである。こ
のことは,裁判員制度の導入を契機として,第1審において直接主義・口頭主義が
徹底された状況においては,より強く妥当する。
(2)上記のとおり,第1審判決は,検察官主張の間接事実①ないし④は被告人
に違法薬物の認識があったと推認するに足りず,また,間接事実⑤はその認識をう
かがわせるものではあるが,違法薬物の認識を否定する被告人の弁解にはそれを裏
付ける事情が存在し,その信用性を否定することができないとして,被告人を無罪
としたものである。
第1審判決は,これらの間接事実を個別に検討するのみで,間接事実を総合する
ことによって被告人の違法薬物の認識が認められるかどうかについて明示していな
いが,各間接事実が被告人の違法薬物の認識を証明する力が弱いことを示している
ことに照らすと,これらを総合してもなお違法薬物の認識があったと推認するに足
りないと判断したものと解される。
したがって,本件においては,上記のような判断を示して被告人を無罪とした第
1審判決に論理則,経験則等に照らして不合理な点があることを具体的に示さなけ
れば,事実誤認があるということはできない。
このような観点から,以下原判決についてみていくこととする。
(3)まず,被告人の弁解に関する原判断についてみると,原判決は,偽造旅券
の密輸を頼まれただけで違法薬物の認識はなかった旨の被告人の弁解の信用性につ
いて検討し,①本件チョコレート缶の所持に至る経緯について,被告人がその供述
を二転三転させていること,②被告人は,現行犯逮捕された際,偽造旅券について
言及することもなく,動揺することもなく素直に逮捕に応じていること,③被告人
は,覚せい剤の密輸に関与していないという弁解を裏付けるために,カラミ・ダボ
ットに事情を聞いてほしい旨の申出をしてしかるべきであるのにそうした申出をし
た形跡がなく,かえって,カラミ・ダボットのことを隠し通そうとしたことなどを
指摘して,被告人の弁解は信用し難いとしている。また,第1審判決が指摘する疑
問等の検討を行う中で,④被告人は,容易に粘着セロハンテープを剥がして開封
し,内容物を確認できたにもかかわらず,内容物に不安を感じたというのに開封し
て内容物を調べていないのは不自然,不合理であるとして,缶の外見を確認しただ
けで不安が払拭された旨の被告人の弁解は信用することができないとも判示してい
る。
原判決の上記の判示について検討する。
上記①について,被告人は,逮捕直後には見ず知らずの外国人から本件チョコレ
ート缶を預かった旨弁解していたが,その次にはナスールから偽造旅券の持込みを
頼まれてマレーシアに渡航し,ジミーから本件チョコレート缶を土産として預かっ
た旨供述し,最終的には,カラミ・ダボットから送金を受けている事実を指摘され
た後にカラミ・ダボットに上記内容の依頼を受けた旨の供述を行ったことを公判廷
で認めている。原判決が指摘するとおり,被告人の供述には変遷があり,このこと
は一般に被告人の供述の信用性を大きく減殺する事情であるといえる。しかしなが
ら,被告人の最終的弁解は,カラミ・ダボットから偽造旅券の運び屋となることを
頼まれて,マレーシアに渡航し,そこでジミーなる男から偽造旅券を受け取る際
に,本件チョコレート缶を預かった,預かった偽造旅券はカラミ・ダボット経由で
ナスールに渡すものだと聞いていたというものであるところ,この最終的弁解を排
斥し得るか否かは,上記のような変遷状況のほか,本件における他の具体的な諸事
情をも加味した上で,総合的に判定されるべきものと考えられる。
上記②について,原判決が指摘する被告人の逮捕時の言動等は,逮捕の際に積極
的に弁解せず,抵抗や驚きも示さなかったというものであるが,この言動は,被告
人に違法薬物の認識がなかったとしても,必ずしも説明のつかない事実であるとは
いえない。
上記③については,カラミ・ダボットは本件とは別の覚せい剤輸入事件の共犯者
として起訴され,第1審で無罪判決を受けたものの,検察官から控訴されていたも
のであって,そのような人物から依頼されてマレーシアに渡航して結果的に覚せい
剤を持ち込んでいるという本件の経過は,被告人が故意に覚せい剤の輸入に関わっ
たと疑わせる事情であり,被告人がこのような事情を意図的に隠していたことをも
って,被告人が故意に覚せい剤の輸入に関与したことを裏付ける方向の事情とみた
原判断も,理解できないわけではない。しかし,被告人は,カラミ・ダボットが覚
せい剤輸入事件で裁判中であることを知っていたというのであるから,取調官にカ
ラミ・ダボットからの依頼であることを明らかにすることが自己の利益にならない
と考えてもおかしくない状況にあり,被告人がカラミ・ダボットからの依頼である
ことを積極的に明らかにしなかったことは,被告人に違法薬物の認識がなかったと
しても,相応の説明ができる事実といえる。なお,この点に関し,被告人は,当時
カラミ・ダボットにだまされたとは思っておらず,以前から親しい付き合いのある
同人の名前を出すと,同人が覚せい剤輸入事件で不利になると考えたなどと述べて
いる。被告人は,本件チョコレート缶についてはカラミ・ダボットから運搬を依頼
されたわけではなく,現地でジミーから受け取っただけであると供述していること
などを踏まえると,被告人のこの説明もカラミ・ダボットからの依頼であることを
積極的に述べなかったことの説明として,必ずしも不合理なものとはいい難い。
上記④について,原判決は,被告人が本件チョコレート缶に違法薬物が隠されて
いるのではないかという不安を感じたのに,内容物を確認することもなく,外見か
ら見て安心し,不安が払拭されたというのは不自然不合理であると指摘している。
しかし,被告人は本件チョコレート缶を他人への土産として預かったもので,チョ
コレート缶を自由に開封できる立場ではなかったというのであり,また,被告人
は,本件チョコレート缶を受領する際に,違法薬物が混入されているのではないか
という一抹の不安を覚えたにすぎず,本件チョコレート缶は税関職員が見ても外見
上異常がなかったのであって,本件チョコレート缶について開封した形跡がなかっ
たことから不安が払拭されたとする点が,およそ不自然不合理であるということは
できない。
このように,原判決は,被告人の弁解を排斥できないとした第1審判決につい
て,被告人の弁解が信用できないと判示することによりその不合理性を明らかにし
ようとしたものとみられるが,その指摘する内容は,被告人の弁解を排斥するのに
十分なものとはいい難い。被告人の上記弁解は,被告人が税関検査時に実際に偽造
旅券を所持していたことや,その際,偽造旅券は隠そうとしたのに,覚せい剤の入
った本件チョコレート缶の検査には直ちに応じているなどの客観的事実関係に一応
沿うものであり,その旨を指摘して上記弁解は排斥できないとした第1審判決のよ
うな評価も可能である。
(4)次に,検察官の主張する間接事実に関する原判断についてみると,原判決
は,第1審判決が間接事実の評価に関して示した疑問等について検討し,第1審判
決の判示は是認できず,間接事実を総合すれば被告人の覚せい剤の認識が認められ
る旨判示している。
原判決の上記の判示について検討する。
原判決は,A被告人が,チョコレートのトレーの下に覚せい剤を隠して一見発見
できないように隠匿した本件チョコレート缶を手荷物として持ち込んだことを,被
告人の覚せい剤の認識を認定する証拠となり得るとし,この事実を違法薬物の認識
を裏付けるものと評価しなかった第1審判決の判示は是認できないとする。手荷物
の持ち主は通常は手荷物の中身を知っているはずであると考えられるから,上記の
ような持込みの態様は被告人の覚せい剤の認識を裏付けるものといい得るが,本件
チョコレート缶への覚せい剤の隠匿に被告人が関与したことを示す直接証拠はな
く,被告人はチョコレート缶を土産として預かったと弁解しているから,他の証拠
関係のいかんによっては,この間接事実は,被告人に違法薬物の認識がなかったと
しても説明できる事実といえ,その旨の第1審判決の判断に不合理な点があるとは
いえない。
また,原判決は,B携帯品・別送品申告書に預り物はない旨申告したことや,本
件チョコレート缶から発見された白色結晶について問われ「薬かな,麻薬って粉だ
よね,何だろうね,見た目から覚せい剤じゃねえの。」と答えたことなどの税関検
査における被告人の態度を覚せい剤の認識を認める証拠になり得るとし,この事実
を違法薬物の認識を裏付けるものと評価しなかった第1審判決の判示は是認できな
いとする。一般に預り物があるのにその旨を申告しなかった事実は,預り物を隠し
たいという気持ちがあったことを推測させる事実であるといえるが,被告人は当時
本件チョコレート缶だけではなく偽造旅券も預かっていたのであるから,この申告
状況は偽造旅券を隠すためのものとも考えられ,その旨の第1審判決の判断が不合
理なものとはいえない。また,白色結晶が発見された段階で,その白色結晶が覚せ
い剤であることを認めるかのような言動をすることは,被告人に覚せい剤の認識が
あったことを示す方向の事情といい得るものではあるが,被告人はその直前に検査
の過程で覚せい剤の写真を見せられていたことも踏まえると,この言動は被告人に
覚せい剤の認識がなかったとしても説明できる事実といえ,その旨の第1審判決の
判断も不合理なものとはいえない。
さらに,原判決は,C被告人のマレーシアへの渡航費用について,覚せい剤輸入
事件で裁判中のカラミ・ダボットから被告人の口座に振り込まれた資金が使用され
ていることを被告人の覚せい剤の認識を裏付ける方向の事実と評価している。高額
の報酬を約束され,経費も負担してもらって,海外から荷物を日本に運搬すること
を依頼されたという事実は,違法な物の運搬であることを前提に依頼が行われたこ
とを推認させる方向の事実といえ,その依頼が覚せい剤輸入事件で裁判中の者から
の依頼である場合には,覚せい剤に関係する依頼であることを推認させる方向の事
情であるともいえる。しかし,本件においては,被告人が偽造旅券の密輸を依頼さ
れたもので覚せい剤の密輸を依頼されていないと供述し,実際に偽造旅券が発見さ
れるなどその弁解に一定の裏付けがあるから,カラミ・ダボットから報酬を約束さ
れるなどして依頼を受けたという事実は,偽造旅券の密輸を依頼されていた旨の被
告人の弁解とも両立し得るものである。なお,検察官は,第1,2審において,被
告人は,検挙された際に,自分が企図していたのは偽造旅券の密輸であって,缶の
中身は知らなかったという弁解をするために偽造旅券を所持していた旨主張してい
たものであるところ,その可能性は排除されないとしても,被告人は,発覚直後の
段階では偽造旅券の運び屋であったなどという弁解を行っておらず,覚せい剤が発
見された際弁解するために偽造旅券を所持していたものとも断じ難い。
そのほかにも,原判決は,D逮捕後にカラミ・ダボットから依頼されていたこと
を隠そうとして弁解を変遷させた経過や,E被告人が違法薬物が隠されているかも
しれないと思ったのに本件チョコレート缶を開封しなかったことなどを,被告人の
覚せい剤の認識を裏付ける方向の事実として指摘し,その旨の評価をしなかった第
1審判決の判示が不合理である旨判示するが,これらの事実が被告人に違法薬物の
認識がなかったとしても説明できる事実であることは既に述べたとおりであり,そ
の旨の第1審判決の判示が不合理であるとはいえない。
このように,間接事実の評価に関する原判断は,第1審判決の説示が論理則,経
験則等に照らして不合理であることを十分に示したものとはいえないのであって,
第1審判決のような見方も否定できないというべきである。
(5)以上に説示したとおり,原判決は,間接事実が被告人の違法薬物の認識を
推認するに足りず,被告人の弁解が排斥できないとして被告人を無罪とした第1審
判決について,論理則,経験則等に照らして不合理な点があることを十分に示した
ものとは評価することができない。そうすると,第1審判決に事実誤認があるとし
た原判断には刑訴法382条の解釈適用を誤った違法があり,この違法が判決に影
響を及ぼすことは明らかであって,原判決を破棄しなければ著しく正義に反するも
のと認められる。
そして,上記の検討によれば,被告人を無罪とした第1審判決に論理則,経験則
等に照らして不合理な点があるとはいえず,第1審判決の事実誤認を主張する検察
官の控訴も理由がないことに帰するから,この際,当審において自判するのが相当
である。
よって,刑訴法411条1号により原判決を破棄し,同法413条ただし書,4
14条,396条により検察官の控訴を棄却することとし,裁判官全員一致の意見
で,主文のとおり判決する。なお,裁判官白木勇の補足意見がある。
裁判官白木勇の補足意見は,次のとおりである。
1これまで,刑事控訴審の審査の実務は,控訴審が事後審であることを意識し
ながらも,記録に基づき,事実認定について,あるいは量刑についても,まず自ら
の心証を形成し,それと第1審判決の認定,量刑を比較し,そこに差異があれば自
らの心証に従って第1審判決の認定,量刑を変更する場合が多かったように思われ
る。これは本来の事後審査とはかなり異なったものであるが,控訴審に対して第1
審判決の見直しを求める当事者の意向にも合致するところがあって,定着してきた
といえよう。
この手法は,控訴審が自ら形成した心証を重視するものであり,いきおいピン・
ポイントの事実認定,量刑審査を優先する方向になりやすい。もっとも,このよう
な手法を採りつつ,自らの心証とは異なる第1審判決の認定,量刑であっても,あ
る程度の差異は許容範囲内のものとして是認する柔軟な運用もなかったわけではな
いが,それが大勢であったとはいい難いように思われる。原審は,その判文に鑑み
ると,上記のような手法に従って本件の審査を行ったようにも解される。
2しかし,裁判員制度の施行後は,そのような判断手法は改める必要がある。
例えば,裁判員の加わった裁判体が行う量刑について,許容範囲の幅を認めない判
断を求めることはそもそも無理を強いることになるであろう。事実認定についても
同様であり,裁判員の様々な視点や感覚を反映させた判断となることが予定されて
いる。そこで,裁判員裁判においては,ある程度の幅を持った認定,量刑が許容さ
れるべきことになるのであり,そのことの了解なしには裁判員制度は成り立たない
のではなかろうか。裁判員制度の下では,控訴審は,裁判員の加わった第1審の判
断をできる限り尊重すべきであるといわれるのは,このような理由からでもあると
思われる。
本判決が,控訴審の事後審性を重視し,控訴審の事実誤認の審査については,第
1審判決が行った証拠の信用性評価や証拠の総合判断が論理則,経験則等に照らし
て不合理といえるかという観点から行うべきものであるとしているところは誠にそ
のとおりであるが,私は,第1審の判断が,論理則,経験則等に照らして不合理な
ものでない限り,許容範囲内のものと考える姿勢を持つことが重要であることを指
摘しておきたい。
検察官稲川龍也,同慶徳榮喜公判出席
(裁判長裁判官金築誠志裁判官宮川光治裁判官櫻井龍子裁判官
横田尤孝裁判官白木勇)

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