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平成22年12月16日判決言渡同日原本領収裁判所書記官
平成21年(ワ)第3409号特許権侵害差止等請求事件
口頭弁論終結日平成22年9月9日
判決
東京都千代田区<以下略>
原告日本曹達株式会社
同訴訟代理人弁護士牧野知彦
同訴訟復代理人弁護士玉城光博
同補佐人弁理士廣田雅紀
同東海裕作
同山内正子
さいたま市<以下略>
被告オリエンタル技研工業株式会社
同訴訟代理人弁護士村西大作
同訴訟復代理人弁護士小林幸夫
同坂田洋一
同和田祐造
同訴訟代理人弁理士須賀総夫
主文
1原告の請求をいずれも棄却する。
2訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
1被告は,別紙方法目録記載の方法を使用してはならない。
2被告は,原告に対し,金1200万円及びこれに対する平成21年2月11
日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2事案の概要
本件は,発明の名称を「ジチオカルバミン酸系キレート剤の安定化方法」と
する特許権(特許番号第4116107号)を有する原告が,被告による別紙
方法目録記載の方法(以下「被告方法」という。)の使用は上記特許権を侵害
する行為であると主張して,特許法100条1項に基づき,被告方法の使用の
差止め,並びに,民法709条,特許法102条3項に基づき,上記特許権の
登録日である平成20年4月25日から本件訴訟の提起日である平成21年2
月5日までの間の実施料相当額(1200万円)の損害賠償を求める事案であ
る。
なお,附帯請求は,不法行為の後の日(訴状送達の日)である平成21年2
月11日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払請
求である。
1争いのない事実等(証拠を掲げていない事実は当事者間に争いがない。)
(1)当事者(弁論の全趣旨)
ア原告は,各種化学工業品の製造,販売等を業とする株式会社である。
イ被告は,化学材成品の製造,販売等を業とする株式会社である。
(2)原告の特許権(甲1,2)
原告は,次の特許権(以下「本件特許権」といい,その特許請求の範囲請
求項1の発明を「本件発明」という。また,本件発明に係る特許を「本件特
許」といい,本件特許に係る明細書(別紙特許公報参照)を「本件明細書」
という。)を有する。
特許番号第4116107号
発明の名称ジチオカルバミン酸系キレート剤の安定化方法
出願日平成8年10月3日(特願平8−281896)
公開日平成10年4月28日(特開平10−109081)
登録日平成20年4月25日
特許請求の範囲請求項1
「モノジチオカルバミン酸塩が溶解してなる水溶液を主成分とする重金属
固定剤において,該水溶液のpHを13以上に保持することを特徴とす
るジチオカルバミン酸塩系重金属固定剤の安定化方法。」
(3)本件発明の構成要件の分説
本件発明の構成要件を分説すると,次のとおりである(以下分説した各構
成要件をそれぞれ「構成要件A」などという。)。
A:モノジチオカルバミン酸塩が溶解してなる水溶液を主成分とする重金属
固定剤において,
B:該水溶液のpHを13以上に保持することを特徴とする
C:ジチオカルバミン酸塩系重金属固定剤の安定化方法。
(4)本件発明に係る訂正請求
原告は,被告の提起した無効審判事件(無効2009−800082号)
において,本件発明につき,平成21年7月17日付け訂正請求(甲22の
1・2),平成22年4月15日付け訂正請求(甲43の1・2)を行った
(なお,先の平成21年7月17日付け訂正請求は,特許法134条の2第
4項により取り下げられたものとみなされる。)。
平成22年4月15日付け訂正請求(以下「本件訂正」という。)は,特
許請求の範囲請求項1の記載を下記のとおりに訂正するよう請求するもので
ある(以下,本件訂正後の請求項1に係る発明を「本件訂正発明」とい
う。)。
本件訂正は,特許法126条,134条の2所定の訂正要件を充たすもの
である(この点は,当事者間に争いがない。)。

「ジエチルジチオカルバミン酸カリウム塩又はジブチルジチオカルバミン酸
ナトリウム塩が溶解してなる水溶液を主成分とする重金属固定剤において,
該水溶液の保存時におけるpHを13以上に保持することを特徴とする,二
硫化炭素及び硫化水素を含む有毒ガスの発生を抑制するジチオカルバミン酸
塩系重金属固定剤の安定化方法。」
(5)本件訂正発明の構成要件の分説
本件訂正発明の構成要件を分説すると,次のとおりである。
A1:ジエチルジチオカルバミン酸カリウム塩又はジブチルジチオカルバミ
ン酸ナトリウム塩が溶解してなる水溶液を主成分とする重金属固定剤
において,
B1:該水溶液の保存時におけるpHを13以上に保持することを特徴とす
る,
C1:二硫化炭素及び硫化水素を含む有毒ガスの発生を抑制するジチオカル
バミン酸塩系重金属固定剤の安定化方法。
(6)被告の行為
被告は,遅くとも,本件特許権の登録日である平成20年4月25日から,
被告方法を使用している。
被告方法を使用して出荷されている被告製品としては,「オリトールN−
3T」,「オリトールN−4」,「オリトールF−100」がある。
(7)本件発明と被告方法との対比
被告方法は,本件発明の技術的範囲に含まれる(なお,この点については,
当事者間に争いはない。)。
(8)本件訂正発明と被告方法との対比
被告方法は,本件訂正発明の技術的範囲に含まれる(なお,この点につい
ては,当事者間に争いはない。)。
2争点
(1)本件特許は,特許無効審判により無効にされるべきものか。
ア本件発明は進歩性を欠くか(争点1−1)
イ本件発明は先願発明と同一か(争点1−2)
ウ本件発明に係る本件明細書の記載は平成14年法律第24号による改正
前の特許法36条4項(以下「改正前特許法36条4項」という。)に違
反するものか(争点1−3)
エ本件発明に係る特許請求の範囲の記載は特許法36条6項1号に違反す
るものか(争点1−4)
(2)本件訂正により,争点(1)の無効理由が回避されるか。
ア本件訂正発明は進歩性を欠くか(争点2−1)
イ本件訂正発明は先願発明と同一か(争点2−2)
ウ本件訂正発明に係る本件明細書の記載は改正前特許法36条4項に違反
するものか(争点2−3)
(3)損害額(争点3)
第3争点に関する当事者の主張
1争点1−1(本件発明は進歩性を欠くか)について
〔被告の主張〕
本件発明は,以下のとおり,出願前公知刊行物の記載に基づいて当業者が容
易に発明をすることができたものである。
したがって,本件発明は,特許法29条2項に違反して特許されたものであ
って,本件特許は特許無効審判により無効にされるべきものであるから,特許
法104条の3第1項により,原告は,被告に対し,本件特許権の行使をする
ことはできない。
(1)特開昭53−22172号公報(乙2。以下「乙2公報」という。)で開
示された発明
ア乙2公報には,以下の記載がある。
(ア)「発明の名称有害物質を含む産業廃棄物の無害化処理方法」
(イ)「特許請求の範囲有害物質を含む産業廃棄物に対し無害化処理剤と
して,一般式
(但しR,Rはアルキル基を示す)で表わされるアルキルジチオカ12
ルバミン酸系化合物,・・・を加えて有害物質を不溶解性の物質に変化
させることにより無害化することを特徴とする有害物質を含む産業廃棄
物の無害化処理方法。」
(ウ)「本発明はかかる従来の欠点を克服し,従来の中和,凝集,沈殿など
による方法とは,まったく異なる方法で廃棄物中の有害金属を無害化す
る方法で,すなわち汚染水の場合はこれらの有害金属と直接反応させ,
不溶解性の物質を生成させることにより効果的に廃棄物中の有害金属を
除去するか,または汚染土の場合は不溶解物のままセメント等の固結剤
により固化し再溶出の防止を目的としたものである。」(2頁左上欄4
行ないし12行)
(エ)「実験の結果ではpH6以上において効果的に反応し,残留金属イオ
ンの量を完全に除去することが出来た。」(2頁左下欄最終行ないし右
下欄2行)
イそうすると,乙2公報には,以下の発明が開示されている。
「アルキルジチオカルバミン酸ナトリウム塩(具体例としてジブチルジ
チオカルバミン酸ナトリウムがある。)が溶解してなる水溶液を主成分と
する重金属固定剤において,該水溶液の使用環境のpHを6以上に保持す
ることを特徴とする,アルキルジチオカルバミン酸ナトリウム塩系重金属
固定剤による有害物質を含む産業廃棄物の無害化処理方法」
(2)本件発明と乙2公報で開示された発明との一致点,相違点
ア一致点
本件発明と乙2公報で開示された発明とは,次の点で一致する。
①「モノジチオカルバミン酸塩が溶解してなる水溶液を主成分とする重
金属固定剤」(構成要件A)
②「ジチオカルバミン酸塩系重金属固定剤」(構成要件C)
イ相違点
本件発明と乙2公報で開示された発明とは,次の点で相違する。
①本件発明は「該水溶液のpHを13以上に保持すること」(構成要件
B)が開示されているのに対し,乙2公報にはこの点の開示がないこと
(相違点1)
②本件発明はジチオカルバミン酸塩水溶液の「安定化」(構成要件C)
が開示されているのに対し,乙2公報にはこの点の開示がないこと(相
違点2)
(3)乙第5号証の1(「ジチオカルバミン酸の安定性に関する研究」,Talan
ta,1969,vol.16,1099頁ないし1102頁。以下「乙5文献」という。)におけ
る開示
ア乙5文献の記載
(ア)「ジチオカルバミン酸は,弱酸性またはアルカリ性の溶液中でのみ,
安定である。」(1099頁要約部分3行ないし4行)
(イ)
(1101頁上の化学式)
(ウ)「上に示唆した分解のメカニズムは,簡単に描いたものである。ジチ
オカルバミン酸の分解生成物の慎重な分析は,ある種のN,N−二置換
ジチオカルバミン酸,例えばジフェニル−DTCの場合に少量の硫化水
素が,二硫化炭素とともに遊離したことを示した。これは,次のメカニ
ズムによって説明することができる。」

(1101頁下から8行ないし下から4行)
イ以上の記載によれば,乙5文献には,「ジチオカルバミン酸の分解を防
止して安定に保つ」ために,「水溶液のpHを高く保つべきこと」が開示
されている。
ここでいう「ジチオカルバミン酸の安定化」とは,乙5文献に記載され
た説明文や2つの反応式から,高濃度の水素イオン存在下で,ジチオカル
バミン酸が分解して硫化水素や二硫化炭素を発生することに鑑み,水素イ
オン濃度を低下させて(即ちpHを高くして),ジチオカルバミン酸の分
解による硫化水素や二硫化炭素の発生を防止することを意味する。
上記2つの反応式は,水素イオン濃度が高くなるほど,ジチオカルバミ
ン酸とその反応中間体の化学平衡が,反応式の右辺に偏ること,即ち,反
応中間体からさらに化学反応が進み,分解して硫化水素や二硫化炭素が発
生することを示している。逆にいえば,水素イオン濃度が低いほど(即ち
pHが高いほど)上記反応式の化学平衡は,反応式の左辺に偏り,結果的
に分解生成物である硫化水素や二硫化炭素の発生が少なくなるのであり,
これがジチオカルバミン酸の安定化である。
ウしたがって,乙5文献には,「ジチオカルバミン酸塩の水溶液の安定化
方法」として,「(安定化のために)該水溶液のpHを高く保持すべきこ
と」(ジチオカルバミン酸はpHが低くなるほど不安定化して,硫化水素
や二硫化炭素が発生すること)が開示されているといえる。
(4)乙第7号証の1(「ジチオカルバミン酸の一塩基性または二塩基性の特性
について」,AnalyticalChemistry,September1969,vol.41,No.11,1441頁
ないし1445頁。以下「乙7文献」という。)における開示
ア乙7文献の記載
(ア)「最近,酸性溶液中でのジチオカルバミン酸の一塩基性または二塩基
性の特性に関して,依然として不確かさがあることが報告された。下に
示すモデルⅠおよびⅡは,二つの可能な表現である。これらの不確かさ
を取り除く必要がある。・・・さらに,これらの酸は水溶液中で分解を
受けることが知られている。」
(1441頁の左欄下から3行ないし右欄上から5行)
(イ)「反応(8)の見かけの速度定数(k’)のpH依存性を,ピロリジ
ンおよびジエチルジチオカーバメートに関して図2に示す。
4よりも高いpH値において,実験結果は,見かけの速度定数の対数
とpHとの間の一次の関係を示している。」
(1443頁左欄下から6行ないし右欄1行)
(ウ)「不運なことに,きわめて高いpHにおけるジチオカルバミン酸塩の
分解速度を研究することは困難である。というのは,分解の半減期が対
数的に増大するからであって,たとえばpH7.3において,PyrDTCN
aのtは170日である。」1/2
(1444頁左欄7行ないし11行)
イ以上によれば,乙7文献には,「ジチオカルバミン酸の分解を防ぎ,安
定化するためには,pHを高くするほど有利であること」(ジチオカルバ
ミン酸はpHが低くなるほど不安定化して,二硫化炭素が発生すること)
が開示されているといえる。
(5)その他の文献(副引例)における記載
ア乙第20号証(「新しい耐熱キレートによる高性能の飛灰処理技術」環
境施設№58(1994),2頁ないし14頁。以下「乙20文献」とい
う。)の記載
(ア)表−4の「カルバミン酸系」(カルバミン酸系重金属固定剤はジエチ
ル(又はジブチル)ジチオカルバミン酸塩を下位概念として含む。)に
は,pHが「約11∼12」,特徴として「硫化水素ガス発生(少
々)」と記載されている(9頁)。
(イ)「飛灰のpH値によってはHS,H,COガスの発生や,安定化し22
にくいこともあるので配慮を必要とする。」(5頁)
(ウ)上記記載から,乙20文献には,硫化水素ガス発生の観点からの安定
性(pH11∼12のようなpHでは硫化水素ガスが発生して不安定化
すること)が,課題として明確に記載されている。
イ乙第21号証(特開平8−224560号公報(公開日平成8年9月3
日)。以下「乙21公報」という。)の記載
(ア)「前記ジチオカルバミン酸は,原料とするアミンによっては,pH調
整剤との混練又は熱により分解するために,混練処理手順及び方法に十
二分に配慮する必要があった。」(段落【0003】2頁2欄9行ない
し12行)
(イ)「参考例1∼参考例4安定性試験
得られた化合物№1∼4の水溶液を65℃に加温して硫化水素ガスの
発生について調べた。」(段落【0021】3頁4欄39行ないし41
行)
(ウ)上記記載から,ジチオカルバミン酸が,pHの値により不安定化する
こと,その際に硫化水素ガスが発生すること,という課題及び現象が明
確に開示されている。
ウ乙第23号証(「化学大辞典」化学大辞典編集委員会編(1963)
321頁「ジチオカルバミンさんえんるい」の項目。以下「乙23文献」
という。)の記載
乙23文献には,ジチオカルバミン酸塩は,水酸化アルカリの存在下で
二硫化炭素と対応するアミンとを反応させて製造される周知の化合物であ
る点が開示されている。
エ乙第24号証(「N−置換ジチオカルバミン酸塩の電位差滴定測定」T
alanta,Vol.12(1965)485頁ないし490頁。以下「乙24文
献」という。)の記載
乙24文献には,ジチオカルバミン酸塩が酸性媒体中(水素イオンの存
在下)で二硫化炭素に分解すること,その反応が可逆反応であること,分
解を阻止するために水酸化アルカリを添加すればよいことが開示されてい
る。(485頁要約,486頁11行ないし15行,487頁下から6行
ないし最終行)
オ乙第25号証(「特別管理廃棄物シリーズⅢ特別管理一般廃棄物ばい
じん処理マニュアル」(1993)155頁ないし156頁。以下「乙2
5文献」という。)
155頁の表2−3−39「重金属固定剤の性状」には,重金属固定剤
のpHとして,「12∼13」という値が記載されている。
(6)組合せによる容易想到
本件発明は,以下のとおり,①乙2公報で開示された発明に乙5文献に開
示された技術,並びに出願前公知文献等(乙20,21,23ないし25)
を組み合わせることにより,あるいは,②乙2公報で開示された発明に乙5
文献及び乙7文献に開示された技術,並びに出願前公知文献等(乙20,2
1,23ないし25)を組み合わせることにより,当業者において容易に想
到することができたものである。
ア組合せの容易性
乙2公報,乙5文献及び乙7文献は,いずれもジチオカルバミン酸ない
しジチオカルバミン酸塩という共通の物質を対象とし,技術分野が共通し
ている。
また,乙5文献及び乙7文献においては,ジチオカルバミン酸の安定化
(すなわち,分解による二硫化炭素,硫化水素の発生防止)が課題とされ
ている(乙20文献,乙21公報においても,ジチオカルバミン酸が分解
して硫化水素が発生すること,硫化水素ガス発生の観点からの安定性が課
題として開示されている。)。
乙2公報のジチオカルバミン酸を用いた重金属の固定化においても,固
定化剤であるジチオカルバミン酸の安定性は当然に課題となるものである
から,乙5文献及び乙7文献と乙2公報とでは課題が共通である。
以上のとおり,乙2公報と乙5文献,乙7文献(乙20文献,乙21公
報)とは,技術分野及び課題が共通しているから,これらを組み合わせる
ことは容易である。
イ本件発明の容易想到性
乙5文献及び乙7文献には,ジチオカルバミン酸塩水溶液の「安定化」
及び安定化のために「pHをできるだけ高くすべきこと」が開示されてお
り,かつ,以下のとおり,本件発明の「pH13」という数値には臨界的
意義がないことから,乙2公報に乙5文献,並びに出願前公知文献等(乙
20,21,23ないし25)を,あるいは,乙2公報に乙5文献及び乙
7文献,並びに出願前公知文献等(乙20,21,23ないし25)を組
み合わせることによって,当業者は本件発明の構成に容易に想到し得る。
(ア)本件発明の「pH13」の臨界性の欠如
a本件明細書には,pH13を境界に,それ未満では二硫化炭素も硫
化水素も発生するが,それ以上ではどちらも発生しなくなる,という
臨界性が記載されている(段落【0016】)。
確かに,二硫化炭素に関しても,硫化水素に関しても,pHを高め
るにつれてそれらの発生量は低下していくものの,その低下傾向それ
自体は,「S字」状の曲線で代表される臨界性(ある特定のpHを境
に対象の化合物の物性が不連続に変化する性質)をもつものではない。
上記低下傾向自体は,乙5文献や乙7文献に既に記載されていたの
であり,本件明細書が指摘するところは,pHの上昇につれて,ジチ
オカルバミン酸塩の安定性が高まっていくという出願前から公知のジ
チオカルバミン酸塩の性質の指摘にすぎない。
「ジチオカルバミン酸塩の水溶液を安定に保つ(二硫化炭素及び硫
化水素を含む有毒ガスの発生を抑制するという効果を達成する)ため
には,できるだけ高いpHが好ましい」ということは,既に本件特許
の出願前から公知の事実であったから(乙23文献,乙24文献から
も,塩基性条件下でジチオカルバミン酸塩が安定であることが容易に
理解できる。),実用上可能な範囲で高いpHを採用してみることは
当然であり,どの程度のpHにすればよいかを追及することは,当業
者が日常行う開発活動の範囲内の事項である。
そして,二硫化炭素の発生量の挙動をみると,発生量の対数とpH
とは一次比例の関係にあり,pH13の前後において発生量に何ら特
異な変化は生じていない上に,pH13においても無視できない量の
二硫化炭素の発生が認められ,硫化水素に関してはpH12に達する
以前にほぼ発生が抑制されているのであり,pH13という値には何
ら臨界性が認められないし(硫化水素については,pH13の手前で
既に充分に発生が抑制され,かつ,pH13の前後で何ら発生量につ
いて特異的な変化は生じていない。),特定のpHにおいて安定性が
不連続に変化するような事実も認められないから,当該数値限定には
何ら臨界性は認められない。
b原告は,本件特許の審査経過において,審査官から進歩性の欠如
(特許法29条2項)を理由とする拒絶理由の通知を受けたのに対し,
意見書(乙12)を提出しており,同意見書において,「審査官のご
指摘通り,pHの低下にともないジチオカルバミン酸塩が不安定にな
り,アミンと二硫化炭素に分解することは公知でありますが,pHの
低下により,硫化水素までもが,発生することは,本願出願以前に知
られておらず,本発明により初めて見出された知見であります。本願
発明の特徴は,長期保存時において。(判決注・「,」の誤記と認め
る。)二硫化炭素の発生を抑えると共に,硫化水素の発生をも抑える
ことができるpH領域を初めて明らかにするものであり,本願発明に
おけるpH13の値は,上記に示す臨界的意義を有するものでありま
す。」と述べている(乙12の2頁24行ないし30行。なお,この
経過に照らせば,原告が「pHが低下するほどジチオカルバミン酸が
不安定化して,二硫化炭素が発生すること」や「乙2公報と乙5文献
及び乙7文献との組合せの容易性」を争うことは,禁反言の法理に反
し,許されないというべきである。)。
しかしながら,乙5文献で開示された反応式((3)ア(ウ)の反
応式)によれば,pHの低下(水素イオン濃度の増加)とともに,二
硫化炭素に加えて硫化水素の発生量も増大化して不安定化することは,
公知であったというべきである。そして,上記反応式からは,水素イ
オン濃度が高くなるほど,ジチオカルバミン酸とその反応中間体の化
学平衡が反応式の右辺に偏り,その結果,反応中間体からさらに化学
反応が進んで,硫化水素の発生量が増加すること,逆に,水素イオン
濃度が低くなるほど,反応式の左辺に偏り,その結果,反応中間体の
量が減少して分解生成物である硫化水素の発生量も減少することは,
明らかであるといえ,二硫化炭素の場合と同様に,硫化水素について
も,pH13という数値に特段の臨界性は認められない。
cまた,本件発明は,そもそも硫化水素の発生の事実自体をクレーム
しているのではなく,単に有毒ガスの発生を抑止するという観点から,
「pH13以上で安定化させる」ことをクレームしているのであるか
ら,硫化水素について,pH13の手前(pH11未満)で既に十分
に発生が抑制され,pH13の前後で何ら特異的な変化が見られない
以上,そもそも硫化水素につき臨界性を考慮する前提に欠ける。した
がって,本件特許の出願当時,ジチオカルバミン酸が分解して硫化水
素が発生するという知見の有無は,本件特許の進歩性を基礎付ける事
実とはなり得ない。
本件特許の出願当時,当業者は,当時周知の課題であった有毒ガス
である二硫化炭素の発生を抑えてジチオカルバミン酸を安定化すると
いう課題(乙12参照)を解決するために,周知の事実であった,高
いpHを採用するほど有毒ガスの二硫化炭素の発生を抑制することが
できるという事実を念頭に,できるだけ高いpHを採用するのである
から,硫化水素の発生に関する知見の有無にかかわらず,当業者にと
って,何ら臨界性のないpH13という値を採用することは容易であ
った(乙25文献には,pH12∼13の重金属固定剤が開示されて
おり,pH13という数値が重金属固定剤のpHとして普通の数値で
あって,このような高いpHに保持することについて,何らの阻害要
因もないことが示されている。)。
(イ)課題の示唆,動機付けについて
本件発明と乙2公報で開示された発明とは,ジエチルジチオカルバミ
ン酸又はジブチルジチオカルバミン酸という全く同一の物質に関する発
明であり,前者は当該物質の水溶液を重金属固定剤として保存・輸送・
使用する際に発生する二硫化炭素及び硫化水素ガスを抑制するpHに保
持するという方法の発明であるのに対し,後者は,当該物質の水溶液を
重金属固定剤として使用するという方法に関する発明である。両者は,
全く同一の物質を対象とした方法の発明であるという点において共通し,
当該物質を重金属固定剤として使用するという,基本的な用途において
も共通する。
そして,化学物質を対象とした発明の場合,当該物質を使用時まで分
解せずに安定した状態に保持するという課題は,技術常識として,当業
者に認識される。原告自身,本件特許の出願経過において,「pHの低
下にともないジチオカルバミン酸塩が不安定になり,アミンと二硫化炭
素に分解することは公知」であると主張し(乙12),ジチオカルバミ
ン酸塩の安定化という課題,pHの低下に伴い二硫化炭素の発生量が増
大するという事実が技術常識であることを認めている。硫化水素につい
ても,乙5文献において,少なくとも「ある種のジアルキルジチオカル
バミン酸」が分解して硫化水素が発生することは実験的事実として報告
されている。同様の事実は,乙第13号証(「5−2ばいじんの薬剤
処理システムの実験的研究」と題する論文)にも,「キレートは硫黄分
2を多く含むためにpH調整剤と直接混ざるとpHが酸性側に移行しH
Sを発生する危険性があるため」(159頁「3−6」3行ないし5
行)との記載があり(乙13が出版された当時,硫黄分を多く含む重金
属固定剤として考えられるのは,有機系重金属固定剤ではジチオカルバ
ミン酸(塩)類やチオール類,無機系重金属固定剤では例えば水硫化ソ
ーダを代表とする硫化物に限定される。このうちジチオカルバミン酸
(塩)類以外の,チオール類は焼却灰(飛灰)の処理には使用されてお
らず,無機系重金属固定剤については,キレート効果を利用した重金属
の固定化の範疇には入らないため,「キレート」とは呼ばない。したが
って,乙13の出版当時の技術水準を勘案すれば,「硫黄分を含むキレ
ート」と呼べるのは,ジチオカルバミン酸(塩)類だけであった。),
本件特許の出願前にジチオカルバミン酸は酸性に移行すれば硫化水素が
発生することは公知の事実であった。
上記技術常識を参酌した上で,当業者が乙2公報を解釈した場合,ジ
チオカルバミン酸の安定化という課題を当然に読み込むというべきであ
り,本件発明の課題やこれを解決するための手段に関する示唆等は存在
するといえる。
また,上記技術常識を媒介とし,乙2公報で開示された発明と全く同
一の物質であるジエチルジチオカルバミン酸又はジブチルジチオカルバ
ミン酸を対象とし,これの安定化という課題とその解決方法(二硫化炭
素及び硫化水素の発生量の抑制)について開示する乙5文献や乙7文献
を組み合わせる動機付けは存在するというべきである。
〔原告の主張〕
被告の主張は否認ないし争う。
2争点1−2(本件発明は先願発明と同一か)について
〔被告の主張〕
特開平8−332475号公報(乙11。以下「乙11公報」という。)に
記載された発明は,本件特許の出願日である平成8年10月3日に先立つ平成
7年6月8日に出願され,本件特許の出願後である平成8年12月17日に出
願公開され,平成13年1月19日に登録されたものである。本件発明は,乙
11公報記載の発明の願書に最初に添付した明細書に記載された発明と同一で
あるから,特許法29条の2の規定により特許を受けることができないもので
ある。
本件発明は,特許法29条の2に違反して特許されたものであって,本件特
許は特許無効審判により無効にされるべきものであるから,特許法104条の
3第1項により,原告は,被告に対し,本件特許権の行使をすることはできな
い。
(1)乙11公報の記載
ア特許請求の範囲
【請求項1】
「ジチオカルバミン酸カリウム塩水溶液からなることを特徴とする重金
属固定剤。」(2頁1欄2行ないし3行)
【請求項2】
「請求項1記載の重金属固定剤を重金属汚染土壌又は重金属含有灰に添
加した後,混練することを特徴とする重金属汚染土壌又は重金属含有灰の
無害化処理方法。」(2頁1欄4行ないし7行)
イ発明の詳細な説明
「・・・本発明の重金属固定剤のpHとしては,10∼14が好まし
い。」(段落【0009】3頁3欄13行ないし14行)
「本発明の重金属固定剤は,ジチオカルバミン酸カリウム塩水溶液から
なるものであり,このジチオカルバミン酸カリウム塩水溶液の濃度として
は,重金属固定化作用を高く維持するために,少なくとも25重量%以上
であることが好ましく,・・・」(段落【0007】2頁2欄46行ない
し50行)
「・・・本発明は,強力なキレート作用を有し,さらに,寒冷地等の低
温下でも安定な状態で使用することのできる低温安定性を有する重金属固
定剤及びそれを用いた無害化処理方法を提供することを目的とするもので
ある。」(段落【0003】2頁2欄5行ないし9行)
「本発明の重金属固定化剤は,ジチオカルバミン酸塩の優れたキレート
作用を損なうことなく,さらに,低温安定性を有しているために,寒冷地
等の低温下でも安定な状態で使用することができる。」(段落【002
4】5頁7欄4行ないし7行)
(2)乙11公報に記載された発明
上記記載から,乙11公報には,以下の発明が記載されている。
αジチオカルバミン酸塩が,その重金属固定化作用を維持するために,少
なくとも25重量%以上溶解する水溶液からなる重金属固定剤であって,
β該水溶液の望ましいpHとして,pHが10ないし14の範囲に維持さ
れ,
γ低温安定性を有する重金属固定化剤ないしこれを用いた重金属の無害化
方法
(3)本件発明と乙11公報で開示された発明との実質同一
以下のとおり,本件発明と乙11公報で開示された発明とは実質的に同一
である。
ア本件発明の構成要件Aと乙11公報で開示された発明の構成要件αとが
同一であること
いずれも(モノ)ジチオカルバミン酸塩が溶解してなる水溶液からなる
重金属固定剤であり,αにおいて当該水溶液の主成分は「少なくとも25
重量%以上溶解する」ジチオカルバミン酸塩であることは明らかであるか
ら,本件発明の構成要件Aと乙11公報で開示された発明の構成要件αと
は同一である。
イ本件発明の構成要件Bと乙11公報で開示された発明の構成要件βとが
同一であること
乙11公報で開示された発明の構成要件βにおけるpH10ないし14
(pHの上限値は実際上14である。)との条件は,水溶液を可能な限り
高い強塩基性に保持するとの条件である。
他方,本件発明の構成要件BにおけるpH13以上との条件は,水溶液
のpHをできるだけ高く保持すべきことに本件発明の本質があり,pH1
3という数値に臨界的意義は認められないことから,水溶液を可能な限り
高い強塩基性に保持するとの条件であるといえる。
したがって,本件発明における構成要件Bの「pH13以上に保持す
る」との要件と乙11公報で開示された発明における構成要件βの「pH
を10ないし14の範囲に維持する」との要件とは,実質的に同一である。
ウ本件発明の構成要件Cと乙11公報で開示された発明の構成要件γとが
同一であること
本件発明の構成要件Cは,ジチオカルバミン酸塩系重金属固定剤の安定
化方法である。
他方,乙11公報で開示された発明の構成要件γは,低温安定性を有す
る重金属固定剤ないしこれを用いた重金属の無害化方法である。これには,
重金属固定剤であるジチオカルバミン酸塩の低温「安定化方法」が含まれ,
本件発明の構成要件Cと乙11公報で開示された発明の構成要件γとは実
質的に同一である。
エ乙11公報には,二硫化炭素や硫化水素の発生について直接の記載はな
い。
しかしながら,原告自身「pHの低下にともないジチオカルバミン酸塩
が不安定になり,アミンと二硫化炭素に分解することは公知である」こと
を認めており(乙12),また,乙第13号証には,「キレートは硫黄分
2を多く含むためにpH調整剤と直接混ざるとpHが酸性側に移行し,H
Sを発生する危険性があるため」と記載されていることに鑑みれば,本件
特許の出願当時,「pHが低下すると二硫化炭素や硫化水素が発生する」,
すなわち,「pHを上げると二硫化炭素や硫化水素の発生が抑えられ,安
定化する」ことは当業者の間で技術常識であったといえる。
上記技術常識を参酌すれば,「pH10∼14」という乙11公報の記
載と,本件発明の「pHを13以上に保持して・・・安定化する」という
記載は,実質的に同一のことを記載しているというべきである。
〔原告の主張〕
被告の主張は否認ないし争う。
3争点1−3(本件発明に係る本件明細書の記載は改正前特許法36条4項に
違反するものか)について
〔被告の主張〕
(1)本件明細書の実施例1,2には,「適量の水でジエチルアミン3.0モル,
二硫化炭素3.0モル及びKOH3.0モルを反応させてジエチルジチオカ
ルバミン酸カリウム塩3.0モルを調製し,・・・」と,実施例3,4には,
「適量の水でジブチルアミン2.0モル,二硫化炭素2.0モル及びNaO
H2.0モルを反応させてジブチルジチオカルバミン酸ナトリウム塩2.0
モルを調製し,・・・」とある。
しかしながら,ジチオカルバミン酸塩の合成において,「原料を当量ずつ
添加しさえすれば,定量的に反応が起こって当量の目的物が得られる」とは
いえないことは当業者にとって常識である。反応の条件,特に,反応温度,
原料の添加の順序などにより,目的物の収量や,副生物の種類,生成量が異
なることが予測される。
本件発明を実施するためには,原料の添加量に関して,よりきめの細かい
選択が必要であるし,反応条件の開示も必要である(乙11【0010】参
照)。
(2)本件発明に係る本件明細書の発明の詳細な説明は,当業者が発明の実施を
することができる程度に明確かつ十分に発明を記載したものであるとはいえ
ない。
したがって,本件発明に係る本件明細書の記載は改正前特許法36条4項
に違反するものであって,特許無効審判により無効にされるべきものである
から,特許法104条の3第1項により,原告は,被告に対し,本件特許権
の行使をすることはできない。
〔原告の主張〕
被告の主張は否認ないし争う。
4争点1−4(本件発明に係る特許請求の範囲の記載は特許法36条6項1号
に違反するものか)について
〔被告の主張〕
(1)本件明細書には,本件発明にいう「モノジチオカルバミン酸塩」の具体的
な内容として,様々な化合物が挙げられている(段落【0008】)。
しかしながら,本件明細書の実施例において,本件発明の効果を実証した
化合物は,わずかに,ジエチルジチオカルバミン酸カリウム(実施例1,
2)とジブチルジチオカルバミン酸ナトリウム(実施例3,4)だけであっ
て,本件発明に規定した広い範囲の化合物をサポートするには,あまりに貧
弱なものである。
(2)本件明細書において,本件発明にいう「モノジチオカルバミン酸塩」の具
体的な内容として開示されている化合物(段落【0008】)のうち,モノ
アルキルジチオカルバミン酸塩は不安定で,高いpHにおいても容易に分解
するから,この化合物を用いた場合には,本件発明が意図した効果は得られ
ない。
すなわち,本件発明の特許請求の範囲に記載された発明のうち,ジチオカ
ルバミン酸塩がモノアルキルジチオカルバミン酸である態様は,実施不能で
ある。
(3)したがって,本件発明に係る特許請求の範囲の記載は,明細書の発明の詳
細な説明によってサポートされておらず,かつ,実施不能な部分を包含する
ものであるから,特許法36条6項1号の「特許を受けようとする発明が発
明の詳細な説明に記載したものである」とはいえない。
〔原告の主張〕
被告の主張は否認ないし争う(なお,被告の主張は,訂正前の本件発明に向
けられた批判であって,本件訂正発明については当たらない。)。
5争点2−1(本件訂正発明は進歩性を欠くか)について
〔被告の主張〕
(1)乙2公報を主引例とする無効理由
本件訂正により,特許法29条2項違反の無効理由(乙2公報を主引例と
する進歩性欠如の無効理由)が回避されることはない。
したがって,本件訂正発明に,本件発明と同様の進歩性欠如の無効理由が
認められることは,争点1−1に関する〔被告の主張〕で既に述べたとおり
である。
乙2公報を主引例とする進歩性欠如の無効理由についての原告の主張に対
する反論は次のとおりである。
ア原告は,乙2公報の記載のうち,「本処理剤を使用して廃棄物中の有害
金属を除去するにはPHが6∼11位の間で処理することが望ましい。」
との記載を根拠に,乙2公報で開示された発明が「アルキルジチオカルバ
ミン酸ナトリウム塩・・・該水溶液の使用環境のpHを6∼11程度に保
持することを特徴とする・・・無害化処理方法」の発明である旨主張し,
この点を本件訂正発明と乙2公報で開示された発明との相違点であると主
張する。
しかしながら,乙2公報には,pHの下限値について「実験の結果では
PH6以上において効果的に反応し,残留金属イオンの量を完全に除去す
ることが出来た。」との記載があるものの,上限値については,「PHが
6∼11位の間で処理することが望ましい」との記載があるのみであり,
使用環境の上限値のpHを11に設定したものではない。
また,対応する実験結果でも,pH11においてわずかに残留亜鉛イオ
ンの溶出が見られるものの,その他重金属(銅,鉛,カドミウム)におい
ては,問題なく重金属固定剤としての性能が発揮されていることが読み取
れる。「pHが6∼11位の間で処理するのが望ましい」との記載は,
「汚染土壌に亜鉛が含まれる場合には」という限定を伴うものであるとい
える。
したがって,乙2公報で開示された発明の要旨認定に関する原告の主張
は誤りである。
本件特許の出願当時,重金属固定剤の水溶液のpHを,保存・輸送時と,
使用時とで同等とする必要はなく,保存時は保存に適したpHを,使用時
には使用に適したpHを選べばよいということは,当業者にとって周知の
事実であった。むしろ,使用時のpHは処理の対象によって左右される
(処理の対象と混合し,対象の化学的性質によって,保存時のpHから変
化を来す)から,使用時と保存時のpHを同等に保つというのは例外的場
合であったといえる(乙14参照)。
以上のとおり,保存・輸送時のpHと,使用時のpHとは明確に区別さ
れるのであり,当業者において,当該技術常識を参酌して,乙2公報で開
示された発明(使用時のpHの条件に関する発明)を主引例として,本件
発明に想到することは何ら阻害されない。
イ原告は,「高いpHの溶液の使用を妨げる各種の事情が存在した」と主
張するが,以下のとおり,誤りである。
(ア)仮に,乙2公報で開示された発明における重金属固定剤の使用環境が
pH6∼11に限定されるとしても,使用環境下のpHと保存時の重金
属固定剤自体のpHとは区別すべきものであり,保存時の重金属固定剤
の水溶液のpHがpH6∼11に限定されることはない。
使用の際には,重金属固定剤の性能を最適化するpHの設定が望まれ
るものの,保存時には固定剤自体が分解して有毒ガスが発生するのがな
るべく少なくなるpHの設定が優先される。
(イ)処理すべき飛灰が高アルカリ性であっても,pHの調整は別途可能で
あり,重金属固定剤の水溶液のpHを低くする必然性は全くない。
pH12.5以上の物質は,廃棄に関して規制があるとしても,使用
が抑制されていたわけではない。
水酸化カリウム又は水酸化ナトリウムを5%以上含む水溶液は劇物に
指定されているというものの,本件明細書の実施例として挙げられてい
る水溶液は5%に満たないから,劇物に該当しない。
原告は,甲第12号証等を挙げて,高濃度のアルカリ水溶液の危険性
を強調するものの,化学研究や化学工業の現場において,危険性がある
ことを理由に薬品の使用を躊躇することはない。細心の注意をもって,
取り扱うのみである。
ウ原告は,乙5文献には,ジチオカルバミン酸のアルカリ性における安定
性について,「ジチオカルバミン酸は,弱酸性又はアルカリ性の溶液中で
のみ,安定である。」とわずか1行程度記載されているだけであって,他
にはアルカリに関する開示はなく,まして,pH13以上という高アルカ
リ性でどのようになるかは全く記載されていない旨主張する。
しかしながら,乙5文献には,具体的な実験データはpH6程度までし
か示されていないとはいえ,pH3∼4付近からより高いpHに向かって
は分解速度が対数的に低下するという実験結果に基づいて,「ジチオカル
バミン酸が弱酸性またはアルカリ性でのみ安定である」という結論が導か
れたことは明らかである。乙5文献に開示された実験結果及び結論に関す
る記述並びに分解メカニズムを示す反応式のいずれにおいても,強アルカ
リ領域のみが除外されているとは全く理解されない。
なお,原告は,本件特許の出願経過において,自身が提出した拒絶理由
通知に対する意見書(乙12)中で,「pHの低下にともないジチオカル
バミン酸塩が不安定になり,アミンと二硫化炭素に分解することは公知で
あります」と記載し,ジチオカルバミン酸が弱酸性又はアルカリ性でのみ
安定であるという事実を認めていた。
エ原告は,乙5文献には,ジエチルジチオカルバミン酸やジブチルジチオ
カルバミン酸においては硫化水素が発生しないことが記載されているので
あるから,そのような技術文献において,ジエチルジチオカルバミン酸塩
を含有する水溶液から硫化水素の生成を抑制するという動機が生まれるこ
とはない旨主張する。
原告は,乙5文献には,「ジエチルジチオカルバミン酸やジブチルジチ
オカルバミン酸においては,硫化水素が発生する反応は起こりがたいこ
と」が記載されているとして,これを根拠として,上記のように主張する
ものの,「硫化水素が発生する反応は起こりがたいこと」と「硫化水素が
発生しないこと」とは全く異なる内容であって,この点においても,原告
の上記主張は誤りである。
また,乙5文献には,硫化水素の発生量は解離定数(pKa)に依(NH)
存し,「代替分解反応は,解離定数が非常に小さい場合にのみ可能とな
る」旨が記載されており,解離定数が非常に小さい物質の例として,ジフ
ェニルDTC(解離定数0.8未満)が例示されているものの,上記記載
から導かれるのは,「解離定数が0.8未満であるジフェニルDTCに比
して,解離定数が4.0であるジエチルジチオカルバミン酸や同じく解離
定数が4.4であるジブチルジチオカルバミン酸が分解する際の硫化水素
の発生量は少ない」という事実のみであって,ジエチルジチオカルバミン
酸やジブチルジチオカルバミン酸の分解反応の際にも,代替分解反応が進
行して少量の硫化水素が発生することを否定しているわけではない。
少量の硫化水素の発生をも抑制する(硫化水素は少量であっても,毒性
が高い。)というのが,本件訂正発明の主要な課題の一つである。乙5文
献には,ジチオカルバミン酸が分解する際の代替分解反応として少量の硫
化水素が発生すること,この発生量がpHに依存する(水素イオン濃度が
低いほど安定化する。)ことが開示されており,本件訂正発明の主要な課
題とその解決方法が開示されているとも言い得るものである。
なお,原告が指摘する乙第9号証の記載(650頁右欄22行ないし2
4行目)は,実験結果が誤りであったと述べているものではなく,「分解
のメカニズムの考察が誤り」であると述べているにすぎない。すなわち,
想定していた分解機構において当然発生するはずの分解生成物であるメル
カプタンが存在しないことを実験的に確認したから,想定していた分解機
構は誤りであると結論付けているにすぎず,硫化水素が発生するという事
実自体を否定するものではないことが明らかである。
オ原告は,乙7文献の記載について,ジエチルジチオカルバミン酸の場合
には,pHが4から9程度までの間ではpHが高くなるほど,アミンと二
硫化炭素に分解する分解速度が遅くなることが分かるものの,pHが9を
超えても同様に,pHが高くなるほど分解速度が遅くなるかどうかは不明
である旨主張する。
しかしながら,乙7文献には,ジチオカルバミン酸が水素イオンの存在
下にアミンと二硫化炭素に分解する反応は,「pH4を超えると,見かけ
の分解速度定数の対数とpHとの間に一次比例関係が存在する」と記載さ
れているのであり,上記一次比例関係はpHが9を超えても変わらないこ
とは明らかである。
加えて,乙7文献には,「pH値が非常に高い場合,分解の半減期が対
数増加するため・・・ジチオカルバミン酸の分解速度を調査することは難
しい。」とも記載されており,pH値が高くなればそれに呼応して,分解
速度が飛躍的に低下し,安定となることは明らかである。
カ原告は,乙7文献において,「pHが非常に高い場合」とは,pH7程
度を指す旨主張する。
しかしながら,pH7程度は中性領域のpHであって,これを「pHが
非常に高い」と言うのは,当業者の常識に反する。「pHが非常に高い」
とは,pH13∼14,あるいは,pH12以上を指すものと理解される
はずである。
また,原告は,「pH7ないし9程度で安定化すること」と「pHを高
くするほど有利であること」とは,別次元の議論であると主張するものの,
乙7文献は,①pH7ないし9程度で安定化することに加え,②見かけの
分解速度定数の対数とpHとの間に一次比例関係が存在するという事実を
開示しているのであるから,pH値を高くするほど有利である(安定化す
る)ことは,乙7文献の開示内容から当然に得られる結論である。
キ原告は,本件訂正発明については,そもそも臨界的意義は問題とならな
い旨主張する。
しかしながら,本件訂正発明の目的は,重金属固定剤であるジチオカル
バミン酸塩の分解を抑制し,二硫化炭素及び硫化水素を含む有毒ガスの発
生を抑制することにあり,この目的を達成するために,本件訂正発明は,
重金属固定剤の水溶液のpHを13以上に保持するという手段を採用した。
一方,乙5文献及び乙7文献には,ジチオカルバミン酸塩が分解すれば
二硫化炭素及び硫化水素が発生すること,ジチオカルバミン酸塩はアルカ
リ性において安定(二硫化炭素及び硫化水素の発生量が減少する)である
こと,分解速度はpHが高いほど遅くなることが開示されているのであっ
て,二硫化炭素及び硫化水素の発生を抑制するという目的も,pHを高く
するほどにジチオカルバミン酸塩が安定するという手段も,本件訂正発明
と共通する。
したがって,特許庁の審査基準によっても,本件訂正発明に進歩性が認
められるには,数値限定の点に臨界性が必要とされる。
(2)乙20文献を主引例とする無効理由
本件訂正発明は,以下のとおり,出願前公知刊行物の記載に基づいて当業
者が容易に発明をすることができたものである。
ア乙20文献の記載
(ア)「3.薬剤添加(液体キレート)混練法
飛灰の安定化処理法として,簡単かつ有効な方法を目標として開発さ
れてきた。本方式は重金属固定剤,凝集剤等の薬品,さらに必要に応じ
てpH調整剤を添加して加湿混練するもので,重金属類の溶出防止に十
分な効果が得られる。」(2頁右欄22行ないし27行)
(イ)「3)特徴
飛灰処理の中で最も安定化処理できるのが薬剤添加混練法といわれて
いるが,薬品代が高価すぎるといわれている。また,飛灰のpHによっ
てはHS,H,COガスの発生や,安定化しにくいこともあるので配22
慮を必要とする。」(5頁左欄17行ないし22行)
(ウ)「5.液体キレート(重金属固定剤)の種類
集塵灰の飛灰処理の方法の一つに液体キレートによる処理法(廃棄物
処理法施行令第4条に規定する薬剤処理に該当)がある。
この薬剤処理用に用いられている液体キレートは,現在市場に出回っ
ているカタログなどによると,表−3に示す3種類のものが代表的と見
られる。」(8頁左欄1行ないし8行)
(エ)「表−3重金属固定剤液体キレートの種類と構造」(8頁)には,
「種類」の欄に記載された「カルバミン酸系イオウ化合物」について,
「構造式」の項目に「
R,R:アルキル基l2
A:NH,Naなど」と記載されている。4
−1+
(なお,上記化学式は,
の誤記であることが明らかである。)
(オ)「表−4液体キレートの性状及びコスト比較」(9頁)には,「種
類」の欄に記載された「カルバミン酸系」について,「pH」,「空気
安定性」,「臭」,「特徴」の項目に,それぞれ「約11∼12」,
「空気に触れ,劣化してくる」,「アミン臭あり」,「硫化水素ガス発
生(少々)」と記載されている。
イ乙2公報の記載
(ア)「有害物質を含む産業廃棄物に対し無害化処理剤として
(但しR,Rはアルキル基を示す)で表されるアルキルジチオカルl2
バミン酸系化合物,または,
一般式R・NSC・SH・・・・・(II)
(但しRはベンゼン核またはアルキル基を示す)で表されるチオール
系化合物を加えて有害物質を不溶解性の物質に変化させることにより無
害化することを特徴とする有害物質を含む産業廃棄物の無害化処理方
法。」(特許請求の範囲,請求項1)
(イ)「本発明は有害物質を含む産業廃棄物の無害化処理方法に関するもの
であり,詳しくは有害物質を含む産業廃棄物,例えば重金属を含む工場
廃水,または重金属を含む汚染土などに本処理剤を添加することにより,
重金属類と反応して不溶解性の物質を生成せしめることによる無害化処
理方法を提供するものである。」(1頁右欄2行ないし8行)
(ウ)「アルキルジチオカルバミン酸系化合物の代表的な物質としては次の
ような化合物がある。
(イ)ジメチルジチオカルバミン酸ナトリウム
・・・
(ロ)ジエチルジチオカルバミン酸ナトリウム
・・・
(ハ)ジプロピルジチオカルバミン酸ナトリウム
・・・
(ニ)ジブチルジチオカルバミン酸ナトリウム
・・・
などがある。」(2頁右下欄4行ないし3頁左上欄8行)
ウ乙21公報の記載
(ア)「【従来の技術】都市ゴミや産業廃棄物等の焼却プラントから排出さ
れる飛灰は電気集塵機(・・・)やバグフィルター(・・・)で捕集さ
れたのち埋め立てや海洋投棄されている。しかし,これら飛灰は有害な
重金属を多く含んでおり,埋め立て地からの雨水等による鉛,水銀等の
溶出は環境汚染の可能性がある。このため飛灰は特別管理廃棄物に指定
され,「セメント固化法」,「酸その他の溶剤による抽出法」,「溶融
固定化法」又は「薬剤添加法」のいずれかの処理を施した後,廃棄する
ことが義務づけられている。このうち薬剤添加法は他の方法に比べ,一
般に,装置及び取扱いが簡便なため種々検討されている。例えば,ポチ
エチレンイミン等のポリアミンを原料とするジチオカルバミン酸塩に無
機硫化物を併用する方法が特開平5−50055号公報に開示され,ジ
エチレントリアミンを原料とするジチオカルバミン酸塩を使用する方法
が特開平6−79254号公報に開示されている。」(段落【000
2】)
(イ)「・・・このような飛灰の重金属固定化のためには,従来の薬剤では
その使用量を大幅に増加するか,又は塩化第二鉄等のpH調整剤,又は
セメント等の他の薬剤との併用法を取らざるを得ず,処理薬剤費が増大
し,又は処理方法が複雑化する等の問題があった。さらに,前記ジチオ
カルバミン酸は,原料とするアミンによっては,pH調整剤との混練又
は熱により分解するために,混練処理手順及び方法に十二分に配慮する
必要があった。」(段落【0003】)
(ウ)「本発明は上記の課題に鑑みてなされたものであり,その目的は,飛
灰中に含まれる重金属を安定性の高いキレート剤を用いることにより簡
便に固定化できる方法を提供することである。」(段落【0004】)
(エ)「参考例1∼参考例4安定性試験
得られた化合物No.1∼4の水溶液を65℃に加温して硫化水素ガ
スの発生について調べた。さらに水溶液にpH調整剤として塩化第二鉄
(FeC1,38%水溶液)を20重量%添加して硫化水素ガスの発3
生についても調べた。」(段落【0021】)
エ乙第22号証(「札幌市ばいじん処理設備設置調査報告書」平成5年9
月発行5頁ないし9頁,112頁ないし120頁。以下「乙22文献」
という。)
(ア)「表2−5テーブルテストにおける調査項目及び内容(3/3)」
(9頁)において,「調査項目」の「混練時の発生ガス」について,内
容の欄の「キレート処理調査グループ」には「・HS,H,CS,222
COS,CO,CO」と記載されている。2
(イ)「3−4−3.考察
密閉系で,薬液注入後,10分間混練処理したときに発生した各種ガ
スをEP灰1kg当たり,1mN中の濃度をベースとして,以下に述3
べる。
1.HSの発生(表3−4−4.参照)2
・・・
したがって,その対策は過剰でない適量の液体硫酸バンドを添加し十
分な混練後,PHが酸性域になっていないことを確認し,HSの発生2
を極力抑制する。万一,HSが発生した場合のことを考慮して,十分2
な機器内の排気と室内の換気,排気ダクトなどにHS濃度計の設置が2
不可欠である。
その他,水のみ添加,液体硫酸バンドのみ添加,液体硫酸バンド+液
体キレート剤個別添加についての薬液注入直後のHS濃度は不明であ2
るが,たとえ発生したとしても,微量であると考えられる。」(118
頁1行ないし18行)
(ウ)「3.CSの発生(表3−4−4.図3−4−3.図3−4−7参2
照)
・・・
6)CSの発生原因は,液体キレート剤の未反応物によるものなど2
考えられる。
以上の結果から,液体キレート剤を添加すると,必ず,CSが発生2
するものと考えられるが,低濃度であるため,特別な対策は不要であ
る。」(120頁1行ないし15行)
オ乙23文献の記載
「製法代表的なジエチルジチオカルバミン酸亜鉛について述べる,二
硫化炭素を,水酸化ナトリウムとジエチルアミンと水との混合物に20∼3
0°の温度でゆっくり加えると,ジエチルジチオカルバミン酸ナトリウム
を生じ・・・。」(321頁右欄)
カ乙24文献の記載
(ア)「N−置換ジチオカルバミン酸塩の電位差滴定測定)(485頁表
題)
(イ)「N−置換ジチオカルバミン酸塩の簡単で一般的な測定が述べられる。
水に溶解された試料が,既知量の酸で分解され,該溶液が標準塩基で逆
滴定される。滴定曲線から,ジチオカルバミン酸塩(CS−基とし2
て)の当量数が容易に見出される。」(485頁要約)
(ウ)「滴定曲線
全てのアミノ−N−カルボチオ酸塩の酸性媒体中での分解は一般反応
式:
22222RN−CS+2H⇔(注)RNH+CS−++
に従って進行する。この反応は比較的迅速であるが,可逆反応も容易
に進行する。」(486頁11行ないし15行)
なお,上記「⇔(注)」は,「右に向かう矢印→と左に向かう←とを
組み合わせた記号」を表すものとする。
(エ)「計算
・・・VAがアミノ−N−カルボチオ酸塩の分解を阻止するために添
加された水酸化アルカリの少量の中和に相当する酸滴定における最初の
電位の変曲点までに添加された酸の容量・・・。」(487頁下から6
行ないし最終行)
キ乙25文献の記載
(ア)「表2−3−39重金属固定剤の性状」(155頁)には,「薬
剤」の欄に記載された「重金属固定剤C」及び「重金属固定剤D」につ
いて,「pH」がいずれも「12∼13」であることが記載されている。
(イ)「ここで示した重金属固定剤は,すべて液体キレート剤であり,Sと
Nを含むキレート形成基を持つ化合物又は高分子化合物であり,Hg,
Cd,Cu,Pb,Ni,Cr,Zn,Mn,Fe等の金属に有効であ
る。」(156頁6行ないし8行)
ク乙20文献(主引例)に記載された発明
「重金属固定剤,凝集剤等の薬品,必要に応じてpH調整剤を添加して
加湿混練して重金属類の溶出を防止する飛灰の安定化処理法において,重
金属固定剤として,構造式
R,R:アルキル基l2
A:NH,Naなど4
−1+
のカルバミン酸系イオウ化合物を用い,その性状は,pH約11∼12,
空気安定性は空気に触れ,劣化してくる,臭はアミン臭があり,硫化水素
ガス発生(少々)であるカルバミン酸系の液体キレートを用いる方法。」
ケ本件訂正発明と乙20文献で開示された発明との対比
本件訂正発明と乙20文献で開示された発明とは,「ジチオカルバミン
酸塩が溶解した水溶液を主成分とするジチオカルバミン酸塩系重金属固定
化剤を用いる方法」である点で一致し,次の点で相違する。
(ア)本件訂正発明は,ジチオカルバミン酸塩が「ジエチルジチオカルバミ
ン酸カリウム塩又はジブチルジチオカルバミン酸ナトリウム塩」と限定
されているのに対して,乙20文献で開示された発明は,NH又はN4
a塩であるが,アルキル基は限定されていないジアルキルジチオカルバ
ミン酸塩である点。(相違点1)
(イ)本件訂正発明は,「水溶液のpHを13以上に保持する,二硫化炭素
及び硫化水素を含む有害ガスの発生を抑制するジチオカルバミン酸塩系
重金属固定剤の安定化方法」であるのに対して,乙20文献で開示され
た発明は,「pH約11∼12,空気安定性は空気に触れ,劣化してく
る,臭はアミン臭があり,硫化水素ガス発生(少々)であるカルバミン
酸系の液体キレートを用いる飛灰の安定化処理法」である点。(相違点
2)
コ相違点についての検討
(ア)相違点1について
乙2公報に記載されているとおり,重金属固定化剤として使用される
ジアルキルジチオカルバミン酸系化合物の代表的な物質として,ジエチ
ルジチオカルバミン酸ナトリウムやジブチルジチオカルバミン酸ナトリ
ウムが挙げられることが周知事項であることからすると,乙20文献に
は,R,R:アルキル基の具体例が示されてはいないものの,乙20l2
文献で開示された発明のカルバミン酸系イオウ化合物は,これら周知の
物質である蓋然性が高いものといえる。
仮に,乙20文献で使用されている具体的な化合物のR,Rがエチl2
ル基又はブチル基と異なるものであるとしても,乙20文献で開示され
た発明において前記周知の物質を採用することが当業者にとって格別困
難であったとはいえない。ジチオカルバミン酸のカリウム塩を採用する
ことについても同様である。
(イ)相違点2について
乙20文献では,その記載事項に,「薬剤添加混練法」では「飛灰の
pHによってはHS,H,COガスの発生や,安定化しにくいことも22
あるので配慮を必要とする。」と記載されるように,薬剤添加混練法に
おけるHS発生の問題点が認識されている。さらに,乙21文献には,2
飛灰中の重金属の固定化方法において,薬剤としてジチオカルバミン酸
を用いる場合には,原料とするアミンによっては,pH調整剤との混練
又は熱により分解するために,混練処理手順及び方法に十二分に配慮す
る必要があったことから,安定性の高いキレート剤が望まれていたこと,
キレート剤の安定性試験として,加温とpH調整剤の添加による硫化水
素の発生の有無を調べていることからして,pH調整剤との混練又は熱
によりジチオカルバミン酸系のキレート剤の分解によって硫化水素が発
生することが記載されている。また,乙22文献には,EP灰に液体キ
レートを添加するとCSが発生することが記載されている。そうする2
と,液体キレート剤を用いた飛灰中の重金属の固定化方法においては,
液体キレート剤の飛灰との混練時にHSやCSが発生すること,特に22
ジチオカルバミン酸系の液体キレート剤ではアミンの種類によっては液
体キレート剤の分解によってHSが発生することは,本件特許の出願2
前に公知の事項であったといえる。
一方,ジチオカルバミン酸塩は,乙23文献に「二硫化炭素を,水酸
化ナトリウムとジエチルアミンと水との混合物に20∼30°の温度でゆっ
くり加えると,ジエチルジチオカルバミン酸ナトリウムを生じ」と記載
されるとおり,水酸化アルカリの存在下,CSと対応するアミンとを2
反応させて製造される周知の化合物であり,水素イオンの存在で(すな
わち,pHの低下によって),CSに分解することは化学常識である2
(乙24)。この分解を阻止するためには水酸化アルカリを添加すれば
よいことも,乙24文献に記載されるとおり,当業者であれば自明な事
項である。
これらの公知事項及び化学常識を踏まえて,乙20文献で開示された
発明の「pH約11∼12,空気安定性は空気に触れ,劣化してくる,
臭はアミン臭があり,硫化水素ガス発生(少々)」との性状のジチオカ
ルバミン酸塩系液体キレート剤をみると,アミン臭があり,硫化水素ガ
スが発生(少々)していることから,飛灰と混練する前のpH約11∼
12の状態でも,液体キレート剤の分解が進行している可能性を予測す
ることは当業者のごく自然な思考である。
そうであれば,使用前,保存時の薬剤の分解を可能な限り抑制すべき
ことは処理操作全般における普遍的な課題であるから,使用前,保存時
の液体キレート剤の分解を阻止すべく,水酸化アルカリを加えて乙20
文献で開示された発明の液体キレートのpHを12よりもアルカリ側の
13以上としておくことに,当業者が格別創意を要したものとは認めら
れない。
そして,液体キレートのpHを13以上に保持することによる,二硫
化炭素及び硫化水素を含む有害ガスの発生を抑制するとの本件明細書記
載の効果も,乙20文献で開示された発明及び乙2公報,乙21公報,
乙22文献,乙23文献,乙24文献に記載された技術事項及び化学常
識から予測しうる範囲のものである。
なお,原告は,「高いpHの溶液の使用を妨げる各種の事情の存在」
を主張しているものの,乙25文献に示されるとおり,ばいじんの薬剤
処理に使用する液体キレート剤の性状において,液体キレート剤10%
水溶液のpHとして12∼13は普通の値である。また,飛灰との混練
時(使用時)には,処理すべき飛灰のアルカリ度や飛灰に含まれる重金
属の種類に応じて,pH調整剤等により重金属キレート体の溶出のない
条件で処理を行えばよいものであって,処理前に液体キレート剤が分解
して有害なガスが発生する危険性及び液体キレート剤が分解して重金属
固体化能を失ってしまうことのデメリットと,pH調整剤の必要性によ
るコスト増等とを勘案して,液体キレート剤の分解の抑制を優先させる
ことを当業者が考慮しないとはいえないから,原告の上記主張は失当で
ある。
サ以上のとおり,本件訂正発明は,乙20文献で開示された発明(主引例
である)及び乙2公報,乙21公報,乙22文献,乙23文献,乙24文
献,乙25文献に記載された技術事項及び周知技術(副引例である)に基
づいて当業者が容易に発明することができたものである。
〔原告の主張〕
(1)乙2公報を主引例とする進歩性欠如の無効理由について
以下のとおり,本件訂正発明は乙2公報に乙5文献や乙7文献等を組み合
わせることで,当業者が容易に想到し得たものであるとはいえない。
ア乙2公報に記載された発明
(ア)乙2公報の記載
a「有害物質を含む産業廃棄物に対し無害化処理剤として
(但しR,Rはアルキル基を示す)で表わされるアルキルジチオ12
カルバミン酸系化合物,または,
一般式R・NSC・SH・・・・・(Ⅱ)
(但しRはベンゼン核またはアルキル基を示す)で表わされるチオ
ール系化合物を加えて有害物質を不溶解性の物質に変化させることに
より無害化することを特徴とする有害物質を含む産業廃棄物の無害化
処理方法。」(特許請求の範囲)
b「本発明は有害物質を含む産業廃棄物の無害化処理方法に関するも
のであり,詳しくは有害物質を含む産業廃棄物・・・に本処理剤を添
加することにより,重金属類と反応して不溶解性の物質を生成せしめ
ることによる無害化処理方法を提供するものである。」(1頁右欄2
行ないし8行)
c「本処理剤の反応機構は・・・のNa・・・が有+
害金属イオンと置換するものと思われる。
上記反応はPH領域によっても異なった状態を示し,実験の結果で
はPH6以上において効果的に反応し,残留金属イオンの量を完全に
除去することが出来た。」(2頁左下欄11行ないし右下欄2行)
d「尚一般式で表わされるアルキルジチオカルバミ
ン酸系化合物の代表的な物質としては次のような化合物がある。
・・・
(ロ)ジエチルジチオカルバミン酸ナトリウム
・・・
(ニ)ジブチルジチオカルバミン酸ナトリウム
・・・」(2頁右下欄3行ないし13行)
e実施例2として,ジメチルジチオカルバミン酸ナトリウムを使用し
て,pHを2ないし11に調整した使用環境において廃棄物を処理し,
各pH領域における金属イオンと処理剤の反応性を調べた実験が記載
されている(ここにおけるpHは処理時の使用環境のpH値であって,
処理剤自体のpH値ではない。)。
実験結果として,以下のとおりの記載があり,
表−2各PH領域に於ける残存金属イオン
考察として,以下のとおり記載されている。
「上記の実験結果より本処理剤を使用して廃棄物中の有害金属を除
去するにはPHが6∼11位の間で処理することが望ましい。」
(3頁右下欄1行ないし4頁左上欄4行)
(イ)乙2公報の実施例2(上記eの記載)において,残留亜鉛イオン量を
見ると,使用環境がpH9までは「0」であったものがpH10では
「1.0」となり,pH11では「1.5」と上昇しており,その結果
を受けた考察でも,「上記の実験結果より本処理剤を使用して廃棄物中
の有害金属を除去するにはpHが6∼11位の間で処理することが望ま
しい。」と記載されていることから,乙2公報の発明においては,使用
環境がpH11を超えると,少なくとも残留亜鉛イオン量が増えてしま
い,キレート処理剤としての性能に影響することが開示されているとい
える。
亜鉛以外に鉛も,pHが高まるにつれて溶出しやすくなることは技術
常識であったといえる(甲24)。
(ウ)上記各記載によれば,乙2公報には,以下の発明が開示されていると
いえる。
「アルキルジチオカルバミン酸ナトリウム塩(具体例としてジブチル
ジチオカルバミン酸ナトリウムがある)が溶解してなる水溶液を主成分
とする重金属固定剤において,該水溶液の使用環境のpHを6∼11程
度に保持することを特徴とする,アルキルジチオカルバミン酸ナトリウ
ム塩系重金属固定剤による有害物質を含む産業廃棄物の無害化処理方
法」
イ本件訂正発明と乙2公報で開示された発明との相違点
本件訂正発明と乙2公報で開示された発明とは,本件訂正発明が水溶液
の「pHを13以上に保持する,二硫化炭素及び硫化水素を含む有毒ガス
の発生を抑制するジチオカルバミン酸塩系重金属固定剤の安定化方法」で
あるのに対し,乙2公報で開示された発明は,①水溶液のpHを特定せず,
該水溶液の使用環境のpHを6∼11程度に保持する発明である点(相違
点1),また,②金属固定剤による無害化処理方法にかかる発明であって,
金属固定剤の「安定化」については考慮されていない点(相違点2)にお
いて相違する。
ウ相違点の検討
(ア)相違点1について
a乙2公報の表−2ではpH11以上については何ら記載されていな
いが,亜鉛についてpHが10以上で残留イオン量が増大しているこ
と,及び上記(1)ア(ア)eの考察の記載内容からすれば,乙2公
報の記載のみからしても,pH10や11以上ではより残留亜鉛イオ
ン量が増大すると想定されるし,他の有害金属イオンである重金属イ
オンなどについても,このような傾向があるものと想定するのが合理
的であるといえる。
乙2公報が対象とする汚染土には,通常亜鉛が含まれており,この
処理は必須であるから,他の金属イオンについて考慮せずとも,乙2
公報に接した当業者であれば,残留亜鉛イオン濃度が増大しているp
H10や11の領域でさえ避けて使用することは極めて当然のことで
ある。
なお,重金属の溶出を避けるために使用環境のpHを10∼11以
下にすべきことは,乙2公報のみならず,この分野の一般的な知見を
述べている甲第32号証(廃棄物ハンドブック)などにも記載されて
いる常識的な技術事項である。
b本件訂正発明は,乙2公報で開示された発明のようなアルキルジチ
オカルバミン酸塩を用いた金属固定剤自体が公知であることは当然の
前提とした上で,そのpHを13以上という強アルカリ領域に保持す
ることで「二硫化炭素及び硫化水素を含む有毒ガスの発生を抑制す
る」という意味での「ジチオカルバミン酸塩系重金属固定剤の安定化
方法」を提供する発明である。これに対し,乙2公報は,本件訂正発
明が当然の前提とするアルキルジチオカルバミン酸塩を用いた金属固
定剤を開示するにすぎず,本件訂正発明の主眼である「安定化」につ
いては何らの開示も示唆もないのであるから,乙2公報で開示された
発明について,「そのpHを13以上という強アルカリ領域に保持す
る」ことの動機付けがない。
また,以下のように,高いpHの溶液の使用を妨げる各種の事情が
存したのであるから,当業者であっても,金属固定剤として完成して
いる乙2公報で開示された発明において,敢えて本件訂正発明のよう
にpHが高い水溶液を使用する理由ないし動機付けはなく,むしろ,
これを阻害する事由があった。
(a)乙2公報には水溶液自体のpHについての指摘はないが,使用環
境としてpH6∼11が良いのであれば,使用する水溶液も使用時
と同程度のpH(6∼11程度)にするのが良いと考えられる。
この点,確かに,保存時のpHと使用環境下のpHとを区別する
ことは可能である。しかしながら,乙2公報では,使用環境下とし
てpH6∼11が良いとされているのであるから,保存時における
水溶液のpHにしてもその程度に保持するのが当然であって,合理
的な理由もなく,保存時のpHと使用環境下のpHとを大きく変更
させることはない。
例えば飛灰を処理する場合,通常,飛灰はpH12以上の高アル
カリ性であるから,乙2公報で開示された発明のように使用環境を
pH11以下にする発明においては,使用する重金属固定剤溶液は
これよりも低いpHのものを使用することが明らかであるといえる
(甲10参照)。
(b)本件訂正発明のような重金属固定剤(液体キレート剤)の添加量
は,飛灰に対して通常1∼5%程度であるため,pH11∼12.
5といった飛灰に使用しても,その使用環境のpHはほとんど飛灰
のpHによって決定されてしまい,使用環境の適正pHに適合させ
るという観点からも,重金属固定剤自体のpHが意識されることは
なかった(甲32)。
むしろ,本件特許の出願前には,液体重金属固定剤が高価であっ
たため,pH12程度の飛灰を処理する際には,飛灰のpHを予め
キレート効果が高まるpH10∼11に調整する方法とか,セメン
トを併用するなどの方法が用いられていたのであり,重金属固定剤
の本来の目的であるキレート効果を向上させるためにさえ,重金属
固定剤自体のpHを調整するようなことはなく,まして,他の理由
に基づいて重金属固定剤のpHを調整すべきとする技術的な知見自
体がなかった(甲32)。
本件特許の出願当時の当業者は,pH10∼12程度の製品を普
通に製造,使用し,これについて安全,安定と考えていたというの
が実際であった(甲33)。
以上のとおり,本件特許の出願当時には,製造時であれ,使用時
であれ,あるいは,保存時であれ,重金属固定剤水溶液のpHは全
く意識されていなかったというのが実情であった。しかしながら,
その後,徐々に重金属固定剤からの二硫化炭素などの有毒ガスの発
生が意識されるようになり,平成14年2月18日には,当時の厚
生労働省から,関係事業者団体の長及び都道府県労働局労働基準部
労働衛生主務課長宛に,キレート剤から二硫化炭素が検出されるこ
とから,「飛灰処理剤については,二硫化炭素が発生しにくいもの
に代替すること」を求める通知(甲34)がされ,これを受けて,
本件訂正発明が開示するpHを13以上に保持することで二硫化炭
素などの発生を軽減する技術が注目を集めるようになったのである
(甲35)。
(c)一般に,pH12.5以上の物質は,平成3年10月に改正され,
翌年7月に施行された「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」によ
り,特別管理産業廃棄物に指定され,廃棄に際してさまざまな規制
が課せられて,その使用が抑制されていた(甲11)。
また,高濃度のアルカリ水溶液は,最も取扱いに注意を要する物
質の一つとされ(甲12),水酸化カリウムや水酸化ナトリウムを
5%より多く含む溶液については,劇物に指定されてさえいた(甲
13,14)。
(イ)相違点2について
a本件訂正発明と乙2公報で開示された発明とは,安定化方法である
のか,そうではないのかという点で根本的に異なり,乙2公報で開示
された発明を主引例として本件訂正発明の進歩性を論じる前提に欠け
る。
b本件訂正発明は,乙2公報で開示された発明のようなアルキルジチ
オカルバミン酸塩を用いた金属固定剤自体が公知であることを前提と
して,そのpHを13以上という強アルカリ領域に保持することで,
二硫化炭素及び硫化水素を含む有毒ガスの発生を抑制するという意味
でのジチオカルバミン酸塩系重金属固定剤の安定化方法を提供する発
明である。
これに対し,乙2公報で開示された発明は,本件訂正発明が当然の
前提とするアルキルジチオカルバミン酸塩を用いた金属固定剤を開示
するにすぎず,本件訂正発明の主眼である「安定化」については一切
開示も示唆もない。
したがって,乙2公報で開示された発明に対し,そのpHを13以
上という強アルカリ領域に保持することの動機付けがない。
(ウ)乙5文献,乙7文献の記載
乙5文献,乙7文献には,本件訂正発明と乙2公報で開示された発明
との相違点にかかる事項は開示されていないから,乙2公報に開示され
た発明にこれらの文献を組み合わせたとしても,本件訂正発明の構成に
想到することはない。
a乙5文献の記載について
(a)乙5文献には,ジチオカルバミン酸のアルカリ性における安定性
について,「ジチオカルバミン酸が弱酸性又はアルカリ性でのみ安
定である」(1099頁)と,わずか1行程度記載されているだけ
であり,他にはアルカリに関する開示はなく,まして,pH13以
上という高アルカリ性でどのようになるかは全く記載されていない。
また,乙5文献は,pHが6程度以下の範囲におけるジチオカル
バミン酸の分解のメカニズムについての研究内容が記載されている
だけであって,pHが6を超えて高くなるとどうなるのかについて
は記載されていない。
したがって,乙5文献には,pH13以上に保持することが安定
性の観点から好ましいことが示唆されているとはいえない。
(b)乙5文献には,ジチオカルバミン酸が水素イオンの存在下で分解
して二硫化炭素が生成すること,ある種のN,N−二置換ジチオカ
ルバミン酸の場合に少量の硫化水素が,二硫化炭素とともに遊離す
ることは記載されている。
しかしながら,上記硫化水素が発生する反応は,「pKaが(NH)
非常に小さい場合にのみ可能である」と記載されており,併せて,
乙5文献の1100頁のTable1及びその注意書きの欄には,
EtDTC(ジエチルジチオカルバミン酸)のpKaが4.2(NH)
0であり,n−BuDTC(ジブチルジチオカルバミン酸)のp2
Kaが4.4(Table1)であるのに対し,diphen(NH)
y1DTC(ジフェニルジチオカルバミン酸)のpKaが<(NH)
0.8と小さいことが記載されている。
上記記載から,ジエチルジチオカルバミン酸やジブチルジチオカ
ルバミン酸は,ジフェニルジチオカルバミン酸に比して,pKa
が大きいため,硫化水素が発生する反応は起こりがたいことが(NH)
理解できる。その結果,乙5文献には,むしろ,「ジエチルジチオ
カルバミン酸やジブチルジチオカルバミン酸においては,硫化水素
が発生する反応は起こりがたいこと」が記載されているといえる
(そもそも,乙5文献から塩基性条件下での硫化水素の発生を読み
取ることはできない。)。
(c)以上のとおり,乙5文献からすれば,むしろ,ジエチルジチオカ
ルバミン酸やジブチルジチオカルバミン酸においては硫化水素が発
生しないことが記載されているのであるから,そのような技術文献
において,ジエチルジチオカルバミン酸塩を含有する水溶液から硫
化水素の生成を抑制するという動機が生まれることはない。
したがって,乙5文献には,ジエチルジチオカルバミン酸塩やジ
ブチルジチオカルバミン酸塩を含む水溶液から二硫化炭素及び硫化
水素を含む有毒ガスの発生を抑制するという安定化についての記載
はなく,また,それを示唆する記載もない。
なお,被告は,乙第13号証を挙げるものの,乙第13号証には,
「キレート」とあるのみでその物質については記載されていないの
で,同号証の記載を根拠に「本件特許の出願前にジチオカルバミン
酸は酸性に移行すれば硫化水素が発生することは公知の事実であっ
た」とする被告の主張は理由がない。被告は,乙第13号証の「キ
レート」とはジチオカルバミン酸を指すと主張するものの,証拠に
基づかないものである。チオール類は焼却灰の処理に用いられてい
るし(乙20),ジチオカルバミン酸であるとしても,その種類は
様々であって,本件訂正発明の化合物であるかどうかを特定できな
い。また,乙第13号証が,硫化水素の発生を問題としているのは,
pH調整剤とキレート剤とが直接混じり合い,そのpHが酸性側に
移行した場合のことであって,むしろ,pH調整剤とキレート剤と
を単体で使用する場合には問題がないことが示されているのである。
(d)乙5文献に記載の内容は単なる推測を記載したにすぎない信頼性
が薄弱なものであって,乙5文献自体が,pKaが大きいジチ(NH)
オカルバミン酸の場合に,硫化水素が発生するとはしていないので
あるから,被告が主張するように乙5文献から「pKaが大き(NH)
いジチオカルバミン酸の場合でも硫化水素が発生する」などという
技術的事項を読み取ることはできない。硫化水素発生のメカニズム
は現在の知見を基にしても不明という状況であり,当業者であって
も,乙5文献や乙7文献から,塩基性条件下での硫化水素の発生を
読み取ることはできない(甲26の1)。
(e)本件特許の出願当時には,乙5文献に記載された硫化水素の発生
が誤りであることが,乙5文献の著者自身によって確認されていた
(乙9。乙9の650頁右欄22行ないし24行に「したがって,
最近,報告(21)(乙5文献のこと)した,ジアルキルDTCか
らの硫化水素の発生及びこれらの化合物の二塩基性への言及は共に
訂正されなければならない。」と記載されている。)のであるから,
当業者であっても,乙5文献の記載を基にジアルキルジチオカルバ
ミン酸から硫化水素が発生することを読み取ることはできない。
b乙7文献の記載について
(a)乙7文献には,ジチオカルバミン酸が水素イオンの存在下でアミ
ン化合物と二硫化炭素に分解する反応式(8)が記載されており,
「pH4を超えると,見かけの分解速度定数の対数とpHとの間に
一次比例関係が存在する」(1443頁)と記載され,ジエチルジ
チオカルバミン酸の場合には,pHが9程度まで一次比例関係が続
くことが示されている(図2及び1444頁)。
上記記載からは,ジエチルジチオカルバミン酸の場合には,pH
が4から9程度までの間ではpHが高くなるほど,アミンと二硫化
炭素に分解する分解速度が遅くなることが分かる。しかしながら,
pHが9を超えても同様に,pHが高くなるほど分解速度が遅くな
るかどうかは不明である(甲26の1)。
(b)乙7文献には,「pHが非常に高い場合は,分解の半減期が対数
増加するため,−例えば,ピロリジンジチオカルバミン酸ナトリウ
ムの場合pH7.3でt1/2=170日−ジチオカルバミン酸の
分解速度を調査することは難しい」(1444頁)と記載されてお
り,このことから,①pHが7程度で分解が非常に遅いということ,
②pHが非常に高いとは,pHが7程度,すなわち,中性領域のも
のを含むpHを指していることが分かる。
そうすると,乙7文献には,せいぜい,アミンと二硫化炭素に分
解する分解速度の観点から,pHを9程度にすることが開示されて
いるにすぎず,pH13以上での研究結果が記載されているわけで
も,pH13以上という高アルカリ性に保持すれば安定性にどのよ
うな影響があるのかが記載されているわけでもなく,硫化水素への
分解についてはまったく記載されておらず,これらの事項が示唆さ
れているともいえない(甲26の1。「pH7ないし9程度で安定
すること」と「pHを高くするほど有利であること」とはまったく
別次元の議論であって,「pH7ないし9程度で安定すること」か
ら「pHを高くするほど有利であること」が導かれるわけではない。
そもそも,乙7文献から塩基性条件下での硫化水素の発生を読み取
ることはできない。)。
(エ)乙20文献,乙21公報の記載について
a乙20文献,乙21公報の記載は,いずれも「使用時」に関する記
載であって,「保存時における該水溶液のpHを13以上に保持す
る」本件訂正発明の構成を導くことはできず,また,これを導く動機
付けにもならない。
b被告は,乙21公報の記載(段落【0003】)をもって,ジチオ
カルバミン酸が,pHの値により不安定になること,その際に硫化水
素が発生すること,という課題及び現象が開示されている旨主張する。
しかしながら,乙21公報で問題とされているのは,本件訂正発明
の化合物とは異なる,N原子がH原子を有するモノアルキルジチオカ
ルバミン酸の場合の問題であって,むしろ,本件訂正発明の化合物の
場合には,分解は問題とならないことが開示されている。
(オ)乙23文献,乙24文献の記載について
a乙23文献や乙24文献の記載から導かれる事実は,せいぜい,
「塩基性条件下でのジチオカルバミン酸塩が安定であること」にすぎ
ない。
ここでの問題は,本件特許の出願当時の当業者が「安定」と考える
「塩基性条件下」がどの程度のpHであったかである。そして,本件
特許の出願当時の技術常識からすれば,ここでいう「塩基性条件下」
とは「pH10∼12程度の塩基性条件下であれば,ジチオカルバミ
ン酸塩は十分に安定であること」にすぎないのであって,当業者であ
っても,敢えてこれ以上のpHに保持する理由はない。
したがって,これらの引用例を援用したところで,「保存時におけ
る該水溶液のpHを13以上に保持する」との知見を導く動機付けに
はならない。
b乙23文献の321頁「ジチオカルバミンさんえんるい」の項目に
は,ジエチルジチオカルバミン酸塩の製造方法が記載されている。
しかしながら,その反応式は「可逆的」には記載されていない。
したがって,乙23文献記載の反応式は「可逆反応」であるとはい
えず,同反応式から,敢えてアルカリを過剰に添加する必要性を読み
取ることはできない。
c乙24文献の反応式は,酸性媒体中における分解を示した式であっ
て,本件訂正発明が問題としている「保存時」は「酸性媒体中」では
ないのであるから,上記反応式を論じる前提に欠ける。
本件訂正発明が規定する「保存時」における通常のカルバミン酸の
pHは10∼12(アルカリ領域)であり,また,保存時に酸が添加
されることもないので,乙24文献をもって,保存時のカルバミン酸
に対し,敢えてアルカリを添加しようとする理由にはならない(反応
式は酸性媒体中の反応であって,当業者において,pH10∼12と
いうアルカリ領域において,同反応式のような分解反応が進行してい
ると考えることはない。)。
(カ)乙25文献について
乙25文献の155頁の表2−3−39には,重金属固定剤C,Dの
pHがそれぞれ「12∼13」と記載されており,156頁にはこれら
がSとNを含むキレート形成基を持つ化合物又は高分子化合物であると
記載されている。
本件訂正発明において使用する,ジエチルジチオカルバミン酸カリウ
ム塩又はジブチルジチオカルバミン酸ナトリウム塩は,通常,二硫化炭
素,アミン化合物及びアルカリ化合物を等モルで反応させて作製される
ため,製造後の溶液のpHは10∼12程度である(実際,本件特許発
明出願以前においては,ジアルキルジチオカルバメート系の低分子キレ
ート薬剤は製造後のpHと同じ,pH10∼12程度で販売されていた
(甲33)。)。また,SとNを含む重金属固定剤といっても,多くの
化合物が存在する。そうすると,乙25文献に記載されている重金属固
定剤C,DのpHがそれぞれ「12∼13」と記載されているのは,ジ
エチルジチオカルバミン酸カリウム塩又はジブチルジチオカルバミン酸
ナトリウム塩ではあり得ない。
例えば,乙21公報で使用されているジエチレントリアミンなどでは,
普通に製造してもpH13程度のものができるのであり,本件特許発明
の化合物とは異なっている。そして,普通に製造してpH13程度にな
る化合物であればpH13の製品を使用することがあり得るとしても,
普通に製造すればpH11程度にしかならず,これを「安全」「安心」
と考えていた当時の技術水準において,pHを上げる必要性を認識しな
い当業者であれば,本件特許発明の化合物を使用するにあたり,敢えて,
pH13以上にすることはない。
いずれにせよ,乙25文献は,pH12∼13である重金属固定剤も
あるということを示しているに過ぎないから,通常pHが10∼12で
あるジエチルジチオカルバミン酸カリウム塩又はジブチルジチオカルバ
ミン酸ナトリウム塩の水溶液をpH13以上にすることが容易であるこ
との根拠にはなりえない。
エ「pH13以上」の臨界的意義について
(ア)本件訂正発明の「pH13以上」に臨界的意義があることについて
a本件明細書の実施例の第1表(ジエチルジチオカルバミン酸カリウ
ム),第2表(ジブチルジチオカルバミン酸ナトリウム)によれば,
pH10.7やpH11.9では問題のあった二硫化炭素や硫化水素
の発生量がpH13を超えた領域ではそれぞれ10ppm,0.9p
pm以下(第1表のpH13.5)及び7ppm,0.9ppm以下
(第2表のpH13)となっているのであるから,pH13という通
常使用しないような強アルカリの領域に保持することにより,初めて
二硫化炭素及び硫化水素の発生が急速に低減し,実用上まったく問題
のない程度にまで低減されていることが明確に示されている。
第1表(ジエチルジチオカルバミン酸カリウム)
添加量()pH二硫化炭素()硫化水素()KOHmol/Kgppmppm
比較例1010.7200065
比較例20.0111.9300<0.9
実施例10.2013.510<0.9
実施例20.4013.84<0.9
第2表(ジブチルジチオカルバミン酸ナトリウム)
添加量()pH二硫化炭素()硫化水素()KOHmol/Kgppmppm
比較例3010.7300020
比較例40.0111.9100<0.9
実施例30.2013.07<0.9
実施例40.4013.51<0.9
bまた,上記第1表では,pH13.5についての実験結果を示し
ているので,よりpH13に近い値をねらって実施例の第1表と同様
の実験を行った結果は,以下のとおりである(甲18)。
この実験においても,pH13以上で「二硫化炭素及び硫化水素を
含む有毒ガスの発生を抑制する」という優れた効果を奏する「ジチオ
カルバミン酸塩系重金属固定剤の安定化方法」が得られていることを
確認することができる。
pH二硫化炭素()硫化水素()ppmppm
10.80240065
11.60800<0.5
11.95230<0.5
13.192<0.5
13.611<0.5
(イ)本件訂正発明については,そもそも臨界的意義は問題とならないこと
について
従来,ジアルキルジチオカルバミン酸塩水溶液については,重金属を
固定する効果があるものの,pHが低いと,分解して原料であるアミン
と二硫化炭素とが生成していたので,pH9程度のアルカリ性にするこ
とにより分解を抑えていた。
しかしながら,通常の分解では,ジアルキルジチオカルバミン酸塩か
ら硫化水素が生成するとの知見はなかったことから,硫化水素の生成を
抑制することは考慮されていなかったし,また,金属固定剤の水溶液を
pH13以上という強アルカリ領域に保持することは全く開示も示唆も
されていなかった(乙2,5,7)。
これに対し,本件訂正発明においては,ジアルキルジチオカルバミン
酸塩水溶液において,本件特許の出願時に採用されていたpH領域では
二硫化炭素及び硫化水素が大量に発生することを見出し,pH13以上
に保持することにより,二硫化炭素のみならず硫化水素の発生をも抑制
することができたのである。本件訂正発明は,ジアルキルジチオカルバ
ミン酸塩水溶液から二硫化炭素のみならず硫化水素の発生をも抑制する
という,従来にはなかった課題に取り組み,これを解決したものである
から,従来技術とは,特許庁の審査基準(「特許・実用新案審査基準
第Ⅱ部第2章新規性・進歩性」)にいうところの「課題が異なり,有
利な効果が異質である場合」に相当する。
したがって,本件訂正発明は,pH13以上という数値限定に必ずし
も臨界的意義を要しない。
(ウ)甲第26号証の1にもあるとおり,本件訂正発明が問題としている有
毒ガス(とりわけ硫化水素)の発生のメカニズムは現在の知見をもって
しても不明なのであって,本件訂正発明は,このような有毒ガスの発生
を抑制するためにpH13以上という,通常は採用されない高いpHに
保持するとの構成を採用することでこれらの発生を抑えるという新しい
効果を見出したものである。
したがって,このような数値に臨界的意義があることは明らかである
し,仮に,これを臨界的意義といわないとしても,少なくとも,特許に
値する顕著な効果があるといえる。
オ乙第12号証に係る被告の主張について
拒絶理由通知書(甲20)では,「引用文献2(甲21)には,ジアル
キルジチオカルバミン酸塩の水溶液の安定化のためにpH9.5以上とし
て保持することが記載されている。」とされた。乙第12号証における原
告の意見は,上記拒絶理由に対応して,「pHの低下にともないジチオカ
ルバミン酸塩が不安定となり,アミンと二硫化炭素に分解することは公知
でありますが」とし,また,「引用文献2では・・・pHを9.5以上に
保持することにより,低温又は常温での長期保存における結晶の析出を防
止するための安定化を行っている点,及びpH10.5における実施例し
か記載されておらず,pH13以上の実施例が記載されていない点におい
て相違します」として,引用文献2と本件発明との相違点を述べていると
おり,pH9.5以下といったpHの低い領域では二硫化炭素が発生する
ことが公知であると述べているにすぎないのであって,「pHを13以上
まで上げるとよい」などということが知られていたなどとは述べていない。
(2)乙20文献を主引例とする進歩性欠如の無効理由について
以下のとおり,本件訂正発明は乙20文献に乙2公報や乙21公報,乙2
2文献,乙23文献,乙24文献,乙25文献を組み合わせることで,当業
者が容易に想到し得たものであるとはいえない。
ア乙20文献で開示された発明について
被告の主張は,乙20文献における「硫化水素ガス発生(少々)である
カルバミン酸系の液体キレート」が「保存時」の性状を示していると認定
したうえで,乙21公報などから「使用時」において硫化水素が発生して
いる理由がカルバミン酸が分解しているためであることを理解している当
業者であれば,乙20文献に記載の「保存時」のカルバミン酸から「硫化
水素ガス発生(少々)」しているのは,「保存時」においてもカルバミン
酸が分解しているためであることを理解できるとするものである。そして,
この理解を前提に,「そうであれば,使用前,保存時の薬剤の分解を可能
な限り抑制すべきことは処理操作全般における普遍的な課題である」こと
を根拠に本件特許発明の進歩性を否定するものである。
しかしながら,乙20文献に「硫化水素ガス発生(少々)であるカルバ
ミン酸系の液体キレート」が「保存時」の性状を開示しているとの点は明
らかな事実誤認である。これは,カルバミン酸系の液体キレートの使用時
(すなわち,飛灰と混練した時)の性状を記載するものである。「表−
4」における,硫化水素についての項目は,「金属との結合状態」「金属
との結合性」という「使用時」の性状について記載された項目に続く「特
徴」として記載されているのであって,「表―4」では,「臭」の項目ま
では「保存時」の性状を記載し,「金属との結合状態」から「特徴」まで
の項目は「使用時」の性状を記載し,それ以下の項目では「経済性」につ
いて述べているのである。
そうである以上,被告が主張するような「使用前,保存時の薬剤の分解
を可能な限り抑制すべきことは処理操作全般における普遍的な課題であ
る」か否かとはかかわりなく,当業者であっても,「使用前,保存時の薬
剤の分解を抑制する」との課題を認識できないのであるから,本件特許発
明の進歩性を否定することはできない。
乙21公報や乙22文献においても,使用時のpHの問題のみが開示さ
れており,保存時のpHの保持の問題については何ら開示されていない。
保存時には「水素イオン濃度の高低」などは問題とならず,当業者は,
当該重金属固定剤の水溶液のpHである「10∼12」程度で十分に安全
・安心と認識していたのであり,今回提出されたいずれの刊行物にも保存
時の問題点を指摘するものはないのであるから,「保存時における該水溶
液のpHを13以上に保持する」との構成を有する本件特許発明が進歩性
を有することは明らかである。
イ仮に,乙20文献から「保存時において硫化水素ガスが少々発生する」
との事実が認識されることがあったとしても,本件特許の出願当時,pH
10∼12程度の製品が実際に使用され,これを「安全」「安心」と認識
していたのであり(例えば,乙22文献は,使用時についてのものである
ものの,「HS濃度は不明であるが,たとえ発生したとしても,微量で2
あると考えられる」としつつ,特段の対策を求めていないことからすれば,
本件特許の出願当時の当業者の認識としては,硫化水素の発生が「少々」
であれば,特別の対策が必要であるとは考えなかったはずである。),当
業者であっても,「硫化水素ガス発生(少々)」を発明によって「解決す
べき課題」とは認識しないから,この点は,「pH13以上」とする動機
付けにはならない。
ウ乙20文献,乙21公報,乙22文献について
乙20文献,乙21公報,乙22文献から,仮に,「液体キレート剤を
用いた飛灰中の重金属の固定化方法においては,液体キレート剤の飛灰と
の混練時にHSやCSが発生すること,特にジチオカルバミン酸系の液22
体キレート剤ではアミンの種類によっては液体キレート剤の分解によって
HSが発生することは,本件特許の出願前公知の事項であったといえ2
る。」としても,保存時において,液体キレート剤の分解によってHS2
が発生することは,本件特許の出願前に公知の事項であったとはいえない。
エ乙23文献,乙24文献について
乙23文献,乙24文献には,本件訂正発明の「pH13以上」との構
成を採用することについて示唆があるとはいえない。
オ被告は,「使用前,保存時の薬剤の分解を可能な限り抑制すべきことは
処理操作全般における普遍的な課題であるから」としている。
しかしながら,そもそも,主引例である乙20文献から,保存時におけ
る硫化水素の発生などの課題が認識されることはなく,また,本件特許の
出願時の重金属固定剤に対する認識は,「重金属固定剤自体のpHを調整
するとの知見自体がなく,それゆえに,当然のことながら,製造時のpH,
保存時のpH,あるいは,使用時のpHを使い分けることもなく,教科書
的実験書にも記載された通常の製造方法である等モル反応によって得られ
たpH10∼12程度の製品を用いていた。」というものであったから,
たとえ,普遍的な考え方が存在していたとしても,本件特許発明に係わる
重金属固定剤についてはそのような普遍的な課題を適用することはできな
い。
また,仮に,なんらかの理由により,乙20文献から「保存時において
硫化水素ガスが少々発生する」との事実が認識されることがあったとして
も,本件特許の出願当時の技術水準からすれば,そのような製品が実際に
使用され,これで十分に「安全」「安心」と認識されていたのであるから,
この点を問題視,すなわち,発明によって解決すべき「課題」として認識
することはない(ある事実を「事実」として認識しうることと,これを創
意工夫して解決すべき「課題」として認識するかどうかは別の問題であ
る)。
カ被告は,「液体キレートのpHを13以上に保持することによる,二硫
化炭素及び硫化水素を含む有害ガスの発生を抑制するとの本件明細書記載
の効果も,乙20文献及び副引例(乙2,21ないし24)に記載された
技術事項及び化学常識から予測しうる範囲のものである。」としている。
しかしながら,保存時を含む二硫化炭素及び硫化水素を含む有害ガスの
発生を抑制するという効果が予測できるという根拠はない。すなわち,こ
れらの文献に記載されているのは,①加熱とかpH調整剤を添加する飛灰
との混練時における硫化水素の発生があることを窺わせる記載にすぎず,
②硫化水素が発生するということが記載されている引用刊行物は,いずれ
も,ジエチルジチオカルバミン酸カリウム塩又はジブチルジチオカルバミ
ン酸ナトリウム塩ではないか,又は,それらであると特定できないもので
ある。したがって,このような事実を基に,ガス発生の原因となる処置を
行うことのない保存時においてもガス発生の問題があることを予測するこ
とは困難であるから,保存時においてpH13以上に保持することにより,
二硫化炭素及び硫化水素を含む有害ガスの発生を抑制することは,当業者
といえども予測しえないことである。
キ乙25文献について
乙25文献の155頁の表2−3−39には,重金属固定剤C,Dのp
Hがそれぞれ「12∼13」と記載されており,156頁にはこれらがS
とNを含むキレート形成基を持つ化合物又は高分子化合物であると記載さ
れている。
しかしながら,乙25文献に記載されている重金属固定剤C,DのpH
がそれぞれ「12∼13」と記載されているのは,ジエチルジチオカルバ
ミン酸カリウム塩又はジブチルジチオカルバミン酸ナトリウム塩ではあり
得ない。
乙25文献は,pH12∼13である重金属固定剤もあるということを
示しているに過ぎないから,通常pHが10∼12であるジエチルジチオ
カルバミン酸カリウム塩又はジブチルジチオカルバミン酸ナトリウム塩の
水溶液をpH13以上にすることが容易であることの根拠にはなりえない。
6争点2−2(本件訂正発明は先願発明と同一か)について
〔被告の主張〕
(1)本件訂正により,特許法29条の2違反の無効理由が回避されることはな
い。
したがって,本件訂正発明に,本件発明と同様の先願発明と同一との無効
理由が認められることは,争点1−2に関する〔被告の主張〕で既に述べた
とおりである。
(2)原告の主張に対する反論
ア原告は,本件訂正発明と乙11公報で開示された発明とは基本的な技術
思想が異なる旨主張する。
乙11公報で開示された発明は,重金属固定剤として使用するジチオカ
ルバミン酸水溶液の安定化を図った発明であり,この点において,本件訂
正発明と技術思想が共通する。
乙11公報で開示された発明において,推奨されるpH10∼14の範
囲内で,特にpHが高いpH13∼14を選択した態様においては,本件
訂正発明の構成要件が充足されることは明らかであり,従って,本件訂正
発明の効果も達成される。
乙11公報の関心は,主として「寒冷地などの低温下でも安定な状態で
使用することのできる低温安定性」に向けられているものの,pH13∼
14の領域で使用した場合には,その目的が達成されると同時に本件訂正
発明の目的もまた達成されているのであるから,乙11公報で開示された
発明には,「有毒ガスの発生を抑制する」という技術思想も,結果として
包含されているというべきである。
原告は,乙11公報で開示された発明は,「寒冷地などの低温下でも安
定な状態で使用することのできる低温安定化方法」との観点から「pHを
10∼14」と特定したのに対し,本件訂正発明は,「二硫化炭素及び硫
化水素を含む有毒ガスの発生を抑制する」という観点から「pHを13以
上」に特定した発明であるという点に,両者の差異を求めている。しかし
ながら,本件訂正発明が乙11公報で開示された発明に対して,構成にお
いて包含される関係にある以上,効果もまた包含される関係にある。pH
10∼14という乙11公報で開示された発明のうちで,pH13∼14
という実施態様を選べば,本件訂正発明の効果であるという有毒ガスの発
生を抑制するという効果は達成される。
イ原告は,乙11公報に,「本発明の重金属固定剤は,水素イオン濃度調
整のために,硫化水素を含有してもよい」旨が記載されていることを捉え
て,乙11公報で開示された発明が本件訂正発明の硫化水素の発生を抑制
する目的とは相反する内容であって,本件訂正発明を否定する方向の発明
であると主張する。
しかしながら,硫化水素は酸の一種であって,pHを低下させたい場合
に添加することができる物質である。添加する場合には,高度にアルカリ
性である水溶液を対象とすることになるから,添加された硫化水素はアル
カリ物質と反応して固定され,その水溶液から揮発してくることはない。
硫化水素の発生は,ジチオカルバミン酸塩の分解に起因するものであるか
ら,その分解を防止することにより抑制することができるのであって,硫
化水素の添加が,重金属固定剤の水溶液から硫化水素が発生することを抑
制する上で,別段不利益になるものではない。
ウ原告は,本件特許の出願当時の技術常識として,本件発明のようなpH
の高い化合物の使用は,特段の理由がない限り,通常採用されるものでは
ないとする技術常識が存在した旨主張する。
しかしながら,上記主張は誤りである。すなわち,乙2公報の実施例に
関する表2は,亜鉛を別にすれば,pH7以上11に至るまで溶出イオン
がゼロであるから,11を超えるpHにおいても,同様な結果が得られる
との期待を,乙2公報の開示に接した当業者に与える。乙2公報には,1
1を超えるpHでは実施できないとか,効果が得られないとかいう,より
高いpHを排除する記載も示唆もない。
また,甲第10号証は,キレート剤で固定化する重金属の中でも主たる
関心は鉛にあって,高いpHでは鉛が溶出するので,それを避けるために
「pH12以下」という条件を設定したものである。甲第10号証は乙1
1公報とは別個の発明であり,前者が後者の実施に影響を与えることはな
い。
以上のとおり,本件特許の出願当時の技術常識として,重金属固定剤の
使用の条件を,pH11以下にすべきであるという固定した観念は存在し
なかった。
エ原告は,乙11公報に記載の「pH10∼14」は上位概念であり,本
件訂正発明の「pH13以上」は下位概念であるから,乙11公報に本件
訂正発明が記載されているとはいえない旨主張する。
しかしながら,pHの数値やその範囲を,概念の上下(上位概念とは,
同族的若しくは同類的事項を集めて総括した概念をいう。)で論じること
はできない。
〔原告の主張〕
本件訂正発明は,先願の明細書(乙11)に記載されたものであるとはいえ
ない。
(1)乙11公報の記載
ア実施例には,ジエチルジチオカルバミン酸カリウム塩水溶液からなる重
金属固定剤が記載されている。
なお,当該実施例のジエチルジチオカルバミン酸カリウム塩水溶液を調
製して測定すると,pHは10.7となる(甲19)。
イ段落【0009】には,重金属固定剤のpHとしては10∼14が好ま
しいと記載されている。
ウ発明の解決しようとする課題の欄には,「本発明は強力なキレート作用
を有し,さらに,寒冷地などの低温下でも安定な状態で使用することので
きる低温安定性を有する重金属固定剤を提供することを目的とすること」
が記載されており,発明の効果の欄にも同様のことが記載されている。
(2)本件訂正発明と乙11公報で開示された発明との相違点
本件訂正発明と乙11公報で開示された発明とは,本件訂正発明が重金属
固定剤水溶液を「pH13以上に保持する」「二硫化炭素及び硫化水素を含
む有毒ガスの発生を抑制するジチオカルバミン酸塩系重金属固定剤の安定化
方法」であるのに対し,乙11公報で開示された発明は,「重金属固定剤水
溶液を好ましくはpH10∼14にする」という点,「寒冷地などの低温下
でも安定な状態で使用することのできる低温安定化」である点,において相
違する。
(3)相違点について
ア本件訂正発明は先願に記載された発明と同一ではないこと
(ア)乙11公報には,「寒冷地などの低温下でも安定な状態で使用するこ
とのできる低温安定化」とする発明のみが記載されている。
本件訂正発明の安定化方法は,「二硫化炭素及び硫化水素を含む有毒
ガスの発生を抑制する・・・安定化方法」であるから,乙11公報で開
示された発明とは「安定化方法」として相違している。
(イ)本件訂正発明と乙11公報で開示された発明とは安定化方法としての
相違があるから,これを上位概念,下位概念の発明とすることはできな
いものの,「pH10∼14」と「pH13以上」の関係のみに着目す
れば,「pH10∼14」はアルカリ性と言い換えてもよいほど範囲の
広い記載であるのに対し,本件訂正発明が規定する「pH13以上」は,
そのうちの一部であるといえるから,乙11公報に開示された発明のア
ルカリ性という上位概念に対して,本件訂正発明の「pH13以上」は
下位概念であるといえる。
引用発明が上位概念で表現されている場合には,下位概念で表現され
た発明が示されていることにはならないから,下位概念で表現された発
明を認定することはできないのであり,乙11公報で開示された発明か
ら本件訂正発明を認定することはできない。
(ウ)したがって,本件訂正発明と乙11公報で開示された発明とは特許法
29条の2における同一発明であるということはできない。
イ本件訂正発明と乙11公報で開示された発明とは実質同一でもないこと
以下のとおり,本件訂正発明と乙11公報で開示された発明とは,相互
に,その課題,構成,効果が異なる全く別個の発明であるから,両者を実
質同一の発明であるということはできない。
(ア)乙11公報で開示された発明は,「強力なキレート作用を有し,さら
に,寒冷地などの低温下でも安定な状態で使用することのできる低温安
定性を有する重金属固定剤を提供することを目的とする」発明であり,
そのために「好ましくは10∼14」の「ジチオカルバミン酸カリウム
塩水溶液」を使用する発明である。
乙11公報で開示された発明は,「ジチオカルバミン酸カリウム塩水
溶液」を使用する点では,本件訂正発明と共通するものの,その目的が
「寒冷地などの低温下でも安定な状態で使用することのできる低温安定
性を有する」ことにあるため,pHの使用領域としては,「好ましくは
10∼14」という,およそアルカリ性であればなんでもよいという発
明(pH値が「1」違うと,KOHの使用料は10倍変動し,pH10
とpH14とでは,Hイオン濃度(又はOHイオン濃度)において1万
倍の濃度差がある。)になっている。
これに対し,本件訂正発明は,「二硫化炭素及び硫化水素を含む有毒
ガスの発生を抑制する」という意味における「ジチオカルバミン酸塩系
重金属固定剤の安定化」を目的とする発明であり,そのための必須の構
成として「ジエチルジチオカルバミン酸カリウム塩又はジブチルジチオ
カルバミン酸ナトリウム塩が溶解してなる水溶液」を「pH13以上に
保持する」との構成を採用するものである。
したがって,両者は,発明の課題,構成,効果を異にする,全く異な
る発明であって,実質同一の発明であるとはいえない。
(イ)乙11公報の段落【0009】には,「本発明の重金属固定剤は,水
素イオン濃度調整のための・・・硫化水素・・・を含有してもよい」と
記載されている。当該記載は,本件訂正発明の硫化水素の発生を抑制す
る目的とは相反する内容であって,乙11公報が本件訂正発明の課題
(効果)を全く考慮していないこと,本件訂正発明を否定する方向の発
明であることを示している。
そして,乙11公報に記載の参考例(段落【0014】以下)のよう
な方法で重金属固定剤を製造し,得られた組成物について,本件明細書
の実施例1などと同じ条件で二硫化炭素及び硫化水素の発生量を調べる
と,大量の二硫化炭素,硫化水素の発生が認められた(甲19)。この
ことからも,乙11公報に開示された発明が本件訂正発明とは全く異な
る発明であることが裏付けられる。
また,乙11公報における実施例の条件(段落【0010】)におい
ても,「二硫化炭素の量としては,アミン1当量に対して二硫化炭素1.
0∼1.3当量が好ましい」,「反応時の温度としては,約0∼60℃
が好ましい」と記載されているように,乙11公報では,二硫化炭素の
発生や硫化水素の発生を抑制することは全く考慮されていない(「二硫
化炭素の量としては,アミン1当量に対して二硫化炭素・・・1.3当
量」として,二硫化炭素を0.3当量も過剰に使用すると,未反応の二
硫化炭素ガスが多量に発生してしまうことになる。また,「反応温度0
∼60℃が好ましい」とあるものの,二硫化炭素の沸点は46.3℃で
あるから,この温度を超えて反応させることは,二硫化炭素ガスを大量
に発生させてしまうことになる。)。
(ウ)本件特許の出願当時,pHの高い化合物の使用は,特段の理由がない
限り,通常採用されるものではないという技術常識が存在した。
すなわち,乙2公報等の記載からすれば,金属固定剤の使用環境をp
H11以下にすることは,本件特許の出願時の技術常識を構成していた
といえる。また,例えば,飛灰を処理する場合には,通常,飛灰はpH
12以上の高アルカリ性であり,飛灰にジエチルジチオカルバミン酸ナ
トリウムを添加する場合には,pHが10程度以上では効率が低下する
ため,pH12以下となるように水分を添加して使用するとの知見(甲
10)も存在した。
上記によれば,金属固定剤の使用環境をpH11以下にすることは,
本件特許の出願時の技術常識を構成していたといえ,そうであれば,使
用する重金属固定剤溶液はこれと同等か,それよりも低いpHのものを
使用すると考えるのが通常であるといえる。あえてpH13以上に保持
する理由はまったくない。
また,一般に,pH12.5以上の物質は,「廃棄物の処理及び清掃
に関する法律」により,特別管理産業廃棄物に指定され,廃棄に際して
さまざまな規制が課せられて,その使用が抑制されており(甲11),
高濃度のアルカリ水溶液は,最も取扱いに注意を要する物質の一つとさ
れ(甲12),水酸化カリウムや水酸化ナトリウムを5%より多く含む
溶液については,劇物に指定されてさえいた(甲13,14)のである
から,特別な理由がない限り,pH13以上の化合物を使用することは
ないのである。
ウ以上,要するに,乙11公報が「寒冷地などの低温下でも安定な状態で
使用することのできる低温安定化」との課題から「pHを10∼14」と
いう極めて幅広い範囲に特定した発明であり,そのために,乙11公報に
は,「二硫化炭素及び硫化水素を含む有毒ガスの発生を抑制する」という
安定化方法の発明は記載されておらず,むしろ二硫化炭素及び硫化水素を
発生させてもよいことを窺わせる記載がされているのに対し,本件訂正発
明は,「二硫化炭素及び硫化水素を含む有毒ガスの発生を抑制する安定化
方法」との課題から「pHを13以上」に特定した発明であるから,両者
の課題は異なり,しかも,pHに関する構成の相違はこのような課題の相
違から直に導かれる相違点なのであるから,およそ,乙11公報に本件訂
正発明の技術的思想が開示されているとはいえない。
7争点2−3(本件訂正発明に係る本件明細書の記載は改正前特許法36条4
項に違反するものか)について
〔被告の主張〕
本件訂正により,改正前特許法36条4項違反の無効理由が回避されること
はない。
したがって,本件訂正発明に係る本件明細書の記載は,本件発明について争
点1−3〔被告の主張〕で述べたのと同様に,改正前特許法36条4項違反の
無効理由が認められる。
〔原告の主張〕
以下のとおり,本件明細書には,本件訂正発明を実施するに当たり,過度の
試行錯誤を必要とするほどの不備はないから,被告の主張は失当である。
(1)本件明細書の実施例の化合物,とりわけ,ジエチルジチオカルバミン酸カ
リウム塩,あるいは,ジブチルジチオカルバミン酸ナトリウム塩は公知の化
合物であるから,公知の製法に従って容易に製造することができるものであ
る。
実施例も,公知の製法に基づいて行うものであり,原料となるジエチルア
ミン,水酸化カリウム,二硫化炭素などについても,それらの特性や使用に
当たっての問題点はすでに知られているのであるから,実施例程度の記載が
あれば,当業者はpH13以上のジエチルジチオカルバミン酸カリウム塩水
溶液などを容易に製造し得る。
(2)本件明細書の実施例は,ジエチルジチオカルバミン酸カリウム塩水溶液な
どをpH13以上に保持することにより,二硫化炭素と硫化水素の発生が抑
えられることを確認できればよいのであり,仮に,ジエチルジチオカルバミ
ン酸カリウム及びジブチルジチオカルバミン酸ナトリウムが記載どおりの量
だけ生成できなかったとしても,本件訂正発明を実施することができないわ
けではない。
8争点3(損害額)について
〔原告の主張〕
(1)被告は,遅くとも,本件特許権の登録日である平成20年4月25日から,
ジチオカルバミン酸塩系の重金属固定剤に被告方法を使用して,当該製品を
保管し,出荷している。
(2)被告による当該重金属固定剤の販売量は,平成20年4月25日から本件
訴訟の提起日である平成21年2月5日までの間,2000トンを下ること
はなく,その販売価格は100円/Kgを下らない。
(3)被告は,本件特許発明を使用しない限り,安定的に当該重金属固定剤を保
管し,出荷することはできないのであるから,その重要性は高い。
したがって,本件特許発明の実施料率は6%を下らないというべきである。
(4)以上によれば,被告による本件特許権の侵害行為により原告が被った損害
額は,特許法102条3項によれば,1200万円を下らない。
(計算式)
2000t×1000×100円/Kg×6%=1200万円
〔被告の主張〕
原告の主張は否認ないし争う。
第4当裁判所の判断
1第2の1「争いのない事実等」(7)に記載のとおり,被告方法は本件発明
の技術的範囲に含まれると認められる(なお,この点については,当事者間に
争いはない。)。
被告は,第3「争点に関する当事者の主張」1ないし4の〔被告の主張〕に
記載のとおり,本件発明は進歩性を欠き特許法29条2項に違反して特許され
たものである(争点1−1),本件発明は先願発明と同一であり特許法29条
の2に違反して特許されたものである(争点1−2),本件発明に係る本件明
細書の記載は改正前特許法36条4項に違反するものである(争点1−3),
並びに,本件発明に係る特許請求の範囲の記載は特許法36条6項1号に違反
するものである(争点1−4)として,本件特許は特許無効審判により無効に
されるべきものであると主張する。
ところで,本件特許については,その無効審判事件(無効2009−800
082号)において,本件訂正の請求がされており,同訂正はいまだ確定して
いない状況にある。このような場合において,特許法104条の3第1項所定
の「当該特許が特許無効審判により無効にされるべきものと認められるとき」
とは,当該特許についての訂正審判請求又は訂正請求に係る訂正が将来認めら
れ,訂正の効力が確定したときにおいても,当該特許が無効審判により無効と
されるべきものと認められるか否かによって判断すべきものと解するのが相当
である。
したがって,原告は,被告が,訂正前の特許請求の範囲の請求項について無
効理由があると主張するのに対し,①当該請求項について訂正審判請求又は訂
正請求をしたこと,②当該訂正が特許法126条又は134条の2所定の訂正
要件を充たすこと,③当該訂正により,当該請求項について無効の抗弁で主張
された無効理由が解消すること,④被告製品が訂正後の請求項の技術的範囲に
属すること,を主張立証することができ,被告は,これに対し,訂正後の請求
項に係る特許につき無効事由があることを主張立証することができるというべ
きである。
本件においても,原告及び被告は,本件訂正について,上記に沿った主張を
しており,第2の1「争いのない事実等」(4)記載のとおり,原告は本件訂
正に係る請求をしたこと(上記①),本件訂正は特許法126条,134条の
2所定の訂正要件を充たすものであること(上記②)が認められ,また,同
(8)記載のとおり,被告方法は,本件訂正発明の技術的範囲に含まれるもの
(上記④)と認められる(なお,この点については,当事者間に争いはな
い。)。
そこで,以下,本件訂正により,本件特許の特許請求の範囲請求項1につい
て無効の抗弁で主張された無効理由が解消するか否か(上記③)について判断
する。
2争点2−1(本件訂正発明は進歩性を欠くか)について
(1)被告は,本件訂正発明は,①乙2公報で開示された発明に乙5文献に開示
された技術,並びに出願前公知文献等(乙20,21,23ないし25)を
組み合わせることにより,あるいは,②乙2公報で開示された発明に乙5文
献及び乙7文献に開示された技術,並びに出願前公知文献等(乙20,21,
23ないし25)を組み合わせることにより,当業者において容易に想到す
ることができたものであると主張する。
(2)本件訂正発明について
ア本件訂正発明は,次のとおりのものである。
「ジエチルジチオカルバミン酸カリウム塩又はジブチルジチオカルバミ
ン酸ナトリウム塩が溶解してなる水溶液を主成分とする重金属固定剤にお
いて,該水溶液の保存時におけるpHを13以上に保持することを特徴と
する,二硫化炭素及び硫化水素を含む有毒ガスの発生を抑制するジチオカ
ルバミン酸塩系重金属固定剤の安定化方法。」
イ本件明細書(甲2)には,次の記載がある。
(ア)「本発明は,工場排水中の重金属や都市ゴミや産業廃棄物などの焼却
プラントからの焼却灰,排ガスとともに排出される灰分,例えば,電気
集塵機で補集されるEP灰やバグフィルターで捕集された灰分などを無
害化処理する技術に関する。」(段落【0001】1頁9行ないし11
行)
(イ)「都市ゴミや産業廃棄物などから排出される灰などには人体に有害な
重金属が多量にふくまれており,特に鉛,カドミウム,水銀などは灰の
処理地において雨水などによる溶出が問題とされている。そのための対
策として,例えば,焼却灰に石灰,硫酸第一鉄,水を添加・混合する方
法(特開昭54−60773号),重金属含有集塵ダストまたは焼却灰
にNaSまたはNaSHを主成分とする処理剤を添加・攪拌,造粒す2
る方法(特開昭58−67389号),水銀などを含有するゴミ焼却灰
中に液体キレートを散布する方法(特開昭63−205192号)など
が知られている。また,本出願人も飛灰に重金属固定剤と水を添加して
混練,固化する方法を提案している(特開平6−79254号)。また
ジメチルジチオカルバミン酸ナトリウムを重金属固定剤として使用する
ことが特開平7−284748号,特開平8−41017号に記載され
ている。」(段落【0002】1頁14行ないし2頁3行)
(ウ)「ジチオカルバミン酸塩水溶液は飛灰等の重金属固定効果が高いキレ
ート剤として知られているが,その水溶液の保存,輸送,使用時に二硫
化炭素や硫化水素などの有毒ガスが発生する場合がある。本発明は有毒
なこれらガスの発生を抑制する重金属固定剤の安定化方法を提供するこ
とにある。」(段落【0003】2頁6行ないし9行)
(エ)「本発明は,モノジチオカルバミン酸塩が溶解してなる水溶液を主成
分とする重金属固定剤において,該水溶液のpHを13以上に保持する
ことを特徴とするジチオカルバミン酸塩系重金属固定剤の安定化方法で
ある。」(段落【0004】2頁12行ないし14行)
(オ)「効果的に硫化水素の発生を抑え,二硫化炭素ガスの発生をより安全
である10ppm以下とするにはpH13以上とすることが必要である。
また,本重金属固定剤を飛灰などの重金属含有灰と混練して使用する時
には,10∼30倍に希釈して使用することから,その使用時のガスの
発生を防ぐためにも本重金属固定剤のpHを13以上とすることが好ま
しい。」(段落【0009】2頁46行ないし50行)
(カ)「水溶液のpH調整は,モノアミン類と二硫化炭素と反応させジチオ
カルバミン酸塩の製造時または製造終了時に行ってもよいし,製造後保
存時にアルカリを添加し調整してもよい。」(段落【0010】3頁2
行ないし4行)
(キ)「実施例1,2および比較例1,2
適量の水でジエチルアミン3.0モル,二硫化炭素3.0モル及びK
OH3.0モルを反応させてジエチルジチオカルバミン酸カリウム塩3.
0モルを調製し,これにKOHを0,0.01,0.2および0.4モ
ルを添加後水を追加して各1.0㎏に調製した。この試料を各60g採
取して1リットルのポリビンに入れ,容器内を窒素置換して密封,20
℃で3日間保持後,容器内の二硫化炭素および硫化水素濃度を北川式検
知管にて測定した。結果を第1表に示した。」(段落【0012】3頁
10行ないし17行)
(ク)
第1表(ジエチルジチオカルバミン酸カリウム)
添加量()pH二硫化炭素()硫化水素()KOHmol/Kgppmppm
比較例1010.7200065
比較例20.0111.9300<0.9
実施例10.2013.510<0.9
実施例20.4013.84<0.9
(段落【0013】)
(ケ)「実施例3,4および比較例3,4
適量の水でジブチルアミン2.0モル,二硫化炭素2.0モル及びN
aOH2.0モルを反応させてジブチルジチオカルバミン酸ナトリウム
塩2.0モルを調製し,これにNaOHを0,0.01,0.2および
0.4モルを添加後水を追加して各1.0㎏に調製した。この試料を各
60g採取して1リットルのポリビンに入れ,容器内を窒素置換して密
封,20℃で3日間保持後,容器内の二硫化炭素および硫化水素濃度を
北川式検知管にて測定した。結果を第2表に示した。」(段落【001
4】3頁34行ないし41行)
(コ)
第2表(ジブチルジチオカルバミン酸ナトリウム)
添加量()pH二硫化炭素()硫化水素()KOHmol/Kgppmppm
比較例3010.7300020
比較例40.0111.9100<0.9
実施例30.2013.07<0.9
実施例40.4013.51<0.9
(段落【0015】)
(サ)「本発明の方法を用いれば,ジチオカルバミン酸塩水溶液の高い重金
属固定効果を維持したまま,保存,輸送,使用時の二硫化炭素や硫化水
素などの有毒ガスの発生を実用上問題ない水準まで抑制することができ
る。」(段落【0016】)
ウ上記記載によれば,本件訂正発明について,次のようにいうことができ
る。
(ア)ジチオカルバミン酸塩水溶液(ジエチルジチオカルバミン酸カリウム
塩又はジブチルジチオカルバミン酸ナトリウム塩が溶解してなる水溶
液)は,飛灰等に含まれる人体に有害な重金属の無害化処理のために,
飛灰等に散布したり,添加して混練したりして使用される重金属固定剤
として公知である。
(イ)公知の重金属固定剤であるジチオカルバミン酸塩水溶液(ジエチルジ
チオカルバミン酸カリウム塩又はジブチルジチオカルバミン酸ナトリウ
ム塩が溶解してなる水溶液)は,その保存時,輸送時,使用時に,二硫
化炭素や硫化水素などの有毒ガスが発生する場合があった。
(ウ)本件訂正発明は,二硫化炭素や硫化水素などの有毒ガスの発生を抑制
する,重金属固定剤の安定化方法を提供することを目的とし,保存時に
おけるジチオカルバミン酸塩水溶液(ジエチルジチオカルバミン酸カリ
ウム塩又はジブチルジチオカルバミン酸ナトリウム塩が溶解してなる水
溶液)自体のpHを13以上に保持する構成としている。
(3)乙2公報で開示された発明
ア乙2公報の記載
(ア)「特許請求の範囲有害物質を含む産業廃棄物に対し無害化処理剤と
して,一般式
(但しR,Rはアルキル基を示す)で表わされるアルキルジチオカ12
ルバミン酸系化合物,または,
一般式R・NSC・SH・・・・・(Ⅱ)
(但しRはベンゼン核またはアルキル基を示す)で表わされるチオ
ール系化合物を加えて有害物質を不溶解性の物質に変化させることによ
り無害化することを特徴とする有害物質を含む産業廃棄物の無害化処理
方法。」
(イ)「本発明は有害物質を含む産業廃棄物の無害化処理方法に関するもの
であり,詳しくは有害物質を含む産業廃棄物・・・に本処理剤を添加す
ることにより,重金属類と反応して不溶解性の物質を生成せしめること
による無害化処理方法を提供するものである。」(1頁右欄2行ないし
8行)
(ウ)「本発明はかかる従来の欠点を克服し,従来の中和,凝集,沈殿など
による方法とは,まったく異なる方法で廃棄物中の有害金属を無害化す
る方法で,すなわち汚染水の場合はこれらの有害金属と直接反応させ,
不溶解性の物質を生成させることにより効果的に廃棄物中の有害金属を
除去するか,または汚染土の場合は不溶解物のままセメント等の固結剤
により固化し再溶出の防止を目的としたものである。」(2頁左上欄4
行ないし12行)
(エ)「尚一般式で表わされるアルキルジチオカルバミ
ン酸系化合物の代表的な物質としては次のような化合物がある。
・・・
(ロ)ジエチルジチオカルバミン酸ナトリウム
・・・
(ニ)ジブチルジチオカルバミン酸ナトリウム
・・・」(2頁右下欄3行ないし13行)
(オ)「実施例2汚染水の場合の各PH領域における各金属イオンと処理
剤の反応性
2−1実験材料
(1)処理剤としてジメチルジチオカルバミン酸ナトリウムを使用
(2)有害金属を含む廃棄物として銅,亜鉛,鉛,カドミウムの各
廃液を使用
2−2実験方法
(1)廃棄物中の含有有害金属イオン量1モル/lにジメチルジ
チオカルバミン酸ナトリウム3モル/lを加える。
(2)各領域PHにおける反応生成物を除去し濾液について残存金
属イオン量を測定する。
・・・(中略)・・・
2−3実験結果
表−2各PH領域に於ける残存金属イオン
2−4考察
上記の実験結果より本処理剤を使用して廃棄物中の有害金属を除
去するにはPHが6∼11位の間で処理することが望ましい。」
(3頁右下欄1行ないし4頁左上欄下から8行)
イ乙2公報で開示された発明の内容
(ア)乙2公報の上記記載から,有害金属を含む産業廃棄物に対し無害化処
理剤として一般式(Ⅰ)(式略)で表されるアルキルジチオカルバミン
酸系化合物が加えられること,実施例2の実験方法の「廃棄物中の含有
有害金属イオン量1モル/lにジメチルジチオカルバミン酸ナトリウ
ム3モル/lを加える。」という記載から,加えられるアルキルジチオ
カルバミン酸系化合物は水溶液であってよいこと,がわかる。
また,乙2公報の上記記載から,当該無害化処理剤は有害金属と直接
反応し,不溶解性の物質を生成するものであること,一般式(Ⅰ)(式
略)で表されるアルキルジチオカルバミン酸系化合物は,その代表的な
物質であるジブチルジチオカルバミン酸ナトリウムであってよいこと,
がわかる。
(イ)そうすると,乙2公報には,以下の発明が開示されているものと認め
られる。
「ジブチルジチオカルバミン酸ナトリウム塩が溶解してなる水溶液を
使用する,産業廃棄物に含まれる有害金属と直接反応し不溶解性の物質
を生成する無害化処理剤」(以下「乙2発明」という。)
(3)本件訂正発明と乙2発明との対比
ア一致点
本件訂正発明と乙2発明とは,「ジブチルジチオカルバミン酸ナトリウ
ム塩が溶解してなる水溶液を主成分とする重金属固定剤」(構成要件A
1),との点で一致する。
イ相違点
乙2発明には,「該水溶液の保存時におけるpHを13以上に保持する
こと」,「二硫化炭素及び硫化水素を含む有毒ガスの発生を抑制するジチ
オカルバミン酸塩系重金属固定剤の安定化方法」についての開示はないか
ら,本件訂正発明と乙2発明とは,以下の点で相違する。
(ア)本件訂正発明が「該水溶液の保存時におけるpHを13以上に保持す
ること」(構成要件B1)との構成を有するのに対し,乙2発明はこの
ような構成を有しないこと(相違点1)
(イ)本件訂正発明が「ジチオカルバミン酸塩系重金属固定剤の二硫化炭素
及び硫化水素を含む有毒ガスの発生を抑制する安定化方法」(構成要件
C1)であるのに対し,乙2発明は「ジチオカルバミン酸塩系重金属固
定剤」であって,「二硫化炭素及び硫化水素を含む有毒ガスの発生を抑
制する安定化方法」ではないこと(相違点2)
(4)相違点についての検討
ア乙5文献で開示された内容
(ア)乙5文献の記載(和訳について,甲15,乙5の2)
a「Dithiocarbamicacidsarestableonlyinweaklyacidicor
alkalinesolutions.」(訳:ジチオカルバミン酸は,弱酸性または
アルカリ性の溶液中でのみ,安定である。)(1099頁要約部分3
行ないし4行)
b「Previousstudiesonthedecompositionofdialkydithiocarb
amicacidshavereportedthatthedecompositionisdependent
onthehydrogenionconcentration.」(訳:ジアルキルジチオカル
バミン酸の分解に関する過去の研究は,分解は,水素イオン濃度に左
右されると報告してきた。)(1099頁下から2行ないし最終行)
c「Thepresentstudyshowsthatthisiscorrectinaparticu
larpHrangebutatlowpHvaluesthedependenceonpHdisapp
ears,andalimitingrateofdecompositionisreached.」(訳:
本論文は,これら報告は,特定のpH幅においては適切だが,低pH
値ではpH依存は存在しなくなり,分解速度は制限されることを示し
ている。)(1099頁最終行ないし1101頁2行)
「Thelogarithmsoftheapparentlimitingrateconstants,wi
ththeexceptionofthatforthepyrrolidinederivative,decr
easeapproximatelylinearlywithincreaseofbasicitiesofth
eDTCnitrogenatom.」(訳:ピロリジン誘導体を除き,見かけの速
度制限定数の対数は,DTC窒素原子の塩基性が増加するに従い,ほ
ぼ直線的に減少する。)(1101頁6行ないし7行)
d「TABLEⅠ−LOGAPPARENTRATECONSTANTS(sec,25℃)」(訳:表-1
Ⅰ見かけの速度定数の対数(sec,25℃))(一部抜粋)-1
pHn-BuDTC2
1・0-1.24
1・4-1.24
・・
・・
・・
5・4-2.99
pK2(NH)4・4
」(1100頁)
(イ)上記記載によれば,乙5文献には,「n-BuDTCなどのジチオカルバミ2
ン酸は,弱酸性,あるいは,アルカリ性の溶液中でのみ安定すること」
が開示されているものと認められる。
イ乙7文献で開示された内容
(ア)乙7文献の記載(和訳について,甲16,乙7の2)
a「Also,theseacidsareknown(3,4)toundergodecompositioni
naqueoussolution.」(訳:これらの酸(判決注・ジチオカルバミ
ン酸)は,水溶液中で分解を起こすことが分かっている(3,
4)。」(1441頁右下欄4行ないし5行)
b「KineticsofDecomposition.ThepHdependenceoftheappar
entrateconstant(k')ofreaction8isshowninFigure2for
thepyrrolidineanddiethyldithiocarbamates(4).」(訳:分解速
度。反応(8)の見かけの速度定数(k’)のpH依存性を,ピロリ
ジンおよびジエチルジチオカーバメートに関して図2に示す。)
「AtpHvaluesgreaterthan4,theresultsindicateafirst-
orderrelationshipbetweenthelogarithmoftheapparentrate
constantandthepH.」(訳:4よりも高いpH値において,実験
結果は,見かけの速度定数の対数とpH値との間に一次比例関係が存
在することを示している。)(1443頁左欄下から6行ないし右欄
1行)
図2.ジチオカルバミン酸の分解速度データ(25℃)
K’見かけの速度定数(min)−1
曲線aピロリジンジチオカルバミン酸
曲線bジエチルジチオカルバミン酸
c「Ifthedithiocarbamicacidsweredibasicacids,withboth
nitrogenandsulfurprotonated,onewouldexpectbyanalogyw
iththeotheraminoacids(10)thatthenitrogenatomofthemo
leculeshouldbeprotonatedfirst,becauseofitshigherbasi
city.」(訳:仮に,ジチオカルバミン酸が二塩基酸(窒素と硫黄と
もにプロトン化)だった場合,他のアミノ酸(10)から類推して,
塩基性がより高い,分子の窒素原子が最初にプロトン化すると推測す
るだろう。)(1443頁右欄下から2行ないし1444頁左欄3
行)
「Inthiscase,asecondinflectionpointcorrespondingto
thepKvalueshouldbeseenatahighpHinthekineticprofN
ile.TheapparentrateconstantshouldthenbeequaltoK・T
[H]KsKwhen[H]<<KandshouldgivealogK'vspH+2+
NN
rateprofileofslopetwo.」(訳:この場合,pK値に一致するN
2つ目の変曲点が,速度データの高pH値において確認できるはずで
ある。そして,見かけの速度定数は,[H]<<Kの時,K・+
NT
[H]KsKに等しくなり,logK’対pH値の速度データが+2

傾き2になるはずである。)(1444頁左欄3行ないし7行)
d「PotentiometricTitrations.Manyauthors(12-18)havestud
iedthetitrationofthedithiocarbamatesaltswithstrongac
idsandhaveobservedthat:(a)inordertoreachtheendpo
intofthetitration,twoequivalentsofacidarerequiredp
ermoleofDTCsalt;and(b)afteradditionofacid,thepH
oftheDTCsaltsolutiondoesnotremainconstantbutshifts
towardshighervaluesasafunctionoftime.」(訳:電位差滴
定。多くの著者(12−18)は,強酸を使用してジチオカルバミン
塩の滴定を研究し,以下の意見を述べた:(a)滴定終点に至るには,
DTC塩のモル当量につき,2当量の酸が必要である;(b)酸の追
加後,DTC塩溶液のpH値は一定ではなく,時間経過とともに高ま
っていく。)(1444頁左欄下から3行ないし右欄4行)
e「Asonlyonesingleinflectionisseenintheexperimental
titrationcurve,itisconcludedthattheDTCacidsaremon
obasic.Becausetheseacidsdecomposerapidlyandastheprod
uctofdecompositionpicksupasecondproton,twoequivalen
tsofacidarerequiredtotitratetheDTCsalts.ThepHchan
gewithtimecanbeexplainedbythecontinuousconsumptiono
fprotonsduringthedecompositionoftheDTCacidanditssu
bsequentregenerationthroughtheacid-anionequilibrium.」
(訳:実験結果曲線上には,1変曲のみが確認されたため,DTC塩
は,一塩基であると結論付ける。これら酸の分解は急速であること,
また,分解生成物が2つ目のプロトンを取り込むため,DTC塩の滴
定には2当量の酸が必要である。DTC酸分解中の継続的なプロトン
消費と,その後に続く酸性−陰イオン平衡を通じての再生が,時間経
過に伴うpH変化を説明している。)(1445頁左欄下から4行な
いし右欄5行)
(イ)上記記載によれば,乙7文献には,一塩基酸であるジチオカルバミン
酸塩水溶液は,pHが高いほど二硫化炭素への分解が抑制され安定であ
ると推測されることが開示されている。
なお,原告は,甲第26号証の1(北里大学理学部准教授箕浦真生作
成に係る意見書)に基づいて,乙7文献からは,ジエチルジチオカルバ
ミン酸の場合には,pHが4から9程度までの間ではpHが高くなるほ
ど,アミンと二硫化炭素に分解する分解速度が遅くなることが分かるも
のの,pHが9を超えても同様に,pHが高くなるほど分解速度が遅く
なるかどうかは不明である旨主張する。
しかしながら,甲第26号証の1は,要するに,pH9以上の領域に
ついてはデータが示されていないので,図2の直線関係がどこまで続く
かは不明であると述べるにすぎず,ジエチルジチオカルバミン酸の見か
けの速度定数の対数とpH値との間の一次比例関係がpH9以上で失わ
れることを示す,あるいは,これを推測させる根拠は示されていない
(甲36の1,乙15の1)。乙7文献では,「分解速度。反応(8)
の見かけの速度定数(k’)のpH依存性を,ピロリジンおよびジエチ
ルジチオカーバメートに関して図2に示す。4よりも高いpH値におい
て,実験結果は,見かけの速度定数の対数とpH値との間に一次比例関
係が存在することを示している。」との記載とともに,図2が示されて
いるのであるから,当業者であれば,「乙7文献には,ジチオカルバミ
ン酸塩水溶液は,pHが高いほど二硫化炭素への分解が抑制され安定で
あると推測されること」が開示されていると認識するであろうことは,
甲第26号証の1の記載によっても否定されるものではないというべき
である。
ウ乙20文献で開示された内容
(ア)乙20文献の記載
a「3.薬剤添加(液体キレート)混練法
飛灰の安定化処理法として,簡単かつ有効な方法を目標として開発
されてきた。本方式は重金属固定剤,凝集剤等の薬品,さらに必要に
応じてpH調整剤を添加して加湿混練するもので,重金属類の溶出防
止に十分な効果が得られる。」(2頁右欄下から13行ないし8行)
「3)特徴
飛灰処理の中で最も安定化処理できるのが薬剤添加混練法といわれ
ているが,薬品代が高価すぎるといわれている。また,飛灰のpH値
によってはHS,H,COガスの発生や,安定化しにくいこともあ22
るので配慮を必要とする。」(5頁左欄17行ないし22行)
b「5.液体キレート(重金属固定剤)の種類
集塵灰の飛灰処理の方法の一つに液体キレートによる処理法(廃棄
物処理法施行令第4条に規定する薬剤処理に該当)がある。
この薬剤処理用に用いられている液体キレートは,現在市場に出回
っているカタログなどによると,表−3に示す3種類のものが代表的
と見られる。また,それら3社のカタログや特許公報などから推察す
ると,それらの構造は表−3に示すように想定できる。
(表−3重金属固定剤液体キレートの種類と構造)(略)」(8頁
左欄1行ないし10行)
c「5−1ピロリジン系イオウ化合物とは(重金属固定剤)
耐熱性のピロリジン系の骨格を持つ液体キレート化合物(商品名:
オリトールS)は,重金属と非常に結合しやすく,瞬時に結合して水
に不溶性の金属キレート化合物を作る。
・・・(中略)・・・
オリトールSは,アルカリ性(pH10∼12)の液体キレートで
あるが,手に触れても急激な害はなく,直ちに水洗いをすれば皮膚に
異常をきたすことなく,また酸性物質が混入されても,硫化水素など
の有害ガスの発生は全くなく,取り扱いも簡単で安心して使用できる
耐熱性液体キレートである。」(8頁左欄12行ないし右欄7行)
d「6.液体キレートの性状とコスト比較
東京都特許品の液体キレートと市販されている代表的な液体キレー
トの性状やコストの比較を表−4に示す。
表−4液体キレートの性状及びコスト比較(一部抜粋)
種類:ピロリジン系(オリトールS−3000)
pH:約11∼12
特徴:硫化水素ガスの発生なし
種類:カルバミン酸系(スミキレートAC−21V)
pH:約11∼12
特徴:硫化水素ガス発生(少々)」(9頁,10頁右欄1行ない
し4行)
e「10.まとめ−ピロリジン系液体キレートの特徴−
東京都が特許(オリエンタル技研工業との共同特許)を保有する液
体キレートは,以上述べたことを要約すると,おおよそ次のような特
徴がある。
・・・(中略)・・・
③他の液体キレートと異なり,使用に際してHS,H,COガス22
等が発生しないので安全性が高い。」(13頁左欄下から3行ない
し右欄10行)
(イ)上記記載によれば,乙20文献には,ピロリジン系イオウ化合物液体
キレート(pH約11∼12)は,使用時に酸性物質が混入されても,
硫化水素などの有毒ガスの発生は全くなく,取扱いも簡単で安心して使
用できる液体キレートであると紹介されているのに対し,カルバミン酸
系イオウ化合物液体キレート(pH約11∼12)は,使用時(酸性物
質が混入されると)において,硫化水素ガスが少々発生することが指摘
されていたことが開示されている。
エ乙25文献で開示された内容
(ア)乙25文献の記載
a「(1)薬剤処理の原理
ばいじん中の重金属類の無害化に有効と考えられる薬剤としては,
液体キレート剤等がある。液体キレート剤は,重金属類と反応して強
固なキレート結合を形成し,不溶性の重金属キレート化合物になる。
たとえば,強力な液体キレート剤であるポリエチレンイミン・ジチ
オカルバミン酸ナトリウムを用いて,ばいじん中の不安定なPbを2+
不溶化する場合の反応図を図2−3−43に示す。」(155頁3行
ないし156頁2行)
b「(2)薬剤の種類と特徴
ばいじん中の重金属類の不溶化に有効と考えられる薬剤の性状を表
2−3−39に示す。
ここで示した重金属固定剤は,すべて液体キレート剤であり,Sと
Nを含むキレート形成基を持つ化合物又は高分子化合物であり,Hg,
Cd,Cu,Pb,Ni,Cr,Zn,Mn,Fe等の金属に有効で
ある。」(156頁3行ないし8行)
「表2−3−39重金属固定剤の性状(一部抜粋)
高分子重金属固定剤A:pH11∼12
高分子重金属固定剤B:pH9∼10
重金属固定剤C:pH12∼13
重金属固定剤D:pH12∼13
注:1)pHは,10%水溶液の値」(155頁)
(イ)上記記載によれば,乙25文献には,重金属固定剤のpHは,製品に
よって,「pH11∼12」,「pH9∼10」,「pH12∼13」
と様々であり,当該製品に好適なpHであれば足りることが開示されて
いる。
オ乙2発明,すなわち,無害化処理剤(ジブチルジチオカルバミン酸ナト
リウム塩が溶解してなる水溶液を使用する無害化処理剤)は,有害金属を
含む産業廃棄物に加えられるものであるから,無害化処理に使用されるま
で,安定に保存されるものでなければならないことは,当業者にとって自
明の課題であるということができる。
そして,n-BuDTCなどのジチオカルバミン酸は弱酸性,あるいはアルカ2
リ性の溶液中でのみ安定すること(乙5),ジチオカルバミン酸塩水溶液
は,pHが高いほど二硫化炭素への分解が抑制され安定であると推測され
ること(乙7),カルバミン酸系イオウ化合物液体キレート(pH約11
∼12)は,使用時(酸性物質が混入されると,すなわち,pH値が下が
ると)において,硫化水素ガスが少々発生することが指摘されており,他
方,ピロリジン系イオウ化合物液体キレート(pH約11∼12)は,使
用時に酸性物質が混入されても,硫化水素などの有毒ガスの発生は全くな
く,他の液体キレートとは異なり,使用に際して,HS,H,COガス22
等が発生しないことから安全性が高いと考えられていたこと(乙20。な
お,キレートが硫黄分を多く含むためにpH調整剤と直接混ざるとpHが
酸性側に移行しHSを発生する危険性があることは,乙13の159頁2
左欄20行ないし22行の記載からも窺われる事項である。)は,本件発
明の出願当時公知であったから,当業者において,乙2発明(ジブチルジ
チオカルバミン酸ナトリウム塩が溶解してなる水溶液を主成分とする重金
属固定剤)を,無害化処理に使用するまでの間,そのpHを高いpHに保
持し,二硫化炭素及び硫化水素を含む有毒ガスの発生を抑制して安定化す
ること(構成要件C1)は,適宜行う範囲内のことであったといえる(な
お,ごみ焼却場から発生し補集された飛灰や洗煙排水中に含まれる有害な
重金属類を不溶化させて分離除去したり,溶出を防止するためなどに重金
属処理剤として使用される「ジチオカルバミン酸塩水溶液」自体の安定の
ため,水素イオン濃度調整が行われることがあることは,乙4の【001
5】の記載,乙6の2頁左上欄16行ないし19行の記載,同3頁右上欄
4行ないし7行の記載からも窺われる事項である。)。
また,乙2発明(ジブチルジチオカルバミン酸ナトリウム塩が溶解して
なる水溶液を主成分とする重金属固定剤)を安定化するに際し,該水溶液
のpHを13以上とすること(構成要件B1)は特段困難なことではない
ということができる(乙25文献には,重金属固定剤のpHは,「pH1
1∼12」,「pH9∼10」,「pH12∼13」と製品によって様々
であり,当該製品に好適なpHであれば足りることが開示されており,当
業者において,乙2発明のpHを適宜13以上とすることに阻害要因があ
ったとは認められない。)。
カなお,本件明細書における実施例1,2に係る第1表,実施例3,4に
係る第2表によれば,硫化水素の発生量は,pH11.9で既に「<0.
9(ppm)」であり,pH13以上の場合と異ならないこと,二硫化炭
素の発生量はpHが高くなるにつれて,漸次減少しているにすぎないこと
から,本件訂正発明におけるpHの下限値である「pH13」(構成要件
B1)に,臨界的意義があると認めることはできない。この点は,原告に
よる実験の結果(甲18)においても,同様である。
また,以上によれば,本件訂正発明により奏される効果は,乙2発明,
公知技術(乙5文献,乙7文献,乙20文献及び乙25文献)から当業者
が予測し得る範囲内のものである。
キ以上によれば,本件特許の出願当時,当業者において,乙2発明に乙5
文献,乙7文献,乙20文献及び乙25文献に開示された公知技術を組み
合わせることにより,本件訂正発明に容易に想到し得たものと認められる。
(5)原告は,本件特許の出願経過中,特許拒絶理由通知を受けたのに対して提
出した意見書(乙12)において,「本願発明と引用文献1に記載されてい
る発明を比較しますと,上記点で相違します。審査官のご指摘通り,pHの
低下にともないジチオカルバミン酸塩が不安定になり,アミンと二硫化炭素
に分解することは公知でありますが,pHの低下により,硫化水素までもが,
発生することは,本願出願以前に知られておらず,本発明により初めて発見
された知見であります。本願発明の特徴は,長期保存時において。(判決注
・「,」の誤記と認める。)二硫化炭素の発生を抑えると共に,硫化水素の
発生をも抑えることができるpH領域を初めて明らかにするものであり,本
願発明におけるpH13の値は,上記に示す臨界的意義を有するものであり
ます。」と述べている。
しかしながら,上記説示のとおり,本件特許の出願以前に,カルバミン酸
系イオウ化合物液体キレート(pH約11∼12)は,使用時(酸性物質が
混入されると,すなわち,pH値が下がると)において,硫化水素ガスが少
々発生することが指摘されており,カルバミン酸系イオウ化合物液体キレー
トとは異なり,使用時に酸性物質が混入されても,硫化水素などの有毒ガス
の発生がない液体キレートが「取り扱いも簡単で安心して使用できる液体キ
レートである」,「他の液体キレートと異なり,使用に際してHS,H,22
COガス等が発生しないので安全性が高い。」と紹介されていた(乙20)
のであるから,原告の述べるように,「pHの低下により,硫化水素までも
が発生することは,本願出願以前に知られておらず,本発明により初めて発
見された知見である」とは認められない。
また,本件訂正発明における「pH13」の値に臨界的意義があると認め
ることができないことは,既に説示したとおりであり,しかも,本件特許の
出願以前において,重金属固定剤のpHは,「pH11∼12」,「pH9
∼10」,「pH12∼13」と製品によって様々であり,pHを「12∼
13」とする重金属固定剤も複数製品化されていたことも認められる(乙2
5)のであるから,この点においても,原告の主張は失当である。
(6)以上のとおり,本件訂正発明は,出願前公知刊行物の記載に基づいて当業
者が容易に発明をすることができたものであって,進歩性欠如の無効理由が
認められる。
そうすると,本件発明も,本件訂正発明と同様に進歩性欠如の無効理由が
あることが明らかであるから,本件特許は,特許法29条2項に違反して特
許されたものであって,本件特許は特許無効審判により無効にされるべきも
のであるから,特許法104条の3第1項により,原告は,被告に対し,本
件特許権の行使をすることはできないというべきである。
3結論
よって,原告の本訴請求は,その余の点について判断するまでもなく理由が
ないから,いずれも棄却することとして,主文のとおり判決する。
東京地方裁判所民事第47部
裁判長裁判官阿部正幸
裁判官柵木澄子
裁判官小川卓逸
(別紙)
方法目録
a:ジエチルジチオカルバミン酸カリウム塩が溶解してなる水溶液を主成分と
する重金属固定剤において,
b:該水溶液の製造時または製造終了後にアルカリを加え,保存時における該
水溶液のpHを13以上に維持する
c:二硫化炭素及び硫化水素を含む有毒ガスの発生を抑制するジエチルジチオ
カルバミン酸カリウム塩の重金属固定剤の安定化方法。
以上
(別紙特許公報省略)

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